七月七日【2】
「ただいまー。 お母さん、成瀬くんだよー」
家に入るなり、西園寺さんは早速俺の名前を出す。 言い方がまるでペットを連れてきたみたいだな……。 それが多少気になるけど、一々言っていたらキリがなさそうだ。 特に西園寺さんの場合は。
ちなみに西園寺さんの家は結構大きく、俺の家と同じく一軒家ではあるものの、その大きさは二倍ほどだろうか。 少しで良いから分けて欲しいくらいである。
「成瀬くんっ!? 成瀬くんが来たの!? うわ本当だッ!! すっごいカッコイイ!!」
「……うわ」
廊下から歩いてきた人は、西園寺さんと良く雰囲気が似た人。 落ち着いた雰囲気をまとってはいるものの、第一声が今のである。 俺が思わず「うわ」と言ってしまったのも無理はないということにして頂きたい。 一応だけど、俺って結構礼儀正しいからね。
「あ、自己紹介がまだだったわね。 私は西園寺すみれって言います。 あなたは、成瀬陽夢くんで良かったわよね?」
にっこり笑って、西園寺母は頭を下げる。 ううむ……確かにこの前聞いた通りだ。 本当に親子というよりかは姉妹だな。 いや、それよりももっと近い……双子か。
「はい、いつもお世話になってます」
「わ! 成瀬くんが真面目に挨拶してる! あはは」
うるさいなこの女。 真面目に挨拶をして馬鹿にされたのは生まれて初めてだぞ……。 何が「成瀬くんが真面目に挨拶してる!」だ。 怒るぞ。
「いえいえこちらこそ。 いつも夢花が遊んでもらっているようで。 ありがとうね」
どちらかと言えば、遊ばれているような気もしなくもない。 それも違うな、なんだろう。
……振り回されている。 これだ! これが一番しっくり来る! 俺は西園寺さんに振り回されているのか! うわ、なんか一気に情けなくなってきたからやっぱり止めよう。
「はは、そんな。 西園寺さんには結構助けてもらってるので」
「えへへ、どうもありがとうございます」
建前だぞ。 さぞ嬉しそうに笑っているが、建前だからな。 結構じゃなくて極稀にだ。 覚えておけ。
「うーん……やっぱり夢花から聞いている通りの子ね」
西園寺母は、そんなことを俺の顔をまじまじと見ながら、自身の頬に手を当てながら言う。 それと西園寺さんほどではないが、若干顔を近づけながら。 本当にそっくりだな、この人たち。
それよりも聞いている通りって、西園寺さんは一体どんな話をしているんだ? あまり良い想像ができないんだけど。
「聞いている通りって、どんなですか?」
疑問に思って尋ねると、西園寺母はすぐに答える。 まるで、そう聞かれるのを待っていましたと言わんばかりの速度で。
「えっとね、まず頭が良いでしょ。 次に意外と笑うでしょ。 その次に結構お茶目でしょ。 それと見た目のわりに優しいとか、後はなんだかんだ言いつつも毎日一緒に学校へ行ってくれるとか。 でもやっぱり意地悪だとか」
……ほう。
「お母さん! それ言わないでって言ったのに! 秘密って言ったのに!」
「あらそうだったっけ? あはは」
なるほどなるほど。 良く分かった。
「あーでも、一緒に学校行くのも昨日が最後だったんです」
「えぇ!? 成瀬くんひどい!」
どっちがだ。 俺としては陰口を叩かれているような気分なんだぞ。 まぁそれも悪いことばかりではないようだが。
「ふふ。 それは残念ね、夢花」
「……もう。 お母さんも成瀬くんもいじわるだ」
そう言って、本気で落ち込む西園寺さん。 さすがに冗談だって分かりそうなものだが……西園寺さんの場合は例外か。
「あー分かった分かった、一緒に行きますよ学校。 だからそんな落ち込むなって……」
「ほんと!? えへへ」
そんな俺と西園寺さんの会話を聞き、西園寺母は言う。
「あら、やっぱり夢花から聞いている通りね」
……この親子、非常にやりづらい。 俺の天敵だな。
そんなことを思う俺と、さぞ嬉しそうに俺の手を握っている西園寺さん。 そしてなぜか、そんな俺たちを嬉しそうに見つめる西園寺母。
なんか、俺の立場って勘違いされていないか?
「成瀬くん、さっきのは本当に気にしないで。 お母さん、いつも余計なことを言っちゃうの」
「余計なこと、か。 なるほどなるほど」
「うぅ……」
それから俺は西園寺さんの部屋へと通され、今は出されたお茶を飲みながら、西園寺さんと向かい合って座っている。
西園寺さんの部屋はやはりというか、かなり綺麗だ。 整理整頓はしっかりされていて、床に散らばっている物は皆無。 俺の部屋もわりと綺麗な方だと思うけど、それよりもしっかりとされている感じ。 壁にかけられているカレンダーが七月なのは、俺の部屋と一緒だけど。
「ずっとね、海のままなんだ」
「へ?」
「カレンダー。 八月になるとお花なんだけど、七月だから海のままなの」
カレンダーに描いてある絵のことか。 というか、俺がカレンダーを見ていることによく気付けたな? よく人を見ている人……なんだな、やっぱり。
「めくっちゃえば良いんじゃない?」
素っ気なく言う俺に、西園寺さんは即答。
「反則みたいで嫌なの。 成瀬くんって、結構ずるいところあるよね?」
失敬な。 俺は「ずるい」のではなくて「要領が良い」だけだ。 分かるかな、その違い。 断じてずるいわけではない。
「……本当にずるかったら、今日だって西園寺さんの家に来てなかったよ」
「あはは、そうかも」
口を押さえ、笑う西園寺さん。 いつもよりも楽しそうに見えるのは気のせいだろうか?
「あーそうだ。 西園寺さん、これ」
そんな表情の西園寺さんにこれを渡したら、一体どんな顔をするんだろうかと思い、俺はバッグの中からある物を取り出し、西園寺さんへと手渡す。
「……これは?」
「クッキー。 焼いてきたんだ」
俺の言葉に西園寺さんは、丸い卓上テーブルを挟んで向かい側に座る俺に飛びかかる勢いで言う。
「うそ!? 成瀬くんってお菓子作れるんだ!?」
「少しだけど……まぁ」
それよりも、すごい驚きっぷりだな……。 確かに俺がお菓子作りってイメージとは多少違うとは思うけど。 まぁでもそんな反応をしてくれるなら、わざわざ作った甲斐があったというものだ。 それは良いとして距離が近いからとっとと離れろ。
「開けても良いかな? 成瀬くん」
「うん、良いよ」
俺が言うと、西園寺さんは落ち着きを取り戻して座り直し、にこにこ笑いながら包装を丁寧に剥がす。 それがあまりにも丁寧でゆっくりだったため、なんだか気恥ずかしくなってしまって顔を逸らす俺。
西園寺さんの性格からしてその可能性は高いとは思ったけどな。 それでも想像しているのと、こうあらためて目の前でやられるのとではまったく違う。 そんな嬉しそうに楽しそうに包装を剥がす人は今まで見たことないぞ。
「わ! 可愛い! へぇええ……。 成瀬くんって器用なんだ。 このウサギさん、可愛いなぁ」
ウサギの形をしたクッキーをつまみ、俺に見せながら西園寺さんは言う。 あー、そういえばいつも家族に作るノリで作っていた。 そのせいであんな可愛らしいクッキーが……。 失敗か、これ。
「あれ? でも成瀬くん、どうしていきなりクッキーなんて焼いてきたの?」
もしもここで、俺が純粋な好意から今日の行動をしていたなら、この西園寺さんのひと言で立ち直れないダメージを負っていただろう。 喜ぶだろうと思って作った物に対して、笑顔で「どうして?」と聞かれているのだから。 天然って怖いなぁ!!
「どうしてって……てか覚えてないの? 今日、西園寺さんの誕生日じゃん」
俺が言うと、西園寺さんは固まる。 右手にウサギのクッキーを持ったまま、呆然と俺の顔を見て、そのままの姿勢で数十秒。
「……誕生日」
「ああ、そう。 この前七月の七日、七夕だって言ってただろ? で、俺も一応は覚えておくって言ったし、それなのになんもなしってのはどうかと思って」
うわ言のように呟いた西園寺さんに向け、俺は言う。 どうやら本当に忘れていたようだ。 うっかりもここまで来ると、素直に感心だなぁ。
「……うっ」
そして、西園寺さんは嗚咽と共に涙を浮かべる。
「うわ! ストップストップ! 待って西園寺さん!! どうしたの!?」
「うっ……わた、わたし……うれしくて。 そうやって……うぅ……お友達にお祝いしてもらったこと、なくて」
マジかよ。 俺でさえ一応はあるというのに、箱入り娘……ではないよな? だとすると、西園寺さんが周囲に作っていた壁のせいか? だから西園寺さんは俺と居るとき、常に楽しそうだったりするのか?
「と、とりあえず……ほら、ハンカチ」
「あ……あり……ありがとう」
……初めて女子を泣かせてしまった。 なんだこの罪悪感。 悪いことはしていないはずなのに、めちゃくちゃ悪いことをしてしまった気分だ。
そして西園寺さんが泣き止むまでの数分、俺は西園寺母が部屋に来ないことを祈りつつ、西園寺さんを泣き止ませることに奔走するのだった。 こんな状況を西園寺母にでも見られたら、俺が妙なことをしたのではと誤解されそうだからな。
「……ふう。 それじゃあ成瀬くん、お花を見に行こう」
「どういう流れだ……ってのはもう良いか。 分かったよ、行こう」
ようやく泣き止んだ西園寺さんが最初に言ったひと言が、今のそれ。 目を赤くしながら笑って言う姿はなんとも健気である。
「ところでさ、クッキーどうだった?」
「美味しかったよ! また作って欲しいかも。 あ、でも食べ過ぎて太っちゃうかな?」
部屋から出ようとする西園寺さんに聞くと、すぐさま西園寺さんは振り返って言う。 作った物が美味しかったのか不味かったのかが気になるのは、どんな人でも共通だろう。 しかし、これだけ嬉しそうにしてもらえると作った甲斐があったと素直に思える。
「大丈夫じゃないか? 西園寺さんって、結構体細いし」
「……そうかな? えへへ」
む、今のは結構踏み込んだ発言すぎたか。 俺としては本当にありのままの事実を言っただけだが、今思えばわりとセクハラぎりぎりだったかもしれない。 良かった、相手が西園寺さんで。
「ま……いこっか」
「うん。 あのね、花壇があるんだけど……すっごく綺麗なんだ。 成瀬くんもきっと、気に入るはずだから」
多分この瞬間、俺と西園寺さんが思っていることは違ったと思う。 西園寺さんは俺に花を見せることを楽しみにしているが、その相手である俺は。
……俺は、西園寺さんをまた泣かせてしまうのではないかという、不安と怯えを抱いていたのだから。
今までのことと、今日のこと。 そして今現在、俺と西園寺さんが取り組んでいる課題。 その答えが俺の予想通りだとしたら、それはもしかしたら……最悪のパターンってやつかもしれないな。
それを解くのに必要なのはきっと、俺と西園寺さんの会話ってところか。
「着いたー。 ほら、見て成瀬くん。 綺麗でしょ?」
花壇の前に立った西園寺さんは、優しそうに笑う。 本当に心の底から、花が好きなのだろう。 優しくも活き活きとした表情をする彼女。 俺はそんな西園寺さんの表情を変えてしまう。
タイミングとしては、ここしかない。 西園寺母は家の中で、俺と西園寺さんはその庭。 ゆっくり話をできる場所としては申し分ない。 だから俺は、西園寺さんに向けて言う。
「……西園寺さん。 西園寺さんは、俺に嘘を吐いているのか?」
そんな、ひと言を。