七月一日【3】
「ループを……知っているの?」
信じられないといった顔付きで、西園寺さんは俺のことを見ている。 とは言っても、俺だって信じられない。
まさか、俺と同じようにループしている人が居るなんてことを。 現実離れしすぎているというか……いや、ループ自体がそもそも現実離れしすぎているか。 そう考えればおかしな話ではない、のか?
「知っているって言うより、俺もそうなんだ。 ずっと同じ七月で……八月にならないんだよ」
繰り返される七月は、既に十一回目。 終わりが見えない七月だ。 七月は三十一日まであるので、既に一年近くも俺は七月に閉じ込められている。
「……本当に? 本当に、本当?」
「嘘じゃないよ。 もうこれで、十一回目なんだから」
半ばうんざりしたように、俺は言う。 西園寺さんの反応を見る限り、俺と一緒の立場に置かれていると考えて良いだろう。 西園寺さんも俺同様、このループ現象にうんざりしているんだ。
「そうなんだ……。 あ、ごめんね。 驚いちゃって……信じられなくて」
西園寺さんは、未だに信じられないといった顔付き。 いやぁ、そう言われても俺も相当驚いてるって。 だって、ループに閉じ込められること自体驚きだというのに、更に他にも閉じ込められている人が居るなんてな。 それもこんな身近に。
これだけの異常が起きているのだからまさかと思って推測した結果だけど……本当に、他にもループしている人が居るとは。 妙な親近感を覚えると共に、何だか俺が思っている以上に、これは大事かもしれない。
「あの、その……成瀬くんは、どうして分かったの? わたしがループをしているってことに」
「ああ、それは」
まず、第一にドアに置いてあった問題文のこと。 もしも何も知らない一般人ならば、気味悪がるか、または教師にそれを届ける可能性が高い。 しかし西園寺さんはそれを「ナゾナゾ」と称し、俺に協力を求めてきた。 それに、西園寺さんは屋上に拘っている節があったのだ。 毎日昼休みにここを訪れ、暗証番号を一から順番に入れていくほどの拘り。 その行動から、まず可能性の一つとして俺は考えていた。
でも、それだけではまだ聞こうとは俺も思わなかっただろう。 失敗したときのリスクがあまりにも高すぎる。
だが、次。 次に俺が妙だと感じた部分。
西園寺さんが俺に問題文の一部……最後の『あなたたち』という部分を見せてきたときのこと。 西園寺さんが言うには、それは複数形だから西園寺さんと俺の誕生日ではないか、ということだ。 そもそもの話、それがおかしい。 普通に考えて、普通に生活していれば、そんな考えには絶対に至らない。 まず、その答えに辿り着くための必須条件は……異常を知っている、ということ。 そういうことが起きてもおかしくないと理解していること。 その二つ。
そして、最後。
ドアが開いたときの、西園寺さんの声色と反応。 それを聞いて、俺はある意味で確信した。 その反応は、俺が初めてこの現象に遭遇したときと似ていたから。
「……あはは。 すごいなぁ、成瀬くんは」
俺が説明した理由を西園寺さんは聞いて、目を瞑る。 何かを考えているようにも、何かに感動しているようにも見える姿。 そしてそんな姿を眺めながら、俺は口を開いた。
「西園寺さんは、いつから?」
いくら西園寺さんがループをしているということが分かっても、まずは状況を整理しなければ話は始まらない。 今分かっていることと言えば、俺は十一回目のループの最中で、西園寺さんも同様にループをしているというだけだ。 この屋上のドアにどうして俺と西園寺さんにしか解けない鍵がかけられていたのかということも、俺の生徒手帳に入っている紙の言葉の意味だって、未だに分からない。
「わたし? わたしは、えと……三十八回目」
「は!? さんじゅ……マジで!?」
ええっと待て。 さすがに驚いたぞそれ。 一年は十二ヶ月だから、三十八回ってことは……三年と二ヶ月か!? 俺より三つも年上なのか!? 精神年齢的に!?
あまりにも衝撃的すぎて、こんな簡単な計算に数十秒もかかってしまった……。 三年ってな。 よく今でもこんな普通にしていられるな、西園寺さん。 ちょっと尊敬してしまう。 もしも俺が西園寺さんの立場だったら、無気力人間になっていそうだ。
「……えへへ」
「そこ照れるところじゃないから」
頭が痛くなってきた。 てっきり同じ回数くらいだと思っていたが、大先輩だったというわけだ。 ループ的にも、人間的にも。 八桁の暗証番号を全て試そうとしていた人をそうだとは思いたくないよ、切実に。
あ、でも待てよ。 三十八回もループをしていたってことは、もしかして。
「……ちなみに西園寺さん、暗証番号っていくつまで試したの?」
「えと、ちょっと待ってね」
そう言い、制服のスカートのポケットから、メモ帳を取り出す。 どうやら、忘れないようにしっかりとメモを取っているようだ。 恐らくは七月三十一日の時点でどこまで入れたかを記憶しておき、七月一日に戻ると同時にメモに書いているのだろう。 そんなことは、一々聞かずとも分かる。 つうか真面目だなおい。
「三十八回目で……七月の一日でしょ。 だから……あ、あった」
「一、零、一、四、七、三、六、九。 だね」
そしてもう少しで、そのロックが外れそうなところまで行っていた。 本当に何と言うか……色々凄いな、この人は。
「は、ははは。 とりあえず屋上、はいろっか」
最早、苦笑いしかすることが出来ない。 ある意味で物凄い努力家だ。 そしてある意味で物凄い天然だ。 三年と二ヶ月の間もそれが続けられたのはもう、凄いというよりただの馬鹿な気がしてならない……。 なんて思ったりする俺。
「……普通に屋上、だなぁ」
それから、俺と西園寺さんは屋上へと足を踏み入れた。 一見したところ、特に変わったところも妙な場所もなく、至って普通の屋上。 扉を潜り抜けたらループから脱出できるかも、なんて淡い期待はあっさりと打ち砕かれる。
いや、俺たちが理解出来ていないだけで、その可能性もゼロではない。 だからこそ、それが足枷となるのだ。 ループを抜けているかもしれないという思いは、行動の幅を狭めてくる。 簡単に言うと思い切った行動が取れないのだ。
「……残念。 折角三年も頑張ったのに! 悔しいなぁ」
「そこはもっと落ち込んでも良いと思うけど」
手をパンと叩いて、ひと言だけで済ませる西園寺さん。 メンタルはどうやら、限りなく高い様子で恐れいった。 その気楽な性格は羨ましい。
「えへへ。 でも、そう言う成瀬くんもあまり落ち込んでいるようには見えないよ? 予想通りだった、とかかな」
「俺の場合は鍵に挑戦したのは今回が初めてだし……。 まぁ、予想してなかったって言えば嘘になるけど、期待していなかったというのも嘘になるよ。 落ち込んでいるように見えないなら、回数の差だろうな」
一回と数え切れないほどとじゃ、そりゃ感想も変わってくるだろう。 西園寺さんにとっては長い長い挑戦だったとしても、俺にとっては挑戦一回目の昼休みで解けてしまった問題なんだ。
「それでこれ、俺が持っている紙だけど」
言い、胸ポケットに仕舞っている生徒手帳を取り出し、その中に挟まれている紙を西園寺さんに手渡す。 持ち得る情報は全て共有するべきとの判断からだ。 ただでさえ少なすぎる情報は、集めるに越したことはない。
「課題その壱……」
西園寺さんは呟くと、自身の生徒手帳を取り出した。 そして、俺と同じように間に挟まれている紙を取り出し、見せる。
……なるほど。 どうやら、この課題とやらは共通か。
まるっきり、同じ内容。 字体も書いてある文字も、その全てが一緒。 それが西園寺さんの出した紙に書いてある情報だ。
「さっきの紙は、あそこの扉の前に落ちていたの。 見つけたのは結構昔だけど……まぁ、七月だよね」
そんな情報共有の意図を汲み取ってくれたのか、西園寺さんは言う。
「面倒なのは、その『問題』というのがいくつまで用意されているか、かな。 それで、その全部をクリアしても時間が動き出すとは限らない。 どれが鍵なのか、現時点では分からない……か。 頭が痛くなってくるな」
鍵……。 普通に思い付くのは、一般的な物としての形を持った鍵だ。 それならばまだ、分かりやすくて助かりもする。 だが、問題は物としての形を持っていない鍵だった場合。 それはもしかしたら、人の想いだとか気持ちだとか、そういう目に見えない「物」の可能性だってある。
「……でも、良かったぁ。 こうやって同じ境遇の人に出会えて、本当に良かったよ。 わたし一人じゃ、さっきの問題も全然分からなかったし」
えへへと、笑いながら西園寺さんは言う。 確かに頭を捻らなければ分からない問題だったけど……そんな時間をかけても、分からない問題だっただろうか? 俺が数十分で分かった問題を西園寺さんは、本当に三年と二ヶ月の間、解けずにいたのか?
「そうだな。 俺も、同じ目的を持つ人に会えて良かったよ。 なんとか協力して、八月を迎えよう」
俺は言いながら、右手を差し出す。 西園寺さんはそれを見ると、左手の人差し指で頬を掻きながら、右手で俺の手をしっかりと握る。
「うんっ。 これからよろしく、成瀬くん! ところで、そこに落ちている紙ってなんだろ?」
「……落ちてる? あ、これか」
いつの間にか、俺の足元に一枚の紙。 真っ黒な紙だ。
俺はそれを手に取り、眺める。
「なんだこれ。 手紙……か? 手紙!?」
状況と、場所。 さっきまでは確実になかった場所に、唐突に現れた真っ黒な『手紙』だ。 そしてその表には何やら文字が書いてあって。
『成瀬陽夢さま。 西園寺夢花さま』
明らかに怪しすぎる。 俺でなくとも、そのくらいは分かるだろう。
「見てみよ。 多分……」
言う西園寺さんの顔を見て、俺は頷く。
多分、俺と西園寺さんをこの時間の檻に閉じ込めた奴からか? 俺と西園寺さんに『課題』と称し、手紙を寄越した人物。
「……んじゃ、開けるぞ」
言い、俺は『手紙』を開く。 開けた直後に何かが起きるわけでもなく、その中には本当に文が書いてあるだけだった。
「これは……マジかよ」
「……あれ。 もしかして、打つ手なしってこと?」
俺と西園寺さんはその内容に肩を落とす。 同じループ世界に閉じ込められた人と出会い、初めてのことが一日にして数多く起きた、この十一回目のループ。 だからこそ期待をしていたが、現実は結構厳しかったりする。 そもそもこれが現実なのかも定かではないけども。
『祝辞。 おめでとうございます。 仲間は大切。 出会いも大切。 鍵はもう手の中に。 後は鍵の使い方。 一ヶ月張り切って行きましょう』
馬鹿にしたようなこの文章。 全くと言って良いほどに情報が欠けている内容だ。 もっと分かりやすく書いてくれれば良いものを……この異常を仕組んだ奴は、一体何者なんだ?
人類が知らないような超能力的な物か……或いは、俺がそう思い込んでいるだけなのか。
「……西園寺さん、実はこれ夢だったりするのかな」
その場に腰を下ろして、俺は言う。
未知なるウイルスにでも感染して、今は病院のベッドの上に横になっていて、そして今こうなっているのは全て夢。 その可能性。
「だったら良いよねぇ。 わたしもそうであって欲しいかな。 えへへ」
……まったくだ。 そんなの、考えるだけ無駄なこと。 夢であろうとなかろうと、とにかくその鍵の使い方というのを理解しない限り、俺と西園寺さんは一生ここに閉じ込められたままだろう。
ウィルスだとしても、超能力だとしても、するべきことは変わらない。 目的をハッキリと意識して、常に最悪のパターンを考えて、最善の選択を。
その最善の選択は、今で言うなら新たな出来た仲間と共に。 西園寺夢花という一人の少女と共に考えるべきだ。
「あ! でも、成瀬くんと会ったことがなくなっちゃうのは嫌だから、その夢でっていうのなしで!」
手を合わせて、誰かに祈る西園寺さん。 その光景はなんだか、絵画にでもありそうな感じである。
「そうだ! 成瀬くん、帰りにアイスでも食べて行かない? 今日って、特別に暑いから」
……心配だ。 物凄く心配だ。 西園寺さん、もうちょっとで良いからこの状況に焦ってくれないだろうか。 そんな優雅に構えられていると俺が馬鹿みたいだからさぁ!
「何年も人と話してなかったから、こういう風に新しい言葉で新しい会話を出来るって、すっごい嬉しいんだ。 だから、ね?」
祈るように両手を組み、胸の辺りに置きながら西園寺さんは言う。 その言葉の意味は俺にも良く分かる。 俺も、もう何年も人とは話していない。 だからそれを見て、俺は。
「……確か、駅前にアイス屋ができたっけ。 七月一日にオープンの」
「うんっ。 えへへ、丁度わたしもそこに行こうと思ってたんだ。 結構美味しいらしいよ? 楽しみだなぁ」
今日くらいは、良いか。 とりあえずは新たな一歩を祝福と行こう。 明日からはちゃんとやる。 明日からはちゃんとやる。 明日からはちゃんとやる!!
こうして、俺の十一回目の七月は始まった。 ある意味で、今までで一番可能性のある七月。 そしてある意味で、一波乱ありそうな、そんな七月が始まった。