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俺とルールと彼女  作者: 幽々
呪いの世界
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クレア・ローランドの課題 【5】

「まったく、どれだけ疲れたんですか」


言いながら、私はリリアを背負い、夕暮れで赤く染まる街の中を歩く。 水族館を堪能した帰り道、その途中の電車でこうして寝てしまったのだから、放置していくわけにもいかない。 よって、私がこうしておぶりながら歩いているというわけだ。 少し、重くなったかな。 リリアも成長、しているんだな。 なんてこと思う。


リリアをこうしておぶるのは、随分と久し振りのこと。 最後は確か、孤児院で生活していたときのことだ。 育ちが育ちなだけに、孤児院の中ですら浮いていた私。 そして、リリアの生い立ちもまた複雑なものだった。


リリアには、親が居ない。 孤児院なのだから当たり前かもしれないが、リリアの場合は本当に親が居ない。 私はそれこそ、多少は覚えていたりする。 名前だって年齢だって分かるし、情報もあるのだ。 しかし、リリアはそれすら分からない。 両親の名前も、自分の名前も、生まれた日ですら分からない。


今こうして私が呼んでいる名前だって、孤児院で呼ばれていた名前をそのまま呼んでいるだけでしかない。 私は先ほど、自分が何者なのかと考えたが……リリアから見れば、名前も両親も、そして自分のことをある程度理解している分、マシだ。


これからきっと、リリアは歳を重ねる度に悩むことになる。 自分がなんなのかという疑問と、どうしてここに居るのかという疑問に。 それは避けられないもので、リリアが辿る運命なのかもしれない。


リリア・ローランド。 仮名。


生年月日。 四月二十八日。 孤児院から受け取られた日。


年齢不詳。 両親不明。 家族構成不明。


分かっているのは、性別と血液型だけ。 それが、今のリリア・ローランドの全てだ。




私とリリアが出会ったのは、私が施設に預けられたその日のことだ。 当時の私は人を殺すことのみ教えられ、それだけを目的に生きていたのだ。 だが、それが唐突に終わり、私は小さいながらも生きる目標というのを失っていた。 人を殺すというただひとつの目的を奪っていった奴らを恨みもした。 朝起きて、ご飯を食べ、ずっとぼーっとしている。 それしかなく、一瞬にして何をして生きれば良いのかが分からなくなっていた私。 誰かが歩けばその音に反応し、空を飛行機が通れば指先が震え、私以外が寝静まっているときは警戒してずっと耳を澄ます。 さながら戦地のような生活を送り、誰とも私は話さなかった。 これは私が居た部隊の教えで、自分が知らない人とは決して口を利くなというものだった。 腕を落とされても、足をもがれても、たとえどんな拷問を受けたとしても、決してひと言も話すなというものだ。


小さい頃、物心が付いたときに教え込まれたそれは、常識のように私の中に存在する。 何も知らない子供は、教えられたことをさながら機械のように行動に移すのだ。 一般兵よりも少年、少女兵の方が行動に移すまでのラグが存在しない。 理性、知性が乏しい彼、彼女たちは教えられたことこそが常識になる。 それはまさに、機械のように。 だから、私は部隊が壊滅してから施設で暮らしているこの日まで、誰とも口を利いていない。


そんな雰囲気を纏っていたのか、それとも事前にある程度は新しく入ってくる人間の情報は教えられるから、それを聞いて避けられたのか、恐らくは両者だけど……私に話しかけてくる変わり者は、居なかった。 ただ一人を除いて。


「あそぼー」


そう言って、私の袖を引っ張る子供。 子供と言ったが、多分六歳くらいだろうか。 そんな風に毎日懲りずに私を誘ってくる人が居た。 金色の髪で、青い目を持つ子供だ。 まるで鏡写しかのように、私とそっくりの見た目。 ドッペルゲンガーと言われたら、素直に信じてしまいそうだ。


きっと、この子も同じことを思ったのだろう。 だから、どれだけ無視をされても話しかけてくる。 こういう場所に来る子供は大抵が親に捨てられただとか、複雑な事情を抱えているらしいから……寂しいのか、この子は。 年齢が近く、かと言って大多数で群れを成していない私の元へとやって来たというわけか。


そのとき、私はまず最初に「弱いな」と思った。 この世には殺す側の人間と殺される側の人間が全てだと考えていた私は、間違いなくこの子は殺される側だと認識した。 だから、私は関わろうとしない。 戦う上で、弱い者を守るほど殺される確率は上がっていく。 守るべきものがあれば強いというが、あれは嘘だ。 ただの綺麗事だ。 人は何も守るものがないときこそ、戦えるのだ。 死を覚悟できるからこそ、人は強くなれるのだ。 足手まといはいらない、一人で戦うのがもっともやりやすい。


そんな考えに至ったのは、物心が付いてすぐのこと。 それがどれほど異常なことだったのか、今ならようやく分かる。 こんな平和に暮らし、こんな穏やかな毎日を送っている今だからこそ分かる。 今の私だからそれは言えることで、当時の私に思えというのは無理な話だ。


この子と私では、決して相容れることはできない。 当時の私はそう思い、そう理解した。 だから私は反応を示さない。 危害を加えられない限り、無反応を貫き通そうと思った。


「遊ばないの?」


「……」


目を合わせず、空気として扱う。 それが現状の最善策。 どの道、この施設はいずれ逃げ出そうと考えているのだ。 まだこの世界のどこかに、私が本来の私で居られる場所があるはずだから。 もしも懐かれてしまえば、そのときに面倒なことになるだけでしかない。 ただ一点を見つめ、反応せず。 一秒、十秒、一分、十分、一時間、二時間、三時間。


毎日がそれの繰り返しだ。 かつての私を「殺し合うこと」が日常だったと表現するなら、そのときの私は「ぼーっとすること」が日常だった。 そしてそんな日々が意外なことに、気に入り始めていた。 ここの人たちは全員、大なり小なり傷を負っている。 目に見える傷ではなく、目に見えない治療不可能な傷だ。 そんな仲間とも呼べる人たちを見ていると、自分は大して可哀想な奴ではないと認識できる。 言わば傷の舐めあいで、言わば優越感にも似た感情。 そんな最低なことを平然とできてしまう私はやはり、どこかがおかしかったのだろう。


「名前はなんて言うの?」


「……」


毎日毎日、その子は懲りずに私に話しかけてきた。 どれだけ無視されようとも、まるで人形相手に話しているように。 数十分それを続け、そして私の前から去っていく。 それはもう、日課になっていた。


日課は日課。 いつかは終わるものである。 延々と続く日課なんて、絶対に存在しない。 日々の課題は些細な切っ掛けで終わるのだ。 たとえば目的を果たしたとき。 たとえば必要がなくなったとき。 たとえばそれをできなくなったとき。


だから終わる。 私の日課が、だ。


「クレアちゃん、ちょっと良い?」


私を呼び出したのは、その孤児院の職員だった。 顔をそちらに向けると、立っていたのは二十代前半ほどの女性だ。 職員にはもっと年配も、男の人も居るが……敢えてこの人ということは、年齢が近いから話しやすさを重視したのだろう。 よって、内容はそこまで軽い内容ではなさそう。 重く、話しづらいことだからこその人選だ。


まぁ、そこまで考えたところで私に拒否権はない。 ここでの上の人間は職員で、私たち孤児は下の者でしかない。 拒否する理由も権限も、今の私は持ち合わせていない。


「……」


返事をせずに、立ち上がる。 上の者という認識はあれど、知らない人間だ。 話す必要性を感じなかった。


「クレアちゃん、ここはどう? もう馴染めたかな?」


馴染めたか、馴染めてないかで言えばどちらになるのだろうか。 孤児院という施設、建物、過ごし方、それらには馴染めたが、ここで暮らしている人たちには馴染めない。 甘い考えと甘い生き方、私にはそうしている人たちにしか見えないのだから。 馴染むつもりも、きっとなかった。


だから私は何も答えない。 私が居るべき場所はここではなく、もっと違う場所にあるのだから。 そう思い、私は職員の顔を見た。


「喋らない……か。 クレアちゃん、私にはあなたがどれだけ過酷な日々を送っていたのか分からない。 でもね、今クレアちゃんはここに居て、私もここに居る。 それは分かる?」


その言葉は、ハッキリと覚えている。 ニュアンスも、どういう場面でどういう風に言ったのかも、一字一句、鮮明に覚えている。


……それだけ、嬉しかったんだと思う。 今まで駒としてでしか動いていなかった私が、初めて自分の場所というのを教えられた気がして、嬉しかったんだ。


「まだすこーし難しいかもね。 とりあえずほら、座って座って」


その人が入っていった部屋は、応接間のような部屋だった。 ソファーが二つ置いてあり、それに挟まれて置かれるガラステーブル。 壁にあるブラインドからは外が見えるのだろう。 今は閉められているが、きっとそうだ。


「何か食べる? お菓子、あるけど……ってクレアちゃん? だ、大丈夫!?」


ソファーへ腰をかけようと、私はその室内の中を歩いていた。 が、その途中で職員の人は慌てて私に駆け寄る。 いきなりのことで、不審に思いつつ、その職員が何をするのか私はただただ見ていた。 危害を加えてくることはない、ならば、何を思って私に近づいてきたのかが知りたい。


「あ、え、えっと……ど、どうしたの? クレアちゃん、どこかぶつけた?」


先ほどまでは大人びた女性という雰囲気の人だったが、この慌てようを見る限りそれは必死に取り繕った姿なのかもしれない。 誰かが助けに来ないか、それを期待しているかのように視線を彷徨わせている。 ただでさえ職員数が少ないここで、そんな偶然は起きないというのに。


……けど、それにしてもこの人はどうしてここまで慌てているのだろうか? そしてその切っ掛けは恐らく私だから、私は一体何をしたのだろう? ただ、部屋の中を歩いていただけなのに。


「とっ! とりあえず! とりあえずほら、これで拭いて!」


言い、その人はハンカチを私に差し出す。 拭いて、と言うのはなにか。 ひょっとして、私が気付かない間にどこかを汚してしまったのか。 それで慌てて、それで私にハンカチを差し出した?


確かにそれは理に適った行動ではあるけど、一応私は保護されてる側の人間だ。 それくらいの認識は一応ある。 一応。 そういう人間に対して、拭けと命令しているということか。 ここでの立場はこの目の前に居る女の人の方が上だから、私はそれに従いはするけど。


そんなことを私は思い、そのハンカチを受け取る。 受け取って、固まった。


……別に拭くのは構わない。 しかし、どこを拭けば良いのか皆目見当が付かない。 床か、それとも壁か、それとも窓か、それとも室内に入るときに触れたドアノブか。 さて、どこを拭けば良いのだろう。 この人にそれを問えばすぐに答えてくれるだろうが、私は生憎話す気はない。 この人は確かに職員で、私を保護してくれているが、見ず知らずの他人だ。 他人とは口を利くな、それを破るつもりは今のところなかった。


「く、クレアちゃん? ほら、早くお顔を拭かないと」


顔。


顔?


「……なんで」


ここへ来て、初めて口にした言葉はそれだった。 私はそれを言われて初めて理解したのだ。 言われ、顔に触れ、理解したのだ。


私は一体、いつ、泣いたのだろうか。 どうして泣いたのだろうか。 そもそも、何を思って泣いたのだろうか。 分からない、この感情の正体が、不明だ。


ここに来るまでのことを真っ先に考えた。 この施設にではなく、この部屋にだ。 この部屋に来るまでの間、私はこの人と話をしていた。 何か、大切な話と思われることをしようとしているこの人との話。


ああ……分かった。 この感情は良く分からないけど、理由は分かった。 泣いたのはきっと、部屋に入る直前だ。 泣いた切っ掛けは、私がここに居るということを理解したからだ。


私の居場所があると、教えられたからだ。

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