柊木雀の課題 【14】
「そういや、その姿になってても平気なのか?」
あれから、とりあえずは俺の服を適当に渡し、エレナはそれを着ている。 とは言ってもサイズが随分違う所為でぶかぶかではあるが……まぁ、着ないよりは百倍ほどマシだ。 いろいろとマズイからな、裸はさすがにヤバイ。
「ええ、大丈夫です。 というよりかは、もうばれているでしょうね」
俺の質問の意味を理解し、エレナは返す。 番傘の男に悟られないようにとのカモフラージュでもあった猫の姿だが、エレナの感覚でいけばどうやらそれは既にばれてしまっているらしい。
「それを果たして大丈夫と言って良いのかどうかだな。 エレナが大丈夫っていうなら、そうなのかもしれないけど」
昼飯であるカップラーメンを食べながら、エレナも同じ食事を摂りながら、俺たちは会話をする。 こうして人の姿をしたエレナと話すのも随分久し振りだ。 相変わらずの綺麗な銀髪と、綺麗な銀眼である。 前に着ていたドレスがない所為で、少々ヤンキーチックないで立ちにはなってしまっているが……いやちょっと違うか? ビジュアル系バンドっぽいな、どちらかと言えば。
「そんで、エレナがさっき言っていた味方を知ること……だけど」
「陽夢様の味方、ですね。 それは言ってしまえば、クレア様に対するお気持ちですよ。 それを知って、クレア様とお話をすることです」
「いやまぁそりゃそうだろ。 問題は、クレアが俺たちの記憶をなくしているってことで」
「そうでしょうか? クレア様はちゃんと覚えているはずですよ。 覚えている、という認識が外されているだけだと思いますが」
「……それはどう違う? というか、それがエレナには分かるのか?」
麺がなくなったカップラーメンのスープをひと口飲み、俺はエレナに問う。 エレナはというと、具材のメンマを掴もうと必死に箸を動かしていた。 折角だからと落としてやった生卵は、既にスープに溶けてしまっている。
「分かります。 わたくしが知るところによれば、あの方はそこまでのことはできないはずなので。 人の記憶を完全に失わせることなど、簡単にできるものではありません。 どこかで必ず、切っ掛けがあれば必ず、思い出すはずです」
「切っ掛け……か」
となると、その切っ掛けをどう見つけ出すか、というのがそもそもだな。 そしてエレナが言っていた言葉を組み合わせると、そこに関わってくるのは俺の気持ち……というわけだ。
「とりあえず、ここでこうして頭を悩ませていても仕方ないな。 柊木の方も気になるから、一回西園寺さんと合流しようと思ってる。 エレナも来るか?」
「ええ、勿論です。 折角ですから、途中まではこの姿で」
俺の提案をエレナは飲み、にっこりと笑う。 格好は限りなく不良ではあるが、その仕草はやはりお姫様というのが相応しい。 俗に言うギャップ萌え、それが目の前に居るエレナの今の状態とも言えるかもしれない。 お姫様系ヤンキーの発祥の地が成瀬家となるとはな……なんも感慨深くないな、これ。
「陽夢様、どうかされましたか?」
「ん、ああいや。 なんでもない」
危うく俺の思考がバレるところだった。 危ない危ない……と思いながら、俺は自分の分とエレナの分のカップラーメンのゴミを片付ける。 エレナはちょっとだけ申し訳なさそうにしたものの、こいつに任せたら何を間違えるか分かったものではない。 基本的にドジ属性を持っているエレナは、何をしでかすかが分からないのだ。 ぶっちゃけ容器を燃やし始めてもなんら不思議ではない。
さて、とりあえずは西園寺さんと合流だ。 今日の帰りに話し合う約束はしていたし、時刻も丁度良い時間になっている。 久し振りに、西園寺さんの自宅へ行こう。
着替えは面倒だから、制服のままでも問題あるまい。 エレナは人間の姿のままで歩きたいと言っているから、猫に戻ったときに服を入れるように鞄だけ持って行くか。
「エレナ、ちょっと鞄だけ部屋から取ってくるから、玄関で待っててくれ。 履く物も適当に履いて良いから」
「分かりました。 お気遣い、ありがとうございます」
エレナの返事を聞き、俺は二階にある部屋へと向かう。 その階段の途中、インターホンが鳴り響いた。
基本的に、いきなり訪ねてくるその殆どは訪問販売か宅配便だ。 約九割はそれで、残りの一割は。
「はい、今出ますね」
エレナの声が、階下から聞こえた。 エレナは恐らく、その一割を知らないんだ。 エレナが俺の家に来てからというもの、その一割がまったくなかったから。 だから、知らない。
「……エレナちょっと待て!!」
俺がその一割の可能性に思い当たり、エレナの行動を止めさせようとする。 だが、時既に遅し。 玄関の重い扉は開かれていた。
「えへへ、来ちゃった……あれ?」
私服の西園寺さん。 その西園寺さんと対面するエレナ。 そして片腕を伸ばした姿勢で固まる俺。
終わったと、直感が告げていた。
「へええ、それじゃあ成瀬くんの親戚なんだ。 可愛いなぁ」
「あ、ああ。 まぁ、一応な」
それからなんとか言い訳をし、どういうわけか「遠い親戚の子」という場所に落ち着いたエレナ。 明らかに俺と血の繋がりがあるようには思えないんだけど。 というか銀髪銀眼の親戚とか怖いぞ。 もう明らかに日本人ではない。
「えへへ」
「うふふ」
と、西園寺さんがエレナの頬を突付きながら微笑み、それに対しエレナも幸せそうだ。 まぁ二人が幸せなら別に良いか、なんて思う俺である。 というかこの光景を何かしらの形で収めておきたいな……見てるとニヤけそうになる。
「あ、ところで西園寺様、西園寺様が陽夢様のご自宅に入るのは初めてではないですか?」
「へ? さま……?」
「あー、ちょっといろいろ変な奴なんだよ、だから気にしなくて良い。 はは」
俺は特に気にしたことがなかったけど、やっぱ変だよな様付けって。 というかこいつは西園寺さんが俺の家に来たことがない、という情報を知ってたらおかしいだろ……。 ドジっ子というよりかは天然だ。 西園寺さんも天然だから天然と天然の組み合わせだ。 俺の部屋が天然にまみれている。 俺まで天然になってしまいそうで恐ろしい。
「そうなんだ。 でも可愛いから大丈夫だよ、可愛いは正義だって、クレアちゃんも言ってたから」
「あいつは何を言っているんだ……」
西園寺さんに変な入れ知恵するなよ。 西園寺さんは自然に構成されていったから西園寺さんなんだぞ、そこに人が介入したらどうなることやら。 少なくとも、自然的西園寺さんではなく人工的西園寺さんになってしまう。 言ってしまえば完全に別物だ。 養殖物か天然物かくらいの違いだ。 だが、たとえば養殖マグロと天然マグロでは正直そこまで味の違いはないから大差はないとも言えるか? 養殖西園寺さんと天然西園寺さんだと、やっぱり天然西園寺さんの方がなんかしっくり来るし……。 別に西園寺さんが天然だから、というわけではないからな。 要点は「自然に構成されていった西園寺さん」か「クレアという悪魔によって作られた西園寺さん」のどちらかということだ。 そこだけを考えるならば、結果はどうあれ前者の方が優れている西園寺さんだ。 俺はまぁどっちの西園寺さんでもそれは西園寺さんだと思うけど、どちらかを選べとなったらやはり、天然物の西園寺さんだな。
結論、西園寺さんは正義でクレアは悪。
「ところで、西園寺さんの方はどうだ? 柊木のこと」
「うん、少しずつお話はしているんだけど、雀ちゃんはあまりそっちの方では考えていないみたい」
西園寺さんは俺が持って来た座布団の上へと正座をしながら言う。 今言った「そっちの方」というのは、柊木妹との別れをする方、という意味だな。 気持ちが分からないわけじゃないが、それこそ柊木の課題である「乗り越えること」だと思うのだが……。
俺の考えが正解していれば、西園寺さんならなんとかできるはずだ。 だから今は、西園寺さんに任せるしかない。 俺が言うよりも、西園寺さんが言って納得させるのが一番良い。
「まぁなんだ、西園寺さんならなんとかできるって俺は思ってる。 正直、俺がやったらついついキツイこと言っちまいそうだ」
「そんなこと、ないと思うけどなぁ。 成瀬くんはなんだか、波風立てないのを気にしすぎているんだよ」
「俺が? 冗談だろ」
むしろ、逆だろ。 前の新年祭のときだってそうだし、今回クレアを一度怒らせたのも俺だ。 そんな俺が西園寺さんの言うような奴ではないと思うが。
「そうですね、西園寺様の言う通りだとわたくしも思います」
しかし、西園寺さんの隣に寄り添うように座っているエレナもそう言った。 その顔は少し笑っているものの、目は真剣そのものだった。 嘘は、吐いていない。
「だよね? だって、成瀬くんはいっつも自分で抱え込んでるもん。 少し酷い言い方をしちゃうかもしれないけど……自分でこれが良いって思って、自分でこうしようって思って、自分の中で完結させちゃっているんだよ」
「……それは、ちょっと否定できないな」
その部分は、西園寺さんの言う通りだ。 柊木のことだって、西園寺さんに任せることが一番良いと俺の中で決めて、俺がそうさせている。 それは、自己完結させていると言っても良い。
「周りの人はね、それに気付かなければすごい楽だよ。 成瀬くんが一人で頑張ってくれるから、それはとても楽なんだ。 けどね、それに気付いちゃったときはとっても悲しいんだよ」
「気付いたとき」
思い出すのは、新年祭のときに柊木が俺に言ってくれた言葉だ。 柊木はあのとき既に、それには気付いていたんじゃないか。
……いや、柊木だけじゃない。 西園寺さんも、クレアも。 俺のそんな行動には気付いていたんだ。 そんな鈍感な奴は俺たちの中に居ない。 西園寺さんも、クレアも、柊木も、気を遣うことができる奴らだから。
「陽夢様は、自分のことは二の次で周りだけが救われる方法を選びますよね。 その行動自体が、周りに救いなんて与えていないんですよ。 わたくしには少々事情は分かり兼ねますが……大方、そんなところではないでしょうか?」
「それで、何事もなく終わらせようとするの。 この前のことだって、クレアちゃんがわたしを突き飛ばしたから言っただけでしょ? 少し言い方はキツかったかもしれないけど、そのあとにしっかりお話をして、元通りにもしたでしょ?」
「かもしれないけど、てか……仮に俺がそうだったとして、何か問題あるか? 波風立つ方より立たない方が良いだろ、普通」
問題が起きなければ、揉めることもない。 誰かが嫌な想いをすることも、泣くこともない。 波風立たず、平穏安寧な日々が一番良いんじゃないだろうか。 そして、それに波風を立てているのが番傘男の出す『課題』というわけで。 そう思い、西園寺さんの方に顔を向けた。 だが、西園寺さんは俺の目をしっかりと見て、真剣な面持ちで言う。
「成瀬くん、人っていうのは、ぶつかり合うものだよ。 嫌なことも、嬉しいことも、悲しいことも、楽しいことも。 どうしてもぶつかり合って、それで話して、喧嘩もしちゃったりして。 それでもそれが人と人の関係なんだとわたしは思うよ。 みんなが同じ考えで、みんなが喧嘩を避けて、みんなが何も言わないのは……悲しいことだと思うな」
「……人と人。 そういうもんか?」
「そういうものだよ。 わたしだって、成瀬くんに怒ることだってあるでしょ? でも、そう思うけどそれ以上に成瀬くんのことが好きだから、一緒に居て楽しいよ」
その怒るってのは俺からしたら叱るって言った方が正しいんだけどな。 それに、面と向かって「好き」と言われるのはちょっと恥ずかしい。 当然、その言葉の前には「友達として」が付くのだろうけど。 どうせなら、これから「好き」という言葉を俺に対して使うときは「友達として」と前に付けて欲しいな、全部。
……考えてみたけど、なんかそれはそれで悲しいから言うのはやめておこう。 俺のメンタル低いハートが打ち砕かれてしまう。
「だからね、言い方がやっぱり酷くなっちゃうけど……成瀬くんは、臆病なんじゃないかな。 波風立つのを怖がっていて、何かが変わるのを怖がってる。 もちろん、それも悪いことじゃないよ?」
西園寺さんは丁寧に座ったままの姿勢で、顔を窓の外へと向けた。 そして、いつもの笑顔でいつもの言い方で、俺に言った。
「でもね、たまには成瀬くんの思うままに、思いっきりぶつかってみるのも良いと思う。 成瀬くんが本当にしたいことっていうのを我慢せずに、考えないで、気持ちの赴くままにだよ。 そうしないと分からないことだって、きっとあるんだよ」
「けど、それで俺たちの関係が壊れたら……どうするんだ。 俺の所為で、そんなことになったら」
「大丈夫」
言うと、西園寺さんはベッドの上に座る俺の方へとやって来て、その手を握った。 いつか、同じようなことがあった気がする。 西園寺さんにこうして救ってもらえるのは、今に始まったことではなかった。
「わたしがそんなことにはさせないから、大丈夫だよ」
本当に。
……本当に、俺はどうやら西園寺さんには頭が上がりそうにない。
「……ッ!」
そんなことを思ったとき、頭に激しい痛みが走った。 揺れた視界に映ったのは、西園寺さんとエレナの二人だ。 あの夏、ループの夏での頭痛と……一緒だ。 そして、今回は二人ともに俺と同じように頭を押さえている。
激しいその痛みは数十秒続き、やがて何事もないように収まった。
「いってぇ……なんだ、今の。 二人とも大丈夫か?」
「う、うん……たぶん、大丈夫かな」
「……わたくしも大丈夫です。 なんでしょうか、今のは」
ただの偶然が重なっただけか、それとも何かが起きたのか。
「……考えても分からないな。 とにかく、柊木の問題を解決しないと」
「うん、そうだね。 雀ちゃんのことをどうにかして、わたしと成瀬くんの『課題』もあるし」
「はい。 わたくしの『課題』は既に終わってますので、あとは三人の課題ということですね」
西園寺さんとエレナは言う。 そうだな、その通りだ。
俺と西園寺さん、柊木にエレナ。 俺たち四人が四月を迎えられなければ、意味はない。