俺は忍者と戦った。
「やはり来たか、小僧」
展望台の入り口に、忍者は立っていた。 強く吹く風を受け、展望台を背に俺と対峙する。 他には……気配は感じないな。 こいつ一人か。 まったく……一番最初に出会った強力な妄獣と、こうして一騎打ちになるとはね。
月が綺麗に輝く夜。 だが、その月は不吉なほどに赤く染まって、強い光を放っている。 世界の終わりが近づいているように、俺の目の前にはそれがある。
「邪魔だ、どけ」
「拒否する。 お前のやろうとしていることは、間違っている。 それが分からぬか?」
間違っている、か。 そうだろうな、知ってるよそんなことは。 だけどよ、それがなんだ? 間違っているから駄目なのか? 俺はそれを信じているんだよ。 間違っていようが合っていようが、そんなのはどうだって良い。 その結果がどうなろうと、エレナが救われるのならどうだって良い。 最優先するべきことは世界でも、お前らの命でも、俺の命でもない。 エレナの命だ。
そう決めて、そう思って、そう行動している。 だから俺が目指すのは、バッドエンドでしかない。 最悪に向かって、俺は進む。
「……言っても分からぬ顔だな。 仕方あるまい」
「飲み込みが早くて助かるよ。 で、エレナはどこだ」
「知ったところで、お前はここで死ぬ。 我が、消す」
忍者は言い、背中から刀を取り出した。 いつか見たクレアの刀よりも大きく、その刀身は細い。 振り抜く速度を高めるための形状だ。 それに忍者の速度が乗れば、相当なものだろうか。 知っていれば想像できる。 知っていれば妄想できる。 だが、知らなければそれらはできない。
「そういうことを言う奴はさ、大抵死ぬことになるんだよ。 知ってたか?」
「ふ」
俺の言葉に忍者は笑うと、踏み出した。 その一動作で最大限までの加速をし、俺の体を貫こうと刀の切っ先を俺へと向ける。 やはり、想像はできない速度だ。 だが、それでも。
「おせえよ。 真っ直ぐ向かってくるだけじゃ、あの魔法銃よりも止めるのは簡単だ」
予測はできる。 ある程度のブレは無理矢理修正すればいい。 そうやって予測を立てれば、止めることは難しくない。
俺がしたのは身体能力の強化。 忍者の動きは見ることは難しいものの、反応はできる。 その刀を指で押さえるのも、容易なことだ。
「それほどの力と知恵があり、何故分からぬ。 お前にとってこの世界は、どうでも良いのか?」
「ああ、どうでも良いね。 人が大勢死のうが、この世界そのものがなくなろうが、俺には関係ねえ。 なぁ忍者。 小の虫を殺して大の虫を助けるってことわざを知っているか?」
「……」
忍者は刀を強引に外し、俺と距離を取る。 一歩一歩が瞬間移動のような速度だが、目で追える。
「世界から見れば、エレナが小で世界は大だ。 地球が回るのと同じくらい簡単な問題だな。 けどよ」
そんなの、誰が決めたというのだ。 他の誰がそう言おうと、世界中全ての人間がそう言おうと、俺は認めない。
「俺にとっちゃ、この世界ではエレナ以外の全てが小だ。 だから、てめぇらには悪いけど死んでくれ」
善人も悪人も、エレナを不要だと言うのなら全てが敵だ。 俺は、そう決めた。 そう約束した。 何をしてでも、エレナを助けると。 そんなのは妄想話で、空想話。 人々は俺の行動をそう言うのかもしれない。 けれど、最後の最後まで俺は諦めない。 俺にあそこまでの好意を向けてくれた奴を放ってはおけない。
初めてだったんだ。 それは。 それで知ったよ、俺は。 人に好かれるってのは、すげえ嬉しいことだって。 教えてくれたのはお前だぞ、エレナ。
「それが答えか。 くだらん」
忍者は言い、俺の横へと現れる。 そして俺の体目掛け、刀を振り下ろす。 空気の裂ける音は聞こえない。 代わりに感じるのは、膨大に込められた殺気だ。
「お前が目指すのはなんだ? 忍者」
その刀の一振りを俺は避け、忍者と距離を置く。 直後、ようやく風の切れる音が聞こえてきた。 速度はやはり、尋常じゃないな。
立ち位置は丁度、最初に立ち会ったときと逆転している。 だが、この状態で展望台へ入ったとしてもすぐにこいつは追い付いてくるはずだ。 魔法を行使する時間が確保できない以上、こいつをどうにかするしかない。
「我は、主のために動く忍だ。 それが我の正義であり、道だ。 たとえ我が妄想上の者だとしても、変わらぬ」
「……正義ね」
正しく義を持つ。 それが正義という言葉だ。 それには信念が含まれ、あるべきは絶対の正しさ。
「だったら、お前に取って正しいことっていうのは、その主が命令することか」
「無論。 その上で、お前を排除する。 お前は危険すぎる」
「そうかよ。 でもな、俺は正義って言葉が大っ嫌いだ。 良いことでも悪いことでも、その正義って言葉の下になんだって許される。 忍者、ひとつ質問だ」
「戦いながらでも、よいのなら」
次に忍者は、俺の後ろへと現れる。 とてつもない速度を持ちながら、その行動に特別な制限はない。 急停止も、曲がることだって容易なのだ。 妄想ってのは、そういうものだからな。
「構わない。 なら質問だ。 俺は人を殴りつけた。 これは正義か?」
横に一振り。 その攻撃をしゃがんで躱し、忍者に問う。
「悪だ。 それほど明確な悪はない」
忍者は次に蹴りを放つ。 強化された五感ではそれを察知することも可能で、俺は前へと飛び出すようにその蹴りを避けた。
きっと、クレアの奴には世界がこんな感じに見えているのだろう。 少しだけ、羨ましいとも思うな。
「だったら、俺は人を守るために人を殴った。 これならどうだ?」
「愚問だ。 それもまた悪でしかない。 ただある事柄を述べるだけでは判断に困るが、ハッキリとした目的がない以上、それは悪だ」
「そうか。 それなら、俺は正義で良いんだな」
そろそろ、五分が経つ。 忍者の狙いはその五分と五分の切れ目だ。 俺がイメージを再構築する前に、殺しにかかってくるはず。
「あの女を守るために戦う……か。 それがお前の正義だと言うならば、我とお前、どちらの正義がより正しいのかを決めよう」
構え、切っ先を俺へと向ける。 先ほどよりも何倍も研ぎ澄まされた殺気は、それだけで鋭利な刃物のように俺に向かってくる。 一瞬で俺を殺せるほどの力が、こいつにはある。
「いいや、断る」
「……それもまた、選択のひとつだ」
あと、三十秒。 俺が最初にイメージをしてから、五分が経つまでの時間だ。
「しっかし、忍者。 思い込みってのは怖いよな」
「そうだな、我もそれには同意だ。 お前は、あの女を救うことが良いことだと思い込んでいる。 そのような履き違えほど、怖いものはない」
「そっくりそのまま返すよ。 お前もお前で、世界を救うことが良いことだと思い込んでいる。 だろ?」
「それも、そうかもしれない。 しかし、お前の夢はここで途絶える。 さらばだ」
三、二、一……ゼロ。
瞬間、忍者の気は破裂するように弾け、同時に風の流れが変わる。 初速から六百キロを超え、意思を持つ攻撃。 それを避けるのは容易ではない。 魔法銃エレクトナの弾丸ならば、直線でしか進まないというデメリットがあったおかげで、視ることと掴むことに集中さえすれば、まだどうにかなった。 しかし、この攻撃は。
「ハッッッッ!!!!」
忍者の足が、動く。 地面が割れ、砕ける。 空気が切り裂け、破裂する。
コンマ数秒で俺の体まで到達し、そして数度のフェイントを混ぜ、最後に。
「……他愛もない」
俺の腹部を刀は貫いた。
「言葉に何かを乗せるなら、それに伴う力を身に付けろ。 成瀬陽夢」
「――――――そうかい。 だったら、言うぞ。 俺の勝ちだ」
俺は言う。 忍者の背後から言葉を放つ。 刺された俺の体は、霧のように消える中で。
「……なに?」
「言ったろ、思い込みって怖いよなって。 俺が自然に五分が経つまで、イメージの書き換えをしなかったと思っているのか?」
イメージしろ。 腕に、全ての力を込めろ。 こいつを一撃で倒せるほどに、妄想し想像しろ。
「お前はいつから、そいつと戦っていたんだろうな」
「くっ!」
忍者は咄嗟に回避行動を行うが、間に合わない。 俺が振りぬく拳は忍者の脇腹に突き刺さり、その体を吹き飛ばす。 骨の折れる音、肉の破裂する感覚が、腕越しに伝わってくる。
速度を求める妄獣は、一撃でも食らってしまえば致命傷だ。 そんな致命傷に、更に俺はありったけの妄想を込めた。 忍者が避けることも叶わぬ速度での一撃は忍者の体を吹き飛ばすのも容易い。 そのままの勢いで忍者の肉体は大木へと当たり、その体は崩れ落ちた。
「……幻……覚か」
「俺の親友はな、戦う上でもっとも大事なのは場数だって良く言ってるんだよ。 その場数が、生きた」
とは言っても、俺だって大して場数を踏んでいるわけではない。 イマージンサーカスでのヤクレとの戦いがなければ、これをイメージすることは不可能だった。 完璧に完全に自分を作り出す幻覚なんて、相当なイメージをしなければ作り出せない。 だからこその逆光と、口上だ。 忍者の意識を多少でも俺から逸らせれば、その術中に嵌めることができる。
「ふ、ふふ……どうやら、我の正義よりも……お前の正義の方が、思いがあったというわけ、か」
「ちげえよ。 言ったろ? 俺は正義って言葉が、大っ嫌いだって。 俺が思ってるのは、馬鹿な奴に対して文句を言いたいっていう気持ちだよ。 そのためだけでしかない」
「……そう、か」
忍者の体は次第に光に包まれる。 そして数秒したあと、爆散した。
まず、一人。 とは言っても、連続で力を使った所為で、大分体が疲労感に包まれている。 敵は……あと何人だ。 せめて、牙竜が一人でも倒してくれれば良いのだが。
「……次だ次。 時間がない」
俺はそうして、展望台の中へと入る。 エレナが居る場所と、敵の場所を探らねばなるまい。
「さて、と」
場所は分かった。 敵の残っている数も、エレナがどういう状況なのかも。 全ての紙は、このすぐ近くを指している。 そしてその紙はいずれも、燃え散った。
つまり、そう遠くは離れていない。 こちらとしては、それは好都合だ。 あの忍者の速度ならば、相当遠くにも運べたはず。 そうなっていたら、下手したら俺が着く前にエレナの命が尽きていることも考えられる。
俺が探索魔術を使って、分かったことは三つ。
ひとつ目は、エレナが生きているということ。 エレナの居場所はしっかりと紙によって表された。 死んでいれば、紙は反応しない。 だからエレナは生きている。 これが分かったのは、正直でかい。
次に二つ目。 これは敵の数だ。 あまり良い結果ではなかった……が、それぞれが別行動をしているのはありがたい。 敵の数は残り、一匹だ。 魔法師はこれによって炙り出せないから、妄獣は一匹。 恐らく、ルーザの従えているケルベロスだろう。 そしてその結果から考えると、牙竜は既に。
考えるのはやめておくか。 忍者を従えていた魔法師の生死は不明だが、生きている可能性で動くべき。 これを知れたのも、また小さくはない情報か。
最後に三つ目。 それは、場所がこの世界で一番最初に訪れた学校ということ。 ここからならば、かなり近い距離にあるそれだ。 どうやら、あいつらは俺のことを殺す方向に切り替えたのだ。 遠い場所に運ぶよりも、より確実にルーザとあの男も戦いに参加できるような近い距離に。 俺としては、それは好都合だな。
となれば、今からするべきことはそこへ乗り込むこと。 準備もしている時間はない。 作戦も立てている暇はない。 一刻も早くエレナのもとへ行き、あいつの体に触れてやらなければならない。
魔力が刻々と削られるあいつの体で、更にその上禁呪も使用しているんだ。 俺が思っている以上に、エレナの死期は早いはず。
……せめて最後にひと言くらいだとか、死に顔を看取ってだとか、そんなことではない。 俺がするのは、世界を殺してエレナを救う方法だ。 成功するかどうかなんてことは分からないけれど、やるしかない。 やらずに後悔するより、やって後悔しろ。 例えそれが最低最悪の後悔であっても、傷を負うのは俺だけだ。 問題はあるかもしれない、あいつらは怒るかもしれない。 けど、俺は馬鹿なんだ。 友達が、仲間が傷を負うのだけは、嫌だから。
エレナは、ここで死んで良い奴ではない。 だったら他の奴らは死んで良い奴なのかだなんて言われそうだな。 まったく、嫌になってくるよ。 けれど、決めたことだ。 俺がそうしたいからそうするだけだ。 それ以上の理由はきっと、必要ない。
「俺の体に構っちゃいられないな」
無理にイメージし、無理に動かせばそれなりの反動はやはり来る。 先ほどの忍者に与えた一撃ですら、今でも腕の痺れが取れない。 ここで傷を負ってしまったら、恐らくは元の世界でもそうだ。 あの番傘の男が絡んでいないこの世界では、そんなうまくいくとは思えない。
でも、どうでもいいな。 今度は俺が助ける番だ。 エレナは命を投げ出して、俺を救った。 だったら俺も命を投げ出して救うっていうのが、ルールだろうが。 それが最低限必要なルールだろうが。
俺が自分に課す、俺のルールだ。