柊木雀の課題 【6】
「話ってのは、柊木のことだ。 この間、俺とクレアの居場所が入れ替わったのは知ってるだろ?」
それから、俺と西園寺さんはファミレスへとそのまま歩き、席へと着いた。 クレアの様子がおかしかったことは俺にも分かるくらいだったので、あいつには一応メールは入れておいたのだが……いつもならば数分で返ってくる返事が、今日は来ない。
「うん。 それで、わたしと雀ちゃんの位置も入れ替わった。 そこまでは、成瀬くんが知っている通りだよ」
「ああ」
西園寺さんは紅茶をひと口飲み、それを見た俺も緑茶を飲む。 そしてコップを再度テーブルへ置き、俺は続けた。
「聞きたいのは、そこで何を見たのかってことだ。 回りくどいのは嫌いだし、趣味じゃない。 だから単刀直入に聞くぞ」
俺が言うと、西園寺さんは一瞬だけ俺から視線を逸らす。 が、すぐにそれも合わせてきた。 それを確認し、俺は尋ねる。
「あの日、柊木の家で何があったんだ?」
「……やっぱり、成瀬くんには嘘が吐けないよね。 雀ちゃんには言わないでって言われてるのに、わたし……悪い子かな」
「いいや、違う。 悪いのは、西園寺さんのその性格を知った上で聞いている俺だ。 だから、西園寺さんが気に病むことじゃない」
俺の言葉に西園寺さんは「ありがとう」と返す。 そして、ティースプーンで紅茶を混ぜながら、西園寺さんは口を開く。
「わたしね、雀ちゃんのお家で……雀ちゃんの、妹を見たの。 わたしと成瀬くんが会った妹さんに」
「……は? 妹?」
妹って、あれか? 柊木自身が演じていた、柊木鶉という架空の妹のことか? ああいやそうだよな。 俺と西園寺さんが会った妹って言ったらあいつしかいない。 でも、あいつは居ないはずの人間で……けど、西園寺さんの今言った言葉を鵜呑みにすると……その妹が、実在するということになってしまう。
それはない。 あり得ない。 だって、俺も西園寺さんもクレアも確認したはずだ。 その妹が、居ないってことを。
「幽霊か何かってことか? それは」
自分でも馬鹿なことを言っていると分かっている。 しかし、そんな考えしか浮かばなかった。 そして。
「うん。 そう、なのかも」
西園寺さんは真剣に、嘘偽りなくそう言ったのだ。
柊木には、妹が居た。 馬鹿みたいなことだが、真実だ。 頭痛がしてくるような気分で、俺は部屋の窓を開けて空を見る。
西園寺さんの言葉に、嘘はない。 そして、俺もそれを知った。 知ってしまった。 知ってしまったからにはもう、知らない振りはできない。
「陽夢様、風邪をひいてしまいますよ」
「エレナ」
俺の肩にバランスよく座り、エレナは言う。 そんなエレナの顎を撫でると、気持ちが良さそうにエレナは目を細めた。
「恐らくですが、柊木様のそれは今回の『呪い』とも無関係とは言えないでしょう。 時期が時期、ひとつの物事がひとつの物事を引き出すのです。 それは、陽夢様たち全員に言えることかもしれません」
「……そうか。 なら、クレアの様子がおかしいのも、何かあるってことか」
「ええ、そうですね。 ですが陽夢様、それは陽夢様ご自身のことですよ」
エレナは言うと、俺の顔を見た。 俺自身のこと……? どういう意味だ、それは。 それはクレアのことであって、俺のことは関係ないだろ? なんて思い、エレナを見る。 だが、エレナの顔からは何も読み取れない。
「わたくしからは、申し上げられません。 陽夢様がご自身で気付かれることです。 わたくしが教えたところで、誰も幸せにはなりません」
その言い方には、決意のようなものが込められていた。 これじゃあどうやら、俺が何かを言ってもエレナは意思を曲げそうにない。 だが、俺は生憎なことに性格が悪いのだ。
「それで俺が死ぬってなっても、良いのか?」
「そのときはわたくしも死にましょう。 陽夢様、たとえ陽夢様だとしても、わたくしの口からお伝えして良いことではないのです」
或いは決意、或いは約束、或いは覚悟。 それか、その全てか。 それが含まれた目でエレナは俺のことを見続ける。 数秒、数十秒、やがて、折れたのは俺の方だった。
「……負けだ負け。 聞かないよ。 意地悪いこと言って悪かった」
「いえ。 うふふ、分かってくださったのなら、本望です」
エレナの満足そうな声を聞き、俺は空を見上げる。 世間一般で言えばもう春だ。 しかし、この寒さ自体は冬となんら変わらない。 それを表すかのように、空の星々は澄んだ空気によってハッキリと見えていた。
一番最初に取り組むべきは、柊木雀が抱える問題についてだろう。 柊木が提示された課題、それがエレナの言った通りに繋がりを見せている。 どのような形であれ、それをクリアできなければ柊木雀は……死ぬのだ。
あの番傘の男は嘘を吐けない。 本当のことしか伝えない。 それを知っている俺だから、気楽に過ごすことは出来ない。
それが、どんなことだったとしても。 あの夏、俺と西園寺さんが経験した終わらない七月のことだ。 あのとき、俺たちが乗り越えられなかったことを超えなければならない。 後回しにしてしまったあの選択は、こうして今、目の前に現れる。 今回はそれを迂回することはできない、できようがない。 どっちに回ったって、結局は逃げられない。
人の死という、それを。
柊木雀の妹、柊木鶉は存在する。 架空の人物ではなく、実在する人物なのだ。 いいや、正確に言えばこうだ。
柊木鶉は、実在した人物だ。
約、四年前。 双子の姉妹は中学に入学し、それから少し経ったときの登校中に事故に遭った。 端的に言ってしまえば、生き残ったのはその内の片方だけだったという。 そんなニュースをその昔、ちらりと聞いたことはあった。 忘れ、記憶の彼方に追いやられていた。 だって、この事件をこうしてまた思い返すことになるとは考えてもいなかったから。
その生き残った少女は、しきりに「私の所為だ」と言っていたという。 そんなニュースも時間が経って忘れられていく。 聞いた人の記憶からも、それを伝えた報道関係者からも、誰からも忘れられていく。
その親になってようやく、その事故は忘れないだろう。 だが、それでも一瞬は忘れるかもしれない。 朝起きた一瞬だったり、風呂に入った一瞬だったり、テレビを見た一瞬だったり、料理を作った一瞬だったり、趣味に打ち込んでいる一瞬だったり。 人が辛いことを忘れられる瞬間は、日常の中にいくらでも存在する。
俺ですら、中学での事件は忘れることがある。 正確に言えば忘れるのではなく、意識しなくなると言った方が良いか。 忘れられないことだけど、忘れるのだ。 人はそんな単純な生き物で、だからこそ悲しいことやつらいことがあっても前向きに生きていける。
でも。
それでも、それすらできない奴というのもまた、存在するのだ。 そう、例えば。
その双子の姉妹の姉、だとかな。
「……それで、柊木は口止めさせたのか」
「雀ちゃん、泣いてた。 忘れられないって、一日中、一年中、あの日からずっと頭から離れないって」
まったく、嫌になる。 柊木雀に起こっていたことは俺の予想以上に大きかった。 どうすれば良いのか、何をすれば良いのか、これは俺たちが何かをして良い問題なのか。 それらが頭の中を掻き回すように蠢く。 俺が何かをして、どうにかできるのか。
「わたしね、それでも雀ちゃんの力になれたらって思うよ。 だって、お友達だよ?」
「……けど、どうやって」
「えへへ、分からない。 それでも大丈夫だよ、成瀬くん。 成瀬くんなら、大丈夫」
言い、西園寺さんはにっこりと笑う。 いつもそうするように、俺に向けて西園寺さんは笑った。 根拠もなく、証拠もなく、道筋もなく、だけど確信しているかのように、西園寺さんは言うのだ。
「はぁ……分かった、分かったよ。 やれるだけやろう。 まずは、柊木の問題から取り組もう。 必然的に俺も西園寺さんも、クレアの問題も後回しになっちゃうけど良いか?」
「うん、わたしは良いよ。 クレアちゃんにはわたしが聞いておくね」
「ああ」
西園寺さんの言葉に、俺は返す。 クレアと言えば……だが、あいつはさっき、どうしてあんなにも様子がおかしかったのだろう? 何かを隠しているような、それとも何か……相当慌てていた様子だったが。
「あいつ、なんかあったのかな。 あとで電話でもして――――――」
それは突然だった。 目の前には西園寺さんの顔があった。 だが、それが急に消えた。
……いや、消えたのは西園寺さんの姿だけではない。 周りの景色が全て真っ暗になったのだ。 テーブルも、椅子も、店内の灯りも、その全てが唐突に消えた。
違う、か。 消えたのは、俺か?
「ッ……あれ」
思わず体を動かすと、そこは俺の部屋だった。 見慣れた、俺の部屋。 電気は消えており、外は暗い。 服は……さっきのままだ。 一体なんだ? 何が起きた? 俺は、記憶を失ったのか? それとも気を失っただけ? どうして、ファミレスに居たときからの記憶がないんだ。
慌てて時計に目を移すと、時刻は夜中の二時過ぎを指している。 西園寺さんと会ったのは、八時過ぎ。 それから六時間ほどの記憶が全てない。 あのファミレスで俺が西園寺さんにクレアのことを言いかけたところから、ここに来るまでの記憶が皆無だ。
突然に目の前が暗くなり、目を覚ますとここに居た。 今理解できるのは、それだけでしかない。
「気持ち悪いな……なんか」
言いながら、俺はとりあえず頭を冷やすために窓を開いた。 そして、星を眺めた。
「陽夢様」
「ん?」
一通りの話と、今日あったことを整理し終えたところでエレナが再度話しかけてくる。 前に言っていた都合というのもあるかもしれないが、猫と話すというのも新鮮だな。
「陽夢様としては、わたくしが気付いたことも言った方がよろしいのですか? 先ほどのことは別として」
「まぁ、そりゃな。 俺っていろいろ気付かないことが多すぎるから、言ってもらえると助かるよ」
俺が言うと、エレナはこくんと頷き、再び口を開いた。 それは本当に些細なことだったが、俺の身に何かが起きたということをこれでもかと言うほど分かりやすく、明確に知らせること。
「陽夢様は、泣いていらっしゃったのですか? わたくし、陽夢様が窓を開けてからのことしか見ていなかったので……顔に、涙の跡が付いているので」
「俺が、泣いてた?」
言い、顔に手を当てる。 すると、確かにそこには涙を流してそのまま放っておいたかのような、肌の違和感があった。 俺はあのファミレスから記憶を失って、そして帰ってくるまでの間……それとも帰ってきてベッドに横になっていた時間に、泣いていたのか?
……駄目だ、まったく記憶がねぇ。 とにかく今日は時間が遅すぎる。 俺が無事に部屋まで戻っているということは、西園寺さんとしても妙なところは感じなかったのだろう。 明日、また改めて西園寺さんに俺がどうなったのかを聞くしかあるまい。
人生には、選ばなければいけない場面が必ずやってくる。 俺がループの世界で二つのどちらかを選んだように。 人狼の世界で連続した問題を解いたように。 異能の世界で戦略を選んだように。 俺の日常でやるべきことを汲み取ったように。 妄想の世界で最悪の選択をしたように。
そういう場面は誰にでも訪れる。 その問題が大か小かは分からないが、何も選ばないで暮らしている人間は居ない。 誰しもが、何かしらの問題に取り組んでいるのだ。 常に、立て続けに。
俺の場合は、仲間にそれを頼っている部分が大きい。 特に西園寺さんと出会ってからは、それが色濃く反映されている。 西園寺さんやクレアや柊木やエレナ、そのみんなのことを計算に入れた上で、最善の選択を選んでいるつもりだ。 時には、最悪の選択を選んでいるかもしれないけどな。
だが、その最悪すら俺の仲間たちは良い方向へと運んでくれる。 そういう力に頼っている部分が大きかったんだ。
だからこそ、その仲間たちが俺の選択が最悪になるように動いた場合、この物語は最悪の結末を迎える。 そんな単純なことに、俺はまったく気付いていなかった。 今までのことがあった所為か、俺が俺だったからかは分からない。 しかし、着実に、ゆっくりと、この話は最悪な物語となるべく進んで行く。
西園寺さんと、クレアと、柊木と、エレナ。 俺は全員が仲間だと思っているし、大切な友達だと思っている。 それは揺るがないし、揺らぎようがない。 でも、彼女たちが俺と同じ考えなのかと言うと……それはまた、別の問題なのだ。
今回提示された『課題』は、そして起こされる『異常』は、そんな俺たちの関係を崩すのに充分なものだった。




