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俺とルールと彼女  作者: 幽々
呪いの世界
154/173

クレア・ローランドの課題 【6】

「……おねえ?」


「やっと起きましたか。 まったく、背負って歩く私のことも考えてくださいよ」


家までの数十分の距離、それを半分ほどこなしたところでリリアは目を覚ました。 まだ眠さが残るようなそんな声で、私の体にしっかりと腕を絡めながら、リリアは小さく欠伸をする。


「ま、私は優しいですからまだ降りなくて良いですよ。 それより、何か飲みますか?」


「さすがおねえ、世界一優しい。 まるで天使。 わたくしが飲みたいのは紅茶、ちょっと高いやつ」


「……なんだかうまく持ち上げられてる気がしますね。 けど気分が良いので許しましょう」


この妹には、優しくするしかない。 言うことは言うし、するべきことはさせる。 それは姉としての大前提ではあるが、それ以外のことでは厳しくするつもりは毛頭ない。 リリアは私よりも、人殺しである私よりもよっぽど、生きづらいのだから。


「コンビニ、行きますか」


「うぃ!」


丁度、視界の隅にコンビニが映った。 そこに視線を移し、おぶられているリリアに尋ねると、そんな元気の良い声が返ってくる。


人にはそれぞれ、その人が思う幸せというのがあるらしい。 少なくとも私にとっては、リリアが居てくれることが、そんな幸せの一つだ。




「本当にちょっと高いですね……その紅茶」


「でも美味しさは格別。 神田(かんだ)が淹れるお茶より美味しい」


「それ神田の目の前で言ったら泣くと思うので絶対言わないでくださいね」


コンビニでそれぞれの飲み物を買った私たちは、少し歩いた河原で足を休める。 足を休めるとは言ったものの、その足を使っているのは私だけという状況だけど。 体力が無駄にある私にとっては、朝飯前も良いところの運動だったのは事実で、そしてそんな朝飯前のことをして、何故かとてつもない疲労感を感じていたのもまた、事実だった。


これはきっと、肉体的なものではない。 それとは違う、何かだろう。


「おねえはなに?」


「私はこれです、ウサギコーヒーです」


「ウサギをミキサーにかけて作ったやつ?」


「そんな物騒な物じゃないですよ……というか恐ろしい発想ですね、それ。 ウサギというのは、ただの名称ですね。 ただのコーヒーより、ウサギと付けた方が可愛いじゃないですか、ほら」


私は言いながら、そのコーヒーに付いてきたおまけのウサギストラップをリリアに見せる。 正直に話すと、こっちのストラップが本命ではあった。 可愛い物……というか、こういう小動物系にはどうしても勝てない。 愛でたい気持ちが押し寄せてきてしまうのだ。


「かわいい。 そういえばおねえ、あのぬいぐるみまだ持ってるの?」


「……もちろんですよ。 私の宝物です」


「……へへっ」


私の言葉に、リリアは照れ臭そうに笑う。 それを見て、私自身もなんだか照れ臭くなってしまった。


やっぱり、私にとってのこの子は大きい。 大きすぎる存在だ。 そして、今はそれを失うことに恐怖を感じている。 私が居なくなって、そのときリリアはどういう顔をするのだろうか。


……きっと、泣くのだろう。 泣いて、悲しむのだろう。 それくらいは分かるけど、それでも私に打つ手はもう存在しない。 私の居場所はもう、ないのだから。


不思議と、今はもうそれが悲しいということはなかった。 気持ちが前に進んだからか、それとも。


それとも、あの頃まで気持ちが戻ってしまったのか。




「たっだいまぁ!」


家の前まで着くと、リリアは私の背中から飛び降り、元気良く喫茶店の扉を開け、中へ入って行く。 続いて私も入り、神田が座っているのを確認し、奥へ入っていくリリアに続こうとした。


「クレア」


そんな私を止めたのは、神田だった。 新聞を読みながら、手に持っていたコーヒーを置き、神田は私を呼び止めた。 基本的に無干渉を貫いている神田だからこそ、私はこのとき足を止めた。 普段ならば声をかけてくることはあまりなく、放任主義というか……それこそよっぽどのことをしない限り、神田は形式張った話をしようとしない。 神田の声色と、言い方、そして表情から察し、私はこれが普通の話ではないことを悟ったのだ。


「なんですか?」


面と向かって話すことはあまりない。 神田は私に対してとことん甘く、それはリリアに対しても変わらない。 会話がなくそういう状態というのは変な話だが、事実なのだ。 必要な物は買い与えてくれて、食事はわりと豪勢で、服や小物など、私が欲しがりそうな物をたまに買ってきてくれて、それが私は本当に欲しい物で。 そういう、人の喜ぶことが好きな人……という認識が、神田と過ごした数年で私が抱いている印象である。


その神田が、私を呼び止めた。 気楽な感じでも、気軽な感じでもなく、重々しい空気で。


「ちょっと座れ。 どこでも良いけど、できれば正面」


「……はい」


私は言われた通り、神田の正面へと座る。 カウンター席というのはあまり好きではないが、この喫茶店では別の話だ。 その好きでない理由というのが、真正面に見ず知らずの他人を配置しなければいけないという、気が抜けない状況が嫌なのだ。 だが、神田に関しては見ず知らずの他人というわけではない。 見ず知らずと言えば見ず知らずだが、敢えて言うなら見ず知らずの恩人なのだから。


「ほらよ、コーヒー。 俺特製のクレアちゃん専用コーヒーだ」


「どうも。 ちゃん付けで呼ぶの止めてください、その顔で言われると気色悪いです」


「相変わらず毒舌だなお前は……」


神田は苦笑いし、私の前にコーヒーを置いた。 ホイップクリームが沢山乗り、甘そうな匂いが感じられる。 ああ、私が好きな匂いだ。


「……いただきます」


小さく言って、私はコーヒーをひと口含む。 それはやっぱり、私の好きな味だった。 そんな私を見て、神田は何も言わずに笑う。 鼻で笑うような、思わず笑いが漏れたような、そんな笑い方だった。


「なにか」


「ん? いや別に。 俺が教えたこと、しっかり守ってんだなって思ったんだよ。 まぁ外でも守ってるかは知らねえが」


「それは……一応、しっかりやってるつもりです」


私は言い、再度コーヒーに口を付ける。 神田に教えられたことは沢山ある。 私が今話している日本語だってそうだし、コーヒーを飲む前に言った「いただきます」だってそうだ。 私が日本に来て、神田に教えられたことは大きく分けて三つある。


ひとつ目は、まずは全てを忘れろという言葉。 お前が過ごした環境とか、お前が覚えたこととか、お前が習ったこととか、その全てを忘れろ。 ここはお前が住んでいた場所じゃなく、俺が住んでいた場所だ。


それに対して、私は「忘れることなんてできない」と返したんだっけ。 そしたら、神田は「忘れた振りで良いんだよ、馬鹿」と言い、私の頭を軽く小突いたのだ。 そのとき、私は確か笑ったと思う。


ふたつ目は、礼儀だ。 何かを貰ったら「ありがとう」で、悪いことをしたら「ごめんなさい」で、物を食べる前、飲む前は「いただきます」で、食べ終わったら、飲み終わったら「ごちそうさまでした」だ。 それと、ごく一般的な挨拶も教えてもらった。 そういう礼儀だけは絶対に軽んじるなと、神田は教えてくれたのだ。


それに関しては、しっかりと守っているつもりである。 守っているというよりか、自然と言葉になって出るようになった。 私が強く感じたのは、その言葉が咄嗟に出るときは大抵、自分の気持ちもまったく同じことを思っているということ。 そして、言われた方は嫌な気持ちにならないということ。


みっつ目は、日本語。 先ほどの礼儀のこともそうだし、私が今こうして話している言葉も教えてもらったことだ。 目上の人には敬語を使えと教えられたけど、それがなんだか難しく、私は結局全ての人に対して敬語を使っている。 神田には何度か「違う違う」と言われたが、もう癖みたいなもので、今更直せる気もしない。 最後の方は神田も「まぁ可愛いから良いか」という謎の結論に至っていたのは、未だに解せないことである。


そういう風に、私はそのみっつを教えてもらった。 その教えを守ることは楽しくて、言われたことを守るというのがこれほどまでに楽しいことだと、私は初めて思ったのだ。 楽しくて、そして嬉しい。 神田のそれは、私のことを思ってのことだと感じられたからかな。 そしてリリアに対しては、私がいろいろ教えたのだ。 神田に言われたことや、日本語のこと。 リリアの家庭教師として、私はリリアの面倒を見ていたりもした。


……そういえば、その昔、成瀬に日本語が達者なことをツッコまれたときに咄嗟に「家庭教師をやっている」と言ったことを思い出した。 強ち嘘ではないが、八割は嘘かもしれない。 まぁ、あのときはここまで仲が良くなるとは考えていなかったから、ノーカンにしておく。 成瀬もきっと覚えてはいないだろうから。


「偉い偉い。 まーお前はほんっと真面目だからな。 んで、その真面目の方向が馬鹿すぎんだよ。 本題に入るぜ、クレア」


神田は笑っていたかと思うと、その雰囲気を一瞬で変える。 普段が能天気に見える分、こういう切り替わった瞬間は私も思わずそれに飲まれてしまう。 そして、表情が強張った私に構うことなく、神田は続けた。


「お前、何をしようとしている?」


「何をって……何も、ですよ」


嘘ではない。 私は何もしようとしていないし、できないのだ。 それが私の現状で、あるだけの事実。 だが、どうしてかそれは私に罪悪感を与えた。 嘘を吐いた気分になってしまった。


「言い方が悪かったか。 お前さ、どうなるつもりなんだ?」


それを言われ、私は神田の顔を見た。 もしや、私が抱えている事情を知っているのか?


だが、神田の顔からはそれが感じられない。 そこにあるのは、私に対する疑惑だ。 疑惑があるということは、事の真実は知らないのだ。


「どうもするつもりもないです。 というか、神田は何について言っているんですか?」


「さあ? けど、なんかそんな感じがするんだよ。 嫌な予感っつうか、嫌な気配っつうか……クレア、お前に何か起きてるんじゃないかってな」


「何もないですよ。 心配要りません」


「心配か。 なるほど、お前は俺の話を「心配している」って捉えたわけだ。 ってことはなんだ。 つまりお前はそれに心当たりがあるってことだよな」


……やりづらい。 西園寺とはまた違った意味で、やりづらい。 察しが良く、頭が回りすぎるのだ。 まるで尋問されているかのような感覚を受け、私は視線を逸らす。


「まぁいい。 クレアがこれ以上話したくないって思うなら、俺もこれ以上話そうとも思わねえ。 だけどよ、クレア」


神田は最後に、私の方に真っ直ぐ顔を向けて言う。 それを視界の隅で私は捉え、この場面では私も神田の顔を見るべきだと悟った。 だから、私も逸らしていた視線を元に戻す。


「何かあったら、誰かを頼れ。 お前は馬鹿で真っ直ぐで、そういうのうまくできねえと思うが、それでも気配り上手な奴らは周りに沢山居るだろ」


「そうかもしれませんが……そうかもですけど! 周りの人が私に気付かなかったら、意味がないじゃないですか!」


私は声を荒げて言う。 頼れない状況で無責任なことをとも思い、それすらも口に出しそうになった。 が、それを言っても仕方のないことだ。 それに、神田にこの状況は絶対にバレたくない。


「ん? なんで? やっぱ馬鹿だな、お前は。 そんときは気付くまで頑張れよ。 気付かれるように努力するんだよ。 そんくらいの頑張りもしない奴に、助けてもらう資格はねえ。 けどお前の場合は当然、もうそれくらいの頑張りはしているんだろうけどな」


その日、それ以上神田が私に何かを言うことはなかった。 私も私で、何かを言える状態でもなかった。


話を切り上げてくれたのは、神田の優しさだ。 優しさと、そして気配りだ。 神田はいつだって、そういう奴なのだ。 言っていることは正しくて、そうするのが絶対に正しくて、今この状況では神田が言った通りにするのが最善なのだろう。 神田は私が頑張りを既にしていると言った。 でも、それは勘違いだ。 そして。


今の私に、それだけのことを頑張れるとは思えなかった。

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