七月七日【3】
「え?」
俺の言葉に、西園寺さんはきょとんとした顔をした。 予想していたことだ。 西園寺さんは別に、俺を騙そうと思ったり、悪意を持って嘘を吐いていたわけじゃないって。 もしかしたらそれは、俺のただの希望かもしれないけど。 西園寺さんが俺に悪意を向けているだなんて、思いたくなかっただけかもしれないけど。
……でも、もしもそうだったとして。 俺はどうしただろうか? きっと何も変わらないな。 俺は同じように言って、同じような態度を取っていただろう。 そんな奴だ、俺は。
「もう一回聞くから、答えてくれ。 西園寺さんは、俺に何か嘘を吐いている。 イエスかノーかで」
「……そんな、嘘なんて。 そんなの、ないよ」
言いながら、西園寺さんは居心地が悪そうに人さし指で頬を掻く。
「そっか」
「うん、そうだよ」
ああくそ、今日は最悪の日だ。 折角できた同じ境遇の友達……親友とも言えるかもしれない存在を失うかもしれないだなんて。 まったく、嫌になる。
この日ばかりは、本当に恨むぞ。 俺の頭の回転の良さが心底嫌いになってしまいそうだ。
「嘘だな、西園寺さん」
「……」
そう言った直後、西園寺さんは顔を伏せる。 俺と西園寺さんの距離と、その身長差のせいで表情は見えない。 でも、どんな顔をしているのかは想像できてしまう。
……西園寺さんは、辛いんだろう。
「どうして、そう思うの?」
顔を伏せたままで、西園寺さんは言う。 どうせならば、素直に認めて欲しかった。 嘘を吐いていたことを認めて欲しかったんだ。
俺が今からやろうとしていることは、つらつらと理由を述べて、筋道を立てて、証拠を突きつけて、西園寺さんを追い込むこと。 そんな真似は、西園寺さん相手にはしたくなかったから。
「癖だよ。 西園寺さんの、癖」
「……癖?」
そこで、西園寺さんは顔をあげた。 その顔はやはり、辛そうだ。
「ああ、そうだ。 西園寺さんは嘘を吐くときに、人さし指で頬を掻くから」
「……そうなんだ」
儚く笑い、西園寺さんは呟いた。 自分でも知らない癖だったのだろう。 だからこそ、俺も気付けたわけだが。
最初に仕掛けたのは、初めて会った日のことだ。 屋上へと繋がるドアの鍵を外した日のこと。
俺にとっては一日、西園寺さんにとっては三年と少しの間、解けなかった謎を俺が解いたとき。 そして、二人で一緒に屋上へと行った日。
そこには結局何もなく、それに対する反応の違いだ。
所詮はこんなものかと思い、意外とあっさりと事実を受け入れた俺。 そして、そんな俺と同様に事実を受け入れた西園寺さん。
もしもあのとき、西園寺さんがループの回数を偽っていたら、俺も気付かなかったかもしれない。 しかし、西園寺さんは変なところで素直なのだ。 自分が経験した三十八回ものループをありのまま、俺に伝えてきたのだから。
だからこそ、気付けた。 どうして三十八回ものループ……時間にして、三年と二ヶ月のループを繰り返していた西園寺さんが、あんなにも簡単に事実を受け入れたのだという違和感に。
少なくともあの日、何もなかったという現実に対して西園寺さんは普通だったんだ。 普通で居られたんだ。 それはもしかしたら俺よりも気楽に、俺よりも普通に。
通常ならばありえない。 そんなにも長い時間をかけて解いた謎の先にあったのは、無だったという事実に耐えられるはずがない。 逆の立場ならきっと、俺はもう全てを投げていただろうさ。
けど、西園寺さんは受け入れた。 そんな残酷な事実を受け入れてしまったのだ。
「でも、成瀬くん。 それで、どうしてわたしが嘘を吐いていることになるの?」
「なるんだよ。 俺があの日、言った言葉を覚えてる? 西園寺さんが「同じ境遇の人に会えて良かった」って言ったときの、俺の返事」
「……確か「同じ目的を持つ人に会えて良かった」だったっけ」
「それに加えて、なんとか八月を迎えよう。 そういう風に俺は言ったんだ」
それが、最初に確かめたことだった。 敢えて西園寺さんが言った言葉とは変えて、俺は同じような言葉を繰り返した。 西園寺さんが何やら隠していると、勘付いて。
「えへへ……。 もしかしてわたし、そのときにその癖が出てたのかな」
「ああ、ばっちりな」
つまり、西園寺さんは俺の「同じ目的を」という言葉と「八月を迎えよう」という言葉に対して嘘を吐いて同意した。 その時点で俺は、何かがおかしいことに気付いていたんだ。
まぁ、そうは言ってもあの日だけでは分からなかったけどな。 その癖が「西園寺さんが嘘を吐いたとき」に出るものなのかどうかが。 だから俺はさり気なくそうなるように誘導して、確信したんだ。
「でも、でもだよ。 成瀬くんは、どうしてそれを今更追求するの? そこでわたしが嘘を吐いていたと仮定しても、成瀬くんが気にするほどのことではなかったと思うよ」
確かにそれは言えている。 そのときの俺にとっては、正直言って西園寺さんが嘘を吐いていようがいまいが、関係のないことだった。 でも、その日に起きた不自然な出来事はそれだけじゃないんだよ。
「順を追って説明する。 まず、どうして西園寺さんは屋上へ一人で行かなかったのか」
「それは、問題が解けなかったからで……」
「いいや、違う」
そもそもの話、あの問題を解けないってこと自体がおかしい。 別に西園寺さんを馬鹿にしているわけではなくて、三年もの時間をかければ、あの問題はきっと解けたはずだ。 なのに、西園寺さんは解けなかった。 解こうとしていなかったから、解けなかった。 西園寺さんは決して頭が悪いわけじゃない。 俺の誕生日が抜けていたとしても、それ以外は気付いていたはずなんだ。 そうすれば一億パターンの暗号は三百六十六パターンまで絞れる。 通常一年の三百六十五に、うるう年の一日を加えて、だ。 時間は呆れるほどに沢山ある中、そこまで絞れたのなら解けないわけがない。 それが解けなかった理由は一つ、西園寺さんが問題を解く気がなかったからだ。
だが、俺がやってきてその問題を解いてしまった。 しかしそこで引っかかることが一つあるにはあるが、今はこの件については少し置いておこう。
「違わないよ……行けなかっただけだよ、そんなの」
目を逸らして、顔を逸らして、西園寺さんは言う。 もう、癖なんて見ずともそれが嘘だということは分かってしまった。
「そうか。 なら見るべき問題を変える。 一番は、あの『手紙』かな。 あれが来たからこそ、やっぱり向き合うべきことなんだって思ったんだ」
『問題その参。 真実と嘘。 正と誤。 信じることと騙すこと。 この世は嘘であふれている。 それはいつも身近にあるもの。 果たしてあなたは嘘に触れていないのでしょうか? 真実を見つけて下さい』
その問題を俺は言う。 確認する意味も込めて。
「今、俺と西園寺さんが取り組んでいる課題だ」
少なくとも、放置しておくのには大きすぎる違和感。 西園寺さんがなぜ、俺に嘘を吐いていたのか。
「俺の予想だと、西園寺さんは八月を迎えたくないって思ってるはずなんだけど、どうかな」
それが、出した結論。 西園寺さんの言動と、癖と、今取りかかっている『手紙』の問題が届いたときの反応と。
それらを踏まえた上での結論だ。
「……やっぱ、成瀬くんは頭が良いよ。 良すぎて、成瀬くんの前じゃ嘘なんて吐けないよ。 えへへ」
正解、か。
できれば外れていて欲しかったよ、こんな答えは。
「成瀬くん、それに気付いたのは……わたしがあまり協力的じゃなかったから?」
「いいや、違うよ。 西園寺さんは少なくとも、届いた『手紙』に対しては真面目に考えてくれていたから。 それはもう西園寺さんの性格だと思うんだけど……俺は西園寺さんの中に、ループを脱出したいって気持ちもあると思ってる」
それが、俺の引っかかっている一つのことを解消できる考え。 西園寺さんは心のどこかでそう思っていたから、ドアが開いたあのときに、俺が問題を解いたあの瞬間に、涙を流したのではないだろうか。 まぁ、希望的すぎるかもしれないけどな。
「……どうだろうね」
西園寺さんはもう、小さく笑うだけだった。 そんな顔にさせてしまったのは俺で、俺はそんな自分自身が嫌いで嫌いで仕方がない。
「俺が気付いたのは、ついさっき。 ここに来て、西園寺さんと会話をして。 それで、気付いた」
「それって……」
引っかけた、ということになるんだろうな。 この場合は。
「いや……うん、だよね。 わたしの負けかな、あはは」
そして、西園寺さんは俺に背中を向けてしゃがみ込む。 花壇にある綺麗な一輪の花を手で撫でて、俺に語りかけた。
「そうだよ、成瀬くん。 わたしはずっと、七月に居たいの」
「……理由を聞いても良いか?」
依然、西園寺さんは花に触れたまま。 けど、その声色は今にでも消えてしまいそうなほどに細い。
「うん」
頷いて、西園寺さんは言った。 その事実は、俺にとってもあまりにも受け入れ難い事実。
「あのね、成瀬くん」
――――――――――――わたしのお母さん、七月の三十一日に死ぬことが決まるんだ。
西園寺さんはそう、言ったのだ。
「それは」
どういうことだ、違う。
なんで、違う。
避けられないのか、違う。
……そんなのは、聞くだけ西園寺さんの心を傷付けるだけだ。 事実はたったそれだけで、それがあまりにも大きい事実なのだから。
「それで、ループをしているのだってきっと、わたしのせい。 成瀬くんを巻き込んじゃったのは本当に、申し訳ないと思ってるよ」
「西園寺さんの……?」
そこで西園寺さんは立ち上がり、俺の方へと振り返る。 その顔にはもう、笑顔はない。
「最初は、わたしもショックで何が何だか分からなかった。 七月の二十日にお母さんが急に倒れて、病院に運ばれて……。 それで三十一日にお母さんがもう助からないって話を聞いて、わたしは何も考えられずに嫌だ嫌だって思っていて……そうしたらいつの間にか朝を迎えていて。 気付いたら、七月の一日だったの」
それがおそらく、始まりだったんだ。 この無限にも続くループ世界の。
何者の仕業なのかは分からない。 西園寺さんは自分のせいだと言うが、そもそもこんな現象自体、普通だったら起きやしない。 でも、もしもこの現象を起こしている奴が居たとして、そいつが西園寺さんを救うためにやっているのだとしたら。
……俺はそいつを絶対に、許さないだろうな。
「何回も、何回もループして……けどね、けどね成瀬くん」
「わたしのお母さんは、絶対に七月の三十一日に死ぬことが決まっちゃうんだ。 どんなことをしても、助けようと頑張っても、無理なんだ」
その言葉は果てしなく重い。 三十八回もそれに挑戦し続けた、西園寺さんの言葉は。
「……その途中で、俺が巻き込まれたってわけか。 なるほど」
「うん、だから成瀬くん。 ごめ――――」
「謝るなよ。 約束したじゃん、もう謝らないって」
西園寺さんは俺の言葉を受けて、ようやく笑った。 でも、その笑顔はあまりにも壊れそうで、触れたら壊れてしまいそうなほどに儚くて。
俺はこの時、素直に心の底から……西園寺さんの味方で居ようと、そう思ったんだ。
だから、俺は言う。 西園寺さんが乗り越えなければいけない問題と、するべき行動を。
「それで、西園寺さん。 西園寺さんの母親を助けるってのは、無理だ」
今日は人生で一番、嫌な日になるかもしれないな。