柊木雀の課題 【17】
「わ、本当に良いところだね」
柊木が連れてきてくれたそこには、西園寺さんが言うとおりに綺麗な桜が花を咲かせていた。 周囲を囲まれるように咲き誇る花々は幻想的に感じられ、少し気を抜けば自分が夢を見ているのではとでも思えるような光景だ。 表現が大袈裟かもしれないが、それが俺の得た感覚で、恐らくそれはエレナも西園寺さんも一緒だった。
そして、どうやらここは秘密の場所ということらしく、辺りに人はいない。 柊木自身のみ……いや、柊木とその妹だけが知る場所。 そこに今日この日、柊木が俺たちを連れてきてくれたということは。
情報ってのはやっぱり大切だ。 事実だけを見たら、柊木が俺たち三人を桜が見れる場所へと連れてきた。 ただそれだけのことでしかない。 だが、その内容はまったく違って思えてくるのだ。 柊木は大切な妹と自分しか知らない場所へ俺たち三人を連れてきた。 そう言い換えるだけで、思えることは全く違う。 だから俺はやっぱり思う。 事実だけを見るのではなく、その事実に辿り着く前での情報ってのは大切なのだと。 こと人間関係に関してはだ。 そういったことをこの一年、俺は身に染みて感じている。
「ありがとな、柊木」
「……私は別に。 ただ、手頃な場所がここだというだけだ」
俺が素直にお礼を言っても、柊木は素っ気なくそう返す。 その反応が少しだけ面白く、俺は続ける。
「けどさ、柊木が俺たちのことを少しでも認めてくれたからだろ? まぁでも、俺はわりと前からお前のことは認めているけど」
具体的に言えば、新年祭のときだ。 あの一連の事件で、俺はこいつのことを認めている。 真面目で真っ直ぐで、誰よりも誠実であるこいつのことを。 正義感を持ち、責任感を持ち、一人でも進める力を持った柊木という奴のことを。
「……ッ!」
すると、柊木が裏拳を俺に放ってきた。 何故か反応できた俺は、頬を掠めたそれを冷や汗を垂らしながら見る。 いやマジいきなりなにしてんのこいつ。 俺が反応できなかったら、確実にジャストミートしていた位置とか怖すぎる。
「あっぶねえな! いきなり暴力とかあいつが乗り移ってんのか!?」
「お前が妙なことを言うからだろうが! 素直に褒めるな気持ち悪い。 気味が悪い。 いっそ死んで詫びろ」
「それが友達に向けて言う言葉か……。 さっきの言葉撤回しようかな」
「……しなくても良いだろう、別に」
そんなやり取りをする俺と柊木のことを笑って眺めるのは西園寺さん。 だが、その横に居たエレナは何かを言いたそうにこちらを見ている。 既に敷き終えたシートの上にちょこんと座るエレナは、どうにもどこか小動物っぽさが感じられた。
「どうかしたか? エレナ」
「……いえ、大丈夫です。 それより皆さん、わたくしお昼ご飯を作ってきましたので、食べましょう」
エレナは俺の言葉ににっこりと笑って言うと、持ってきていたバッグから箱を取り出す。 エレナ的にはここでみんなの喜ぶ顔が見れるとか思っているのかもしれないがな。 残念ながら俺は喜ぶなんてことはしない。 というかこれぞまさしく冥土の土産か。 どうやら俺たち三人の命日は今日ということになりそうだな。 弁当を出すっていうそれだけの動作でここまでの恐怖を感じたことはこれが初である。 その弁当箱の中に入っているのは希望か災厄か。 現代版、パンドラの箱ですね。
「わたくし、一生懸命作りましたので! 陽夢様、食べて頂けますか?」
「それって俺からじゃないと駄目なのか……? 罰ゲームじゃないよね?」
「はい、西園寺様と柊木様には悪いのかもしれませんが、わたくしとしてはやはり、初めては陽夢様と決めておりまして……」
「おい」
言い、俺はエレナの頭を軽く小突く。 エレナは小さな悲鳴を漏らし、その小突かれた部分を押さえていた。 というかな、まずなんだその誤解を招きそうな言い方は。 怒られるぞ、いろいろと。
「えへへ、成瀬くん良いな。 わたしも最初が良かったよ」
「ああ、まったくだな。 だが、エレナが言うならば仕方ないだろう。 成瀬、諦めろ」
西園寺さんは本気で言っており、柊木は悪意が込められている。 そんなのは手に取るように分かる俺だが、西園寺さんには是非とも譲ってあげたいものだ。
まぁ……ここで俺が譲るといっても、西園寺さんの謎理論で強制的に従わされる可能性が高い。 これはあれだ、あの夏の再来だ。 西園寺さんにかかれば、ギブアンドギブもテイクアンドテイクへとなるのだ。 両者が得をする方法から両者が損をする方法へ。 これが西園寺ルール。 良く言えば芯が通っていると言えるが、悪く言えば柔軟性がないってとこだな。 西園寺ルール恐るべし。
「分かったよ、俺が毒味する。 けど、西園寺さんも柊木も俺がどんな目に遭おうが絶対に食えよ。 絶対だぞ、分かったな?」
「そこまで念を押されると本当に危なそうだな……。 だけど分かったよ、折角作ってきてくれた物を粗末にする方が失礼だしな」
「わたしは言われなくても。 楽しみだったんだ、エレナちゃんのお料理」
危機感を持っている柊木と、危機感が皆無な西園寺さん。 ま、二人とも食べると言っただけ良しとしよう。 さて、問題はその食べるという自殺行為を一番最初に俺がしなければならないということだが。 エレナ曰く「初めては陽夢様と決めておりまして」と言われてしまったわけだが。 だから俺は食べなければならないわけだが! なんか心なしか既に体調悪くなってきちゃったよ!
「では、陽夢様」
エレナは言い、自身の横を叩く。 ここへ座れという仕草だ。 それを見て俺は西園寺さんと柊木に視線を向けるも、二人は特に何かを言うわけではない。 むしろその逆、早くしろと言っているようにも見える。 逃げの選択肢は既に潰された。 そして残る道はひとつのみ。 そろそろ俺も腹をくくるべきなのかもしれない。 いや、腹というか首を括るか。 物理的に。
「……よし」
自分自身を奮い立たせるように俺は言い、エレナの横へと腰をかけた。 見るエレナの顔はとても嬉しそうで、その光景だけ見れば俺も幸せを感じなくもない。 が、問題となるのは状況だ。 その幸せな光景にエレナの手料理というただひとつの出来事、ただひとつのパンドラの箱が追加されるだけで、それは幸せから不幸せへとなるのだ。 たった一個でどん底へ叩き落とすその才能はもっと別のことに活かして欲しい。
「少々、見栄えは悪いかもしれませんが……」
エレナは言い、弁当箱の蓋へ手を掛ける。 絶対少々どころの話じゃねえだろこれ。 少々じゃなくて大々だ。 大々見栄えは悪い。 代々見栄えが悪いんだろうな、エレナの血筋は。
なんて失礼なことを考えていた俺の目に、予期せぬ事態が映った。 いや、本当にこれはまったく計算外と言うべきか予想外と言うべきか、ごくごく単純に分かりやすく言ってしまえばこうだ。
「普通……?」
エレナが作ったというその弁当は、とてつもなく普通の弁当だった。 通常ならばその言葉は褒めているとはとても言えたものではないが、この状況ではそれはまったく異なる。 重要なのは、エレナが作った弁当が普通だったということで。
「うふふ、驚きましたか? これでもわたくし、頑張っているんですよ!」
と、エレナは声を大にして言う。 ふむ……確かに見た目はそうだ。 仮にこれが本当にエレナが作った物ならば、俺は素直に褒め称えてやりたい。 だって前のアレに比べたら天と地の差、雪と墨と言っても良いレベルである。
「まぁ、これなら」
「ええ、どれから食べますか?」
エレナは俺に弁当箱を差し出す。 中には色とりどりの食材が入っており、それはどれも普通に美味しそうだ。 唐揚げ、玉子焼き、ミニトマト、ブロッコリー、うずらの卵、などなど定番的な物はひと通り抑えてある。 それとは別に白米。 どちらかというとサンドイッチ派の俺ではあるが、絶対にそれが良いというこだわりがあるわけでもない。
「んっと、じゃあ唐揚げかな」
言い、俺は脇にあった箸を取り、エレナが持つ弁当箱から唐揚げをひとつ掴む。 とっととしないといつかみたいに「あーん」とやらされかねないからな。 さすがに西園寺さんと柊木の前でそれをやるのはヤバすぎる。 色々とヤバイ。
というわけで試食。 という名の毒味。 噛んでみると、程よい肉汁が口内を満たしていく。 揚げきれていないなんてことはなく、冷めていても衣はしっかりとしており、油っぽくもない。 率直に感想を言うならこうだ。
「美味しいな」
「本当ですか!? うふふ、わたくしも努力をした甲斐がありました。 陽夢様に喜んで頂き何よりです」
俺の素直な感想に嬉しそうにするエレナ。 頬を押さえ、緩むのを必死に止めているような仕草だ。 だが……ひとつ気になることがある。
「エレナ、これ確かに美味しいんだけどさ」
見栄え良し、味良し、一見問題はない。 でもさ、でもなエレナさん。 俺、すごいことに気付いたんだよ。 そういえばなぁってこととか、今思えばそうなんだよ。
「はい、どうかしましたか?」
エレナは依然として頬を押さえながら、俺の方に顔を向ける。 西園寺さんと柊木はことの成り行きを見守るといった感じか。 表情的に二人とも気付いてはいるようだが。
「俺がするのはひとつの質問だけだ。 嘘偽りなく、正直に答えてくれればそれで良い」
「勿論です。 陽夢様のご質問に対する答えを偽るほど、わたくしは礼儀を弁えぬ者ではありませんよ」
それは大変良い心構えだ。 それならば俺も聞こう、とてつもなく重要なその質問を口にしよう。
「朝、電子レンジを多用していた理由を答えろ」
「へ!? で、電子レンジですか!? う、うふふふ……陽夢様、一体何を」
「さっきの言葉忘れたとは言わせないぞ。 俺の質問には答えるんだろ、嘘偽りなく」
エレナは冷や汗をたらたらと垂らし、手を忙しなく顔の前で動かす。 が、俺もそこで退くわけにはいかないのでエレナの言葉を待ち続ける。 やがてエレナもこれ以上言い逃れはできないと悟ったのか、ゆっくりと口を開き、その理由を話し始めた。
「も、盛り付けは頑張ったので……」
否、言い訳だった。 というか、別に俺は責めているというわけじゃないんだけどな。 逆になんだか申し訳なくなってくるぞ。
「成瀬、別に冷凍だからといって悪いわけではないだろう。 エレナが言ったように盛り付けは頑張っていることだし、そういう細かい男はモテないぞ」
「……いや、別に俺は」
「そうだよ、成瀬くん。 エレナちゃんは頑張ったんだから……褒めてあげないと。 ね?」
珍しく悪乗りする西園寺さんだ。 今回に限ってはわざとだろ、この二人。 んで、それを聞いたエレナは感極まって泣きそうになっているし。
「はぁ……分かったよ。 エレナ、よく作ってくれたな。 ありがとう」
と、何故かエレナの機嫌取りをする羽目になる俺であった。 いつから俺の立ち位置はこうなったんだろ? いじられるというよりこれはいじめだ。 教育委員会に訴えるぞ、こいつらめ。 大人の力を舐めるなよ。
まぁ、そんなわけで。
それからエレナの冷凍弁当を食べ、しばらく雑談したそのあとだ。 エレナが唐突に立ち上がり、こう言った。
「陽夢様、西園寺様、柊木様。 そろそろ本題に入りませんか?」
俺は思う。 日常の中には異常なことが沢山あるのではないかと。 いつもの日常からふとした瞬間に異常へと移る時というものだ。 そして今、俺たちの日常は終わった。
そういうことならば、その本題に入っていくしかない。 俺が西園寺さんの顔を見ると、西園寺さんも俺の顔を見ていた。 気が合うというか、考えが一緒というか、こういう問題ごとに関しては似ているんだよな、俺と西園寺さんは。
「本題か」
最初に言葉を漏らしたのは柊木だ。 俺はその柊木の澄んだ声を聞いて、辺りを見回す。
相変わらず、桜が綺麗な場所だった。