クレア・ローランドの課題 【10】
「いやぁ……ごめんね、今日は定休日だったみたいで」
「いいえ、構いませんよ。 これもこれで良いと思いますし。 まさしく日本! って感じじゃないですか?」
「あはは、そう言ってもらえると助かるよ。 まー、ちょっと古臭い日本って感じだけど」
友里が日本に来たら必ず寄るという居酒屋は、残念ながらの定休日。 そういうわけで神社からの帰り道、私と友里が寄ったのは小さな団子屋だった。 まるで昔の風景を思い浮かばせるように、田んぼに囲まれたところにひっそりとあるそこは、秘密の場所という思いを私に抱かせる。 慌しくざわついていた私の心も、ようやく一休みできたような気分だ。
「にしてもクレアちゃん、美味しそうに食べるよねぇ。 ご馳走する甲斐があるってもんだ。 あっはっは」
「お団子食べたのは初めてなので! 美味しいです、はまりそうです」
「おお、マジ? 地元にはないんだ? 団子屋って」
「どうなんでしょう? 少なくとも私が散歩をしている最中に見かけたことはないですね」
「それならないんだね。 クレアちゃんの散歩ってもう完全に探検レベルだから、それでなきゃないよ」
「……ちょっと失礼ですね、その言い方」
言うと、友里は笑って私の頭を叩く。 軽い感じで、子供をあやすようにだ。 それは嫌じゃなかったし、悪い気なんてまったくしなかった。 だから、私は笑って友里の顔を見る。
友里と会ってから、笑うようになっていた。 気付けばというか、思えばという感じ。 楽しいように、嬉しいように、幸せなように思えば、笑うことができる。
「だってさぁ、昔からちょいちょい施設抜け出してたでしょ? リリアちゃんと一緒に。 あれね、今だから言うけどすっごく迷惑だったんだぞっ!」
と、友里は困ったような顔を作る。 それがなんだか面白く、私は笑う。
「子供は迷惑かけるくらいが丁度良いと、友里は教えてくれたので」
「むむ、言うようになったなぁ。 けど、そっか。 いろいろあって、今があるんだね。 懐かしいなぁ」
友里はお茶を口に入れ、遠くを見つめた。 それを見て、私もまた、遠くを見つめていた。
「……そうですね」
それから少しの間、私たちは景色を眺める。 一年で一番過ごしやすい季節、だから春はやっぱり好きだ。 風が、気持ち良い。
「さて、と」
いつまでもそうしているかのように思えた時間は、やがて終わる。 友里は腕を空へと伸ばし、体をほぐし、言ったんだ。
「食べながらでも良いから本題にしよっか? 友里先生のお悩み相談室だよ、じゃんじゃん来い!」
唐突だなぁ、と私は思う。 けど、的を得ているんだ。 私は分かりやすいらしいから。 別に友里に限った話ではなく、他のみんなから見ても私はきっと分かりやすい。 だから、いろいろとバレてしまっていて。
「悩み……と言いましても。 今は特にないですよ、悩みは」
「……」
私が言うと、友里は串を口に入れたままで私の顔を見つめる。 一秒、五秒、十秒。
「……あーもう分かりました! 嘘です嘘! けど、相談するようなことでないのは本当です!」
「ふーん、そっかそっか。 なら愚痴にする? それならクレアちゃんも話しやすそうだし」
愚痴……。 まぁ、それなら確かにと思った。 アドバイスよりも、誰かに聞いて欲しいという気持ちの方が強かったからだ。 それで話して、気持ちが多少落ち着くなら良いかもと。
「では」
と言った直後、友里が私の口元に人差し指を近付ける。 そして言うのだ。
「先に言っておくけど、話したくないことは言わなくて良いからね。 聞いた私も困っちゃうし、クレアちゃんも嫌でしょ? 問題はクレアちゃんが楽になれるかどうかだから、そこに焦点を置こう」
「ええ、ありがとうございます」
本当に。
本当にいつか、私もこんな人になりたいものだ。
「なるほどねぇ……それで、今は一人浮いちゃってる感じか」
「ええ、そんな感じです。 あ、ですけど悪いのは私で、みんなは悪くないですからね?」
「分かったって。 クレアちゃんがそう言うならそうなんだろうし」
友里は言いながら、私の方に顔を向けて微笑む。 そんな顔を見て、私は少し安心していた。 別に私が誤解されるのは構わないけど、私の友達が誤解されるのは嫌だったから。
「話はしたの? その子たちと」
「いえ、してません。 というか……なんと言えば良いのか分かりませんが、話ができる状態ではないというか……」
「ふうん? 大変なんだね。 だけど、やっぱりそういうときは話し合わないと何も変わらないと思うなぁ……私は」
友里は私から視線を外し、空を見上げる。 雲は一切なく、綺麗に空は澄み渡っていた。
「ええっと……うーん」
なんと言えば上手く伝わるんだろう? さすがに私のことを忘れていて……とは言えないし、かといって無視されているのとも少し違うし。 困ったな。
「いいよいいよ、上手く言えないんでしょ? けど話さないことには始まらないよ、何もね。 私だってほら……和とあの日で終わっちゃってるわけだしさ」
言い、友里は苦笑いをする。 自分で言っておいてとか、人のことを言えないとか、そんなことでも思ったのだろう。 けど、私としては友里と神田の件はそれとはまた別な話のような気がするんだ。 私の場合は、ただ単に揉めたわけでもない。 それにこうなっている原因は私なんだ。 一時の感情に流されたわけでもなく、普通に考えて普通に想って、そして普通になるようになった。 そうとしか言えないし、そうならざるを得なかったとも言える。
……楽な道を選んで、それで結局悩んで。 私は本当に、どうしてこうも馬鹿なんだろう。 友里と話していると、それをひどく実感してしまう。 本来の目的は、友里に会って最後の別れをすることだった。 神田と同じくらい、私が世話になって、同時に感謝をしている友里に。
「大丈夫ですよ、友里は。 神田とも、仲直りできますって」
「そうかな? あはは、クレアちゃんの悩みを聞いてたら、いつの間にか私のお悩み相談になっちゃってるね……よっと」
友里は立ち上がり、湯のみに入って出てきたお茶を飲み干す。 出てきたときよりも随分冷めてしまっているそれは、そうやって飲むのも問題ないくらいだ。 そしてそれを見て、私もお茶を飲み干した。
「クレアちゃんは、周りを気にしすぎかな。 前々から思ってたんだけどね」
「私が……ですか?」
「うん。 今だってほら、私が立ち上がってお茶を飲み干したのに合わせて飲んだでしょ? それってさ、結局私に合わせてるってことじゃない?」
言われ、私は顔を伏せる。 そうかもしれないと思ったから。 友里が用事を終えたから、私も終えた。 別に意識していたわけじゃないし、合わせていたつもりもない。 けど、そう言われればそうだと思ったんだ。
「悪いことではないよ。 でもね、クレアちゃん。 そういう気遣いって周りにも少しずつだけど伝わっていくんだ。 クレアちゃんは自分の意思はハッキリしてるし、嫌なことは嫌って言える子だけどね。 だけど、これだけは言える」
友里は私の傍に来て、そして私の頭に手を乗せる。 少しだけど力の篭ったその手からは、いろいろなものが感じられた気がした。
「クレアちゃんは、自分に優しくしないと。 それこそクレアちゃんの本来なんじゃない? 思うように気ままに、それでちょっとワガママで意思が強くて。 真っ直ぐな子だって、少なくとも私はそう思っているよ」
「……真っ直ぐに」
顔を伏せたまま、私は両手で包むように持っていた湯呑みの中を覗きこむ。 そこには少しだけお茶が残っていて、ほとんど水滴のようなそれが揺れているだけだった。 私はそれを見ながら、思う。 思い、考える。
私にとっての生き方。 私にとっての私。 私にとっての意思。 私にとっての未来。 私にとっての過去。
それで、私にとって……何が大事で、何が必要で、何が私なのか。
ある人は私のことを真っ直ぐな人間だと言った。 馬鹿だけど、その真っ直ぐさは見ていて気持ちが良いと。 直感的だと、言ってくれた。
懐かしい。 思えばあれが始まりで、それで今までずっと続いてきた関係だ。 最初の頃はここまで仲良くなるなんて思いもしなかったし、ましてや私が……あろうことか、好意を抱くとも思っていなかった。 ただのライバルで、ただのムカつく奴だった。 それだけだったのに、今は違う。
当然だ。 長く一緒に居れば、それが変わっていくのは当然のことなんだ。 いつまでも同じ感情は持ち合わせないし、同じくらいの想いだって向けられない。 私が今こうして想っている好意だって、時間が経てばきっと薄れていく。 炎が消えるように、段々と弱くなっていくかもしれない。
だったら、私が今したいこと。 私が今、やりたいこと。 私が思うように、歩きたい道。
「友里、ありがとうございます」
「うん、構わないよ」
私は顔を上げて、友里に言う。 私が今、するべきことは見つかった。
「行くの?」
「……はい。 行きます、休みもそこまで長くはないので」
「そっか、それなら仕方ない。 駅まで結構あるし、送って行こうか?」
「いえ、大丈夫です。 走っていきますので、ふふ」
「クレアちゃんらしいね、あはは」
私は友里に頭を下げて、そして背中を向ける。
友里はそんな私を見て「またね」と言った。 だから私は振り返り、笑った。
ああ、だから私は馬鹿なのだ。 短絡的だし、直感的だし、いつも間違えてばかりなんだと思う。 でも、その間違えたことだなんて誰が決めたのだろうか。 私はそれが正しいと、いつだって思っているんだ。
人狼の世界でも、異能の世界でも、ふとした日常の一コマでも。 そうするのが一番良いと思い、そうして来た。 そんな私が今、思考を巡らせてしまっている。 簡単な問題も、考えれば考えるほどに難問になっていくように。 初めから、答えなんて一つしかきっとなかったんだ。
ここまで来て、私が初めて良かったと思えることはひとつだけ。 みんなに……西園寺に、柊木に、成瀬に。 私のことを忘れてもらって、良かったと。
友里には言葉を何も向けることはできない。 私に向けて「またね」と友里は言って、それに対して私は「また」と返すことはできなかった。 だって、仕方ない。
もう、会えることはないから。 会えない人を相手にして、そんな無責任なことは言えない。 私はこれでも、結構責任感は強いんだ。
私が決めたのは、自分の気持ちにケリを付けること。 それが一番分かりやすく、行き着きやすく、そして私がしたいことだ。 ここで、もしも私が物語の主人公だったとしたら、みんなのところへ行って必死に説得して、そしてみんなが無事に思い出してくれて、それでハッピーエンドなんてことになるのだろう。 でも、私は主人公なんかではない。 みんなの記憶を奪ったのは私で、それを思い出させようとするなんて、さすがに馬鹿が過ぎてしまう。 馬鹿を通り越して滑稽でしかない。 だから私は素直に受け入れ、そして素直にしたいことをしよう。
ああ……みんながもしも私を見ていたら、きっと止めるんだろうな。 そう思った。
私が思いもしないような言葉を言ってくれて、それで私のしたいこともきっと変わってくる。 それくらいの言葉を向けてくれる人たちだ。 成瀬は怒るかもしれないけど。 多分「お前はほんっとに馬鹿だな」とかなんとか言って、私の頭を小突きそうだ。
「……知ってますよ、それくらい」
知らないはずが、ない。 私が今からすることは……いや、今からしないことは、最低で最悪なことでしかない。 それは知っている。
けど、良かった。 これで良かったんだ。 このクレア・ローランドの話は、ここまででしかなかったということだ。 私には現状をなんとかする勇気はない。 成瀬の存在はやっぱり大きくて、でもその好意を受け入れてもらえないからといって、駄々をこねるなんて馬鹿すぎて。 普通の人なら、どうだったんだろう。 受け入れられないという現実を受け入れることができたのだろうか? それとも、私みたいに目の前からスッと消えていったのだろうか?
分からない。 でも、いろんなことがありすぎた。 人を殺して、殺されかけて、人を好きになって、嫌いになって、優しくされて、暖かさを感じて、冷たさを感じて、楽しさを感じて、怖さを感じて、幸せを……いっぱいもらって。 でも、そういうことがある度に、私には私の心が締め付けられる音が聞こえていて。 良いことだったら私にその権利はあるのかと思い、悪いことならただ単純に苦しくて。 そんなことが、ずっと続いていた。
「ああ、やっと分かりました」
呟いて、空を見上げた。 どうやら、また一雨きそうな天気にいつの間にかなっている。
「私は……疲れたんだ」
何にでもない。 言ってしまえば全部に、疲れたんだ。