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俺とルールと彼女  作者: 幽々
呪いの世界
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クレア・ローランドの課題 【4】

それから、私とリリアは駅前のベーカリーショップへ行った。 そこでそれぞれ数個のパンを買い、近くにあった公園へと行く。


「好きですね、それ」


「うぃ。 甘いのは好きだから」


パンを食べるとき、リリアは決まってメロンパンを食べる。 逆に私が決まって食べるのはカレーパンだ。 その理由を聞かれたら、きっと私は「辛いのは好きだから」と答えると思う。 だから、リリアの今の返事は少し面白かった。


「おねえ、何かあったの?」


「へ? 何もないですよ、何も」


リリアが唐突にそんな話題を出すものだから、慌ててパンを落とすところだった。 落としていたらリリアから奪っているところだったから、セーフ。


それにしても、リリアは妙に勘が鋭くて困る。 こと私に関しては……ですけど。


「今日は良い天気ですね」


この話題は避けるべき。 そう直感が告げ、私は別の話題へとすり替える。 リリアは特に不自然さを感じなかったのか、私の言葉へとすぐに答えた。


「うん。 暖かくて気持ちいい」


春が来るのを実感させる。 もう、満喫できることはないだろうけど。 それでも、こうして少しは実感できたのは良いことだ。 暖かく、風の匂いが春を知らせている。 花の匂い、街の匂いは冬から春へと移り変わる。


私がいくら立ち止まっても、時間は止まらない。 道行く人がどんどんと変わっていくように、太陽が少しずつ動いているように、雲が流れていくように。 同じ瞬間というのは、絶対にもう訪れないのだ。 そんなことを思い、リリアの方へと顔を向ける。


「ふはは! 群がるが良い我が下僕たちよ!」


またしても別の人格というのが現れたのか、リリアはパンを小さくちぎり、鳩に与えている。 そんなリリアを見たらなんだか馬鹿らしく、くだらなく、笑えてきてしまう。 悩んでいたり、物思いに耽ったり、そういうのが無駄に思えて仕方ない。


それに。 それにだ。 私が真っ先に話すべき相手というのは多分、リリアだ。 いつでも私を慕い、私と一緒に歩いてきてくれた彼女にこそ、本当のことは話せずとも、しっかり話すべきなのではないだろうか。


「リリア、折角ですしどこか行きたいところってありますか? どこでも連れて行ってあげますよ」


「ほんと!? あ、でも……おねえ、お散歩って」


「気が変わりました。 リリア、行きたいところは? 五秒以内に答えれば連れて行きます。 いち、にー、さん」


「あ! え、え、えっと! あー! す、水族館! 水族館に行きたい!」


「ふふ、分かりました。 では、行きましょうか」


「……本当に!? やったぁ!」


気分転換、というほどではない。 この気分を変えるつもりがそもそもないから、気分転換というよりかは気まぐれと言った方が正しいだろう。 それにリリアに対して何かしてあげたいというのは、本当のところだ。


「おねえ、お金大丈夫?」


「心配ありません、趣味とか皆無なので」


神田が経営する喫茶店。 そこで皿洗いや掃除、買出しなどのお手伝い的なバイトをして得られる収入は結構ある。 神田自体がそもそも遊び人……と言ったらあれですけど、喫茶店自体は趣味でやっていて、だから私もあそこでは気楽に働けていたり。 ほとんどの時間、椅子に座って飲み物を飲みながらテレビを見ているだけですけどね。


そのおかげもあり、お金は意外と貯まっている。 遊ぶときも大体はお金のかからないことだし、お金を使うことだって殆どない。 私のアピールポイント、お金のかからない女子。


「よし、それじゃあリリア、丁度駅の近くですし、電車に乗っていきますか。 ここからなら、三十分ほどあれば行けますしね」


「うぃ!」


楽しそうに笑い、まさに満面の笑みといった感じのリリア。 ここまで嬉しそうにしてくれるのなら、もっと早く誘っておけば良かったかもしれない。 そんなことを思いながら、リリアの頭を撫でる。 すると、リリアは今よりも更に笑ってくれた。


「でもおねえ、わたくし水族館に行ったことない……。 だから、どんなところかちょっと怖い」


「だーいじょうぶですって。 私も行ったことないですから」


リリアを安心させるつもりで、私は笑って言う。 が、どうやらそれは逆にリリアを不安にさせる言葉だったようで、さっきまでの笑顔は綺麗さっぱり消えてなくなるのだった。




「ええっと……」


「おねえ、本当に大丈夫?」


「問題ありません……多分」


携帯で調べた場所の通り、最寄り駅と表示されていた通り、そして駅からの歩き方と書いてあった通りに私は歩いているはず。 だから別に迷子になっているわけではない。 断じて、迷子ではない。


「えっと……ここをこう歩いてきて……今はここですから……次はあっち……ですかね」


「うー、なんだか心配。 少し見せて」


「はぁ。 別に良いですけど、リリアが見たところで分かるわけがないと思いますよ」


だって、私で分からないのだ。 私よりもずっと年下のリリアに分かるわけがない。 ここでもしもリリアがすぐに理解してしまったら、私の立場というものが。


「あ、分かった。 おねえ、こっち」


「へ? あ、だ、駄目ですよ走ったら! 転びますよ!」


……そしてどうやら、私の立場はなかったようだ。 リリアに付いていくこと数分、見事に目の前には巨大なモール型の建物。 そしてその建物にはでかでかと看板が付いていて、そこには水族館の文字があった。


方向音痴ということには多少の自覚はあったけど、ここまでとは。 成瀬がいつか呆れたようなことを言っていたのを思い出す。 あのときは確か……。


あ、いや、駄目だ。 もう、私は覚えていないんだ。 ことあるごとに思い出してはそう言い聞かせ、私は忘れることができるのかと心配になってくる。 でも、たとえそれが忘れられなかったとしても。 あと一週間と少しで全てが終わる。 そんな簡単に忘れられることではないし、忘れられるくらいの気持ちでもない。 だから、私は最後の最後までこうして繰り返し、思い出すかもしれない。 だけど、それもあと少しの我慢だ。 もう少しだけ我慢すれば、楽になれる。


「おねえ?」


「……え? あ、なんですか?」


「早く行こうって。 おねえ、やっぱりなんだか変」


「気のせいですよ、気のせい。 ほら、行きましょうか」


尚も不審がるリリアの手を取り、私は歩く。 ここは海が近いのか、水族館があるからある程度は近くに海があるのは当然かもしれないけど、どこからか風に乗せられて飛んでくる海の匂いはちょっとだけ心地良いものだった。




「わー!」


「ふふ、楽しいですか?」


目の前にある巨大な水槽を見て、感嘆の声を漏らすリリアに聞く。 聞かずともなんて答えるかは分かっていたが、聞きたかった。 リリアの口からそれを直接聞くことができれば、多少の恩を返せたのだと私が感じられるからだろう。


「うん、楽しい! おねえ、おねえあれはなに?」


そう言い、リリアはその水槽の一角を指さす。 釣られてそちらに視線を向けると、そこには背びれを持った魚が泳いでいた。


「サメですよ、サメ。 初めてですか?」


「うん、初めて。 テレビでしか見たことない」


……そう言われると、確かに私も初めてかもしれない。 テレビでこそ見たことはあるが、生でこうして泳いでいる姿を見るのは初めてだ。 思えば、そんなことがここには沢山ある。 情報として頭に入ってはいるものの、実際に見て、直面して分かることが。 この目の前に居るサメに関して言えば、どうやって泳いでいるかとか、どうやって食事をしているかとか。 そういう風に、実際に見て体験してみないと分からないことは沢山あるんだ。


それはきっと、水族館に限った話ではない。 いろんなことに、いろんな動きがある。 また思い出してしまうが、成瀬は前に「俺は情報とかそういうのはわりと頭に入れているけど、それでも実際に直面するとそれが役に立たないこともある」と言っていたことがある。 成瀬は情報を持っていて、西園寺は成瀬が言うところの気持ちを持っていて。 柊木に関して言えば、彼女が持っているのはひたむきさと誠実さになるのだろう。


だったら、私はなんなのだろうか。 私が持っているものとは、なんだろう。


力強さ? 体力の多さ? 動きの軽快さ? 人の考えが読めること?


それらは全て、小さいころのアレがあったからに過ぎない。 だとしたら、アレがあったからこその私ということ。 そして、アレがもしもなかったら。


……私が持っている物とは、一体なんなのだろうか。 クレア・ローランドとは、一体何を持って何を大切にし何を目指しているのだろうか。


それが今、分からない。 全くと言って良いほどに分からない。 暗闇の中、小さな小さなパズルのピースを探しているような気分だ。 その大きさも、探している場所の広さも、形も、何もかもが分からず、手探りの状態で。


「おーねーえー」


「あ……っと。 ごめんなさい、ちょっと考え事をしてました。 どうかしましたか?」


「次の場所! 違うのもみたい」


「はいはい、時間は沢山ありますし、ゆっくりで良いじゃないですか。 なんなら、明日も来て良いくらいですよ」


時間を使うべき相手は今、リリアともう一人くらいしかいない。 だから、リリアが満足し、もう良いというまで私は付き合うつもりだ。 一週間と少し、今日を入れたら十日もあるのだから、その半分である五日間は使って良いんだ。


「明日も!? ひひ、ほんとーに!? おねえ、なんだか優しすぎて怖いけど!」


「普段の私はどんだけ酷いんですか……。 たまにはですよ、たまには。 もうこんな優しいことは一生ありませんからね?」


「えー! でも、おねえがそう言うときはまたあるから大丈夫。 ね?」


リリアのその言葉に、私は返事をしない。 ただただ笑い、ただただ頭を撫でるだけだった。

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