クレア・ローランドの課題 【16】
それから。
それから俺たちは、家へと帰る。 並んで、歩いて、同じ景色を眺めながら。
日付は四月の一日で、俺の手にあった刻印は既にない。 全部が終わり、異常が終わり、またしても訪れるのは日常だ。
「本当は、どこかで期待していたのかもです」
「俺が来るってことをか?」
「はい」
すぐ隣を歩いているクレアは、俺の問いにすぐさま答えた。 その横顔は真っ直ぐと前を見ていて、晴れ晴れしい表情をしている。
「それじゃあ、期待通りに答えられてなによりだよ」
「ふふ、私の期待に答えたのを褒めてあげましょう」
クレアは笑い、俺の顔を見る。 それが少し恥ずかしくなって、俺は咄嗟にクレアから視線を外した。 言ってしまえばシラフの俺は、ピュアな心の持ち主だからな。 純粋無垢という言葉を人間で表すと、俺になる。 むしろ純粋無垢の読み仮名をなるせようむとしたってなんら違和感はない。
「あ、そうでした。 成瀬、実は頼みがあるんです」
笑顔。 ふむ、あまり良い笑顔ではない。 すぐに分かったよそれは。
「ああ、今すっごい嫌な予感した。 断って良い?」
「せめて聞いてからにしてくださいよ! 聞くだけならタダなんですから!」
うーん……そうは言ってもな。 正直言って嫌な予感しかしない。 クレアの表情からして、きっとそう。 むしろこの場面で良い予感をする俺だとしたら、こんな回り道にはならなかったんじゃないかな。
「じゃあ聞くだけな。 とりあえず言ってみ」
考えとは裏腹に俺は言う。 別にクレアの言葉を聞きたかったわけではなく、断ったとしてもクレアは言うだろうからだ。
「ええ。 実はですね……その、さっき、成瀬は言ったじゃないですか?」
「ん? 何を?」
「あれですよ、あれ。 あの、ビルの屋上で」
ん。 待て、おいこいつまさかとは思うが、その頼みって、よもや……。
「あのセリフ、もう一度」
「いや無理。 嫌だからなそれは。 お前あんな恥ずかしいことをもう一度させようとするとか悪魔か。 思い出すだけでも背中痒いんだぞ」
クレアの言葉を遮って、俺は言う。 それを聞くと、さっきまではそれなりに機嫌がよさそうなクレアの顔が一気に曇った。 やべぇ、怒らせたか。
「なんでですか! 別に良いじゃないですか、減るものじゃないんですし!」
「減るだろいろいろと! 俺にも一応羞恥心とかあるんだからな!?」
「……良く言いますね、結婚してくれとか言った癖に」
「う……のなぁ、お前、そういうのマジで言うのやめてくれ。 言っとくけど、さっきいつまでも離れようとしなかったのお前の方だからな」
「は、はぁ!? そんなわけないじゃないですかこのアンポンタンっ! そ、それにそうだとしても先に抱きついてきたのは成瀬じゃないですか!? それなら離れるタイミングというのは私が選ぶのがフェアなんです! だから問題があるとすれば先に抱きついてきた成瀬じゃないですか!!」
「お前なぁ! そこまで言うか普通!? もう少しこのままが良いとか言ってたのは誰だよおい! 人の服で涙も拭きやがるしな! ハンカチ使えってんだ!」
「ぁぁああああ!! 別にいいじゃないですかそれくらい! 細かいんですよ成瀬はいちいちッ! もしかしてだから細かい作業とか大好きなんですか!? いい年してパズルなんてやったり!」
「パズルは関係ないだろッ! 言っとくけどぬいぐるみが許されるのは小学生までだ! それ以上はイタいだけだからな!?」
「はぁああ!? そんなぬいぐるみがある部屋で勝手に寝たのは誰ですか!? 成瀬ですよね!? 私のベッドは気持ちよかったですかぁ!?」
「お前その写メまだあったのかよ!? ……待てクレア。 この言い合い、お互いの傷を抉るだけだ」
そこまで言い合いをした時点でもうかなり傷の抉りあいになっている気がするが。 少なくとも俺は家に帰ったら思い出して発狂しそうだ。 それでもこの辺りでやめて置かなければ、この言い合いはきっと朝まで続いてしまう。 負けず嫌いが二人揃うとこうなるのが厄介だな。 で、その良い結果としてクレアは頬を若干赤らめて顔を俺から逸らした……と思う。 というのも、俺もまったく同じタイミングで同じ行動を取ってしまったから、視界の隅でしか見えなかった。
しかしまぁ、言ってくることは随分酷いけど……元気は出たようで、良かったか。 良かった……のかな。
「仕方ないですね……まったく、たったひと言好きって言うだけなのに言えないだなんて、情けないです」
と、クレアはその数秒で自尊心を持ち直したのか、勝ち誇ったように言う。 すごいなこいつ、都合の悪いことを忘れたんじゃあるまいな。 立ち直りの早さは多分真昼と同じくらいじゃね。
しっかし……そうか。 なるほど、良く分かった。
「そうだな、俺はそうだよ。 まぁでもクレアはさすがだよな、そういう風に言うってことは、お前は言えるんだろ?」
「へ? あ、いや……」
「なんだ、お前も結局情けないな。 まぁ俺と似たようなものってことか。 なら仕方ないけど。 はは」
「わ、分かりました! 言いますよ! 私は成瀬のように情けなくはありませんッ!」
地面をダンっと勢い良く踏みつけ、クレアは言う。 ちなみに今ので地面にヒビが入ったとしても俺は驚かない。 しっかし、こいつをからかうの本当に面白いな……予想以上の反応をしてくれるというか、分かりやすいというか。 なんとなく、こういう風にくだらないやり取りも新鮮に思えた。 新鮮だったし、懐かしくも感じた。
「い、良いですか……わ、私は……成瀬のことが、す、す……」
口をぱくぱくと動かし、クレアは絞りだすように言う。 なんか無理矢理言わせてるみたいで気が引けてきた。 そういう風になるようにしたのは俺だけど、そこまで無理矢理言おうとしなくても。 と、無責任にも思っている俺である。
「す、す! ……距離が近いですよもっと離れてくださいッ!!」
「うおっ!? おま……今マジで当たってもおかしくなかったぞ!?」
顔の横、というか若干当たった気がする。 耳の辺りを掠めるように、クレアは拳を振り抜いた。 俺がもう少し顔を横に動かしていたらどうしてたんだこいつ……。 まともに当たったら間違いなく鼻は折れてたぞ。 恐ろしすぎる。 こいつの馬鹿力がまともに命中した日には、目を覚ますのは病院になってしまう。 しかも俺、か弱いからね。
「良いから離れてくださいっ! なんでそんな近くを歩いているんですか!?」
「しらねーよ!? 別にこんくらいの距離ならいつも歩いている感じじゃねえか!」
言いつつ、俺はクレアの言う通りに距離を取る。 そのまま近くに居てからかうのもまた一興ではあるが、それだと命がいくつあってもぶっちゃけ足りない。 というわけで、一歩、二歩、三歩ほどの距離を俺は取った。
「……こんくらいか?」
「……ちょっと遠すぎないですか?」
「お前な……」
相変わらずというか、自分の意見を思ったままに言うというか。 さっきまでもっと離れろと言って、今度はもっと近くに寄れって言ってくるなんて。 どうすればいいの、俺。
「……こんくらいか?」
一歩、クレアとの距離を詰めた。 しかし、クレアは尚も不満気な顔をしている。 それを見て、俺はまた一歩だけ距離を詰める。
「これで良いか?」
「……これで良いです」
「なんでお前も一歩近づくんだよ……まぁ良いけどさ」
これじゃあ、結局最初と一緒じゃないか。 言わないけどな、それは。 また離れろと言われるのも、あれだし。
「……」
「……」
そこで、会話は途切れた。 俺とクレアは相変わらず並んで歩いて、家へと帰る。 こんな夜遅くの帰宅なんて、一体いつぶりだろうか? ひょっとしたら、ここまで遅いのは初めてかもしれない。
並んで歩く道の横には桜が咲いていて、街灯がそれを照らし、幻想的にも思える光景が広がっている。 その光景は新鮮で、クレアと並んで歩きながら見るそれは、綺麗だった。
人にはそれぞれやり方があるし、それを肯定する奴も居れば否定する奴だっている。 そんなのは別に間違っていることではない。 自分が信じるやり方ってのが、きっと何より正しいのだから。
俺には俺のやり方があって、クレアにはクレアのやり方がある。 それは時にすれ違うこともあれば、気持ち良いくらいに噛み合うことだってある。 生き方と言っても良いそれは、そういう風に時と場合によって変わってくるのは当然だ。
今回はただ、それが少しだけすれ違っただけのこと。 けれど、最後にはこうして噛み合うことができたんだと思う。 俺は目を逸らしていたことに目を向けて。 クレアは俺の本音を知って。
些細なことは、積み重なれば大きなことへとなっていく。 俺が積み重ねた小さな小さな出来事は、クレアの中で大きな何かとなっていたんだ。 ひとつひとつは小さくて、見えないこと。 でも、積み重なればそれは壁にも思えてくる。
今、俺に見えている光景は新鮮なものだった。 たったひとつ、いつもと違う要素が増えただけだというのに、何もかもが新鮮に思えた。 きっと、明日からはそういうことだらけになっていくのだろう。 多分、こいつとはまた喧嘩をすることだってあると思う。 元々負けず嫌いの俺たちが、何もかも上手くいくとは思っていない。 そんくらいの覚悟はもう、済んでいる。
だけど、大きな間違いはもうしない。 それは俺が痛感したことで、クレアもまた、痛感したことなんだ。 様々なことを学んだ呪いの世界。 俺とクレアの問題は、課題は。 こうして、幕を閉じていく。 そしてまた、開かれる。
もしも始まりがあるのだとしたら、今日のこれこそが始まりなんだと俺は思う。 これが終わるのは随分先のことになるだろう。 何十年もあとのことで、今はまだ全く考えもしないこと。 少なくとも、俺はそう感じている。
「成瀬、私、夢を見たんです」
しばらく無言で歩いていたところ、クレアが唐突に口を開いた。 それを聞き、俺はすぐに返事をする。
「夢?」
「はい。 だいぶ前に、一度だけ見たことがある夢です。 成瀬とは知り合ったあとのことですけど」
「へぇ。 どんな夢だったんだ?」
「ふふ、秘密です。 でも、もう片方の夢は叶いました。 だから、私が見たもうひとつの夢も、きっと叶うと思います」
「そっか。 俺も、それはきっと叶うと思うよ」
「はい」
ゆっくりだけど、着実に。 クレアのもうひとつの夢は、俺が叶えてやることにしよう。 これもまた、随分先のことになるだろうけど。
それでも、クレアと一緒ならば大丈夫な気はした。 心配事は、なかった。
「クレア、なんていうか……あれだろ。 俺たち、一応付き合ってるんだよな?」
「……何を言っているんですか?」
あれ、マジかこれ。 もしかして俺が勘違いしていただけとかいう、そういうオチなのか?
と、一人心配になる俺。 だが、クレアは続けた。
「一応とか、言わないでください。 付き合ってますよ、私と成瀬は」
「……ん、ああ、そうだったな。 悪い」
「まったく。 それで、なんですか?」
クレアは呆れたように笑って、俺に続きを促してくる。 俺はそれを聞き、クレアの方を向いて答えた。
「ひとつだけ、決まり事を決めよう。 相手に対して、決まり事を。 して欲しくないこととか、して欲しいこととか、そういうのだ」
「なるほど。 成瀬と西園寺がしている友達の約束みたいなものですか?」
「……なんだ、知ってたのか。 まぁ、それとは少し違うんだけどさ」
「別に構いませんよ。 成瀬からどうぞ」
クレアは言い、俺に手を向ける。 俺としてはクレアから決めてもらおうと思ったのに、どうやら先手を打たれてしまったか。 まぁ、俺が言うことなんてもう決まっているが。
「もう、いなくならないでくれ」
「……ふふ、なんですかそれ。 まぁ、分かりました。 それでは、私の方からの決まり事です」
小さな手で口を抑えてクレアは笑うと、人差し指を突き出し、顔の前へとやる。 そんなクレアを包むように、桜の花びらは舞っていた。
「私以外の人を好きにならないでください」
そんな、恥ずかしくも思えるセリフを俺に向けて言ったんだ。 だけど、クレアはきっと、それが一番怖いんだ。 そうなってしまうことが、何より怖くて。 だから、俺に対してそう言って。 だったら、俺が返すべき言葉なんてのはひとつだけ。
「そんなの、当然だろ。 なら、これで俺とクレアのルールは成立だな」
「そのようです。 では、帰りましょうか」
クレアは再び笑うと、俺より少しだけ先を歩き始めた。 俺はそんなクレアに付いて行くように、背中に付いていく。 見失わないように。
「あ、大事なことを忘れていました」
振り返り、クレアは後ろ歩きをしながら言う。 危ないぞと言おうとしたけど、クレアなら転ぶなんてことはしないだろう。 こいつの直感というか、身体能力は本当に人間離れしているからな。 俺は未だに腕相撲で勝てないのだ。
「ん、なんだよ大事なことって」
「ふふ」
クレアはそのまま、空を指さした。 なんだ? 何か、見えたのだろうか? そう思い、俺は顔を上へと向ける。
しかし、そこにあるのは普通の夜空だけだった。 もしかしたら流れ星でも見えたのかと思ったが、それもどうやら違うようだ。
「別に何もな――――――――」
何が見えるんだと言おうとし、俺は顔を再度、クレアの元へと向けた。 当然、俺の視界にはクレアが映る。 けど、だけどそれは、あまりにも近くて。 それで、クレアは。
「……やっちゃいましたね。 これは、私からの呪いです」
「おま……はぁ!? お前、お前なぁ!!」
「別に良いじゃないですか、減るものではないですし。 さ、帰りましょう」
「……覚えとけよ、畜生め」
最後の最後で、やられてしまった。 予想外だったし、想定外。 クレアの突拍子もない行動は、いつだって俺を驚かせてくれるのだ。
こんな感じで、俺とクレアの話は終わり。 そしてまた、始まっていく。
桜が綺麗な、三月から四月の出来事は、俺は一生忘れることはないだろう。 いつまでも、しつこいくらいに覚えているだろう。 それほどまでにいろいろとあって、大変なひと月で、忙しいひと月で、悲しくもつらくもあったひと月で。 そして、幸せなひと月で。
クレアが俺にかけていった呪いは、消えることはない。 俺がそれを解こうとする気もなければ、なくなって良いものだとは決して思わないから。
「あー、そういやさ。 クレア、俺たちがクレアのことを忘れている間、どうしてたんだ? ずっと家にでも居たの?」
「……あ」
俺の言葉に、クレアは何かを思い出したかのように、声を漏らす。 なんだ、こいつ何を思い出したんだ。
「大事なことをすっかり忘れていました。 私、家出をしていたんでした」
「家出? え、じゃあお前どうすんの?」
「……成瀬の家に」
「悪いけど却下。 前ならまだしも、今だと俺が多分気が気じゃなくなるから。 どのみちあれだろ、家には帰らないといけないわけだし、嫌かもしれないけど帰るべきだと俺は思うな」
「それは……まぁそうなんですけどね。 はぁ……なんか一気に鬱になってきました」
「……大丈夫だろ、別に。 そんな心配することでもないんじゃないか」
「そうですかね? いやでも……いっそのこと、そのときの記憶が飛ぶように後ろから襲いかかって……」
「おい」
やっぱり怖い。 その発想がぽんと出てくる辺り、こいつは怖い。 ここで俺が「おうそれ良いな」とか言ったらマジで実行しそうだ。 神田さんの命が切実に危ない。
「じょ、冗談ですよ。 やっぱり、帰ってちゃんと話さないとですよね」
「そりゃな。 神田さんも、心配してるんじゃないか」
「それは、微妙だと思いますけど。 でも分かりました、帰ります」
「ああ、それが良い」
帰るべき場所ってのは、誰にでもあるものだ。 そこに待ってくれている人がいることもあれば、いないことだってある。 けれど、落ち着ける場所、自分の居場所というのはそこでもある。 俺が自宅というのが好きな理由に、その安心感が得られるからでもあったりする。
安心感。 安心感……? あれ、ちょっと待て。
「……根回しすんの忘れてた」
頭を抱え、立ち止まる俺。 やばい。 ヤバイヤバイヤバイ。 これは、ヤバイ。 普段ならば夜に出かけたり、帰るのが遅くなる日は真昼を使って裏工作をしているのだ。 けど、今日はそれをすっかりと忘れていた。 真昼に根回しをしていなければ、親にも何も伝えていない。 とは言っても、親に正面から夜に出かけるなんて言っても、許可なんて絶対に降りない過保護の親であるが。
「どうかしたんですか? 成瀬」
そんな俺に声をかけてきたのは、クレアだ。 言ったばかりであれだが……やむを得ない。
……よし。
「クレア、今日お前の家泊まっても良い?」
「ふふ、駄目です」
ですよね。 知ってた知ってた。 それと、今日一番の笑顔ありがとうな。
結局、俺はこういう役回りなのかもしれない。 まぁ、そうだ。 いつか思ったように、こういうときは前向きに行こう。 大丈夫大丈夫、親は俺の存在に気付かずに寝ているはず。 だから大丈夫大丈夫。 それが駄目でも、話にしっかりとオチが付いたということで、前向きに行こう。
……あの番傘の男、都合良く記憶を改竄してくれないだろうか。
ともあれ。 右往左往、紆余曲折、試行錯誤の話は終わる。 周りから見たらえらく遠回りで、滑稽で、馬鹿げた話なのかもしれない。 でも、終わりはしっかりとやって来た。 どんな話にも終わりはあって、だからこそ始まりもきっとある。 今回の世界では、俺が触れることができない部分もあったんだ。 西園寺さんが取り組んだ柊木の問題だったり、西園寺さん自身の問題だったり。 柊木の課題に関しては俺も多少は関わったが、西園寺さんの課題に関しては一切関わっていない。 どのように解決し、西園寺さんはそれに対してどのように思ったのかは俺の知らぬところなのだ。
そして、もうひとつ。 エレナのことに関してもまた、俺が触れることのできなかった問題だ。 俺だけではやっぱり限界があって、どうしても手が回らないことが出てくる。 一人ではどうしても、できないこともある。 エレナに関しては完全に俺の力不足で、どうにかしてやることはできなかった。 みんなと触れてしまった少しの時間をあいつはきっと忘れない。 再び忘れられ、あいつはまた一人っきりになってしまう。 だからせめて、俺はあいつのことを覚えていよう。 そういう約束、そういう決まりを自分に課そう。 罪滅ぼしになるかなんて思ってはいないし、それでエレナが救われるかどうかなんてことは、また別の話だが。
今までのように、俺がクレアに対してしてきた沢山のことのように、見て見ぬ振りはもうしたくないから。
クレア。
俺と彼女が交わしたルールは、この先ずっと途切れることなく続いて行く。 こればっかりは、終わりのことなんて考えたくはないかな。
四月の一日。 普段ならば真昼にでも嘘を吐いてからかっている日だけど、今年はその嘘も吐こうと思わない。 そういう、気分だったから。
俺とルール、そして彼女。 そんな関係で、こんな関係で、本日この日、俺は生きて行く上でもっとも大事なものを見つけられたんだ。
「クレア、なんつうか……ありがとうな」
「いいえ、こちらこそ。 ありがとうございます」
さて。
それじゃあそろそろ、家へ帰るとしよう。 いつもは好きな一人での帰り道、いつもは楽しみな一人での帰り道。 今日のそれは、二人での帰り道。 こいつとはいつも別れる場所で、違う道にはなってしまう。 普段は特にどうも思わず、一人が好きな俺は気が楽でもあったんだけど。
今日のそれは、少しだけ寂しかった。