七月三十一日【1】
「わたしね、お祭りって初めてなんだ。 前にも話したっけ?」
「ああ、この前祭りに行こうって言ったときに、少し聞いたよ。 それより西園寺さん、母親の具合は?」
やはりというか、それはもう避けられないことなのだろう。 西園寺さんの母親は、七月の二十日に病院に運ばれていった。 夏休み数日前ということもあり、西園寺さんはそのまま学校を休んで夏休み。 その間にも何回か会ってはいたが、そのいずれも辛そうな表情をしており、今日という七月の最終日まで、俺は西園寺さんの笑顔を見ていなかったのだ。
「うん、大丈夫だよ。 今は落ち着いていて、ご飯もしっかり食べているから」
そう言って「ありがとう」と言いながら、西園寺さんは俺に笑顔を向ける。 西園寺さんも西園寺さんなりに、それを乗り越えようと頑張っているんだ。 八月に行くために。
「そっか、それは良かった」
向かう場所は、学校の近くにある神社で開かれる祭り。 夏の始まりの祭りということもあり、かなり大勢の人が訪れている。 既にこの学校から歩いている段階でも、その場所へと向かっている人をちらほら見かけるほどだ。
「……」
そんな人だかりを見て、西園寺さんは緊張した面持ち。 ああ、そうか。
「……あー」
「どうしたの?」
どうやって切り出すべきか悩みながら声をあげる俺と、そんな俺を不審に思ったのか、首を傾げて言う西園寺さん。
……言おうと思っても、これは結構難しい。 いや、実際大丈夫というか断られることはないとは思うんだけど……言うとなると、なんか変に緊張する。 思えば、こうしてストレートに言うのは初めてかもしれない。
よし、こんなときは自分に言い聞かせよう。 俺は別にやましい気持ちで言うわけではない。 俺は別にやましい気持ちで言うわけではない。 俺は別にやましい気持ちで言うわけではない。 オーケー、これで大丈夫だ俺。
「あ、成瀬くん。 手、繋いでも良いかな?」
「待ってそれ今俺が言おうとしたことなんだけど!?」
なんてこった!! 俺がそのひと言を言うのにどれだけ悩んだと思っている!? だって、一応俺と西園寺さんは男女だろ!? だから、それを言うと相手からしたら「下心見え見え」みたいに感じるんじゃないかとか、そんなことを俺は考えていてだな!!
「えへへ、そうだったんだ。 なら良かった。 わたし、ちょっと怖くて」
「は、はは。 そうだよな、あはは」
……まぁ、俺もそういう気持ちから言おうとしていただけだけど。 本当だぞ。
「それじゃあ、はい」
言って、にこにこと笑顔で西園寺さんは俺に左手を差し出す。 対する俺は若干手を震わせながら、その西園寺さんの手を握るのだった。 もっとこう、男らしくしないといけない場面だったかもしれないと思いつつ。
「……うん。 やっぱり、成瀬くんと一緒に居ると安心できるかも。 ほんと、なんでだろう?」
「んー、どうしてだろうな」
そればっかりは、さすがに俺でも分からない。 この場合、最高のパターンは「西園寺さんが俺に好意を寄せているから」という、ありえないパターンだけど……ないだろうなぁ。 いや、別に俺が良くある鈍感男とかそういうのではなくて、西園寺さんがそういうことに関してまるで意識していないからという意味で、だ。
だって、普通だったら男友達に対して「手を繋ごう」なんて提案をしないだろ? するにしても、その場合は若干でも恥ずかしがったりはするものだと思うし。
だからこそ、俺が危惧している最悪のパターンだ。 それというのも。
……西園寺さんが俺を男として認識していないという、悲しすぎる現実的パターン。 なんだかありえそうで恐ろしい。 でもそう考えると色々納得がいってしまうんだよね、男性恐怖症である西園寺さんが、俺と一緒に居ても平気なことだとか。
「いい匂いだね、成瀬くん」
「え?」
「わたし、ちょっとお腹減ってきちゃった。 えへへ」
ああ、そういう。 なんだか俺が褒められたのだと勘違いしてしまった。 いやでも、女子に「いい匂い」と褒められても微妙な気分だけどな。 逆ならただのセクハラだし。
「あ。 そういえば成瀬くん、この前貸してくれた本、すごい役に立ってるよ。 わたし、結構お菓子作れるようになったんだ」
「おー。 生卵が買えるようになったってこと?」
「……」
「いて……いててっ!! 冗談冗談!!」
繋いでいる手に力を込められた。 結構力あるんだな……。 今度こういう冗談を言うときは、手を繋いでいないときにしておこう。
「成瀬くんってすごいなぁって思ってたのに、またそういうこと言うんだから。 酷いよ」
「悪い悪い。 それで、俺がすごいってどうして?」
俺が聞くと、西園寺さんは下を向いて言う。 目を細めて、何かを思い出すようにしながら。 なんだか、とても大切な想い出を話すような……そんな、雰囲気だった。
「あのノートには、成瀬くんの頑張りがいっぱい詰まっているんだ。 ポイントとかも分かりやすく書いてあるし、解説もすごく丁寧だし、何も知らないわたしでも、分かるように書いてあるんだよ」
「……あー、別に、後で見返したときに自分で読みやすいようにってだけだよ」
そうやって真正面から正々堂々褒めるのは止めて欲しいな。 なんだか聞いているこっちが恥ずかしくなってくる。
「えへへ」
しかし、西園寺さんはそう言う俺のことを見て笑う。 変なことは言ってないから……いつもの笑顔ってだけか?
「……なんだよ」
「あ、ううん。 成瀬くん、前に言ってたなーって思いだしたの」
「言ってた? って、何を?」
西園寺さんは俺の手とは繋がれていない方の右手を胸に置き、答える。 その姿は贔屓目なしにしても、とても良く似合っているもの。 一つ一つの動作や仕草がこれでもかというほどに似合う人だ。
「わたしが、嘘を吐くときに癖があるって。 それと同じように、成瀬くんにも癖があるって知ってた?」
「俺に? いや、特にはないと思うけど……」
多分、何かの勘違いだろう。 俺が考えるときにする腕組みだって、西園寺さんがまったく同じポーズを毎回横でするせいで、最近ではしていないしな。 客観的に見て二人並んで腕組みというのは、若干アホらしいから。
「成瀬くんって、照れているときは言葉の最初に「あー」って言うんだよ。 知らなかったでしょ?」
「……マジか?」
「うん。 本当だよ」
言われて、思い返す。 今日だけで……二回既にやっているな。 それ以前も含めると、もっとか。 ってことはそれはマジな癖なのか。
「……いいから行こう。 俺の癖なんてどうでも良い」
「それとね、こめかみの辺りを指で掻くのもそうだよ?」
「……」
言われて、動作を止める。 なんだかすげえやり辛い! そういうのは気付いても言わない方が良いってことを理解してくれ!!
「あはは。 成瀬くんって面白いなぁ」
ついに、俺も西園寺さんに「面白い」と言われるまでになってしまったか。 辛い、辛すぎる……。 今まで散々からかってきた西園寺さんにこうされるのは、すげえつらい! すげえ悲しい! 帰ろうかな!
「い、いいから行こう。 西園寺さん」
「えへへ、そうやって何かを考えるときに、髪をかきあげるのも癖だよね」
「……すいませんやめてください」
「はーい。 えへへ」
楽しそうに笑う西園寺さんと、苦笑いする俺。 なんだか今日の西園寺さんは、いつもより俺に対して突っ込んできているような感じを受けるが……これからもそうだとすると、ボケとツッコミが逆転したりしてしまうのか。 すげえ嫌だなそれ。
「なーつのよーるー。 祭りのおーとがーきーこえーるよー」
蝉が鳴く中、西園寺さんは歌っている。 今日は珍しく食べ物が入っていない歌だ。
「やーきそーばー、わーたあーめー。 おーこのみやーきー」
と思ったらやっぱり入っていた。 食いしん坊め。
俺と西園寺さんは適当な食べ物を買ってから、人混みを離れて神社の裏へと回ってきている。 そうしたのも、やはり祭りということだけあって、かなりの人数がこの神社には居たから。 西園寺さんはわりと平気そうにはしていたが、内心ではどうなのかが分からなかったので、半ば無理矢理に連れてきた形である。
「そういえばさ、俺も祭りって初めてなんだ」
「……え!? そうだったの!?」
「まぁ。 行かなくても、どんなものがあってどんなことをしているかって分かってたから。 行く必要ないなって思ってて」
知っていることならば、それ以上知る必要はない。 俺はそんな風に思っていたんだ。 けど、事実は違っていて。
「来て分かったよ。 知ってることでも、まだまだ全然知らないものもあるんだなって。 俺も結局、知らない側の人間なのかもしれない」
俺は、夕暮れで赤く染まった空を見上げながら言う。 この世にはもしかしたら、知っている側の人間なんて存在しないんじゃないか……なんて、思いながら。 どれだけ理解しても、それを追い越すように……どんどん、知らないものは増えていく。 知れば知るほど、知らないものが増えていくんだ。
「……そうかもね。 それで、成瀬くんはそれに対してどう思うの?」
西園寺さんは微笑むように言った。 顔は見ていないが、声色でそれは分かった。 きっとそうやって笑っているんだろうなっていう、予測だ。
「面白い。 知らないことで溢れているなら、飽きることもないだろうさ。 知れば知るほど知らないことが増えていくなんて、最高だ」
「えへへ。 それでこそ成瀬くんだ! 物知り成瀬くん!」
「なんか馬鹿っぽいあだ名付けるのやめてくれないか!?」
今後もそんな呼び方をされたら堪ったものではないので、俺は若干慌てつつ、西園寺さんの方を見ながら言う。 すると、西園寺さんは笑っていた。 俺がさっきした予測通り、微笑むように。
……俺もようやく、本当にちっぽけなことだけど、西園寺さんのことを理解できたのかな。
「そうかなぁ? うーん、それじゃあ……博学成瀬くん、とか」
「いや普通にいつもので良いよ……」
どうしてもあだ名を付けたいのか。 それならば俺も西園寺さんにあだ名を付けるぞ。 例えばそうだな、卵博士とかどうだろう。 めちゃくちゃ頭良さそうに聞こえるだろ? 実際はただの皮肉だが。 それが嫌だと言うなら天然物西園寺さんでどうだ。
「……なら、やっぱり成瀬くん」
「ああ、そうしてくれるとすげえ嬉しい」
本当にな。 本当に嬉しい。 危うく俺の呼び方が変なので統一されるところだった。 これからも気を付けておこう。
「えへへ、それじゃあそうするね」
西園寺さんは言い、空を見上げる。 俺もそれに習い、再び空を見上げた。 二人して少しの間そうしている時間は、とても安らぐものだった気がする。
「ね。 成瀬くんは……八月になったら、どうする?」
「八月になったらか。 うーん、とりあえずはカレンダーをめくるかな」
「あはは、普通だね。 でも、わたしも一緒だなぁ。 もう、海を見るのは飽きちゃったし」
そう言えば、そんなことも言ってたっけ。 西園寺さんの部屋にあるカレンダーの八月は……確か、花だと言っていたっけ? 俺の部屋にあるカレンダーの場合はどうだろうか? 確か今は花火だった気がするけど、八月はどんな写真だったか見てないな。
「もしもそれができたら、また遊びに行っても良いか?」
「うん、勿論。 わたしも成瀬くんの家に遊びに行っても良い?」
「ああ、勿論」
そんな、小さな約束をする。 果たせるかどうかは分からないけれど、約束だ。
「それで、それからは?」
「それから……。 まずは、夏休みの宿題かな。 あれを終わらせないと、夏休みを満喫できないからなぁ」
武臣は毎年のように、最終日になって俺を尋ねて来るんだ。 血相を変えて宿題を写させてくれって。 俺は嫌々ながらもそれに応えて……それが毎年の、恒例行事だったっけ。 もう最後にそれをやったのも、昔のことだけど。 ループが始まる更に一年近くも前のこと。 今となっては、懐かしい思い出。
「宿題かぁ。 わたしはいつも、最終日近くに慌てて始めるんだ」
「そうなのか? 意外だな、西園寺さんって毎日コツコツ派か、初日に終わらせちゃうタイプかと思った」
「……えへへ。 勉強も面白いけど、夏休みがもっと面白いんだ。 だから、それでついつい忘れちゃうの」
そんな会話をしながら、俺と西園寺さんは夏の夜を過ごす。 時間はどんどんと進んでいき、俺たちに残されている時間はあまりない。
「七月も、終わりだね」
「そうだな」
そう言い、俺も西園寺さんも目を瞑る。 祭りの屋台からの匂いと、夏の夜の匂い。 蝉はもう鳴き止んでおり、辺りからは風の流れる音だけが聞こえてくる。
「今回の七月は、本当に楽しかった。 わたし、成瀬くんと会えて良かった」
「そうだな、俺もだよ。 今回の七月は本当に楽しかった」
祭りの終わり、花火は上がる。 蒸し暑さと、時折吹く風と、屋台からの良い匂い。 それらが今回の七月を表しているようで。
そして。
「そろそろ答え合わせだ、西園寺さん」
「うん」
西園寺さんは今日に至るまで、俺の考えについては聞いてこなかった。 俺が何を思っているのかも、聞いてこなかった。
……信用、しすぎだろ。 こっちとしてはそれに応えられなかった場合が怖すぎて、本当にどうしようもないくらいに、内心で震え上がっているというのに。
はぁ……。 まぁ、良い。 仕方ない。 諦めよう。 西園寺さんなのだから、もうどうしようもない。
精々その期待に応えられるように、頑張ってみるとするか。




