果たし状 【6】
次の日、ひとまず雪原エリカへ事情を聞こうと思い、俺は早朝にクレアの家を訪ねていた。 どのみち学校で集合はするものの、それまで一緒に登校するのはいつもの流れである。 何よりあいつ、目を離せば学校をサボりかねないからな。 そして遅刻もしかねないということから、俺が迎えに行っている。
「あ、陽夢おにい。 おいっす」
「おう。 クレアは?」
店内に入ると、隅のテーブル席に腰掛けていたのはリリアだった。 ガラスのコップに入ったアイスココアらしきものを飲みながら、俺に片手を上げて挨拶をしてきた。 相も変わらずクレアとは瓜二つな妹である。
「おねえはまだ。 呼ぶ?」
「いや大丈夫。 俺もなんか飲もうかな」
言いながらリリアの前へ座ると、リリアは片手で顔を覆い、口を開いた。
「ふっふっふ……処女の生き血を欲するとは。 ならばこの我が調合してきてやろう」
「お、マジで? そういや神田さんは?」
「神田ならまだ寝てる。 たまに寝坊のたまにが今日。 だから勝手に作って勝手に飲んでる」
……後で怒られないよな? まぁなんか言われたらリリアが勝手に作ってくれたことにしとこっと。
「じゃあ、アイスココアで」
「ちょっと待ってて」
リリアは言うと、椅子から降り、カウンターの奥へと小走りで消えていった。 なんか……あいつは将来良いお嫁になれそうだな。
そんなことを思いつつ、外を見る。 夏ともなればこの時間でも外は明るい。 それに幸いなことに今日は晴れだ。 ……少し前の俺だったら、どう思ったんだろう。
「完成。 これこそ究極のマッドドリンク……我の血と汗と涙の結晶」
「怖いななんか……腹壊さないよなそれ飲んでも。 いくらだっけ?」
「タダで良い。 バレなければ」
ねえそれバレたらどうなるの? バレなければ大丈夫ってことならバレたらどうなるの? そんな不安に駆られる日々を過ごすくらいなら代金払いたいんだけど。 ある日いきなり神田さんに「そういやお前、この前のアイスココアの金」とか言われたら責任取れる?
「あ、そうだ。 陽夢おにい、今やってる……問題? が終わったら、相談があるの」
「ん? クレアに聞いてたのか。 リリアから相談って、良い予感がしないんだけど」
「我と血の盃を交わした同盟者たちが困窮している。 故に救済を頼みたいという話」
「えーっと、友達が困ってるから手を貸して欲しい? お前友達居たんだな」
「いっぱいいるしっ! 陽夢おにいよりも多いし!」
俺はからかうつもりで言ったのだが、カウンターを食らった気分である。 確かに、俺の友達は歴学部の奴らと、リリアと……あと、あいつ。 武臣くらいのものである。
「でも、終わってからで良い。 おねえから迷惑を掛けないようにって言われてるから」
「あいつそんなこと言ってたのか」
なんだかんだ、気を遣ってくれているクレアさんである。 一見気が利かないように見えて、細かい部分は気が利いているから面白い。
「ならなるべく早く解決しないとだな。 それにしてもあいつ遅いな……」
「女の子は準備に時間がかかる。 わたくしは朝に強いから大丈夫なの」
「確かに、リリアいっつも起きてるよな。 今まで寝坊とかしたことあるのか?」
「一回もない。 わたくしは夜行性だから」
……だからたまに部室に来たときとか、寝てるんだろうなぁ。 けど朝しっかりと起きているのは良いことだ、俺も見習わなければならないだろう。
「陽夢おにいは?」
「ん、俺? あーっと……まぁ俺も朝強いしな、リリアと一緒かな」
「嘘つきだ。 おねえがいっつも「成瀬が遅刻して西園寺に叱られている」と話してる」
「お前知ってたなら聞くんじゃねーよ! 俺ただの嘘つきみたいじゃん! 嘘の吐き損じゃん!」
「嘘を吐く方が悪い」
ごもっともである。 年下の女子に、あろうことか小学生に言い負かされてしまった。 やはり、こいつは下手したらクレアよりも厄介だな……本を読んでいるだけあり、口ばかり強くなっている。 てかあいつは一体家でどんな話をしているんだよ。
「違う違う、リリア。 嘘にも良い嘘と悪い嘘があるんだよ。 人のための嘘ってのも少なからずこの世には存在するんだ」
「でも陽夢おにいの嘘は悪い嘘」
「……そうやって決めつけるのがリリアの悪い部分だな。 良いか? 俺が朝に強いって嘘を吐いてどうなるか考えるんだ」
「うーんと……」
俺が言うと、リリアは腕を組み、考え始める。 真剣に悩む姿はやはりどこかクレアと似ているな。
「……ヒント!」
「ヒントか。 その嘘によって、誰がどんな得をするのか考えるんだ」
「ええっと、ええっと……陽夢おにいが朝に強いってことになって、それで……陽夢おにいの自尊心が保たれる?」
「お前結構酷いこと言うよね」
そして強ち間違っていないというのがアレだ。 やっぱり、リリアとクレアは姉妹なんだなぁと思わせてくるよ。 変なところで勘が鋭いというか、息が合っているというか。
「でも、それによって得をするのは陽夢おにいだから……答えは陽夢おにいが得をする!」
「おお、さすがリリア。 やっぱリリアは頭が良いな」
「……それほどでも。 陽夢おにい、おかわりする?」
「ああ頼む」
なんというか、これほど操りやすい相手は他に居ないだろう。 多分、話の焦点が俺が出した問題にシフトしていることすら気付いておらず、更に少し褒めたら喜んで俺のために動いてくれるなんて。 クレアにバレたら怒られるどころじゃ済まなさそうだから、黙っておかないとだけどな。
「はい、どうぞ!」
笑顔と鼻歌混じりに戻ってきたリリアは、俺の前に二杯目のアイスココアを置いた。 生クリームも入っており、先ほどよりも豪勢な風貌となっている。 なんて分かりやすい奴なんだ、リリアは。 地味に将来変な男に騙されないか心配になってきたぞ。 だから今の内に俺がたっぷりと騙して耐性を付けさせておかないとな。
「おうサンキュー。 ところでさ、さっき言ってた困ってることって、俺でどうにかなりそうなことなのか? てか、具体的にいうとどんなこと?」
一応、恩も出来たことだし前向きに考えておこうと思い、俺はリリアに聞く。 すると、リリアはすぐさま返事をした。
「お祭りのお手伝い。 男手が足りないからその辺の男をたぶらかしてこいってお母さんに言われてるって」
「……聞かなかったことにしていい?」
「だめ」
駄目らしい。 聞かなきゃ良かった……頭を動かすことさえ億劫なのに、体を動かせとか最早拷問だ。 真昼の奴に行かせようかな、あいつお祭り大好き人間だし。
「前向きに考えとく。 あくまで考えておくだからな? やるとは言ってないからな?」
「わたくしも手伝う。 楽しみ」
「……お前が羨ましいよ、俺は」
目を輝かせて言うリリア。 よっぽど楽しみなのだろう。 まぁリリアくらいの年頃では、お祭りと聞けば高揚感を覚えるのも無理はない。 俺も俺で友達やクレアとならまだしも……手伝いで喜べるほど無邪気ではないのだ。
「そう言えば、もう祭りの時期か」
去年は西園寺さんと一緒に行ったんだっけか。 終わらない七月の中で、あのときは西園寺さんの男性恐怖症も酷かったから、結構気を遣ったのを覚えている。 今となっては、懐かしい思い出だ。
「おねえと一緒に行くの?」
「ん? あー、どうだろ。 なんも話してないな」
リリアは、俺とクレアが付き合っているということは知っている。 というのも、クレアがリリアに自慢をしたらしく……それでリリアの知るところとなった所為で。 その後、リリアに「おねえが最近うるさいから静かにさせて」とメールが届いたのだ。 あまり想像したくはない光景だな……。
「おねえ、結構考え込んじゃうから。 だから、陽夢おにいが引っ張らないとだめ」
「分かってるよ。 クレアのことが心配なのか?」
「陽夢おにいなら大丈夫だと思ってる。 でも、色々あったから」
それは、クレアの過去のことだろう。 そしてリリアが言う「色々」は、果てしなく重いものだ。 だからこそリリアは俺に「引っ張らないと駄目」と告げたのだと思う。 そしてそれは、俺も思うことだ。
「任せとけ。 もしもクレアが俺の所為で悩んでたら、遠慮せず俺のことをぶっ飛ばしに来い」
「……うん」
リリアは笑って頷いた。 安心しているような笑顔で、俺もそれを見て少し安心できた気がする。 この妹がいれば、クレアは大丈夫だろう。 それは、これからもという意味で。
……ううむ。 俺もやはりこんな妹が欲しかった。 真昼とリリアを交換してくれないかな。
「うぅ……リリアー」
そんな声が耳に入ってきた。 聞き慣れた声で、俺が安心できる声。
「……リリア? うーんと……成瀬?」
寝間着姿で、クレアは多少乱れた服のままで、目を擦っている。 まさに今起きたばかりですといった具合だ。
「よう、迎えに来たぞ」
「……な。 な、なんで成瀬がいるんですかっ!! 変態ですかっ!?」
「なんでだよ!? お前どうせ朝起きるの遅いと思って迎えに来てるんだよ!! 俺頑張って起きたんだからな!?」
主に、真昼に起こしてもらうことによってだが。 あいつの起こし方は騒々しいけれど、起きるという目的を確固たるものとする場合、これ以上ないという精度を誇る。
「……おねえ、髪ぼさぼさ」
「ッ!! と、とりあえず準備しますッ!!」
リリアのひと言で、クレアは慌ただしく戻って行く。 なんだか家での普段のクレアを見れたようで、少し特をした気分だ。
「やっと起きたかあいつは。 ったく遅刻したら柊木に何を言われるか……」
俺は言う。 そして、全くやれやれなどと思いつつ、壁時計に目を向けた。
……さて、どうしよっか。
壁時計は、元気よく朝の七時を指し示している。 約束していたのは朝の六時、そしてここから歩いて行くとなると学校に付くのは七時半頃だろうか。
リリアが悪い。 そういうことに、しておこう。