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俺とルールと彼女  作者: 幽々
呪いの世界
155/173

クレア・ローランドの課題 【7】

「落ち着いた? クレアちゃん」


「……」


私はその言葉に、こくりと頷く。 すると、目の前の職員は笑って「良かった」と言った。 私が泣き止んだおかげで、この職員が痛い目を見ることがなくなったから、それで安心しての言葉だと思ったが、その人の顔を見たらそれは違うことが分かった。


……不思議だ。 この人は、どうしてこうも私を心配しているのだろうか。 ただの施設で暮らす一人の子供である私をいくら心配したところで、この人自身の給料が上がるわけでも、何か得になることが起きるわけでもない。 なのに、どうしてこの人は私のことを気にかけているのだろうか? 分からず、私は何も答えない。 若干、警戒はしていたと思う。


「えーっと、あ! さっきの声、可愛かったね。 クレアちゃん、とっても綺麗な声だよ」


「……」


咄嗟に漏らした声が、聞かれていたか。 そして、何故かそれを褒められた。 人に褒められたのは、久しぶりだった。 私が覚えている限り、最初で最後に褒められたのは敵を殺したときだ。 銃を構えて、撃って、殺したときだ。 それ以来、初めて褒められた。


「あ、もしかして私の名前知らなかったり? ならまずは自己紹介から。 私の名前は神田友里、あなたのお名前は?」


「カンダ……ユリ。 日本人?」


「お、やっぱ綺麗な声! そうそう、日本人。 知ってるんだ?」


昔、聞いたことがある。 誰に聞いたかは忘れたけど、日本という国があること。 平和ボケしていて、誰もかれも殺し合いなんてこととはほとんど無縁で、平和に平和に暮らしていると。 恐らくは作り話だろうけど、目の前に居るカンダと名乗った女の人を見る限り、もしかしたらそんなあり得ない国が存在するのかもと、私は思った。


「聞いただけ。 知ってるってほどでもない」


「そかそか、まぁ別にそれでも良いよ。 それよりさ、クレアちゃんって案外普通に話せるんだね? てっきり、すっごい無口な子なんだと思ってた」


ひとつ間違えれば、とても失礼な発言をしているにも関わらず、カンダは笑っていた。 とても、直視できる顔ではなかった。 だから私は視線を逸らす。 逸らしながらも、答えた。 カンダが名乗ったその瞬間、私を縛っていたルールは解けたのだ。


「……知らない人とは口を利くなと教えられてた。 でも、カンダは名前を教えてくれたから別ってだけ」


「ん? あはは! あーあーそういうこと! 納得しちゃったよ、私。 それじゃあ今から私とクレアちゃんは友達ね、友達。 だから、ほらほらクレアちゃんも自己紹介!」


カンダは言いながら、私の隣に腰をかける。 距離は近かったけど、嫌な感じは受けなかった。 そして、人とこうしてなんの得にもならない会話をしているのは、初めてだった。 私が戦地に居たとき、一緒に話していた同年代の子たちは居る。 居るが、その内容は次の作戦のことについてだったり、多数を相手にしたときはどうするべきだったり、そんなのばかりだ。 だから、こうして人と話をしたのは初めてなのだ。


「……クレア。 クレア・ローランド。 十一歳」


「はは! 私はさっきも言ったけど、神田友里。 年齢は……秘密ってことでいい? ギリギリ二十代前半ってことで。 どうかな?」


「どうでも良い」


日本人ということは、日本で生まれたのだろう。 でも、二十代前半で既にアメリカに居て、そしてそこの孤児院で働いている。 何かしらの事情があるのかと、勘ぐってしまう。 どちらかと言えば、カンダの年齢よりもそっちの方が気になった。 気になったが、黙った。


「よしよし、そういう風につっけんどんな態度だと友達増えないぞー? 欲しくない? 友達」


「いらない。 一人で良い」


私がかつて、友達だと思っていた人たちはみんな死んだ。 一人残らず、全員が死んだ。 だから私は殺した奴らを殺したのだ。 因果応報、殺される側の気持ちを分からせただけのこと。 それを行う前は、やればすっきりするものだと思っていた。 気分が晴れると思っていた。 でも、実際にはまったく逆だった。 みんな死んで、みんな居なくなった。 そして、私には晴れが見えなくなった。


結局、私は化け物なのだ。 私よりも何年も生きた人を相手にして、一切怖気づかなかったし負けるとも思わなかった。 それが二人でも一緒で、三人でも一緒だ。 負けず嫌いで負けたことがない。 だから、私は化け物だ。


そんな化け物に友達ができるわけがない。 友達で居てくれる人が現れるわけがない。 私は一人で良い、一人が好きだ、一人で居る資格しかない。 あるのはそれで、それが全て。


「悲しいこと言うなよ、クレアちゃん。 ほら、あの子はどう? いっつもクレアちゃんに話しかけてる子」


「……ああ、あいつ」


鬱陶しい相手だ。 私がいくら無視しようとも、反応せずとも、毎日毎日話しかけてくる。 飽きもせず懲りもせず、毎日毎日馬鹿みたいに話しかけてくるあいつだ。 迷惑なことこの上ない。


現時点で、この施設の中で誰が鬱陶しいかと言われたら、真っ先にあげる奴だ。 あの私そっくりの顔とか、目とか、髪とか。 本当に嫌になってくる。


「苦手って感じの顔だね。 けどさ、彼女も彼女で大変なんだ。 だから、懐かれてるクレアちゃんだからこそ、私は今日話そうと思って……こうして呼んだんだけど、やっぱり嫌だった?」


私が今日呼ばれた理由と関係している? でも、私が予想するにその内容は結構重い内容の気がしたのに。 あいつのこととなると、案外そうでもなさそうな気がしてならない。 いっつも笑顔で、いっつも元気なあいつのことだ。 何かしらの病気にかかっているとも考えられるが、もしもそうなら居るべきはここではなく病院だろう。 精神を病んでいるのだとしても、やっぱりそれも病院だ。


「……聞くだけなら。 聞くだけなら別に良い」


「そか。 実を言うとね、クレアちゃんには聞いた上で協力して欲しいって思っているんだ、私は。 それで、本当のとこを話すと……上の人にはさ、クレアちゃんが無視しているってのを注意して欲しいって言われてて」


「嫌いだから無視しているだけ。 誰と話すかなんて、私が決める」


「あはは、好き嫌いは良くないよ。 大きくなったら、いろいろと嫌いなことも我慢しなきゃだし」


我慢。 我慢は、したことがない。 確かにカンダの言う通り、私は徹底的に嫌いなことは避けてきた。 だからこそ思う。 私にとって、人を殺すということは大して嫌なことではなかったのだと。


「嫌なことを避けるのはそんなに悪いこと?」


「初めての質問がそれかぁ。 なんだか、なんだかって気分だけど……そうだね、悪いことではないよ。 自分が自分で居るためには、自分らしく自分のしたいように生きるべき。 これ、私が好きな人が言ってたんだけど、あいつはちょっと自由に生き過ぎかな……」


「自分のしたいように」


その言葉は、私の耳に残った。 そんなこと、考えたこともなかった。 したいように、私はしているつもりだったのに。 今まで、十年と少し生きて、生まれた場所で、その場所のルールに従って。 そして今、ここでも私はそのルールを守っている。 その最たる例が、知らない奴と口を利くなという教えだ。


果たして、私は本当の意味で自分のしたいように生きているのだろうか。 もしかしたら、私がそう思っているその道には、レールが延々と敷かれていて、その上を沿うように歩いているだけなのではないか。


一瞬だけ、そう思ってしまった。


「けどま、我慢は必要だね。 私としては我慢したあと、思いっきり発散させるけど。 ほら、だから今だって、こうして上の人に言われたこと守ってないし。 へへ」


子供っぽく、カンダは笑った。 屈託がない、なんの戸惑いも迷いも後悔もない、そんな笑顔だ。


「大事なのは、バランスだ。 その二つのバランスを間違えないことだよ」


「……そう。 それで、その発散の内容はなに?」


「うん。 クレアちゃんにはね、彼女のことを知って欲しいの。 彼女がどうしてここに居るかと、何を抱えているかを。 その上で、彼女とどういう風に付き合えば良いのかを考えて欲しい。 良いかな?」


「さっきも言った。 聞くだけなら」


「あはは、そっか。 なら、まずは彼女がどうしてここに居るか、という話からだね」


カンダは言い、私から視線を逸らし、天井を見つめる。 釣られて私も視線を上に向けたが、そこにあったのは何もないただの天井だった。 模様もなければ、絵柄もない。 無機質で、何も表さない真っ白な天井。


「彼女がここに来たのは、クレアちゃんが来る少し前なんだ。 でも、彼女は何も覚えていない。 両親のことも、自分のことも。 どこで生まれたのか、なんて名前なのか、何歳なのか、そういう個人としての情報を何一つ、彼女は持っていないんだ」


「……少し意味が分からない。 あいつは、そんなに忘れっぽいの?」


「ちょっと違うかな。 彼女はその日、この孤児院の前に一人で立っていたんだ。 裸足で、服はボロボロで、体のあちこちに切り傷とか擦り傷があってね。 それを最初に見つけたのは私で、慌てて彼女を保護した。 最初こそクレアちゃんみたいに何も喋らなかったけど、一週間も経ったら彼女も落ち着いたのかな、話すようになってくれたんだ」


考えられるのは、捨てられたか。 親に捨てられ、この孤児院の前に放置されたということだ。 だが、そうだとしても要領が飲めないことがひとつある。 もしもそうなら、あいつはどうして何も覚えていないのか、ということになる。


「彼女には戸籍がない。 その点は、クレアちゃんと一緒かな。 けど、クレアちゃんと決定的に違うのは、自分を表す物が何一つないってところだよ」


「……どういうこと?」


失礼な言い方をされているのは分かっている。 が、別に怒るほどのことでもなかった。 カンダが言っているのは事実だけで、別に嘘を吐いているわけではない。 それに、私のことがどうとか、正直どうでも良かった。 今、私の興味はあいつのことへと向いていたから。


「その通りの意味。 彼女は記憶を失っていた、どうしてここに居るのか、どうして一人なのか、親はどうしているか、そういう記憶が空っぽになっていたんだ。 名前も、住んでいたところも、誕生日も、母親の名前も父親の名前も、兄弟が居たかどうか、ペットは飼っていたか、家はどんな家だったか、そういう記憶が全てなくなっていたんだ」


「どうして?」


「……どうしてとは、また直球な質問だなぁ。 そう言われても私が困っちゃうけど、実は思い当たることがひとつあるんだ」


カンダは言うと、小さく笑った。 でも、それはどうしてか笑っているようには見えなかった。 笑っているというより、悲しんでいる。 泣いている。 そういう風に、私には見えた。


「ここから大分離れたところなんだけどね、そこで凄惨な事件があったんだよ。 ひとつの家に暮らしていた男女が殺害されるっていう、事件がね。 それで噂によると、その家には子供が居たらしいんだ。 けど、記録上は子供なんて存在しない。 もしもさ、その子供っていうのが彼女だったら……」


「そういうこと」


なんとなく、話が理解できてきた。 つまり、その子供というのがあいつで、あいつは両親が殺された衝撃で記憶が全て吹き飛んだのだ。 だとすると、恐らくは殺されたのを目の前で見たか……かもしれない。


生きているのは、見逃されたか気付かれなかったか。 この場合の問題は、そういうことをした犯人が居るということではなく、一人で残されたということだろう。 幼いながらも、私にはそれが理解できた。 一人残されたときの気持ちは、知っている。 そうして残され、あいつはこの施設まで一人で歩いてきたのだ。


あいつが不幸だったのは、戸籍を得られていなかったということ。 無戸籍児なんてたくさんいるが、あいつはその中でも非常に運が悪かった。 ただそれだけでしかない。


「脆いんだね、人間って」


「……うん、そうだね。 クレアちゃんにとっては、そう見えるかもしれない。 でも、彼女はクレアちゃんより強いよ」


「私より?」


「クレアちゃんより。 彼女のことを知って、クレアちゃんはどう思った? クレアちゃんの境遇と彼女の境遇、どっちがつらいものだと思った?」


躊躇することなく、踏み込んでくる人だ。 ここで私が叫んだり発狂なりすれば、間違いなくこの人はクビになる。 それくらいのことを言われているのに、私にはとてもそうしようとは思えなかった。 それよりも、私が言った言葉でこのカンダという人がどんな反応をするのか、そっちに興味を持って行かれていた。


「私は、この世には殺す側と殺される側しかいないと思ってる。 だから、私は殺す側であいつは殺される側。 力がない方が殺される」


「なるほど。 それで、クレアちゃんはそっち側だから、つらい方?」


「違う。 私は、私が選んでやったこと。 あいつは、選ばないでそうなってる。 たぶん、あいつの方がつらいんじゃないかな」


半ばそうするしかなかった状態だったけど、それでも殺すという意思を持って行動していたのは事実だ。 そして、私はきっと殺さなくて良かった人も殺している。 やめてくれと、助けてくれと、目の前で言っていた人を殺したことがあるから。 そういうのは、沢山あった。 あそこで私が見逃していたら、もしかしたらそいつは今も生きていたかもしれない。 今の話を聞いて、私はそんなことを思った。


「そっか。 私はそれは比べられるものじゃないと思うけどね。 でもさ、クレアちゃんの言う通りだったとしたら……やっぱり、彼女は強いよ」


「どうして?」


何も出来ずに、ただ殺される側のあいつがどうして? 弱いからそうなっているだけで、強くないから何も出来なかった。 そうじゃないのか? 力のない奴は弱い、撃てば死に、強がっていたとしても、死が明確に見えたそのときは一瞬で弱者になる。 それが、ルールなのに。


「だって、彼女は今、とても楽しそうに笑っているから」


……そうだ。


あいつはきっと、私よりもつらいはずだ。 私よりも不幸なはずだ。 私よりも恵まれていないはずだ。


私は一応、自分を自分だと認識できている。 名前も、親も、誕生日も、今までのことも、しっかりと覚えている。 それはつらい記憶だったとしても、酷い記憶だったとしても、その経過を私は覚えているのだ。 そういう経過があって、私はここに居るのだと理解できるのだ。


でも、あいつには何もない。 何もないのに、あいつは笑っている。 どうして、笑っていられる?


「カンダ、友達ってなに?」


「哲学的な質問だねぇ、クレアちゃん。 私が思う友達はどんなものかって意味だと捉えて返事をするね。 ずばり、私が思う友達っていうのは」


その先の言葉は、忘れてしまった。 思い出そうとしても、思い出せない。 私の人生観にも影響を与える、言葉だったはずなのに。


……まぁ仕方ない。 何はともあれ、このとき私の中で何かが変わったのは事実だ。 そして、私はそれを聞いて、口を開く。


「名前は。 今の、名前」


私はカンダに尋ねた。 だけど、カンダはこう言って私の質問をはぐらかしたのだ。


「それは自分で聞かないと。 人を知るって、そういうことだよ。 クレアちゃんと彼女は、きっと仲良く出来ると思うんだ。 だからほら、ここでの第一歩! お友達ができたら、楽しいよ」


友達か。 友達は、居なくても良いと思っている。 だけど、あいつのことは少し知りたくなってしまった。


そしてそれは、結果的に友達どころの話ではなくなってしまった。 私がこうして興味を持った時点で、それはもう決まっていたのかもしれない。


要するに。 要するに、私とリリアが姉妹になるのに、そこまで時間は要らなかったということだ。

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