成瀬陽夢は妄想のような存在だった。
「はて。 私としては君と戦うのは望ましくはない。 ここでどうか一旦退いては来れないだろうか?」
時刻は深夜。 場所は俺が一番最初の訪れた学校の校庭。 既に出歩いている人は当然いない。 いや……恐らくはこの男が人払いの魔法を施しているのだろう。 ここに来る途中も、誰一人として会わなかった。 暴れる分には問題がないということだ。 そしてその魔法が施されているというのに、俺はなんの違和感も感じなかったことから考えると、俺だけは例外としているってところか。
言動と行動は真逆……セリフの割りに、随分と戦いたそうだなぁおい。
「俺が「分かりました帰ります」とでも言うと思ったか。 お前が望ましくないとか知るか。 お前を殺して、エレナを助ける」
「確かに。 それはそうと言えていることだ。 しかしなぁ私は弱いから勘弁して欲しいんだ」
男は言い、両手を挙げる。 降参のポーズと言っても良いそれをしながらも、表情に焦りはない。 西園寺さん的に見ればこれは、警戒すべき相手だ。 西園寺さんだったら間違いなく、ここで相手の要求を飲んだりはしない。 つまりは、そういうこと。 言動には裏があり、そして理由がある。
「牙竜を倒したんだろ。 ルーザと二人で。 そんな相手に油断なんてすると思うか?」
「いいや。 私は殆ど何もしていないからなぁ。 君が庇うあの子のように私は臆病だから」
ため息でも吐きそうな勢いで、男は言う。 その手は依然として挙げられたままだ。 一見、戦う気はないようにも思えるが……纏っている雰囲気は、戦い慣れた者のそれだ。 今まで何度も戦ってきた相手と、一緒だ。 こいつ……普通の奴では絶対にない。 クレアではないが、直感がそう告げている。
「エレナを例えに出すんじゃねえよ。 俺はお前を殺すつもりでやる。 もう、決めたんだ」
「ならば仕方なしか。 そう言えば自己紹介がまだだったようなそうでもなかったような。 私は正堂正護」
「そりゃ似合わない名前だ」
皮肉を込めて言うと、正堂は薄っすら笑みを浮かべて俺の言葉に返す。 少し、殺気も含まれていたような気がした。
「そうでもないよ。 私らしい名前だ。 はて君の名前は?」
「とてもそうは見えねえって話だよ。 俺は成瀬だ。 成瀬、陽夢」
俺の言葉に正堂は笑い、手を微かに動かす。 その動作をした瞬間に、背後で地鳴りのような音が聞こえた。
「私の魔法は騙し討ち。 成瀬君が始めようと言うのなら始めよう。 ようこそ私の陣地へ」
正堂は校舎を背後に立っている。 この男を倒さない限り、最悪の場合は中に居るであろうルーザとこの男で挟み撃ちだ。 俺の魔法を使って校舎の屋上まで飛ぶこともできるが……ここから見た限り、魔法結界が張り巡らされている。 裏技は使えず、正規ルートで行くしかない。 時間が残されていない今では、苦戦も避けたいところだな。
「そりゃ嬉しい。 俺も人を騙すのは大好きだ」
後ろから来る気配に向け、手をかざす。 すると、背後の地鳴りは俺の直前で止まった。 正堂から視線を外すわけにはいかない。 俺は背後への視界をまずはイメージした。 そこで見えたのは、迫り来る地割れだ。 それを同じく地面を動かすイメージで、止める。
……あの男の魔法はどこかがおかしい。 通常、魔法はエレナのように詠唱を交えなければ行使することが不可能だ。 牙竜クラスになるとそれも無詠唱で行使できるが……この男にそれほどの熟練度があるとも思えない。 万が一あったとしても、牙竜ですら意識を向けなければ使うことができなかった魔法を意識せず使うのは不可能だ。 つまり、何かしらのからくりがあると考えるのが自然。 魔法を体の一部のように使える仕組みがあるはず。
「君は強い。 私としては君が味方に欲しいところだよ。 あの女ではなくて」
「はは、今の言葉をルーザに聞かせてやりたいな。 そうすりゃ、あいつは俺の味方になってくれそうだ」
「それはない。 君のやろうとしていることは世界の崩壊だ。 それが実現すればこの世に居る全てが息絶える」
今度は挙げていた手の片方、右手を正堂は降ろす。 すると、空に氷の矢が生成され、俺目掛けて降り注ぐ。
「っ!」
正堂からは視線を外さず、脚力の強化をイメージ。 その足で地を蹴り、その場から後方へと飛ぶ。
「逃げるのもあり。 私の仕事は時間を稼ぐこと。 君が警戒してくれるのならそれはそれで良い」
言いながら、次は左手を振り下ろす。 次に俺が感じたのは、上方からの熱気だ。 地に、水に、今度は火……? 一貫性がなさ過ぎる。 普通の魔法師ならば、ひとつの魔法を極めるのが常識だ。 俺が得た知識だと、エレナや牙竜ですらその例に漏れていない。 エレナは探索魔法、そして牙竜なら空間魔法だ。 しかし、この正堂と言う男の魔法にはそれがない。 何故だ?
思いつつ、俺は強化されたままの足で今度は前方へと飛ぶ。 正堂との距離を一気に詰め、眼前まで迫る。 しかし正堂は焦らず、落ち着き払った声で俺に向けて言う。
「怖いな。 殴り合いは好きではないよ。 私が好きなのは魔法の打ち合いだから」
俺は拳を正堂に向けて振るうも、今度は正堂の体が消えた。 空間移動……? それができるということは、ひとつひとつのレベルが低いわけではない。 だとするならば、何かの制約か? 自分自身に制約か呪いをかけ、力を引き出している? エレナにそれを聞いたとき、もっと詳しく説明を受けておくべきだったな……くそ。
「そうとも見えないな。 お前が好きなのは、人を馬鹿にすることにしか思えない」
「そんなことはない。 私は常に人を尊敬している。 君もその対象だよ」
正堂は指を折り曲げる。 一、二、三。 三本だ。 そして次の瞬間、正堂の周りに三本の剣が出現した。
「私の魔法が何か分からない。 分かろうと思っても分からない。 君はここで死ぬことになるよ」
「言ってろ」
正堂が指を動かすと、その剣はそれぞれ俺へと襲いかかる。 速度はそれほどでもないが……この動き、まさかな。
「忍者はもっと強かったぞ、正堂ッ!」
一番最初に飛んできた剣を叩き落とし、俺は想像する。 妄想する。
イメージするのは、未来予知。 数秒後の未来を見て、正堂の動きを予測する。 その裏を掻くことができれば、倒せる可能性はある。
が、見えた。 これは。
「……そのまさかかよ! ツイてねえな!」
叩き落とした剣が、俺を貫く映像だ。 ただ放たれただけではなく、俺の中にある魔力へ向けて放ったってところか? 自動追尾、と言ってもいいな。 ……なるほど、ここでこれを使ったのはやっぱり正解だ。 見えていなければ、反応が遅れていた。 俺はぎりぎりでその剣に反応し、それを避ける。 避けながら、予知をしながら、正堂との距離を詰める。
「お前は信念とか正義とか、そういうのを語らないんだな」
正堂に向けての足払い。 それを正堂は避け、俺の言葉に返す。
「そんなのは必要ない。 私は私が生きたいように生きる。 そのためにも君を通すわけにはいかない」
……三本の剣は地面に落ち、消える。 魔法の効果が切れたってところか。
「それには同意見だな。 俺も俺が生きたいようにしか生きてねぇ!」
目には目を歯には歯を。 剣には剣を。 俺はイメージし、創り出す。 一本目、それをまずは正堂へと投げつけた。 が、正堂はそれを素手で弾いた。 続けざまに放つも、両方ともに正堂によって上空へと弾かれる。
弾いた、ということは食らえばダメージが通るということか。 それを得られたのは小さくはないな。
「問題はそれだ。 生きたいようにというのが噛み合わない。 私と君ではね」
正堂は言い、すぐに次の魔法が行使される。 何も見えないが、明らかに何かが発動された異質な気を感じた。 俺は詰めていた距離を咄嗟に取り、その何かを避ける。
「な……これは」
牙竜の魔法……だ。 空間に黒い玉が浮かび、それは膨張し、やがて収束する。 そして玉が触れた部分は地面も含め、全てが消失する。
……あり得ない。 牙竜レベルの魔法を使え、他の魔法すら一流クラスだと? まさか、幻覚か? いや……違う。 幻覚だとしたら、俺が脳内イメージの上書きを行った時点でそれは解けるはずだ。 幻覚魔法は例外なく、相手の視界と脳に魔法を使うことによって行われる。 だから俺のイメージする魔法でそれらは消せるはず。 なのにそれが消えないと言うことは……正堂は、実際にそれらの魔法を使っているということだ。
「私の魔法は無限。 無限の魔法を行使できる。 君の一種類に勝ち目はない」
「無限……ね。 だとしても、俺の勝ち目がないってことには繋がらない。 俺は、妄想大好き人間だからさ」
「嘘は下手か。 私は君のことを良く知っているよ。 たとえば」
一瞬、耳鳴りと頭痛がした。 今、何をされた? この男はなんの魔法を使った? 俺の何が覗かれた?
その答えは、次に男が口を開いたことによって教えられることとなる。
「西園寺夢花。 クレア・ローランド。 柊木雀」
正堂は、知らないはずの名前を挙げた。 俺とエレナしか知り得ない、その名前を。
「リリア・ローランド。 成瀬真昼。 成瀬寝々」
俺が知っている人たちの名を。 当然のように、なんの情報もない別世界の人たちの名を。 絶対に知り得ない情報を正堂は言う。
「ループの世界。 人狼の世界。 異能の世界」
そして、俺が経験してきた世界のことを。 こいつは……知っている? まさか、番傘の男の関係者か? いや、あの番傘野郎も今回の世界には関係していないはずだ。 ここはエレナの世界で、連れて来たのもまたエレナだ。 だとしたら、エレナが番傘野郎と関係している……?
ない、それは絶対にない。 あり得ない、ことだ。 そうだと……思うのに。 俺は、一瞬だけでも疑ってしまった。 エレナのことを。
「君は酷い。 安全地帯に居るのが好きだ。 人を使うのが好きだ」
「そんなことは、ない」
「あるよ。 いつだってそうだ。 異能の世界では友達に腕を失わせた」
正堂は言う。 エレナですら、ひょっとしたら知り得ない情報を。 俺と、その仲間だけが知っていることを。
「人狼の世界では人を殺した。 裏切り殺した。 ループの世界では西園寺夢花に無理強いをした」
俺はその間にも、正堂に攻撃を続ける。 しかし正堂は反撃することもせず、ただそれを避けるだけだ。 俺に言葉を浴びせるそのことが、反撃のように。 そして事実、俺は動揺している。 今までにあったことを並べられているだけで。 そうだ。
正堂はあったことを言っているだけ。 全て……事実だ。 虚実でもなければ捏造でもない。 真実だ。
「人の想いが分からないのではなく知らない振りをする。 気付かない振りをする。 それが君が言う仲間を傷つけているとも知らずに」
「……黙れよ、おい。 てめぇ」
「黙らないよ。 私は喋るのが大好きだ。 それにこの世界でのこともそう」
「……なんのことだ」
気付けば、俺は攻撃の手を止めていた。 気付けば、想像することを止めていた。 気付けば、男の言葉に耳を傾けていた。
「あの臆病で弱い少女のことだ。 君は知っていたはずなのに忘れていた。 可哀想に」
「黙れって言ってんだ。 お前、殺すぞ」
「それも良い。 そうして殺意を振りまくのも君だ。 異能の世界での君だ」
どこまで、知っている。 どこまで分かっている。 どこまで……どこまでだ。 俺の全てを知っている? そんなこと、あり得ない。 絶対に、ない。 俺は……そんなんじゃ、ない。
「……しねえよ。 それは、しない。 少なくとも、お前相手には」
「懸命だ。 ところで君にひとつ尋ねたい。 君にはどうして空白が存在するのだろうか」
……なんだ? 今、正堂は何を言った? 俺に、空白が存在する? 一体どういうことだ、それは。
「意味の分からないことに、付き合ってる暇はない。 俺はエレナを助けて、世界を殺す。 それだけだ」
そうだ。 やるべきことなんて、もう決まっている。 俺の経験してきたことも、俺が元の世界で関わっている人も、この場では関係がない。
「そうだな。 君に聞いても仕方ないことだ。 そうだろう記憶喪失君」
「……は? 記憶、喪失? なんのことを言っている?」
「身に覚えがないのなら別に良い。 空白があるということはそういうことだ。 知らない方が幸せだ」
俺が、記憶喪失? 忘れている……のか? だが、そうだとしても一体何を?
思考を巡らせるも、思い当たることはない。 何も、何一つ。 俺は、生まれてからずっとそんなのとは無縁だったはずだ。 小さい頃の記憶がないのなんて、誰もがあることだ。 だから、それは俺には関係がない。
「お前に聞いても仕方がないだろうよ。 だから聞かねぇ。 けど、今のでお前が何をしたのかは分かった。 俺の記憶を読んだな、お前は」
「正解だ。 さすがに頭の回転は褒めたい。 けれど私は事実を挙げたまでだよ」
「知ってるよ、そんなこと。 だから無性に腹が立つんだ」
この男にも、俺自身にも。 俺がしていることは、全て事実だ。 何一つ、この男は嘘を吐いていない。 俺がしたことで、俺が責任を持つべきこと。 みんなのことも、エレナのことも。
「好きに立たせておけば良い。 それよりも面白い。 これは君でも気付いていない」
「言わなくて良い。 俺は自分で気付くからよ。 それに……お前の魔法も、段々と気付けたぞ」
「ならば言わないでおこう。 その方が君は苦しみそうだ。 私の魔法はさっきも言ったように――――――」
違う。 この男の魔法は、制約をかけた魔法だ。 その制約を守り続けることで、この男は様々な魔法を行使できている。 恐らく他にも、いくつもの呪いを自分自身にかけているのだろう。 でなければ、牙竜の魔法や他の魔法を使えた理由に繋がらない。 しかし、重要なのはその制約だ。
「言葉だ。 お前は会ってから必ず、三つで言葉を区切る。 その言葉に乗せて、お前は魔法を無詠唱で使っている」
「私は嘘が嫌いだ。 だから正解としよう。 しかしそれが分かったところでどうする?」
どうするって、そんなの決まってるだろ。 俺の魔法は、妄想を実現する魔法だ。 そして、この男はその制約を守れない限り魔法を行使することができない。 ならば。
「正堂、ちょっと黙れ。 俺のイメージで、お前を殺してやる」
想像した。 妄想した。 イメージした。 この周囲一体の空気を感じ、聯想した。 構想した。 仮想し、空想し、妙想し、理想する。
「さぁ、殺し合おう」
言い、俺はその妄想を実現させる。 瞬間、空気が消滅した。 俺と、正堂の周囲の空気が全て消え去った。
「――――ッ!?」
正堂は喋らず、その場で止まる。 俺はこの周囲を真空状態へとしたのだ。 人間の体では、この宇宙空間と々場所で肺に空気を入れれば膨張し、ダメージを負う。 現に正堂は、膝を折って倒れた。
しかし、俺でも意識を失うまでに持つのは精々十数秒が限界だ。 だからこそ、俺はそれまでに決着を付ける。
「……」
黙ったまま、上を指す。 俺が好きなのは、最初の一手。 それがどれだけの可能性に満ち溢れているか、知っている。 戦う上で、どんな死闘でも手軽なゲームでも、最初の一手がその殆どを決めていると言っても良い。 だからあらゆる可能性を考えて、俺は最初の一手を打つ。 これも決して、想定外の事態ではない。
俺が投げ、正堂が自ら遥か上空へ飛ばした剣。 それは物質で、俺の魔法が解けてもその場に残る。 つまり、投げた剣は落ちてくる。 俺が設定した真空の範囲と、剣の飛んだ高度と、その落下速度。 正堂が上空へ弾いたその瞬間、俺はそれを修正している。 意識せずとも、貫けるように。 正堂の位置を誘導し、殺せるように。
「はぁ、はぁ……解除、したぞ。 使えよ、魔法を」
「あ、う……」
正堂は血を吐き、上空を見る。 もう全てが手遅れだ。 まぁ、最初はここまでするつもりもなかった。 けれど、珍しく腹が立ったんだ。 ただ、それだけ。
そして――――――――遥か上空から落ちてきた一本の剣は、正堂を頭から貫いた。
「……ああくそ、死にそうだ。 けど……あと一人」
さすがに、俺もただでは済んでいない。 体の至るところが悲鳴を上げている。 こっからは、五分おきにイメージで体を無理矢理動かすしかなさそうだ。 魔力の方も……あまり余裕はない、か。
でも、足を止めるわけにはいかない。 もう少しで、全てが終わる。