つまり、妄想とは想像である。
「エレナ!? おい! エレナ!!」
屋上へ行くと、すぐにエレナの体が視界へ入ってきた。 だが、その目は見開かれ、体からは生気を感じられない。
今までで一番冷たく、鼓動は当然、感じない。 目は見えるのに、それなのにどこを見ているのかが分からない。 まるで人形のように、そこには命がなかった。
「……冗談だろ? なぁ、エレナ」
言いながら、俺はエレナの体を抱き締めた。 小さく、細く、軽い体を。 力を入れたら折れてしまいそうなほど、その体は弱々しい。 最初からずっと、こいつはそんな体で頑張っていたんだ。 俺が来る前から、そして俺が来たあとも。 俺は傍に居たけれど、それでもエレナは孤独だった。 自分の立場を分かっていたから、時期に死ぬということも分かっていたから、エレナはきっと孤独以外を感じたことがないのだ。 あのときから、俺とエレナが本当の意味で最初に出会ったあのときからずっと、エレナは独りだった。
「エレナ」
名前を呼んで、その体を強く抱き締める。 もう駄目なのかもしれない。 間に合わなかったのかもしれない。 俺は結局、約束を何一つ守れなかったのかもしれない。 そう、思った。
「……よう、む、さま」
だが、それでも答えてくれた。 諦めかけた俺を見兼ねたのか、それともエレナは優しい奴だから、俺に手を伸ばしてくれたのか。 微かに、エレナの口から俺の名前を呼ぶ声がしたんだ。
「エレナ? おい、エレナ!?」
……駄目だ。 このままでは、本当にエレナが死んでしまう。 折角伸ばしてくれた手を掴んでやることができない。 何度も何度も何度も、同じ失敗をするのは、同じ過ちを犯すのはもう嫌だ。
俺は想像した。 妄想をした。 エレナが息を吹き返すことを。 たった五分間のそれをイメージした。 俺の力で、エレナを生き返らせる。 この状態を覆す五分間を。
「……ッ」
心臓が締め付けられるような感じと、意識が遠のく感覚を受ける。 さすがにこれは、魔力を使いすぎるってわけか。 俺の体はこの学校に入った直後まで巻き戻っているわけだが……それでも、足りないってのか。
それでもだ。 それでも諦めてやるもんか。 俺はイメージを続ける。 ここで終わらせて、残された俺はどうしろっていうんだ。
……そうだ。 俺は俺のために、やっているだけだ。 俺が元の世界に戻れないと、困るから。 これはエレナのためじゃない、自分のためだ。 そっちの方が、まだ楽だろう。 俺が助かりたいから、俺が救われたいから、俺は妄想をするんだ。
そう考えると、苦痛は不思議と消えてなくなった。 だから俺は妄想を続ける。 口から血が出て、体の内部で妙な動きを感じて、目の前が赤く染まっても。 俺は、続けた。 自分を騙すということは、こんなにも。
「よ……うむ、さま」
再びエレナの口から声が聞こえた。 そこでようやく分かったが、片耳が聞こえなくなっている。 魔力の使いすぎで起こる副作用は、案外馬鹿にできないものだな。
「エレナ」
「……っ! けほっ!」
エレナの目に、生気が戻った。 俺の妄想が、実現された。 それを無駄にしている暇はない。 全部を変えなければならないのだ。 妄想や想像みたいなこの世界で与えられたものではなく、俺が元々持っているもので。
残された時間は、五分だ。 五分で――――――――全てを塗り替えろ。
「大丈夫か? エレナ」
「陽夢、様。 陽夢様!? どうして……いえ、それよりも……その眼は」
エレナは言うと、俺の頬に手を添える。 その手を俺は握って、降ろす。
「俺のことは気にすんなって。 それより、体は大丈夫か?」
「そんなこと……気にするななんて無理です!! どうして、わたくしのためにそこまで……」
「約束したからだよ。 って言っても……」
その片方は、どうやら果たせそうにはない。 今日の夜は、やけに黒い夜だ。 暗いのではなく、黒い夜。 世界は順調に、終わりへと向かっているようだ。 管理者たちはその全てが死に、残されたのは俺とエレナだ。 恐らくこれも全て、エレナの妄想が叶っているということになってしまうのだろう。 けど、それは本当にエレナの妄想なのだろうか? エレナが望んでいることなのだろうか?
……そんなわけはない。 結局は世界が、エレナを不要と判断しているだけだ。 用済みと判断しているだけだ。 これがエレナの本当の願いなわけがない。
「……わたくしは、生きていては駄目です。 全てを聞きました。 陽夢様も、ご存知でしょう?」
「知ってる。 だから、助けに来た」
エレナは俺の言葉を聞いて、唇を噛みしめる。 そして、起き上がった。
「陽夢様、いくら陽夢様が近くに居ると言っても、わたくしはいずれ死んでしまいます。 最早、わたくしに残された力は殆ど失われています」
「俺に命を移したから、だよな」
「……ご存知でしたか。 その通りです。 陽夢様、最後に陽夢様をこの世界から移動させます。 それで、全て丸く収まります。 陽夢様、わたくしが生きているのは陽夢様の力かと予想しますので、そのくらいはさせてください」
言わないつもりだったが、どうやらエレナには分かっているらしい。 だから、俺だけを移すとエレナは言っている。 なるほど、それは確かに俺の当初からの願いが叶うってわけだ。 実に良い案だよ、本当に。
本当に、ふざけんなよ。
「エレナも一緒に行こう。 エレナが俺の世界へ来れば、生きられる。 俺はそういう風に考えているんだけど、駄目か?」
「陽夢様、それは駄目です。 わたくしには、ここで死ななければいけない責任があります。 わたくしが陽夢様の世界へ行ったとしても、この世界が残るとも言えません。 それに……仮にこの世界が残るとの確証が得られたとしても、わたくしにはもう、二人を移動させられるほどの力なんてありませんよ」
言い、エレナは笑う。 泣くのではなく、笑った。 その顔を見て、俺はすぐに分かった。 こいつ……泣くのを堪えてる。 すぐにでも泣き出したって不思議じゃないのに、馬鹿みたいに。
「うし。 じゃあ、世界を捨てよう。 それでひとつ目の問題は解決だ」
「……無理です。 わたくしには、その使命が」
尚も言うエレナの頭に、俺は手を置く。 エレナはそうされても、笑うだけだった。
「使命とか、責任とか、どうでも良いって。 ただ俺がエレナと一緒に居たいんだよ。 それに元はと言えば……エレナだって、俺の世界に生まれてきたんだろ」
「ッ……気付いて、おられたのですか?」
顔を上げ、俺の顔をエレナは真っ直ぐと見つめる。 驚いたような、困惑しているような、そんな顔だった。
「ごめんな、エレナの書いてた日記、見ちゃったんだ。 それで、やっと気付けた。 けどまぁ、気付けて良かったよ」
「そう、ですか。 それも、知られてしまいましたか」
言うと、エレナは自身の首に付けているリボンを擦る。 擦りながら、遠い場所を見るように、俯いた。 思い出しているように、大事そうにリボンを擦って。
「わたくしは、陽夢様に恩返しがしたかったのです。 あのとき、わたくしに構ってくれた陽夢様に」
「俺は別に、恩を売ったわけじゃないけどな……。 それに、あのときはしっかり助けてやれなかったから。 だから今、エレナを助けたい」
「駄目です、陽夢様……それは、駄目なんです。 申し訳ありません、わたくしは陽夢様に迷惑をかけてばかりですね」
「……そんなこと言うな。 良いか、エレナ」
俺はエレナの前に回り込み、しゃがみ、その肩を掴んで言う。 俯いたエレナの顔を正面から見て、ハッキリと。
「エレナが世界を捨てたことについて、誰かが文句を言ったら俺がぶっ飛ばしてやる。 そんな罪なんて、俺が許してやる。 最後くらい、ワガママ言えよ」
「……無理、です。 陽夢、様。 わたくしは、駄目なんです。 いくら陽夢様が言ってくれたとしても、いくら世界を捨てたとしても……! わたくしにはもう、陽夢様を移すことしか」
「それが、本音か?」
ようやく聞けたと、そう思った。 エレナの本音はきっと、これだ。 エレナの生きる意志を俺は知った。 だったら、俺がするべきことはやはりひとつ。 最初から決まりきっている。
「ちが……います。 わたくしは、わたくしは世界を!!」
「エレナ」
顔を逸らそうとしたエレナの頬を両手で挟む。 俺の方に顔を向かせて、俺は言う。
「ワガママでも、自己中でも、良いんだよ。 エレナはさ、生まれ変わってこの世界に来たんだろ?」
「……はい。 ですが、わたくしはこの世界が好きです。 守りたいと、思います」
「でも、生きたいんだろ。 俺たちの世界で。 神様が勝手にしたことだ。 勝手に決められて、エレナが押し付けられた責任だ。 そんなの、無視しちまえ」
「……」
エレナは黙り、俺の顔を見つめる。 数秒、数十秒、そうやって眺めていた。 やがて、エレナは小さく息を吐き、そして。
「……良いの、ですか」
涙を、流した。
「良いんだよ、俺が許してやるからさ。 エレナ、世界と自分、どっちが大切だ? 言っとくけど、俺は勿論自分が大切だ」
そんな最低最悪のセリフを言って、俺は笑う。 俺のことを何度も救ってくれた少女に、助けられた少女に、今度は俺が手を伸ばす番だ。 自分よりも下の人間が居れば、人はきっと救われる。 下を見て優越感に浸って、自分はこいつよりもマシだって思うくらいでも良い。 俺が思う自分を大切にするってのは、そういう逃げの考えだ。
「陽夢様、陽夢様……」
俺の名前をそれから何度か呼んで、エレナはやがて言う。 自分の本心と、本音を。 どうしたいのか、どうされたいのか。 それをエレナが不可能だと思っていても、俺が可能にしてやる。 少なくとも、エレナよりは頭が良いとは思ってるからな。
「……わたくしを、助けてください」
涙を流しながら、笑ってエレナはそう言った。 頼まれたならば仕方ない。 エレナのその頼みを聞き入れないって選択肢は絶対にないからな。
「あったりまえだ。 約束したろ、最初に。 ひとつくらい、守らないとな」
俺が妄想してから、既に四分ほどは経っている。 残りの一分で、エレナを救ってみせる。 その方法が、俺の中にはあるんだ。
「はい、はい……。 わたくしは、陽夢様と一緒に居たいです。 陽夢様の世界で、陽夢様と一緒に……。 どうか、わたくしを連れて行って……ください」
……さて。
俺がするのは、それこそ最低最悪のことだ。 覚悟もなく、決意もなく、どうするかも考えてなんかいない。 責任なんて、受け止められるほどの奴でも俺はない。 ただ、そこにあるのはエレナに対する恩返しというだけ。
クッキーの恩返しにしては、大分長い寄り道になっちゃったけどな。 それでも、これで貸し借りなしってことにしよう。
「エレナ、ごめんな」
エレナの顔を見て、俺は謝る。 そして、エレナの涙を指で拭う。
「へ? 陽夢様、何を――――――――」
そのまま俺はエレナに顔を近づけ、そして。
エレナの唇に、自身の唇を重ねた。
「……ッ!?」
本当に、ごめん。 だけど、こうするしかなかった。 エレナが言っていた、唯一の方法だ。 魔力を補給する、それも膨大な量を補給できる方法だ。 馬鹿な俺には、こんな考えしかできなかったけれど。
それでもエレナが助かるのなら、そうするしかないと思った。 キスだって、立派な性行為だろ。
「……その、陽夢様。 わたくしは、どのような反応をすれば」
「……やめろ。 俺だって、馬鹿だとは思ってるんだから」
少々不安ではあったけれど、エレナは五分が経過しても息をしていた。 それどころか、なんとも言えない顔で俺の横に座っている。
「あーっと……それで、さっきのだけど」
「大丈夫です。 分かっておりますよ。 わたくしの中にだけ、大切に仕舞っておきます」
にっこり笑い、エレナは言う。 いやできれば忘れて欲しいんだけどな……。 なんて、さすがに無理があるか。
「まぁ良いか……。 それで、エレナ」
「はい」
「俺のこと、助けてくれてありがとな」
言うと、エレナは再度笑って、涙の跡が残る顔で俺のことを見る。
「いいえ。 わたくしの命を賭す価値が陽夢様にあったというだけのことです。 わたくしがそれだけの恩を感じていたというだけですよ、陽夢様」
本当に、一体どうしたらそこまでの恩を感じるんだか。 エレナだって、俺よりもよっぽど良い人に巡り会えていたかもしれないのに。 それこそ、エレナを拾って育ててくれるような奴に。
「そりゃどうも。 あとさ、言うの忘れてたことがある」
「なんでしょう?」
首を傾げたエレナに手を伸ばして、俺は言う。 これは多分、俺が一番最初に言うべきことだったな。 この世界に連れて来られたときに、真っ先に言うべき言葉だった。
「久し振り、エレナ」
「……はい。 お久し振りです、陽夢様」
こうして、世界を捨てるという選択を取った俺たちの話は終わる。 想像上の、空想上の、ただのくだらない妄想話だ。 でも、そんな妄想話も案外心地良く感じてしまう辺り、俺も結構危ない奴なのかもしれない。
妄想は所詮、妄想だ。 もしかしたら俺が経験してきた今までのことが全て妄想だった。 なんて思ったりもする。 まぁ、そうだったとしてもエレナはきっと言うのだろう。 それも素晴らしいことだと、とびっきりの笑顔で。
それから。
それから俺は、家へと帰った……と言いたいところだが、今回はさすがにそれは無理か。 というわけで、もう少し続けよう。
「……ってて」
あれから、エレナは俺を元の世界に戻した。 当然、エレナ自身も一緒にだ。 あの世界がどうなってしまったのかは、もう分からない。 エレナが居なくなったことで元に戻ったのかもしれないし、消えてなくなってしまったのかもしれない。 それを知る術なんてのは、もう何も残されちゃいない。
それが、俺たちが取った選択なのだから。 後悔はしていない。 ああいや……多少はあるかもしれないが、しないことにしておくんだ。
「あれ、時間は経ってないのか」
幸いにも、窓から見える外の景色に変化はなかった。 少しだけ赤みがかった空色も、俺が連れて行かれた時そのままだ。 ひょっとしたら、数日経っていたなんてオチが待っているかもしれないけど、今は考えないでおこう。
「そういや、エレナ?」
辺りを見回すも、エレナの姿はない。
……まさか、あの世界に残ったなんてことはないよな? さすがに。
「うおっ!?」
そんな俺の心配も、どうやら無用だったようで。 頭の上に、何かが乗ってきた。
「久し振りです、この感覚は」
その何かを手に取り、顔の正面へ。
「……猫。 確かに久し振りだな」
「うふふ、ですよね。 この身軽な感じは、結構便利なんですよ」
いやこいつそれで良いのか……? 思いっきり猫だぞ、喋る猫だぞ。 まぁ、本人が良いなら良いかもしれないけど。
「人間の姿にはなれるのか? それ」
「ええ、恐らく。 ですが、人間の状態であの方に見つかると、少々面倒が起こりそうです。 なので、基本はこちらの方が都合は良いですね」
あの方……ってのは、番傘男のことか。 ま、エレナがそう言うのならそうしてもらおう。 何かと面倒なことに巻き込まれているが、俺にそういうのに首を突っ込む趣味なんてのはないしな。 避けられるものは避けるべし。
「なら、そのままが良いな。 とりあえず……部室戻るか」
このまま帰ってしまうのもありっちゃありだけど、鞄とか置きっぱなしだし。 忘れ物だと思われてあいつらに届けてもらうのも、少々気が引けてしまう。 そんな思いから立ち上がると、エレナは依然として俺の頭から降りようとしない。
「……歩かないのか?」
「陽夢様の体温が感じられるここが良いのです」
そうですか。 俺としては、重い被り物をしているみたいで頭痛がしそうだ。 というか、あの世界でのエレナよりもこの猫の姿の方が重いとは。
なんて考えながら、俺は部室へと向かう。 少々重いかぶり物をしながら歩く廊下ではあったが、どうしてか足取りは軽かった気がする。
さて、問題はあいつらにどう説明するかだな。 外に居たらいきなり懐かれた……とかで良いか。 強ち間違いではないし。
「……ふう」
短くため息を吐き、俺は部室の扉を開く。 すると、そこには談笑していたのだろうか、西園寺さんとクレアと柊木が、楽しそうに声を弾ませていた。
「お、成瀬……ってそのニャンコはどうしたんですかっ!?」
椅子から勢い良く立ち上がり、クレアは俺に詰め寄ってくる。 さすがの反応速度だ……ちょっと怖いぞお前。
「あーっと、ちょっとな」
「えへへ、ネコちゃんだ。 綺麗な子だね」
言いながら、今度はクレアと同じく駆け寄ってきた西園寺さんが俺の頭の上に乗るエレナを撫でる。 エレナは気持ちよさそうな声を出し、猫をしっかりと演じている。
……というかなんだ、撫でられているのはエレナなのに、俺が撫でられているようなこの感覚は。
「成瀬」
最後に言ったのは、柊木だった。 立ち上がり、柊木も俺に詰め寄ってくる。 案外、柊木も猫が好きだったりするのだろうか?
「おう、お前も触って良いぞ」
「断る。 おい、校内にペットを連れ込むとはどういう了見だ。 貴様、さすがに学校を舐めすぎではないか?」
「……すいません」
ただでさえ西園寺さんに叱られる俺だというのに、柊木の場合は説教か……。 この部活動での俺の立場も、いつの間にか随分下位になったものだ。 なんとか、リリアがたまに来てくれるおかげで最下位争いは続きそうではあるけど。
「ちょっと、学校の中で迷子になってたんだよ。 そしたら、懐かれてな」
「なるほど。 それなら仕方ないですね」
クレアは少し緩んだ頬でそんなことを言う。 こいつ、俺に肩入れしたのではなく猫に肩入れしたな。 分かりやすい奴だ。
「ほんとだ。 成瀬くんの頭から動こうとしないよ。 あはは」
西園寺さんはそれが面白いのか、ひたすらエレナを撫で続ける。 まぁエレナは気持ち良さそうだから良いんだけど、俺のこの屈辱的な感じはなんだ。
「なら、成瀬。 お前帰れ」
「……とても友達に言う感じじゃないなそれ」
しかし、帰宅を提案されたらそれに乗る俺である。 一日での一番の楽しみは、家へ帰るという行為の俺だ。 というわけで、そそくさと自分の鞄を手に取った。
「あ! 成瀬、ちょっと待ってください」
帰ろうと百八十度向きを変え、扉に手をかけた俺に言ったのはクレア。 今日くらいは良いのではとか、そんなことを言うと俺は思っていた。 しかし、クレアが言ったのはもっと根本的な問題だ。
「私たちの飲み物は?」
「飲み物……あ」
ああ、そういやそうだ。 俺はそれが目的で、この校舎の一番下まで行っていたんだ。 本来成すべき問題をすっかりと忘れていた。
「まさか、忘れたわけじゃないですよね?」
さて。
妄想で……どうにかなることじゃないよなぁ。 どうするか、どうしようか、誰か助けてくれないかなぁ。
なんて思いつつ頭の上に居る猫に視線を向けるも、エレナは西園寺さんに撫でられ中である。 それに、エレナにどうにかできる問題でもない……か。
「な、る、せ?」
笑顔で、クレアは言う。 その笑顔が俺にはどうも、恐怖の笑顔にしか見えない。 オチはオチ。 妄想で始まった物語は、こんな現実的なオチを迎える。
その後、西園寺さんを除いた他二人の鬼により、ご飯を奢る約束を取り付けられるのだった。 たった一度忘れただけでこの仕打ちとは、俺はこいつらと友達を止めても良いレベルだと思ったりもする。
まぁ。
そんな妄想を、俺はした。 そういうことに、しておこう。
「なぁ、エレナ」
それから、俺に興味をなくし、三人が再び談笑を始めた頃合いを見て、頭の上に居るエレナに向けて俺は話しかける。
「なんでしょう?」
「今度さ、服でも買いに行くか。 約束だったしな、それも」
「……はい!」
ここからでは顔は見えない。 それに、今のエレナは猫だ。 けど、エレナの声からエレナがどんな顔をしているのかはすぐに分かった。 俺にでも、それくらいは分かったよ。
一人は妄想する。 夢ともいえる、馬鹿らしい妄想話を他人にした。 その他人はそいつのことを馬鹿にした。 そんなの、くだらない妄想だと。
しかし、誰かがそれを聞いてこう言った。 やってみようと。 一緒に実現させようと。 一人では無理なことだったとしても、二人なら実現できるかもしれない。 それでも無理なら三人で、それでも無理なら四人だ。
そうしてくだらない妄想をする同士は集まって、その妄想を想像するんだ。 どうしたらそれは叶えられるのか、どうすれば可能になるのか、どうやったら実現できるのか。 そうしている内にやがて、そんな妄想話は現実味を帯びてくる。
いくら時間がかかっても、いくら大勢集まっても、いくら資金を使っても、いつか絶対に。 どんな発明もどんな実用性のある物もどんな発見も。 元を辿ればそれは、誰かの妄想なのかもしれない。
だから俺はこう思う。
つまり、妄想とは想像である。 なんて。
以上で第四章、終わりとなります。
ブックマークして頂いた方、評価を付けてくれた方、感想をくれた方、ありがとうございます。
次回の第五章ですが、執筆が少々詰まっておりまして時間が空くかと思われます。 執筆、推敲が終わり次第の投下になりますので、楽しみに読んで頂いている方は申し訳ありません。 目処が立ちましたら、活動報告にてご連絡致します。
それでは、年内最後の更新となりました。 よいお年を。