七月一日【2】
「ええっと、屋上屋上……」
階段を上り、屋上を目指しながら思考する。
考えることは一つだ。 何故、武臣はいつもと違う台詞を言ったのか。
朝から今に至るまで、変わったことはない。 朝起きて、七月一日に母親から出される決まった朝食を食べて、着替えて、学校へ。
道中で武臣と会い、決まった会話をこなす。 校門前で西園寺さんを見かけて、武臣がそれを追いかけ、会う前に見失って。
そんないつも通りの流れだったはずだ。 なのにどうして変わった? 武臣はどうして俺に新たな情報を与えた?
いつもと違うことは……考える限り、思い当たらない。 俺の返答次第で多少会話は変化するが、行き着く結果は同じだったはずだ。 全部が全部試したわけじゃないが、ここまで大きな新たな情報が入ってきたのはこれが初めてだし。 そう考えると、一番可能性がありそうなのは……新たなルート、ということだろうか?
「まぁ、とりあえずは屋上かな」
そして、屋上へ行くのは初めてではない。 実は一度だけ来たことがある。 七月一日の……あれは放課後だったっけか。 そのときは結局鍵がかけられていたので断念して、教室へノコノコと帰っていったが……今は開ける方法があることを頭に入れた状態だ。 もしかするとこの状態でなら、違う結果になるかもしれない。
「あそこだな……ん?」
笑えてくるな。 こうも早速変化があると、さすがに笑えてきてしまう。
屋上へと繋がるドアの前、見知った人影を見つけた。 両手を背中側へと回し込み、ぼーっとそのドアを眺めているそいつは。
「西園寺……さん?」
「え?」
俺の声に反応したのは、西園寺夢花。 性格は大して話したことはないから知らないが、顔だけ見れば結構な美人である。 薄く茶色に染めた髪がとても似合っていて、日本人離れした顔立ちの同級生。
「……成瀬くん? 成瀬、陽夢くんだよね?」
「え? ああ……うん。 そうだけど」
まず、俺の名前を知っていることに驚いた。 武臣なら分かるけど、俺ってそこまでキャラが立っているわけじゃないから、西園寺さんみたいに他人との関わりを避けている人の記憶に残っているなんて。
「何をしているの? ここで!」
そしてなにやら、興味津々といった顔付きだ。 階段の下に居た俺のところまで駆け下りてきて、俺の右手を両手で掴み、西園寺さんは言ってくる。 逃さないと言わんばかりの勢いで。 若干怖い。
「っと、え? 何をしてるって……えーっと、実は屋上のドアが鍵要らずだって聞いて」
「……そっか。 助けに来たかと思っちゃった。 ごめんね、えへへ」
その俺の言葉に、西園寺さんは一瞬だけ悲しそうな顔をする。 しかし、そんな表情もすぐに笑顔によって塗り替えられた。
……何だ? 助けに来たってのはどういうことだ?
「どういう意味? 西園寺さん、何か困っているのか?」
「あ、ううん! そこまで困っているってわけじゃないけど……屋上も見てみたいなって思ったんだ。 それより成瀬くんは、鍵とか持ってるの?」
西園寺さんは、慌てて俺の手を掴んでいた手を離し、両手をぶんぶんと顔の前で振りながらそう言った。 その仕草が普段のイメージと違いすぎて、つい笑ってしまう。
「はは、残念ながら持ってないんだ。 それに持っていたら鍵要らずだって聞いてここには来ないよ」
「……うそ」
ん? 俺としては普通にそのままの事実を伝えたのに、西園寺さんはどうしてこんなに驚いた顔をしているんだ? 変なこと言ったっけ……?
「西園寺さん?」
もしもそうだったのなら、その誤解は解かなければならない。 そう思って言ったのだが、西園寺さんは相変わらず驚きに満ちた顔のままだ。
そして、とんでもなく失礼なことを言われた。
「……成瀬くんって、笑うんだ!?」
「……西園寺さん、それめちゃくちゃ酷くない!?」
生まれてからは十五年。 同じ七月を迎えて十一回目。 ここまで失礼なことを言われたのは初めてだ。 確かに滅多に笑わないとは自分でも思いはするけど、それは笑えるようなことがないからで……それに最近だと、こんな何の代わり映えしない一ヶ月を延々と繰り返していたのもあり、それに拍車が掛かっていたのだ。
だからこそ、嬉しかった。 こうやって西園寺さんといつもと違った話をできて、俺が知っている顔ではなく、自然体といった感じの西園寺さんと話すことが出来たのが嬉しかった。 あくまでもそれは、俺が勝手に作っていたイメージなのかもしれないが……それでもやっぱり、嬉しかったんだ。
そんなわけで笑った俺だったんだけど……この反応は予想外すぎるって、さすがに。
「え、えへへ。 ごめんなさい、気を悪くしちゃったよね。 成瀬くんと話すのが新鮮で」
良い子だなぁ。 さっきは随分酷いことを言われたけど、本当についついって感じだったのかもしれない。 それに口元を片手で抑えながら笑う姿は素直に可愛らしいと思える。
「まぁ良いか……。 んでそう言えばさ、西園寺さんってクラスの人とあまり話さないよな? だから、俺も笑っちゃったのかも。 でも良かった、お嬢様キャラとかじゃなくて」
「……む。 やっぱりわたしってそういうイメージなんだぁ」
「ああいや! 別に悪く言ってるつもりじゃなくて……逆に良い意味で驚きだったというか、そんな感じで」
「あはは。 良いよ良いよ、そういうイメージにさせたのはわたしだし。 それより成瀬くん、あそこのドアの開け方分かる?」
指さす先には、屋上へと繋がるドア。 ああそうだった、当初の目的はそれだったんだ。
新しい出来事に遭遇すると、ついついそれが嬉しくなっちゃうんだよなぁ。 それで、次からはそれも当たり前のように繰り返され始めて……。
こうやって西園寺さんと話をするのも、何回も繰り返されて……その内「またか」と思うようになってしまうのだろうか。 なんつうか……それは少し嫌だな。 今このときはとりあえず、考えないようにしておこう。
「じゃ、ちょっと見てみるよ。 開けられる保証はないけど」
「うん。 でも、誰かのイタズラなのかな? ナゾナゾみたいなのが張られているんだよね」
「ナゾナゾ?」
「うん、ナゾナゾ」
そして、そのドアの前へ。 見たところ、普通の鍵ではなくて暗証番号を入力するタイプの鍵だ。 桁数は八桁まである。 入力出来るのは数字のみ。
……変化だな。 これは明らかな変化だ。 前にここへ来たときは、こんな鍵はなかったはずだ。 至って普通の、鍵を差し込んで回すタイプの錠だったはず。 つまり、何かが切っ掛けで武臣が俺に情報を与え、それが原因で鍵が変化した……ということか?
「わたしね、毎日お昼休みの時にずっと一から順番に入れてるんだけど……全然ダメなんだ」
そして、西園寺さんが知っているのはこの鍵のタイプだけか。 俺の記憶との食い違いが気になるけど、それよりも。
ミスだな。 もしも前に訪ねたときが、西園寺さんの居る昼休みだったのなら、もっと早く展開はあったのかもしれない。 もう少し頭を使っておくべきだったか。
まぁ、今はそれより更に気になる発言が。
「……一から順番に!? 一億通りもあるけど!?」
「え? それだと一つ多くない? 九千九百九十九万……だと思うよ?」
「あー、ゼロも入るんだ。 八桁全部がゼロのパターンが。 そのパターンを入れて、一億通り」
俺が言うと、西園寺さんは「確かに!」と納得した様子。 素直な人だなぁ。
「ってことは、わたしはそんな無謀なことをしてたんだ……やっぱり普通にナゾナゾを解いたほうが早そうだね」
そうは言っても、俺が指摘して増やしたのは一つだけなんだけど。 九千九百……というのは分かっていたみたいだし、無謀な数にチャレンジしているということにどうして今気付いたんだ。
……もしかして、西園寺さんは少し天然だったりするのか?
「でもでも、こうやって成瀬くんに会えたってことは無駄じゃなかったんだよね。 うん、そう思おう……。 そういうわけで成瀬くん、これ分かる?」
言いながら、西園寺さんは紙を手渡す。 どういうわけだとツッコミを入れたくなったが、その前に俺の開こうとした口は止まる。 そこにある字体を見て、俺は息を呑んだのだ。
――――――――同じだ。
俺の生徒手帳に毎回入れられている紙。 そこに書いてある字体と全く一緒だ。
「これが、ここにあった?」
「うん。 わたしが初めて来たときには、もう置いてあったんだ。 でも全然意味が分からなくて……」
困り顔の西園寺さん。 これを見て頑張ろうと思わない男子は多分いない。
「えーっと」
その紙に書いてある文字はこう。
『問題その壱。 今日は記念すべき日。 そんな日はやはり嬉しいもの。 それは絶対にどんな生物にとっても一緒。 そして前に立つのは男の仕事。 後ろを守るのは女の仕事。 あなたたちも例に漏れずそんな人だ』
ううむ……最早、ナゾナゾなのかすら怪しいな。
「何だろうね? 記念すべき日って」
「うーん……ってうわっ!!」
すぐ横から声が聞こえて、そっちを見るとすぐそこに西園寺さんの顔があった。 驚いて死ぬかと思った……。
そんな俺とは正反対に、西園寺さんは首を傾げて俺のことを不思議そうな顔付きで見ている。 パーソナルスペース狭すぎじゃないか? 西園寺さん。
「あはは、大丈夫?」
「あ、ああ……まぁ」
全然大丈夫じゃないぞ。 慣れてきたループだったけど、こんなことも起きるのか。 今までで三本の指くらいに入る驚きだった。 ピュアだな俺。
「良かった。 それで何か分かる? 成瀬くん」
「……よし」
切り替え切り替え。 この問題文の字体が一緒ってことは、このドアを開けることがもしかしたらループを抜け出す鍵なのかもしれない。 そうでなかったとしても、何かしらの手がかりになる可能性は大いにある。
まずは問題の理解から。 最初のキーワードは恐らく『記念すべき日』だ。 これが何を指しているのか、そこから考えよう。
「西園寺さん、記念日って言ったら?」
「記念日、記念日……」
西園寺さんは右手の人差し指を唇に当てて、上目遣いで天井を眺める。 そんなわざとらしい仕草が、ここまで自然に出来るってのは凄いな。 西園寺さんの性格からして、素なんだろうけど。
「結婚記念日?」
「結婚記念日かぁ」
確かにそれは記念すべき日だ。 けれど、残念ながらそれは答えではないと思う。
「微妙な反応。 違うの?」
「多分ね。 問題文の『記念すべき日』の後に『それは絶対にどんな生物にとっても一緒』ってのがあるだろ? 結婚記念日は確かに嬉しいものかもだけど、その記念日が存在しない人も居るだろうし」
「言われてみればそうかも……。 それに、この書き方だと人じゃない生き物も含まれるよね? だったらやっぱり違うかぁ……残念」
今度は唇を尖らせて、西園寺さんは言う。 本当に意外だな……こんな表情豊かな人だったとは。
普段はクラスでも全く喋らないし、友達と歩いているのも見たことがない。 笑わなければ泣きもしない。 そんな近寄りがたい人というのが、俺の頭の中での西園寺夢花だったのだ。 西園寺さんのそんな雰囲気は俺が経験した十回の七月でも全て同じだったし、今の今まで一度だってそれが揺らいだことはなかった。
そんなわけで、西園寺さんに関しては情報を集めるのに結構苦労したんだよな。 こうして話した今でも、ヒトカラ趣味は何かの間違えなんじゃないかと思うけど。
……その情報を集めた件については、俺にも一応罪悪感的なものがあることはしっかり言っておこう。 でも仕方なかったんだ、このループ世界を抜け出す方法は何であれ試すべきだという考えもあったから。
「でもそれなら、なんだろう? 成瀬くんは心当たりとかある?」
「一応ある。 全部の生き物に共通してある記念日……誕生日、かな」
「……おー」
パチパチと拍手。 なんだか照れ臭いからやめて欲しい。
「けど問題はそこからだ。 次に解くのは多分ここ」
俺が紙の一点を指さすと、横から覗き込むように西園寺さんはそこを見る。
……近い近い近い近い近い!! ヤバイヤバイヤバイ!! なんか良い匂いがする! ヤバイ! 近い!
「そして前に立つのは男の仕事、後ろを守るのは女の仕事……?」
「……そ、そうそう。 で、恐らく男の誕生日と女の誕生日ってことだな。 西暦か、何月何日ってのを入れるんだ。 それでちょうど八桁」
若干身を引きながら答える俺。 女子とここまで近い距離になったのは生まれて初めてかもしれない。 つうか動揺しすぎだ俺。 怪しい奴に見えてないか心配だな……。
「おおー!」
パチパチパチパチ。 今度はさっきの二倍の拍手量で喜びを表現する愉快な女子の西園寺さん。 それを送られている俺からすると、何だか背中が非常に痒い。
「褒めてくれるのは嬉しいけど、西園寺さんその拍手止めて欲しいな……」
「あ、拍手苦手な人だったんだ。 ごめんなさい」
その素直さには感心するけど、残念ながらそういうことではない。 拍手が苦手な人って、かなりレアだと思うぞ俺は。
「それに、その男女の誕生日が全く分からないんだ。 この文にもヒントはなさそうだし……参ったな」
そう。 この機械にに何を入れるのかが分かっても、肝心なその番号が分からない。 誕生日を代表する有名人の男女、なんて考えも出来るが……それを言い出したらキリがなさそうだ。 下手したらゼロから順番に入れていった方が早い可能性だってある。
単純にゼロで埋まる八桁ならば、その方法を試した瞬間に終わることが出来る。 問題すら、解く必要がない。
だけど最悪のパターン。 この状況に置ける最悪は『桁が全て九だった場合』だ。 一億通りのパターンを試し、ようやく成功するそのパターンが最悪だと思われる。
何も考えずに思考する人はきっと、一億分の一なんだからもしかしたら。 なんてことを言うかもしれない。 けど、それは違うと俺は思う。
答えを知っている人間が挑戦すれば、一億分の一だろうが一兆分の一だろうが、成功確率は百パーセントだ。 知っているとはつまり、そういうことだ。
「成瀬くん、それってわたしたちの誕生日じゃダメなの?」
「……俺たちの?」
突然に妙なことを西園寺さんが言い出し、一旦思考を止める。 とは言っても、どのみちいくら続けても答えが出そうにない思考だったが。
「いや、それこそ変じゃないか? 第一、なんで屋上のドアの暗証番号が俺達の誕生日に……って話になるよ」
「わたしもそう思ったんだけど、ここを見て」
言いながら、西園寺さんは顔を近付ける。 同時に紙も近付ける。 ついでみたいに言ったが、メインは紙の方のつもりだろう。
「えっと……」
そんな西園寺さんと若干距離を取りながら、その指さす先の文を俺は見た。 そこに書いてある文字は。
『あなたたちも例に漏れずそんな人だ』
「……そっか。 そうか!!」
なるほど、そういうことか。 面白い。
まず、前提からして間違っていた。 俺は今、変なことに巻き込まれている最中じゃないか。 今更そんなことは分かり切っていたはずだろ。
そうだ……そうなんだ。 この紙にはどうして『あなた』ではなく『あなたたち』と複数形で書かれているんだ? それはつまり、この紙にこの問題を書いた奴が、俺と西園寺さんに宛てた問題だったからだ。
そんな不思議現象が起きてもおかしくない。 でも、少し気になることがあるな。 まぁそれはとりあえず後回しにしよう。
「よし、なら答え合わせだ」
俺は言い、続ける。
「俺の誕生日は十月十五日。 西園寺さんは?」
「わたしは七月七日。 七夕が誕生日なんだ、えへへ」
「もうすぐなんだ。 覚えとくよ」
「うん。 ありがとう」
俺が先で、西園寺さんが後。 入れる数字は一、零、一、五、零、七、零、七。
そして番号を入れて、ロックを回す。 すると驚くほどにすんなりと、簡単に、それは回った。
「……開いた」
「ほん、と?」
後ろから聞こえてきた声色は、妙なものだ。 たかが屋上のドアが開いただけだというのに、まるでそれは……長い間の願いが叶ったことに感動したような。
「西園寺さん……?」
振り向くと、そこには涙を浮かべる西園寺さんの姿。
「え、あ……ごめん。 ごめんなさい、急に泣いたりして。 ごめんなさい」
やっぱり、そうなのだろうか? 俺の予想が正しければ……西園寺さんは。 いやでも、でもだ。 もしも違ったら……どうするんだ? その場合、恐らく俺が入るルートは三番目の誰かが死ぬルートになる可能性が高い。 それが今、考えられる最悪のパターン。 そしてその死ぬ人物は紛れもなく、俺の目の前にいる彼女。
でも、だけど。 もしそうなったとしても、また次のループへと入ればそれすらも関係なかったことになる。 だから俺は聞いてみた。 一つの可能性に期待をして。 ある意味で、これは賭けでもあった。 西園寺夢花という一人の少女の命を賭けた賭け。
「繰り返しているのか? 西園寺さん、君も七月から抜け出せないのか?」
そして、その言葉に対して西園寺さんは。