少年と少女は再会したいと妄想した。
俺が、そこに居ただと?
八百キロも離れた地に、俺が? そしてそれは妄獣で、人々を殺していた? そんなの、意味が分からないだろ。 わけが分からないだろ。
だって、俺は人間だ。 それに俺の姿をしている……妄獣を生み出せるのは。
「強すぎる妄獣は、人に危害を加える。 つまりはそういうことか」
「待てよ、牙竜。 お前、こいつの言ったことを信じるのか? そんなあり得ねえことを」
牙竜は顎に手を当てて、少々の間考え込む。 一人呟きながら目を閉じて。
「妄獣の活発化、王族の血を引く女、管理者同士の殺し合い、妄想の実現化、そんで……王女さんのお気に入りの男と、その姿をした妄獣、か」
目を開き、牙竜は答えに辿り着く。 恐らくは、俺と同じ答えに。 だが、その意思は全く違う。
「なるほどね。 大体の事情が分かったぜ」
牙竜は言い、霧の騎士を後ろへとやる。 その行動の意味は、言葉を聞かずとも分かった。 事態は好転どころか、暗転していく。 止まらずに、止められずに。
それを暗転だと思った時点で、俺の行動は決まっていた。 俺が何をするのかも、きっとこのときには決まっていたんだ。
「つまり、王女さんは成瀬の妄想をした。 理由も原因も分からねーが、とにかく妄獣になってしまうほど、強く妄想したんだ」
「そういうこと。 よーむくんの妄想をしそうなのなんて、あの子くらいだからね。 それでもうひとつ、面白いことが分かったよ」
ルーザは俺の前へやって来て、立ち止まる。 薄っすらと笑みを浮かべると、口を開いた。
「あたしの権限で、国の住民情報を全部調べたわ。 その結果」
俺の顔を指さして、ルーザは続ける。
「成瀬陽夢という人間は、存在しなかった。 もう一度聞くわよ? あなたは一体何者なの?」
「俺は」
言って、いいのか。 いや、もうバレているようなものか。 それに何かが変わるなら、エレナを救う方法があるのなら、なんでも試すべきだ。 俺の正体と目的がバレたところで、何かが変わるのなら。
「……そうだよ。 俺は、この世界の人間じゃない。 エレナに連れて来られた、別世界の人間だ」
全てを話そう。 エレナを助けるためならば、手段なんて選んでいられない。 全てを試し、絶対に助ける。 助けてくれと、頼まれたんだ。 今更それを諦めてしまうのは嫌だ。 絶対に、嫌だ。 引き受けた以上は全うする。 どんな方法であれ、どんな形であれ、何を差し置いてもだ。
俺がエレナに拘るのには、そういう風に理由がある。 だからエレナが俺に拘るのにも、きっと理由があるんだ。 その理由を知るまでは……いや、知っても、だ。 俺は、エレナを救ってやらなければならない。 もうたった一枚のクッキーの恩だけではない。 俺という人間を見てくれたエレナを……助けたい。
「繋がったな。 つまり、こういうことか」
牙竜は言うと、その推測を話した。 そしてそれは、やはり俺も行き着いてしまった答えだ。
エレナは、俺のことを知っていた。 この世界から俺たちの世界を見て、知っていたんだ。 そしてエレナは妄想し、想像した。 その内容については分からない。 だが、おおよそは分かる。 俺に会いたいと、エレナはそう妄想したんだ。
その結果、その妄想は暴走し、妄獣となる。 エレナの妄想を歪んだ形で実現させようと。
まず起きたのが、他の妄獣の活発化と凶暴化。 学校のテロリストのような妄獣が、頻繁に出没するようになった。 エレナはそれらと戦うが、やがては限界を迎える。
……エレナの体は、その自らが生み出した妄獣によって食われ続けている。 心臓は止まり、体重は殆ど消え失せ、そうしてやっと、エレナは俺へ助けを求めた。 別世界で実在する俺に会うという方法はそうして叶う。 そしてその理由も、しっかりとあったのだから。
世界の危機へ直面すること。 それが、最大の理由だ。
俺に助けを求めるための理由だったんだ。 そうならなければ、エレナは俺に会いに来ることもなかった。 俺と話すこともなかった。 その危機に陥るということ自体が、エレナの妄想の所為だったんだ。
エレナ自身、それには気付いていないだろう。 知らず内に妄獣を生み出して、知らず内に世界を危機に追いやっているということに。
だから、エレナが死ねば全てが元通りとなる。 エレナが生み出した妄獣はやがて消え、エレナが知らない間に自身が作り出していた状況は、なかったことになる。
そうすれば、きっと世界は救われる。 このまま崩壊することもなく、救われるんだ。
「でもよ、でもさ……それを願っては、駄目なのか? 壊れかけている世界を元に戻せという妄想を……実現させることは」
最後の管理者となり、それを願うこと。 それさえクリアできれば、問題はないはずだ。
「無理だろーな。 そこまで都合良く流れそのものが書き換えられているなら、その「妄想を実現させられる」ということ自体が、妄想の可能性の方がたけえ。 最初から、あの王女さんの手のひらの上だったっつうわけだ。 お前も、俺たちも」
つまり、妄想を実現できることはない。 俺たちがこうして戦っていた理由も、たった一人の王女が妄想したことの経過にすぎない。 全ては舞台で、全ては物語、そして全ては妄想だ。
「だったら、どうやったら世界を救えるんだよ!?」
言ってから、気付く。 あるんだ、世界を救う方法はひとつだけ。 それをルーザは最初に言い、提示していたじゃないか。
……エレナが死ぬこと。 それが、世界を救うただひとつの方法だ。 選べるのはそれしかない。 提示されているのはたった一本の道のみだ。
「……だから、攫ったのか。 エレナを」
「そうだよ。 よーむくん、分かってよ。 エレナちゃんが生み出した妄獣は、強力すぎる。 それにあれを倒したとしても、生み出したエレナちゃんが死なないと止められない。 エレナちゃんに真実を知ってもらった上で、自ら死んでもらうしかね」
「自殺をさせるって、ことか? エレナがそんなこと」
する、だろう。 あいつは何より、世界を優先するはずだ。 自分のことは二の次で、世界を優先するはずだ。 それで良いのか? 俺は、それで本当に良いのか?
「選べって言うのか。 俺に」
「ちげーだろ。 この状況じゃ、邪魔をするなって意味だ」
選択肢はないってことか。 ただ、指をくわえてそのときを待っていろということか。 エレナが死ぬのを……黙って見ていろと。 そう、言うのか。
エレナはいつだって、俺のことを考えてくれていた。 最初に会ったとき、俺をこの世界へ連れてきたときも、俺に無理強いはしなかった。 俺が希望すればすぐに元の世界へ戻すと、言ってくれた。 妄想してしまうほどに会いたがっていたというのに、自分のそれすらを押し込んで、俺の気持ちを優先させた。
思えばそうだ。 あいつはただの一度だって、自分を優先させたことはない。 自分の意思より俺の意思を優先していたんだ。 自分がどれだけ苦しんでいるのか、もしかしたらあいつはそれにすら気付かずに。
「他に方法は、ないのか。 世界を救う方法は」
「ないよ。 エレナちゃんが死ななければ、世界は壊滅する。 別世界のよーむくんにはどうでも良いことかもしれないけど、あたしらにとっちゃ一大事なんだよ」
エレナはいつだって、大事なことを話さなかった。 俺が居なければすぐに命が尽きることも、この世界で起きていたことも、エレナの家に箸が一膳しかないことも、な。
「お前らは、エレナを助けたいと思わないのか?」
俺は質問を重ねる。 相手の意思の固さを確認する意味も含まれていたけど、一番にあったのは自分の行動と想いをハッキリとさせるためだ。
「あたしはそりゃ、多少は。 でも他に方法がないなら、仕方ないと思ってる。 戦いはもう……それがエレナちゃんの妄想だと分かった時点で、終わりだね。 あたしたちで殺し合う必要はもうない」
エレナはいつだって、自分を盾にしていた。 小さい体で、重傷を負った俺を助けるために、敵に頭まで下げた。
「そう……か」
「分かってあげなよ、よーむくん。 エレナちゃんも、世界が救われた方が幸せだよ」
エレナはいつだって、独りだった。 俺と会うその日まで、ずっとあいつは独りだった。 独りで戦って、それでもあいつは寂しがりで、甘えん坊で、泣き虫だった。 俺と会うことを妄想するくらいに、独りはきっとつらかった。 何も分からず、何も気付かない俺だけど、それには気付けたぞ。
「なら、俺は」
俺に、できること。
エレナに対して、できること。
世界に対して、できること。
今このときも、エレナの命は少しずつ削られている。 あの忍者の速度では、大分離れた場所まで行ってしまっただろう。
だから、あいつはまた独りだ。 最後に見たエレナの顔は、泣きそうだったんだ。 俺に手を伸ばして、俺に助けを求めていたんだ。
王居から追放され、誰からも捨てられ、見捨てられ。 エレナは今、世界にも捨てられた。 大好きだと言っていたこの世界からも、捨てられた。
『わたくしだけは、陽夢様の味方です。 陽夢様は、わたくしのヒーローなんですよ』
エレナの言葉を思い出す。 俺に対して言ってくれた、その言葉を。 今の俺なら、それになんて返すのだろうか。
都合良く、世界は回り続ける。 邪魔な者を排除して、邪魔にならぬ者だけを残して。 エレナはまた、捨てられた。 また、だ。 初めてではない、同じことは昔にあったんだ。
ようやく、俺は気付けた。 エレナの正体に。 馬鹿らしい……笑えてくるぞ。 そんなことが、本当にあるなんて。
けれど、エレナが俺に拘る理由も分かった。 俺に会いたがっていた理由も分かった。 俺のことを救ってくれた理由も、分かった。
迷う必要なんて、なかったな。 こんな無駄なことを考える暇があるのなら、とっとと行動に移せ、だ。
「俺は」
最善の選択も、最悪の選択も、そんなのは誰かの視点で見た話だ。 だから、俺が今選ぼうとするこれは……最善の選択だ。 俺にとって、最善で最高の選択だ。
世界は言った。 一人の少女に、消えろと。
人々は言った。 一人の少女に、不幸をばら撒く王女だと。
残されたのは、独りっきりの少女だけ。 孤独な世界に、居場所はない。 そして、居る必要もない。
「エレナを助ける」
約束をした。 エレナを助けるって。 世界を救うとの約束は、どうやら守れなくなってしまいそうだけど。
それでも、エレナを助けたい。 俺が決めたことで、俺の意思だ。 もう、迷わねえ。
「……だから、言ったでしょ? それをしたら世界が終わるのよ?」
聞いたよ、そんなことは。
俺が目指すのは、みんなが笑って終われるハッピーエンドでもなければ、誰も傷付かない物語でもないんだ。 だってそうだろ?
もう、エレナが充分傷付いた。 エレナが充分苦しんだ。 エレナが充分、泣いた。 だったらもう、そんな幸せで愛溢れるストーリーにはなりやしない。 ここから先は、一人の少女だけが救われて、他の全てが傷付く話だ。
自己中でも良い。 最低最悪でも良い。 そんなのにはもう、慣れたから。 俺はいつもの様に、自分の考えで動くだけだ。
「だからどうした」
あいつは、言ってくれた。 どんなときでも、俺の味方で居てくれると。
だったら俺も一緒だ。 どんなときでも、俺はエレナの味方だと。
それでたとえ、世界が破滅したとしても。 構わねえ。
「エレナのために、世界が死ねよ」
それが俺の出した、最善の選択だ。 他の奴にとっては、最悪の選択だ。
世界を殺して、一人の少女を助ける。 そんな妄想を……始めよう。