クレア・ローランドの課題 【11】
走り、俺は向かう。 三月三十一日、日付が四月へと移り変わるその前に、全てに決着を付けるために。
もう分かっていたことで、知っていることだ。 それを見過ごしたり見えない振りをするのにはもう、うんざりだ。
「成瀬くん」
住宅街を走る俺の前に、人影が現れた。 それを見て、俺は動かしていた足を止める。
「……米良」
丁度、体力も限界くらいだったから助かったよ。 とは言っても、ゆっくりしすぎはできないけどな。
「行くのかい、成瀬くん。 それをしちゃ駄目だよ」
「やっぱり、お前は何か知ってるんだな」
「……」
米良は俺の言葉に、居心地が悪そうに視線を横へとやる。 その仕草だけで、俺の質問に答えているようなものだった。
「とにかく駄目だ、成瀬くん。 そういう風にできているんだよ、この世界は。 ここで彼女に会ったら、全てが台無しになってまう」
「……どういう意味だ、それは」
「分かりやすく言おう。 成瀬くん」
そして、米良は言う。 俺の顔を、目を見て言うその顔からは、冗談なんて雰囲気は微塵もなくて……けど、俺はその言葉が受け入れられなくて。
「クレア・ローランドは、この世界に居ては駄目な人間なんだよ」
しかし、米良は俺にそう言ったのだ。
「陽夢様、お疲れ様でした」
「俺じゃなくて西園寺さんに言うべきだな、その言葉は」
柊木の一件が終わり、少し日が経った頃。 俺とエレナは部屋でそんな会話をしていた。 体の疲れは未だに引きずっており、ただでさえ少ない体力は底を尽きてしまいそうだ。
「いえ、ですが正しい選択をしたのは陽夢様ですよ」
エレナは言い、ベッドの端へと腰掛ける。
「……それは違うだろ。 何が正しいかなんて、分からないんだからさ。 柊木のことだって、俺たちが前にしたことが正しいかなんて分からない」
人それぞれ、考え方だって想い方だって変わってくる。 今回のことで大事なのは、柊木が良かったと思えるかどうかでしかない。 柊木が悪い方に考えてしまえば、それまでの話なんだ。 あいつが良かったと思えば良い話になり、悪かったと思えば悪い話になる。 そういう、話だった。
「それも、そうですね」
そう言って、エレナは微笑む。 俺はそんなエレナの顔を見て、安心したのか、気が付けば目を閉じていた。 どこかで疲れが溜まっていたのか、そこまで疲れるようなことはしていないと思うんだけどな。
「……少し寝る。 時間経ったら、起こしてくれ」
「畏まりました。 では」
エレナは言って、部屋から出て行った。
……さて。 そうは言ったものの俺には寝るつもりなんて毛頭ない。 しなければいけないことは、未だに残っている。 俺のこと、西園寺さんのこと、そして。
そして、引っかかっている大きな問題がひとつある。 それが解けるまで、安心なんてできやしない。 今日の日付は三月三十日、休んでいる時間も、ぼーっとしている時間もない。
「考えろ。 俺と、西園寺さんの課題。 俺は気付くことで、西園寺さんは思い出すこと。 まずはそこからだな」
俺が気付くべきこと。 一体何にだ? 課題としてあの番傘男が出してきたからには、理由があるはず。 そして何か大きな意味があるはずだ。 あいつが仕掛けてくることに、無意味なことはない。
俺たちは何かを忘れている。 忘れている人物がいる。 それに気付けということか? それが誰かということに。
けど、それだと少し妙だな。 俺たちが忘れているそいつのことをいつ忘れたのかは定かじゃない。 しかし、そんな長い間のことじゃないはず。 忘れたのは、最近のことだろう。 俺が違和感を感じて、エレナも違和感を感じていた。 そのうち、西園寺さんや柊木も俺たちと同じように感じることだ。 もしかしたら、もう感じていて言葉に出していないだけかもしれないが。
つまり、エレナの代わりに誰かが居た。 もしくは、エレナの立ち位置が無理矢理増やされた。 そのどちらかだな。
「……課題は四つ。 その課題自体を消すってことはしないか。 だから課題は四つで確定」
だとすると、エレナの代わりに誰かが居たって方かな。 そして更に、そうだとするとエレナの課題はその忘れた誰かの課題ということになってくる。
……夢を叶えること、か。
「夢、夢……でもクリアしているんだよな、エレナは。 気付いたときにはクリアしてた。 忘れられてる奴が終わらせたってことか?」
駄目だ。 やっぱり行き詰まってしまう。 ここまではすぐに考えることができるけど、このあとが浮かんでこない。 その夢自体が何か分かれば、せめて助けになるかもしれないのに。
俺の記憶では、公園でエレナと話をしたんだ。 それで、エレナの奴の夢は叶った。 けどそれは俺の記憶で、エレナ自身はあまり記憶にないという。 西園寺さんも、柊木もそれは同様だった。 それに俺の記憶だって、正確とは言えない。
「……ん」
待てよ。 ちょっと待て。 覚えていない、課題の内容を。 覚えていないってことは、その記憶自体はやっぱり忘れられてる奴に関わること。 それがまたエレナが代わりとして立ち位置を作られたことを裏付けている。 だけど。
「それをエレナ自身が忘れている。 作られた立ち位置で、無理もないのか?」
考えろ考えろ。 俺のやり方で考えるんだ。 そもそも、今まで俺が考えてきたことは正しいのか? 常に最悪の場合を考えて動け、今この瞬間で最悪な場合ってのは。
「……まさか。 そんなのってありなのか」
俺はひとつの答えに行き着き、体を起こす。 すると、目の前に奴が居た。
「挨拶。 こんにちは成瀬さま。 御機嫌いかがでしょうか」
「良いタイミングだなおい。 丁度、聞きたいことができたんだ」
「返答。 それを察して出てきました。 さて聞きましょうか」
嫌な奴だな、ほんと。 全部が全部、こいつの手のひらの上で踊らされている気がしてならない。 だからこそ、そうはさせたくない。 いや……そうされても、負けたくはないのか。
「分かってると思うけど、回りくどいのは嫌いなんだ。 単刀直入に聞くぞ」
クリアされたのは、二つの課題。 ひとつは柊木の乗り越えること。 そしてもうひとつは、エレナの夢を叶えること、だ。
柊木の課題に関しては、俺たち三人が見守っている中で、柊木の手にあった刻印は消え去った。 つまり、課題のクリア。 こっちはなんら問題がない。
問題は、もうひとつの方。 夢を叶え、エレナは課題をクリアした。 しかし、その内容も成り行きも覚えていない。 いくら記憶の改竄をされていたとしても、重要でもなさそうなその部分をいじってくるとは思えない。 エレナ曰く、割りと大変な記憶の改竄を行う上で、そんなバレても問題なさそうな細かい部分まで、いじってくるということは。
その内容、又はそれをどうやってクリアしたかが、重要なことだからだ。
「見た目上、実際に効力をなくすわけじゃなくて、見た目上だけこの刻印を消すことは可能か?」
「……ふふ。 相変わらずですね成瀬さまは。 どのようにそこに辿り着いたのか実に興味があります。 ですが時間もあまりないと察しますので返答」
番傘の男は、続ける。 きっとこれは、その忘れられた奴に近づく道だ。 この道もまた、正しいのかなんてことは分からないけど。
「可能です。 ついでに言いますと当たりです」
「充分だ。 それなら当たりついでにひとつ頼みがある。 無理難題じゃないから、聞いてくれると俺は嬉しいんだけどな」
やっぱりか。 ってことはなんだ、エレナの課題は表面上クリアに見せかけられたもので、実際はなんら解決はしてないんだ。 夢を叶えること、それは解決されていない。
だとしたら、俺たちが揃って存在を忘れている奴は、この番傘の男に頼んだんだ。 刻印を表面上消してくれと。 そして刻印は消え、そいつはきっと俺たちにこう言った。 もう課題は終わったから、心配は要らないと。
なるほど、段々見えてきた。 俺と話をした誰か、その内容をそいつは聞いて、その行動を取った。 そいつが諦めるだけのことを俺は言ったのだろう。 記憶が曖昧すぎて詳細は分からない、しかし切っ掛けはそれのはず。
俺の言った言葉を聞いて、夢を叶えることは不可能だと思った。 だからそいつは俺たちに嘘を吐き、目の前から消えようとしている。
「内容によるとしか。 聞くだけは聞きましょう」
「簡単なことだ。 お前なら、なんの問題もなくできると思う」
そいつが男なのか女なのか、どんな見た目なのかなんてことはまったく分からない。 記憶の改竄をそいつが番傘男に頼んだのか、それとも番傘男が勝手にしたことなのか、正直それはどうでも良かったりする。
ただあるのは、向こうからコンタクトを取る気はないってこと。 要するに、そいつは成り行きのままに消えようと、死のうとしているということ。
ひとつだけ、分かったことがある。 俺たちが忘れているそいつのことで、ひとつだけ。
俺たちとどれだけ仲が良かったのかは分からないし、どんな性格でどんな顔でどんな出会いなのかも今では分からない。 けど。
そいつが馬鹿ってことくらいは、分かった。