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俺とルールと彼女  作者: 幽々
ループの世界
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七月七日【4】

「……成瀬(なるせ)くん。 成瀬くん、今の言葉は、取り消して」


初めて見たかもしれない。 西園寺(さいおんじ)さんが本気で怒っているところは。 けれど、それも無理はないか。 必死に今まで頑張っていたことをたったひと言で否定されたのだから。


「取り消さない。 それが事実だよ」


その言葉に、西園寺さんは顔を俺の方へと向け、キッと睨みつける。 普段がほわわんとした雰囲気と性格なだけあり、迫力は相当なものだ。


「いくら成瀬くんでも、許さないよ」


「別に許して欲しいとは思ってないよ。 西園寺さんがしていることは、やろうとしていることは無駄なことなんだ。 絶対に決まった事実を変えることはできないんだよ」


決まっている未来を変えることは、できやしない。 それは俺も西園寺さんも分かっているはずだ。 西園寺さんなんて特に、三十八回もそれを経験しているはずだ。


俺や西園寺さんのような、知っている側の人間がいくら変えようと思ったって、変えられることなんてのは本当に小さなことだけで、そんな小さなことにも精一杯頑張らなければ変えられない。


一人の人間の言動や行動を変えるだけでもかなりの労力を割かなければならないのに、西園寺さんがやろうとしているそれは、一人の人間の命を救うということだ。 それにはきっと、何百年という時間が必要になる。 とてもじゃないが、全てがリセットされてしまう一ヶ月では不可能としか思えない。


「……でも、ループのことを聞いちゃった人は死んじゃうんだよ。 そうやって死なせてしまうことができるなら、助けることだって」


「違う」


西園寺さんの言っていることは、一見正しいようにも思える。 けど、全然違うんだ。


「それはあくまでも、俺たちのせいで人が死ぬってことだ。 それで西園寺さんの母親は、俺たちになんの関係もない原因が切っ掛けで死ぬんだ。 だから、それを変えることはできない」


とは言っても、西園寺さんがそれを受け入れることができるとは思っていない。 俺も同様に親が死ぬのを諦めろと言われたら、今の西園寺さんのように怒っているだろうしな。


だからやっぱり、今日は最悪な日だ。 きっとこれが原因で、俺は西園寺さんと話すことだってもうなくなってしまうだろうから。


失うと分かって、なくなってしまうと気付いて、やっとその大事さに気付くだなんて、俺も随分間抜けだよ。 でも、それが西園寺さんの味方でいる一番の方法だ。 恨まれてもいい、憎まれてもいい、西園寺さんに現実を教えてあげるのが、俺の役目なのだとしたら……それで良いんだ。


「どうして、成瀬くんはそんなに酷いことを言うの? わたしは、ただお母さんを助けたいの。 助けて、夏休みに旅行に行く約束もしてて。 お買い物に行く約束もしてて、それをただ、叶えたくて……」


西園寺さんの言葉を聞くのは、とても辛かった。 だけど、それを聞かないのは少し無責任すぎる。 俺が蒔いた種で、俺が作り上げた現在(いま)なのだから。 だから目を逸らさずに西園寺さんと向き合わなければならない。


「一緒にテレビを見たりして……一緒に、ご飯も食べて。 お話も、したりして、それで……わたしは」


西園寺さんは最後まで言う前に、涙を零す。 ぽたりぽたりと、大粒の涙を。 その涙は乾いた地面へとぶつかり、消えていく。


「……無理なんだよ。 西園寺さん」


その言葉を受けて、西園寺さんは再び俺のことを睨む。 そして今度はそれだけに留まらず、俺との距離を詰めてきた。


いつもならここで俺が引いている場面だが、今日はそれをしては駄目だ。 しっかりと向き合って、しっかりと西園寺さんの言葉と気持ちを受け止めるしか選択はない。


果たして、俺がその役目をして良いのか分からないけどな。


「……成瀬くんなんて、成瀬くんなんて!!」


言いながら、西園寺さんは右手を振り上げる。 そしてそのまま俺の顔をしっかりと睨んで。


……俺はそのとき、西園寺さんの顔を見続けていた。 叩かれようとも、そのまま視線をずらすつもりはなかった。


「うっ……うう」


しかし、西園寺さんは俺の顔を見ながら、涙をぽろぽろと零す。 その顔はとても、俺なんかでは計り知れないほどに辛そうで。


「……無理、だよ。 成瀬くん、わたしには成瀬くんを叩くなんて、できない。 お友達を叩くなんて、できないよ」


甘く、見ていた。


俺は西園寺夢花(ゆめか)という一人の少女を少し、甘く見すぎていた。


今日この日、俺は西園寺さんとは今後付き合いがなくなるつもりで、物を言ったのだ。 それが酷いことを言う俺が自分自身に課した責任でもある。 そして絶対に、確実にそんな結末になると思って、俺は言ったのに。


なのに、西園寺さんは俺を叩かない。 俺のことを叩くことなんてできないと、友達を叩くことはできないと、そう言って。


この少女は、人を傷付けることができないんだ。 誰も傷付けない代わりに、自分自身を傷付けているんだ。 他人に対する負の感情を押さえ付けて、自分自身に向かわせているんだ。


「成瀬くんとはやっぱり、お友達で居たいよ……わたし」


「……」


馬鹿なのは、俺か。 こんなにも優しく笑う人が、こんなにも人を傷付けない人が、居るなんて。 なんにも予想していなかった。 なんにも考えて居なかった。 西園寺さんがそこまで人を想える人だってことを何一つ、俺は計算していなかったんだ。 今日の流れも考えも、俺がそうなるだろうと予想していた結末も、計算も。


――――――――――その瞬間、全てがひっくり返された。


「俺は」


西園寺さんは、振り上げた手をそのまま降ろし、自らの手で掴む。 笑いながらも泣きそうになっている表情で。


本当に、俺は西園寺さんの何を見ていたのだろう? その本質を見ようとせず、俺が見ていたのはきっと……俺にとって都合の良い部分だけじゃないのか?


人の気持ちは分からない。 俺はいつだって、分かった振りをしているだけで、分かっていない。 西園寺さんの気持ちなんてこれっぽっちも、俺は分かっていなかった。


「……ああくそ!! マジで最悪だッ!! 西園寺さん、ちょっとごめん!!」


俺は言うと、西園寺さんが先程まで振り上げていた右手を掴む。 そんないきなりの行動で、西園寺さんは驚いて「ひっ」と、小さな悲鳴をあげていた。 俺がおかしくなったとでも思ってるのだとしたら、大体正解ってところか。


「西園寺さん、そのまま拳作って、拳」


「え? こ、拳? こうかな?」


言われた通りに、西園寺さんは俺に掴まれている右手で拳を作る。 よし、完璧だ。 素直な西園寺さんだ。


「あぁあああああ!! 俺の馬鹿野郎ッッッ!!」


そしてそのまま、俺は西園寺さんの手を使って、俺の顔を思いっきり殴り付ける。


「な、成瀬くん!? 何してるの!?」


「いってえ! 結構痛いぞこれ!? 待って、血出てない?」


……想像以上に痛かった。 西園寺さんの拳、硬すぎだろ。 バキッていったぞ。 バキッて。


「血……は大丈夫だけど。 そ、それよりなんで!?」


何が起きたのか理解できないのか、西園寺さんはあたふたと慌て始める。 さっきまで怒っていた相手をこうも心配できるとは……さすがというか、なんというか。


「……殴られないと、気が済まなかったから。 俺、西園寺さんのことちょっと勘違いしてた」


「わ、わたしもだよ。 成瀬くんが、まさか自分を殴る人だったなんて」


いや待て、そういう意味じゃない。 俺がまるで変態みたいだろそれだと。 訂正して欲しい今すぐに。


「は、はは……あはは! あーくそ、ほんっとに馬鹿だ俺」


「……成瀬くんがおかしくなっちゃった」


だから、そうじゃないんだって。 そうじゃないんだけど、駄目だ。 笑えて笑えて、おかしくておかしくて仕方ない。 慌てながら、驚きながら、右往左往している西園寺さんが本当に面白くて。


こんなに純粋で、真っ直ぐで、綺麗な人を俺は見たことがないって、そう伝えたいのに。


どうにもそれは、言葉にするのが難しい。


「……とりあえず、さっきの件は謝るよ。 本当に、申し訳ない」


俺は言い、西園寺さんに頭を下げる。 誠心誠意、心から。 それが伝わるかどうかなんてのは分からないけど、そうしたかったんだ。


「え……っと。 ううん、わたしも……わたしも悪かったよ。 成瀬くんが言っていたことは、正しいはずなのに。 わたしは受け入れるのが嫌で、嫌で……」


「……ああ、そうだよな。 それが普通で、当たり前なんだ」


心のどこかで、俺は西園寺さんに諦めて欲しかったのかもしれない。 それで、二人でそれを乗り越えて八月を迎えたかったのかもしれない。


でも、それはきっと不正解だった。 俺にはどうにも、人の心まで考えることができやしない。 それは西園寺さんの分野であって、俺の分野ではないだろうし。


今回でいえば、正解はないんだ。 そして同時にそれが、正解なのかもしれないな。




「……わたし、どうしたら良いのかな」


幾分か落ち着いたあと、花壇の端に俺と西園寺さんは並んで座っていた。 この場所は丁度木陰になっていて、風が気持ち良い。 横で空を見上げている西園寺さんは、独り言なのか、それとも俺に向けて言ったのか、そう口を開いた。


どうしたら良いか……難しい質問だ。 けど、物事を簡単に考えれば。 もっと単純に、分かりやすく考えれば……答えがないわけではない。


「俺に一つ、考えがある。 良い方法じゃないし、最悪の方法かもしれない。 それでも良いならだけど」


「あはは、聞こうかな。 成瀬くんの案はいつだって、最高だから」


今回に限ってはどうだかな。 少なくとも俺としては、最悪の方法だよ。


「西園寺さんの母親の死を受け入れるんじゃなくて、もっと違うものを受け入れるんだ」


「……違うもの?」


首を傾げて、西園寺さんは俺の方を見る。 そして俺はそんな西園寺さんの顔を見て、答えた。


「このループを受け入れるんだ。 延々に繰り返す七月を受け入れるんだよ」


それは、ある意味で諦め。 ある意味ではこの状況に追い込んできた何者かに負けを認めることになる。 それがどうにも癪ではあるが、それだけだ。 西園寺さんが母親の死を受け入れ、乗り越えようとして傷付くくらいならば……俺はもう、それでも良い。


「……確かに、最悪な方法かもね」


だろうな。 俺もそう思うよ。


「でも、成瀬くん」


西園寺さんは言うと、立ち上がる。 そのまま俺の目の前へ回り込み、俺の手を掴んで口を開いた。


「わたしにとっては、やっぱり最高の方法かもしれないよ。 えへへ」


「……んじゃ、決定だな」


負けを認めよう。 諦めたことを認めよう。 この世には様々なルールがあるが、それを全て守らなければいけないなんてルールは存在しないんだ。


このループ世界でいえば、絶対的なルールは『世界の脱出』だ。 それが前提で作られていて、それが前提であの『手紙』は恐らく届いている。 ならば、そのルールを破ってみよう。


良いじゃないか、別に。 歳を取らなければ寿命で死ぬこともない。 それに季節は夏だ、イベントも盛り沢山だしな。 もう冬を迎えられないってのは少し悲しいけど。


でも、西園寺夢花という友達を失うのは嫌なんだ。 俺がいくら酷いことを言っても、この少女は平気で歩み寄ってくるから。 そうされてしまってはもう、俺はそれを振り払うことなんてのはできないんだ。


「あ、最後に一つだけ、聞きたいんだけど……良いかな?」


西園寺さんは俺の手を握ったまま、言う。 それに対して俺はすぐに頷いた。


「成瀬くんは、わたしが嘘を吐いたことに怒らないの?」


……なんだ、そんな質問か。 いやまぁ、もしかしたらそれを聞かれるかとも思って、一応の保険は作っておいたんだけども。


「怒らないよ。 俺だって今日、西園寺さんには嘘を吐いているし」


「へ? 今日?」


くだらない、とてもくだらない嘘を一つ……俺は吐いている。 西園寺さんはきっと、そんなことは忘れているだろう。 でもさ、俺は覚えているんだよ。


「朝。 十一時が集合の時間だったって言う西園寺さんに対して、俺は十一時半だって言っただろ? それだよ」


「……へ?」


西園寺さんは一瞬呆気に取られ、すぐ続ける。


「そっか。 えへへ、そうなんだ」


他愛のない、冗談とも取れる嘘。 だけど俺はあのとき、明確に「嘘だ」と言っておいた。 だからこれで、おあいこってことにしておこう。


「それじゃ、なんか時間が一気にいっぱいできたし……まずは何をしようか」


「うーん……とりあえず、夏休みの予定を立てよ! どこに遊びに行きたい? 成瀬くん」


随分と気が早いな。 まだ二週間以上あるのに。 それに俺たちにある夏休みって、ほんの一週間程度でしかないのに。


「どこでも良いかな……あ」


「ん? どうしたの?」


「あ、いや。 そういや、言い忘れてたなって思って」


「……なんだろ?」


今日じゃなければ、伝えられない言葉。 そして、また一ヶ月後に伝えることになるであろう、そんな言葉。


「誕生日おめでとう、西園寺さん」


俺がそう言ったとき、西園寺さんがどんな表情をしたのかは、内緒にしておくとしよう。

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