柊木雀の課題 【16】
「てか本当に急だな……」
予定が合うということで、その花見は二日後に無事決まった。 あまり時間がない関係上、それはありがたいことではあるが……毎回こんな急に予定を決められては困ってしまう。 俺にも一応、プライベートな時間は存在するんだぞ。 ただ部屋でぐだぐだ過ごすだけだけどさ。
「陽夢様、入ってもよろしいですか?」
と、そんなことを考えながらベッドの上で天井を眺めていたところ、ドアの外側から声がかかる。 エレナがこうして俺の部屋を訪ねるのは珍しいことではないが、今日はなんだか少し声色が違う気がした。 いつもは遊び相手を探している、構って欲しい。 そういう態度のエレナだけど、その日の雰囲気はいつもと違う。
というか、どうしてエレナは俺の家へ泊まり込んでいるのだろうか。 まぁ、良いか。
「どうした?」
「失礼します。 少々、気になることがありまして」
エレナはドアを開けると、一度お辞儀をして部屋の中へ足を踏み入れる。 そしてそのまま俺から少し離れた位置まで歩き、止まった。
「何か、ズレた気がするのです」
「ズレた……? って、一体何が?」
俺はベッドから立ち上がり、エレナをそこへと座らせる。 俺も立ったままで話をするというのは少し疲れるので、机に備え付けられている椅子へと腰をかけた。 にしても、いきなりズレたと言われてもな。 確かにエレナは多少ズレた奴だけど。
「……わたくしはまともですよ、陽夢様」
「あれ、声に出てたか。 ごめんごめん」
「むう……何かが、です。 言葉では言い表し難いのですが、絶対的な認識がズレたような気がします。 粗く繋がれたような跡が、あるのです」
「跡? どういうことだ、それって」
もしやと思い、俺は頬を膨らませ、怒っているぞとアピールするエレナに問う。 その「認識がズレた」という言葉は、引っかかるものがあったのだ。 俺が今日考えたこととも、合致してくるかもしれない。 あやふやな記憶は、粗く繋がれた跡と言っても良いかもしれない。 エレナの言葉を受け、俺はそう感じる。
「部室に落ちていたトランプと、部室にあった誰のか分からないもの。 それに陽夢様の発言、わたくしの存在です。 まず、ひとつ目から考えてください」
ひとつ目、というのは部室に落ちていたトランプか。 あれも確かに、今思えば誰の所持品なのかが分かっていない。 西園寺さんと柊木には聞いていないが、あの玩具を二人の内どちらかが持って来たとは考えづらい。
「既に確認致しました。 あのトランプは、わたくしでも西園寺様でも柊木様の物でもありません。 当然、陽夢様も違いますよね?」
「ああ、俺でもない……優秀な助手が居ると助かるな。 ってことはなんだ、俺たち四人以外の誰かの物ってことになるのか」
まるで俺の考えを読んだかのように、エレナは言う。 俺の考えそうなこと、俺が引っかかりそうな部分というのを理解しているのだろう。
「お褒め頂き光栄です。 恐らくはそういうことになりますね。 そして、あの部室には基本、わたくしたち以外は入らない」
言い、エレナは顎を手で抑える。 エレナ自身、まだ答えには辿り着いていないのだ。 というかエレナの性格上、知っていたら答えを先に言ってくるからな。 そして俺もまた、答えに辿り着けていない。
「言っちまえば子供っぽいよな、あれは。 キャラクター物のトランプなんて、普通の高校生じゃ使いそうにもないし……それで、あれを趣味にしてる知り合いも俺にはいない。 恐らく、西園寺さんも柊木も、エレナだってそうだろ?」
俺に打ち明けてきた、ということはつまり、宛てがなかったということ。 当然、身辺調査なんて済ませているはずだ。 そう思い、俺はエレナに確認の意味を込めて聞く。 だが。
「そこですね」
俺が口を開くと、エレナはそう言った。 ベッドから立ち上がり、椅子へ座る俺の顔を正面から見つめてだ。 突然のことに何かと思い、俺は尋ね返す。
「どうかしたか?」
すると、エレナはこう答えた。
「今の言葉、ですよ。 柊木様がお昼に仰っていた言葉の意味がようやくちゃんと理解できました。 陽夢様、二つ目を考えましょう」
「二つ目……って言うと、俺の言動か……」
そこまで言って、俺は気付く。
また、妙な言い回しをしていると。 いつの間にか、自然とそういう言い回しをしていたと。 みんなや全員とかではなく、名前で表現していた。 どうしてか、俺自身ですら分からない。
「そこがまた、おかしいのです。 陽夢様、もしかしたらですが……何か、欠けているのかもしれません。 わたくしや西園寺様、そして柊木様でも気付けない何かを陽夢様は感じているのかもしれません。 何かは分かりません、ですがそれを見つけることが、重要なのかもしれません」
俺にだけ気付けていること。 俺にだけ分かっていること。 本当にそれは存在するのだろうか? ただ、なんとなく、なんの気なしに言っているだけなんじゃないか。 そう真っ先に思うも、しこりのようにそれは消えない。
「最後に三つ目です。 陽夢様、これはわたくしのことになりますが」
エレナは言うと、自身の胸に手を置いた。 そして一度ゆっくり息を吸い込み、それを吐き出す。 自分自身を落ち着かせるようにそうしたあと、エレナはようやく口を開いた。
「わたくしは、一体いつから陽夢様と一緒に居るのでしょうか?」
「……なに言ってんだ、エレナ。 エレナはエレナの世界で俺が出会って」
……待て。
エレナは、そうだ。 妄想の世界で俺が出会い、そしてこの世界へとやって来た。 なら、あの世界はどうなる?
「陽夢様ならばもう理解したとしてお話します。 陽夢様、それでは人狼の世界でお会いしたのは誰でしょうか?」
「……それも、エレナだ」
あり得ない。 どうしてエレナが二人居る? どうして俺は二度もエレナと会っている? 記憶が変だ。 何かが変わっている。 これが……エレナの言っている言葉の意味。 粗く繋がれた跡。 ようやく、俺にもそれが見え始めてきた。
「わたくしが二人居る。 さすがにそうとは考え難いですし、あり得ません。 ということは、恐らくわたくしたちの中にある何かが抜けたのです。 そして、それが軽く塞がれた。 簡単に言ってしまえば、傷口をその辺りに落ちていた布で塞いだようなものです。 なので、それに動きがあれば痛むように、違和感があれば何かがおかしいと思う、そういうことが起きるのでしょう」
「なるほど……。 ってことはなんだ、俺たち四人以外に、誰かが居たってことか。 けど、そうだとしたら俺たちとコンタクトを取るのが普通じゃないか? その存在した誰かが」
「陽夢様、それも覚えていればのことですよ。 その忘れられた誰かが、わたくしたちと同じように忘れていたら、どうしようもありません」
俺たち四人と、そしてその忘れられた誰か。 その誰かすら俺たちのことを忘れていて、あったはずの繋がりはエレナで代替をされている。 分かりやすく言うと、今の状況はこんな感じか。
課題の呪いに、起きている異常。 するべきことが次から次へと湧いて出てくる今の状況は頭痛でもしそうだ。 だが、取り組まなければ終わらない。 終わりが見えずとも、やり続けなければならない。 学校で出される課題も、あの番傘の男が出す『課題』も、一緒だ。
けれど、そうだとして……その誰かを見つけて、俺たちがそいつのことを思い出したそのとき。
「頑張りましょう、陽夢様。 わたくしも出来る限りお手伝い致します」
エレナは一体、どうなってしまうのだろう。 今はこうして普通に西園寺さんや柊木と話せているこいつは、それを失ってしまうのだろうか。 少なくとも、今日ファミレスで話しているこいつはとても楽しそうだったのに、それができなくなってしまうのだろうか。
「ああ、ありがとう」
俺の言葉に、エレナはにっこりと笑う。 エレナ自身、それは分かっているはずなのに。 その笑顔はどうしてか、とても痛々しいものに見えてしまった。
次の一日はすぐに過ぎ去り、花見をする当日。 朝早くに目を覚ました俺は、柄にもなく珍しく、貴重に稀に、朝の街中を歩いていた。
「朝は本当にまだ寒いな……」
特に目的地はなく、ただただ歩く。 気分転換って意味合いが大きいその散歩には、目的なんて存在しない。 強いて言うなら、その気分転換こそが目的ってところだろう。
薄暗さが残り、澄んではいるものの冷え切った空気を一度吸い込む。 たったそれだけで気分は変わらないが、それでもそうしたかった。
人通りがまったくないわけではないが、時折人とすれ違うことはある。 ジョギングをしている人だったり、俺と同じように散歩をしている人だったり、こんな朝早くから駅へ向かう人だったり。
そんな様々な人とすれ違い、俺は歩く。 が、その中の一人は俺とのすれ違いざま、何かを言った。
「あの」
「ん?」
言葉に反応すると、その人は俺の顔をジッと見つめていた。 日本人ではない、中世的な整った顔立ち、表現するならば人形のような奴だった。 髪は金糸のような金髪で、その瞳は青い。 そんな端正な容姿で、その少女は俺の顔を見ていたのだ。
「俺に何か?」
一目惚れでもされてしまったのかと思い始めた頃、俺は間に漂う得も知れぬ気まずさから口を開く。 が、どうやらこの場合でのそれは失敗だったようだ。
「人違いでした」
金髪の少女は言うと、俺の横を通り過ぎる。 それは本当に一瞬で、その一瞬で横切った顔からは何かが零れたようにも見えた。 それが泣いている、ということだとしても……一体どうしてなのか、俺には分からない。 最後にすれ違いざま、その少女は小さく漏らすように「馬鹿」と俺に言葉をぶつける。
「……は?」
別に苛立ってだとか、そういうことを言われて頭に来てといった感じではない。 本当になんて言ったのか分からず、それを理解しても、どうしてそんなことをいきなり言われたのかということがやはり分からず、俺は随分間抜けな声で言ったと思う。
しかし、振り返るも既にそこには誰もいない。 言ったあとにすぐ走って逃げたか……どれだけ失礼な奴だよ、おい。 てかポケットからはみ出てるストラップが怖いんだよ馬鹿。
いきなりすれ違いざまに文句を言われる謂れなんてないんだけどな。 まさかとは思うが、歩いているだけで人から反感を買うとは思えないし……大丈夫だよな? まぁ、あれか。 一番あり得る可能性としては、今俺に暴言を吐いた不届き者は見るからに外人だったし、日本語がまだうまく使えてないだけだろう。
「やっほ」
「うおっ……えっと」
突如として後ろから声がかかり、俺は振り返る。 突然の出来事はどうやら俺に休憩を与えてくれないようだ。 そこに立っていたのは、俺が何度か会ったことのある奴だった。
「米良。 また会ったな」
「……驚いた。 わたしのこと、分かったんだ」
「あれ……そういやそうだな。 それになんか、あんま驚いてもいない」
「充分充分。 充分だよ、成瀬くん。 改めましておはよ、わたしは頭を消し去る者だよ」
「会う度に変わるな、それ。 何かの暗号か?」
最初が確か『反転させる者』で、次が『異常を取り除く者』だった。 そして今回は『頭を消し去る者』か。
「いつか、話すよ。 成瀬くんが全部を知ったとき、わたしのことも分かると思う。 それより今は、取り組むべき課題があるはずだ」
「取り組むべき課題。 俺たちが記憶喪失になってるってことか? それは」
俺の言葉に、米良は小さく首を振る。 否定の意味のそれだったが、俺は特に嫌な感じはしなかった。 それどころか、素直にその否定を受け入れられたのだ。
「成瀬くん、問題も課題も、解くときは順番に沿ってやっていくんだ。 今するべきは柊木ちゃんのこと。 これら全てはバラバラではなく繋がっている。 その点で言えば、成瀬くんが決め付けていた繋がりってのも正解だね。 だから正規ルートでやっていこう、まずは柊木ちゃんのことから。 まだ、問題はひとつも解決していないんだよ、成瀬くん」
「ひとつも? いや……そうだな、まずは柊木のことか。 けど、どうにかしようとしても打つ手が」
「ある。 繋げるための物も、場所も、揃ってる。 ということでさ、わたしから成瀬くんに答えを教えるよ」
「え、ヒントとかじゃなくて答えか? そんなのありなのかな」
思わず俺が言うも、そんなのは意に返さず、米良は嬉々としているような表情で、腕を大袈裟に広げながら言う。 既に辺りはだいぶ明るく、高台にでも行けば朝日が綺麗に見れそうだった。
「ありだね。 前にも言ったけどさ、わたしは成瀬くんの味方だよ。 だからそんなストーリーのルールに縛られるつもりも、従うつもりもない。 そっちの方が成瀬くんも楽でしょ?」
まぁ、そうだな。 面倒な道筋を辿るより、提示された答えがあるならばそっちに向かって行った方が懸命だ。 否定できず、その言葉には同意せざるを得ない。
米良がどうして俺にそこまで肩入れをするのかは分からない。 けど、こいつは俺が不利になるようなことを言ったり、行動をしているわけじゃない。 そのくらいはもう、知っている。
「花言葉だ、成瀬くん。 柊木ちゃんの妹は、花が大好きだった。 桜が大好きだったんだよ。 だから今日、花見をすることにもきっと意味はある。 成瀬くん、君の頭で物事をあとは繋げるだけだ。 それが終わったら、次の課題をクリアしに行こう。 わたしもまた、来るからさ」
花言葉? 妹の存在と、花言葉。 それも桜……か。 米良が言うにはそれが答えということだ。 辿り着けるだけの情報、というか答えは提示されたってこと。 ならば、あとは筋道を立てるだけで解決はできる。 だが、これにはやっぱり西園寺さんの力が必要になりそうだ。 こういうことの専門はやはり俺ではなく、彼女にある。
「分かった。 恩に着るよ、米良」
「いいさ、わたしは味方なんだから。 協力するのは当然で、当たり前のことなんだよ。 それに恩を感じる必要もなければ、感謝の言葉も述べる必要はない。 成瀬くんはそれを当たり前だと、常識だと、ルールだと認識さえしていればいい」
相変わらず、難解な言い回しが好きな奴だ。 自分の考えからの言葉は、俺には端々しか理解することはできない。 けれど、米良は俺の味方ということは分かる。 今の俺にはきっと、それが分かっていればいいんだ。 だから従おう。 米良の言葉と、して欲しいことに。