七月十八日【5】
「わたしが、死ぬ……?」
俺は全てを話した。 あの日、番傘の男に言われたことを全て。 その証拠と言わんばかりに、そのときに渡された『手紙』を西園寺さんへと手渡して。
まず、西園寺さんが最初に見せたのは驚きに満ちた顔。 事態が飲み込めていないのか、それとも自分の死が実感できないのか、そんな顔だ。
そして、西園寺さんは次に。
「そうなんだ。 ありがとう、成瀬くん」
――――――――――――笑って、そう言ったのだ。
どうして言わなかったんだとか、どうして死ななければならないんだとか、助けてくれだとか、そういうものではなくて。
西園寺さんは、俺に頭を下げて感謝したんだ。 いつものように綺麗に笑って、ありがとうと。
「……怒らないんだ」
「怒る理由がないよ。 成瀬くんがそれを教えてくれて、わたしは嬉しいよ?」
それはもう、嘘ではない。 そのくらいは分かる。
けれど、こればっかりは……嘘であって欲しかった。 そんな風に言われてしまったら、俺は一体どうすれば良いんだ。 それがもう、分からない。
「成瀬くん……泣いてるの?」
言いながら、西園寺さんは俺の目元へと手をやる。 俺はそれを咄嗟に払い、西園寺さんとは逆方向を向く。 恥ずかしさからだろうか? 自分のことではあるけれど、どうしてだろう。
「悪い。 まさかそんなことを言われるとは思ってなくて」
いくら西園寺さんでも、さすがに怒るかと思ったんだ。 悲しむかと思ったんだ。 けれど、西園寺さんはそれでも笑ったのだ。 そして、俺のことを今は心配している。
「……駄目だなぁ。 俺、全然駄目じゃんか。 やっぱりなーんも、分からないや」
こんなループ世界のことも、自分のことも、西園寺さんのことも。
俺は何一つ、分かっていないんだ。 分かった振りをしているだけで、分かっていない。 知らないんだ、俺も結局は。
「えへへ」
「……なんで笑ってるんだよ」
いつものように笑う西園寺さんを見て、俺は思わず聞いていた。 この状況で、笑っている西園寺さんが不思議で。
「成瀬くん、ずっと無理しているみたいだったから。 今はとっても、落ち着いているように見えるよ」
無理をしている……か。 そうなのかな。 俺はずっと、無理をしていたのかな。
「わたしはね、成瀬くん」
ベンチに両手を置いて、空を見上げて西園寺さんは言う。
「七月を繰り返して、本当は嫌だったんだ。 同じことの繰り返しで、同じ毎日と同じ言葉と同じ顔。 そんな繰り返しが、嫌だったの。 それで最後にはいつも、毎回お母さんが倒れちゃって」
「……これを言うのは、まだちょっと怖いんだけど。 わたし、一回死のうとしたんだよ」
本当にそれは言いづらかっただろうに、西園寺さんは続ける。
「でもね、死ねなかった。 死んじゃったら、もう一生七月のまま、絶対に何がどうなっても終わらないと思っていたから。 本当は分かっているんだよ、わたしが頑張ってお母さんの現実を乗り越えないと、これが終わらないってことも」
「わたしの所為で、こんな世界ができちゃったんだ。 神様が助けてくれたのかもしれないけど、もう良いんだ。 成瀬くん」
そして、西園寺さんは言った。 この繰り返す七月を脱出する、唯一とも言っていい方法を。
「わたし、頑張るから。 嫌だけど、悲しいけど、頑張るから。 だから一緒に八月を迎えよう」
……俺は、勘違いをしていたんだ。
俺が思っていた西園寺さんと、今目の前にいる西園寺さん。 それは全く違っていて、西園寺さんはいつも、俺の予想よりも上を行っていて。
俺が勝手にそう思って、俺が勝手に決めつけて。 西園寺さんならこう言うだろうとか、西園寺さんならこう動くだろうとか、そんなのは全部俺が勝手に決めたことじゃないか。 西園寺さんは西園寺さんで、それ以上でもそれ以下でもない。 人の気持ちや行動なんて、そう簡単には分からないんだ。 知ることなんて、もしかしたら一生かかっても無理かもしれない。 人間ってのは、そういうものなんだ。
西園寺さんが今日、俺とどうしても一緒に菓子を作りたかった理由は何か? 答えはただのワガママ。 そんなことにも、気付けなかった。
もう止めよう。 分かった振りも、分かっているような考えも、分かっていると思い込むのも。
そして認めよう。 俺は何も知らない。 西園寺さんのことなんて、何一つ分かっちゃいない。 だから知りたい、この目の前に居る少女がこれから、どうやって生きていくのか、立ち塞がった問題にどう立ち向かっていくのか。
「ええっと、男の人はこういうときって、拳と拳を合わせるんだよね?」
「へ? あ、あー。 まぁ、そういうのもあるけど」
俺が言うと、西園寺さんは拳を突き出す。 その仕草とは全く似合わない笑顔を浮かべながら。
「はい。 それじゃあ、約束! 一緒に頑張ろう! 友情の証! えへへ」
「……俺と西園寺さんで? なんか違うような気がするけど……まぁ良いか」
言い、俺は西園寺さんの拳に自身の拳を近づける。 そしてそれが合わさる前に、一つ思い出した。
「あ。 ちょっとストップ。 西園寺さん、俺たちのルールを決めよう。 俺と西園寺さんの、友達のルール」
「友達のルール……。 うん、良いよ」
そして、俺は真横に座る友人に向けて、その友情の証をする前の約束事を。
「まず、俺と西園寺さんの関係ってのは友達だ。 んで、その一。 どんなときでも、相手が困っていたら助け合う関係にしたいって思ってる。 西園寺さんは?」
「なんだか、手紙の内容みたいだね」
西園寺さんはそうひと言、言った。 そして、続ける。
「わたしも一緒。 でも、成瀬くんに助けてもらうことの方が多いかもね。 えへへ」
何を馬鹿な。 一緒くらいじゃないのかな、それか……俺の方が多分、助けてもらっているよ。
「どうだかな。 んで、その二。 それをするのに必要なら、少しの嘘なら許し合おう。 例えば西園寺さんの秘密だったり、俺が黙っていたことだったり。 俺の方は少し反省した方が良いかもだけど」
「うん、分かったよ。 でも、成瀬くんの冗談はちょっと酷いときもあるから気を付けて欲しいかな」
「そりゃ悪かった。 んで、次に三つ目だけど」
少しだけ、西園寺さんの拳に俺の拳を近づけながら、俺は言う。
「その三。 俺たちは信頼で結ばれてる。 俺たちは何があっても友達だ。 それは絶対に揺るがない」
「……えへへ。 ちょっと照れ臭いね。 けど、分かりました」
「ああ。 それじゃ、最後」
俺は言いながら、西園寺さんの拳に自分の拳を合わせる。
「その四。 一人で悩んで考えるのは止めよう。 俺も西園寺さんも、一人で抱え込みすぎてると思うから。 俺の場合は物事を主観で考えすぎるし、西園寺さんの場合は菓子の作り方か?」
「……ほら、また酷いこと言う。 もう大丈夫だよ、成瀬くんのノートがあるから」
西園寺さんは言い、俺の拳を押し返す。 そして、殆ど同時に俺たちはそれを離した。
「了解です。 これで約束、ルールだね、破ったら……どうしようか?」
人さし指を口に当てながら言う西園寺さん。 破った場合のことを考えるとは、意外と先のことを考えているのか。
「んー、それじゃあ……ゆで卵でクッキーを作るってのはどうだ?」
「……」
頬を膨らませ、俺のことをジットリとした目で見る西園寺さん。 結構怖い。
「……冗談冗談。 ならその場合は謝るってことで」
「えへへ、成瀬くんの言いたいこと、分かっちゃった」
そうかい、そりゃどうも。 そこまで分かってくれるのなら、俺も俺で余計に説明する手間が省けるというものだ。
「成瀬くんのことだから……きっと、謝り方がすごい酷いんだ。 例えば……寝ながら謝るとか」
いや、待て。 全然違うけど本当に大丈夫か。 それに俺のことだからってなんだ、西園寺さんの中で俺はどんな人間なんだよ。
「……前に謝っちゃ駄目って約束したじゃん。 だから要するに、謝れないってことだよ」
「……おぉ! さすが成瀬くんっ!」
心配だなぁ……。 この先、本当に大丈夫なのかとてつもなく心配だ。 けれどまぁ、なるようになるか。 たまには肩の力を抜いてそう結論を出してしまうのも、悪くはない。
「それじゃあ早速、今回の問題を考えよう」
俺は言って、西園寺さんが持っていた『手紙』を取る。 そしてその『手紙』を広げて、再度問題文に目を通した。
『問題その肆。 ループを抜け出し たいですか? 世界を抜け出し たいですか?』
この問題にある回答は、イエスかノーの二択。 そう解釈するのが当たり前で、そう考えるのが基本だ。
しかしどうにも引っ掛かる。 何故、この問題では同じことを二回聞いている? 何故、不自然な空間が空いている? うまく隠されているようにも見えるが、何かがあるはずだ。
「成瀬くんが引っ掛かっているのは、どの部分?」
横から覗いてくる西園寺さんに分かるように、俺は指をさす。 示す場所は不自然に空いた空間。
「何かが消されている……とかではないよね?」
「それは違うと思う。 もしそれをされたらお手上げだしな」
これは希望的観測だが、恐らくあの番傘の男はこの状況を楽しんでいる。 だから、絶対に解けない問題は出さないと思う。 こんな明確な証拠もないただの希望から物事を考えなければいけないのは癪だが……状況が状況だけに仕方ない。
「そっかぁ……。 ループ世界を抜け出し。 この世界を抜け出し。 そこで切っても、やっぱり意味が分からないよね」
「ああ。 だから多分、何かその二つの似たような言葉に意味があるんだ」
俺が言うと、西園寺さんは手を叩く。 そして俺が持っていた『手紙』を奪い取り、俺の顔に突きつけてきた。
「成瀬くん! これってもしかして!!」
いや近すぎて見えないんですけど。 もう少し離してもらえないでしょうか。
「えっと、どれ?」
そうは言っても興奮状態の西園寺さんには何を言っても無駄だと悟り、俺は自ら身を引く。 そして再度尋ねると、西園寺さんは不自然に空いた間隔ではなく、二つの言葉を指さした。
「この二つの言葉、反復法だよ」
……反復法。 それは確かにそうだが……だから、何が見えてくると言うんだ?
「繰り返しているんだ、この二つの言葉は」
繰り返している。 つまり……同じ言葉を二度使っている。 同じことの繰り返し、ループ。
……そう、なのか? そういうことならば、この問題の本当の意味はもしかすると。
「反復したい。 要するに、繰り返したいかってことか?」
「多分、そうだと思う。 この問題は抜け出したいのかを聞いているんじゃなくて、繰り返したいかというのを聞いているんだよ」
またとんでもない罠だなこりゃ……。 危うく俺だけじゃ、見事に引っ掛かっているところだったぞ。 さっき約束したばかりで、早速助けられるとは。
にしても反復法か……すっかり忘れていた。 そんな技法もあったっけか。
「だから成瀬くん、この問題の答えは」
「ノー、ってわけか。 あっぶねぇ……引っかけすぎだろこれ!」
「わたしも分からなかったよ、全然。 けど、成瀬くんが言葉にしてくれたおかげかな。 えへへ」
謙虚だなぁ。 普通に自信満々で「わたしのおかげだ感謝しろ」くらい言っても良いだろうに。 けど、その謙虚さもまた西園寺さんか。 西園寺さんが今俺の思ったような台詞を言ったら怖いし、良かったってことにしておこう。
「……よっし、じゃあノーに丸を付けるけど……良いか? 西園寺さん。 もしも俺たちの考えがハズレだった場合、事態は最悪なものになるけど」
「あ、それなら成瀬くん、一つ聞きたいことがあるかな」
西園寺さんは言い、俺の方に顔を向ける。 迷いがない目だな、なんて思った。
「ん?」
「成瀬くんは、これで合ってると思う?」
……またすごい質問が飛んできたな。 それが不安だったから、西園寺さんに確認を取ったんだけど。 どうやら俺が決めろってことらしい。
「九割九分。 でも、物事にはどんなときでも最悪のパターンってのがある。 だから、絶対とは言えない」
「要するに、成瀬くんはこれが正解だと思うんだよね?」
話を聞け。 その最悪のパターンがあるからこそ、安易には決められないんだ。 この世に百パーセントのことなんて、絶対にない。 それこそ百パーセントありえないことなんだ。
「いやまぁ多分……だけど」
「えへへ。 だったら大丈夫。 わたしは成瀬くんのことを信じているから。 ルールだよ、わたしたちの。 もしもハズレたら、成瀬くんじゃなくてこの問題が間違えているんだよ」
すげえ理論だ。 俺も驚きを隠せない。 それと同時に……とても、とても愉快だ。 こんなにも楽しい気分になったのは、どのくらい前のことだろう? もしかしたら、生まれて初めてのことかもしれない。
良いさ、乗ろう。 その俺を信じてくれるという西園寺さんの気持ちに乗ろう。 西園寺さんが俺のことを信じてくれるのなら、俺は西園寺さんのその言葉を信じよう。
「分かった。 それじゃあ、答えは……ノーだ」
そして、俺は『手紙』のノーに丸を付ける。 その次の瞬間。
あの番傘の男が、目の前に現れた。




