俺はあいつに会いたかった。
「何をしてでも勝つ」
「そ。 ならあたしは何をしてでも止めるわ」
思い出した。
殺意を。 憎悪を。 恐怖を。 不安を。 悲しみを。 苦しみを。 絶望を。 虚空を。 不満を。 嫉妬を。 焦燥を。 後悔を。
だから、俺は殺すことにした。 目の前に居る、少女を。 この手で、殺すことにした。 罪悪感はない。 俺はきっと間違っている。 そんなの、知っている。 何度も何度も何度も間違えてきたから、間違いを選ぶ感覚は分かっているし、知っている。
俺は七月に居た。 ループの世界に居た。 そこで、俺は西園寺夢花と知り合った。 一切を疑わず、一切のことに驚き、一切のことに感動する。 西園寺夢花は、そういう少女だった。
そんな彼女から教えられたのは、世界の見方だった。 愛情だった。 そして、美しい生き方だった。
俺は彼女に憧れた。 尊敬した。 素直に、凄いと思った。 俺にはない物を持っている彼女が、羨ましかったんだ。
「そうだ、そうだそうだそうだ。 楽しいことは、あったよ。 沢山、ね」
一人だった。 それまで、俺は一人だった。 中学のときに起きた「事件」の所為もあったけれど、俺は元々一人が好きだった。 誰に何かを言われることもなく、好きなようにできる一人が好きだった。
そんな俺に、たった一歩で詰め寄ってきたのが西園寺夢花だったんだ。 最初の一手で、俺はきっと彼女に負けていたんだな。
「痛いな」
何かが痛い。 何かは、分からない。 俺がこんなことになっていたら、彼女はきっと悲しむ。 俺が知っている彼女なら、泣いてくれるかもしれない。 それとも、許してくれるだろうか? ……いいや、きっと叱られるな。 いつもみたいに叱られるんだ。
俺は人狼の世界に居た。 そこで、俺は沢山の人と言葉を交わした。 そして、クレア・ローランドと知り合った。 曲がったような、真っ直ぐとしたような、優しい奴だった。 クレア・ローランドは誰よりも、自分を持っていた。
クレアの助力があったからこそ、あの世界で勝つことができた。 あいつがいなければ、俺と西園寺さんは死んでいたかもしれない。 クレアが持っている物もまた、俺にはない物だったんだ。
「俺は、俺は……どうしてだろう」
クレアが俺に好意を抱いているのも、知っている。 知らされた。 全部、分かっていた。
けれど俺は、知らない振りをした。 それがクレアを泣かせて、悲しませていることも知っているのに。
「痛い。 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」
でも、どうしようもなかった。 どうしようもできなかった。 どうしようとも、思わなかった。 区切りは付けなければいけない。 それは、もう元に戻せない。
もしもクレアを泣かせることになっても、俺は言わなければ。 あいつに言うべき言葉はもう、分かっている。
俺は異能の世界に居た。 そこで俺は、あり得た未来を見た。 無能力者と能力者の争いを見た。 人を殺すということを知った。 そして俺は、人を殺した。
何もかも、何もかも。 俺は何もかもが分からない。 分かれない。 それは果たして良いことか、悪いことか。 結局はそんなの、本人がどう思うかだ。
「ごめん」
気付けば、そんな声が漏れていた。 これはきっと、修善さんに対してだ。 あの人は俺のことを最後まで気にかけていた。 沢山のことを教えてくれた。
「ありがとう」
それは、ディジさんに対してだ。 俺に気付かせてくれた、彼女に対してだ。 どんな道を辿っても、変わらない。 優しい彼女は、本当にクレアとそっくりだ。
「いつからだろう」
いつから俺は、慣れてしまったのだろう。
殺すことに。 戦うことに。 目を逸らすことに。 慣れてしまったのは、いつのことだったか。
「最初からか」
自嘲気味に笑って、俺は言う。 最初からだ。 俺はどこかで狂っていたんじゃなくて、どこまでも狂っていたんだ。 最初の最初、一番最初の一手から。
俺は日常の世界に居た。 そこで俺は、新たな仲間に出会った。 少しずつ進む時間を見た。 気持ちの変化を垣間見た。
柊木雀という、真面目で正しい奴に出会った。 間違いを正し、自分の道を柊木は持っている。 信念、と言っても良いほどにそれはハッキリとしている。
リリア・ローランドという、無邪気な奴に出会った。 リリアはクレアの妹で、姉譲りの負けず嫌いっぷりと口の悪さを持っている、少し変わった奴だ。 けれど、クレアと同じひたむきさも持っている。
みんな、俺には持っていない何かを持っている。 俺はそれらに、憧れている。 だとしたら。
だとしたら。 もしも彼女たちにそれらがなかったら、俺は同じように接していたのかな。 それが今、分からなくなりそうだ。
俺は妄想の世界に居た。 そこで俺は、エレナに出会った。 本音を隠し、正体を隠し、それでも泣き虫なのは隠せていない少女に。
俺は知っていた。 エレナのことを知っていたんだ。 この世界に来る前から、俺はあいつと会っている。 俺があげたリボンを今でも大切にしているあいつは、本当に馬鹿だ。 値段を知ったらびっくりするぞ、まったく。
「ああ……懐かしい」
目の前は、赤く染まった。 そして意識は段々と、ハッキリしてくる。 目の前が赤いのは……血、か。
魔力が尽きかけているんだ。 血の涙が、その証だ。 けれど。
「俺の勝ちだな、ルーザ」
「……化け物め。 やっと正気に戻ったの?」
俺はルーザに馬乗りになっていた。 両腕を踏み付け、喉元に剣を突き立てていた。 殺す寸前に五分が経ったか、それとも敢えてここで殺さなかったか。 どちらかは分からない。
ただ、ケルベロスは既に消えていて、残るルーザは反撃する力も残されていない様子だ。 倒した記憶も曖昧で、この状態になる前からいきなり飛んだかのような感覚で、俺がやったという実感もまた、ない。
「いいや、俺はどっちみち狂ってる。 けど、やらなきゃいけないことを沢山思い出したんだ」
西園寺さんにだって、クレアにだって伝えることができてしまった。 それに、思い出した。 俺が忘れていたとあることも。
忘れされていた、大切なことも。 だから二人に、会わなければいけない。 西園寺さんには謝って、クレアには礼を言わなければならない。
「大事なことを……忘れていた」
正堂が言っていた言葉の意味も、今なら分かる。 あいつは俺の記憶を覗き、そして空白を見つけた。 俺ですら気付かなかった空白は、確かに存在したんだ。
気付けたのは、正堂の言葉や俺が俺を省みたこと。 そしてこの死にかけの状況ってところか。 走馬灯のように巡る記憶の一部が、埋め込まれていく。
「よーむくん、あたしはここであなたを殺すわ。 それが、王女としての努めよ」
「できるもんならやってみろ。 殺すのは……俺の方だ」
頭が痛む。 血が、止まらない。 手も足も震え、寒い。 視界はぼやけ、一瞬でも気を抜いたら倒れてしまいそうだ。
「あたしが言った言葉、覚えてる? よーむくんは、何をしてでも勝つって言った。 それであたしは、何をしてでも止めるって言った」
ルーザは言うと、薄っすらと笑った。 悪寒が走る。 これは、マズイと何かが知らせる。 しかしそれが分かったところで、もうどうしようもなかった。
足は動かなければ、手がなんとか動くほどしか力が入らない。 魔力も皆無、次に使ったら死ぬくらいの量しか残っていない。 ここは廊下で、隠れる場所はない。
「それじゃ、一緒に死にましょ」
ルーザは言い、右手を動かす。 足で抑えてはいたもののその力は弱く、ルーザは空間に手を入れた。
……空間保管庫? こんなところに? いや、予め用意しておいたのか……!?
「この勝負、引き分けね。 けど止められたなら、あたしの勝ちかな」
取り出したのは、人の眼球ほどの大きさの小さな玉だ。 それにはひとつだけボタンが付いており、ルーザはそのボタンに手をかけ、そして――――――押した。
「ッ!」
玉は四隅が開き、甲高い音を鳴り響かせる。 ボタン部分に付いていたランプは点灯し、段々とその点灯は早まる。
瞬時に、その玉が何をするための物なのかを理解した。 この状況、ルーザの言葉、場所。 それらの事柄を繋げ、理解した。
「……違う形で会えてたら、友達になれたかな」
それが、ルーザの最後の言葉だった。 俺は咄嗟に距離を取る。 取るつもりで足を動かす。 だが、ルーザから距離を取るように倒れこむのが精一杯だった。
「なれなかったよ。 俺とお前じゃ、気が合わなすぎる」
「そっか、優しいんだね、よーむくんは――――――――」
言葉を最後まで言い終わる前に、ルーザが持っていた爆弾は破裂する。 熱風と衝撃が俺の体を包み、吹き飛ばす。 床は抉れ、壁には大穴が空く。 恐らくは魔力で加工されているであろうその小型爆弾は、ルーザの体を髪の毛一本残さぬほどの威力で、消滅させた。 それが見え、俺は想像した。
「あ、う……くそ……」
火薬の匂いと物が焼ける匂い。 そして煙が立ち込める中、俺は意識を取り戻した。
まず目に入ってきたのは、変わり果てた廊下だ。 壁は消え、外が見えるようになっている。 あちらこちらで火が上がっており、その火はどんどんと広がっている。 床は崩落し、下の階まで見える状態だ。
「……ギリギリ、間に合ったか」
直前にイメージした耐久性の強化が、どうやらギリギリで間に合ったようだ。 しかし、さすがに魔力を使いすぎて意識は朦朧としている。 だけど、これで終わった。 あとは、屋上に居るエレナのもとへ行くだけだ。 それで、全てが終わる。
「……行か、ねえと」
思い、うつ伏せに倒れていた体を起こす。 左足を床に付け、次に右足を……。
「あ、れ」
俺はバランスを崩し、倒れた。 変だ。 確かに左足を付けて、そのあとに右足を出したはずだ。 なのに、その足が宙を切った。
意味が分からないも、時間はない。 俺は諦め、腕を地面に付ける。
「なん、で」
しかしそれすら、叶わなかった。 今度は左腕が宙をかき、俺は再度倒れる。
ルーザの魔法、か? いやだが、本人が死んだ以上……結界も含めて全ての魔法が解けているはずだ。 ならば、何故? そんな湧いてきた疑問も、すぐに俺は理解する。
視界に俺の左腕が映ったのだ。 正確に言えば、肘から先がなくなった左腕だ。
まさか。
思い、俺は自身の足を見る。 そして右足を見て、ようやく俺の状態を理解した。
左腕も右足も、吹き飛んだのだ。 イメージは、中途半端に間に合っていた。 だから生きている。 息をしている。 しかし、その代わりに二つ、失った。
「ふざ、けんな……」
動けなければ、意味がないじゃないか。 歩けなければ、意味がないじゃないか。 エレナのもとに行くことも、みんなのところに帰ることも、できないじゃないか。 だったら俺が今、こうして生きている意味なんてねえだろうが。
「……なんで」
なんで、俺はこんなに弱い? 西園寺さんやクレアや柊木のように、強くない? どうして俺は、いつもこうなんだ。
西園寺さんに思い出してもらわなければいけない。
クレアに伝えなければいけない。
柊木に教えてやらなければならない。
エレナを助けてやらないといけない。
その中のひとつさえ、できない。 ようやく、ようやく全てが分かったのに。
西園寺さんが忘れていることも。
クレアがどういう想いを抱えているのかも。
柊木がこれから直面する問題も。
エレナが救われるということも。
全て、分かったのに。
「……詰み、か」
俺はゆっくりと、目を閉じた。 燃える炎は段々と広がり、やがて俺を包むだろう。 この校舎に居る奴は、残すところ俺とエレナだけだ。 救われる道は、誰かが助けてくれる道は、ない。
死を、間近に感じた。 それは意外にも普通で、冷たさや怖さは感じなかった。 けれど、涙は溢れた。 心の中でエレナに謝って、思う。
できることなら。
できることなら、最後にもう一度会いたかった。 そして、知らせたかった。 伝えたかった。 あいつの想いを聞きたかった。 俺の想いを届けたかった。
――――――の笑顔がもう一度だけ、見たかった。
俺の意識はそこで、途切れた。