そして、少女は連れ去られた。
「同着か。 少し遊びすぎちまったな」
俺の顔を見るなり、すぐさま牙竜はそう呟く。 そしてそれを聞いて食いかかるのは、やはりエレナだ。 気持ち弱々しい声で、口を開いた。
「何を言っていますか? 誰がどう見ても、陽夢様の方が早かったと思いますよ。 陽夢様の勝ちです」
「おい成瀬。 この王女さんしっかり躾けとけや。 殺したくなってくる」
いきなり食って掛かるエレナに対し、俺に文句を言う牙竜。 別に俺はエレナの保護者というわけじゃないんだけどな……それに躾けとけって、まるでペットじゃん。 エレナもエレナで俺を持ち上げてくれるのはやっぱり嬉しいけど、話をややこしくしている感も拭えない。
まぁ、何はともあれ俺たちは最後の部屋へと揃った。 俺が倒したのは二人、正確に言えばトタラの方はヤクレが食った形ではあるが。
「……いずれ殺し合うんだろ。 だったら、ちょっとは我慢しろ。 ところでそっちは何人だった?」
「四人。 ゴミみてーな雑魚がな。 その言い方だとそっちは二人ってとこか?」
「ああ、そうだ。 んで、この部屋に居るのがあいつらが言うところの『団長』ってわけか」
「はっ。 そりゃそうだ。 しかしよぉ、こうも邪魔くせーゴミが出てくると、さすがに虫唾が走るな」
牙竜が言いながら視線を向ける先には、死体だ。 紛れもなく、見間違いのない死体。
このイマージンサーカスには七匹の妄獣が潜んでいる。 殺したのは六匹、残るは一匹。 そう考えるのが当然で、当たり前。 だが。
だが、その団長様と思われる奴の様子がおかしい。 そこにあるのは、ただの死体でしかない。 それも、真新しいものだ。 それを証明するかのように、その死体はやがて光となり、消え去る。
「俺様たちより先に、これに勘付いた奴がいるってことか? しっかし、一体どこへ隠れているやら」
そうだ。 そいつはまだこの部屋の中に居る可能性が高い。 団長と呼ばれていた妄獣の死体がまだ形を保っていたということは……殺されたばかりだということ。
「いっそのこと、テントごと消し飛ばすか」
牙竜が言った直後、身を貫くような何かが俺たちを包み込む。 俺たちを刺し殺すような、強烈な何か。
……いや、これは何かじゃない。 この感じは、殺気だ。 普通では分からないほどの異様な空気、俺はそういう世界を見て回ってきたから知っている。 分かっている。 理解できるんだ。
「ッ!」
牙竜の上に、何かが落ちてきた。 それに反応したのは霧の騎士で、その何かを剣で防ぐ。
「おーおー、んなとこに居たか。 てめぇ、見ねえ顔だな」
「防がれた。 私の攻撃が。 君は強いね」
そいつは霧の騎士に弾かれ、先ほどまで団長と呼ばれた奴の死体があった場所へと着地する。 見ると、居たのは長髪の男だ。 身に纏っているのは戦闘には不向きであろう白衣で、俺たちに視線を向けている。 眠そうな、だるそうな顔だな。
「初めまして。 私は名乗るほどの者でもないです。 忍者を従えている魔法師にて」
「……なるほど、あの人が忍者の魔法師のようですね。 となると、残された一人があの人のようです」
「そういうことになるな。 けどあいつ、ボロボロじゃないか?」
見るからに傷を負っている感じだ。 腕は片方垂れており、動かないようにも見える。 目は片方閉じられており、開こうとはしない。 そんな手負いにも見える。
「それとは少し違う気がします。 陽夢様、お気を付けください」
そりゃ警戒するのは当然として、だ。 それよりもどうして俺たちの動向がバレている? たまたま、偶然この場に居合わせたとしても、こいつは一体どこから侵入した? 俺はともかくとして、牙竜にさえ気付かれずに侵入し、更に不意打ちを仕掛けるチャンスなど……考え付かない。 恐らくは、隠密行動ができる魔法か何かか? 忍者の魔法師ともなると、そういう風に考えてしまうが。
「ほお……てめぇが忍者の魔法師か? なら話がはえーな。 殺すか」
牙竜は言い、手をその男へと向ける。 すると僅か数秒にも満たない間に、その男がいる場所に黒い玉が出現した。 全てを吸い込み、消滅させる玉だ。 牙竜の魔法、膨張と縮小、そして――――――消滅。
「死んどけ」
吸い込まれるような風に、俺はエレナを抱き抱える。 冗談みたいに軽いこいつの体は、気を抜いたら本当に吸い込まれてしまいそうだ。 ていうか、この牙竜って奴も本当にお構いなしだな。
「……あ?」
数秒した後、牙竜が出した黒い玉は消える。 しかし、その男は変わらずそこへ立っていた。 何事もなかったかのように、先ほどと変わらぬ場所に、変わらぬ姿で。 間違いなく巻き込まれたはずの位置で、平然として立っている。 何をした? どうやってあれを回避したんだ?
「私は影が薄いから無事無事。 君の魔法は強すぎる。 それよりそろそろ頃合いか」
「頃合い? 頃合いって、なんのだ」
俺が言うと、男は天井を指さす。 不審に思いそこへ目をやると、そこに居たのは。
「……忍者?」
どうして、あいつまでがここに居る? まさか、嵌められたか? いや……忍者の魔法師が居る時点でこいつが居てもなんら不思議ではない。 だとしたら、考えが及ばなすぎたか。 ひょっとしたら、牙竜もこいつに協力をして?
そう思い、牙竜の方へと視線を向ける。 しかし、牙竜も俺同様に思考を巡らせているような表情をしていた。 つまり、考えられることは……俺たち二人ともに、嵌められたということだ。
「失敬」
「がっ!」
その一瞬の隙が、致命的なミスだった。 俺の腹に深く食い込まされた拳は、俺の手からエレナを落とすのに充分すぎた。 忍者が目の前に現れたと同時、既に俺の腹には拳がめり込んでいる。 肺から空気が押し出され、激痛と息苦しさが同時に襲ってくる。
「きゃ! よ、陽夢様っ!」
「目標捕獲。 それでは我はこれにて……」
「おいおいシカトしてんじゃねーぞ、クソ忍者が」
「ッ! 否、ここで牙竜殿を相手にするには些か準備が足りない。 それでも戦いたいと言うのならば、別のお相手が」
忍者は言い、壁を走る。 それを牙竜は追おうとし、その動きを止めた。
俺はようやく体が動き始め、息を整え立ち上がり、その光景を目の当たりにする。
「まったくさーあ? あたしがこんな誘拐ごっこなんて、マジで性に合わないんだけど」
……ルーザとその妄獣、ケルベロス? この状況、この場に全ての敵が揃ったということか? ならばなぜ、こいつらは結託している? 俺と牙竜が気付いていないだけで、手を組んでいたのはイマージンサーカスの連中だけじゃなかったってことか?
「よーむくんおひさ。 さて、どうすんの牙竜くん。 あたしとこいつとケルベロスちゃんとここでやる?」
「待てよッ!! エレナを返せッ!! てめぇら何企んでやがる!?」
自分でも驚くほどに、頭に血が登っていた。 ああいや……そうだ。 それもそうだ。 エレナは俺からの魔力供給がなければ、いつ死んでもおかしくはないのだ。 そのエレナとこうして離れるということは、エレナの死を受け入れるということだ。 そんな真似、もう俺にはできない。 エレナに一度救われた命、なくなったとしても……エレナだけは、助けなければならない。 何があっても、何をしても、他の全てを捨てたとしても。 それは俺の責任で、全うするべきことだ。
「だから落ち着きなって。 よーむくん、あの子は君と居たら駄目なの。 分かる?」
「分かるわけ、ねえ。 邪魔するなよお前ら。 ぶっ殺すぞ」
歯を食いしばり、そいつらを見た。 頭に上る血を抑えようと思いながら、そいつらを見た。 殺そうと思い、そいつらを見た。
溢れ出しそうだ。 この感じは、マズイ。 俺は知っている、これが行き過ぎるとどうなるのかを。 この感覚は。
「エレナを返せエレナを返せエレナを返せ!! てめぇら全員ぶっ殺してやる、あはは」
「……なに?」
やめろ、やめろやめろ。 落ち着け、頭を冷やせ。 ここでこれは、マズイだろ。 エレナを助けるんだ。 それだけを考えろ。 それだけを……イメージしろ。 ここでこいつらを殺したとしても、情報が途絶えるだけだ。 エレナを助けるには、目的と場所を聞かなければならない。 そのために、今は我慢しろ。
「……あ、く。 エレナをどこへ、やった。 何をする気だ、お前ら」
ルーザは一歩引いて、俺の言葉に不審な顔をする。 無理もない、一瞬溢れてしまった。 俺はアレをイメージしてしまった。 一度、作られた人格を。
「……よーむくん、君は一体何者? 魔法師でもなければ、王族でもない。 なのに、妙な力を持っている。 エレナちゃんが君に拘るのも、そういうこと?」
「知るか。 俺の質問に答えろって言ってんだ。 エレナに何をする気だ? あいつは、俺が居ないと……死んじまうんだぞ」
何も知らないのだろうと思った。 事情も、状況も。 エレナが俺から離れたら、どうなるのかも。 たとえ敵だったとしても、たとえいずれ殺し合う相手だったとしても、言わずにはいられなかった。 話さずにはいられなかった。 エレナを助けたい、その一心で。
「何と引き換えでも構わない。 エレナをすぐに、戻してくれ。 頼むから、あいつを」
けれど、現実は甘くない。 そんなのは、知っていたんだ。 ループの世界でも人狼の世界でも異能の世界でも、俺が元居た世界でも。 いつだって、現実は辛く悲しいことでしかないって。 分かり切っていたのに……甘えてしまう。
一番良い方法を望んでしまう。 選ぼうとしてしまう。 結局俺は、楽をしたいだけだ。 無数のパターンを組み立てて、その最善と最悪を導き出して、いつだって最善を選ぼうとしていた。 けれど、結局選ばされるのは最悪ばかりだ。
「無理だよ、それは。 エレナちゃんのことは諦めて、忘れるべきなんだ。 それが一番良い」
「ふざけんなッ!!」
諦めろ? 忘れろ? それが、一番良い? そんなの、分からないだろ。 そう言おうとしたそのとき、ルーザは再び口を開く。
「よーむくん、良い? よく聞いて。 エレナちゃんを生かしておけば、この世界は破滅する。 今起きている妄獣の活発化、凶暴化。 そしてこの妄獣同士、魔法師同士の殺し合い。 全ての原因は――――――――エレナちゃんだよ」
全ての原因が、エレナ? そんなわけは、ない。 あいつは俺に世界を救ってくれと言ったんだぞ? そうやって、助けを求めたんだぞ? あいつは妄想なんていう、人に話したら笑われそうなそれを……大切なものだと言って、恥ずかしがることなく「立派なこと」だと言ったんだぞ? 自分の弱い力を嘆き悲しむこともせず、戦っていたんだぞ? それも全て、世界を助けるために。 エレナが大好きだと言っていた世界を救うために。
そんなエレナが原因で、世界が破滅する? 全ての原因がエレナだと? そんなこと、信じられるわけがないだろ。
「おいおい金髪クソ女。 てめぇ、そう言うからには証拠があるんだよな? そのとんでも理論に行き着いた証拠が」
横で、牙竜は言う。 そうだ、仮にその結論に至ったとして、それに行き着くまでの理由がなければ話にならない。
そんな期待を込めて、エレナにはそんな力はないと思おうとして、俺はルーザの答えを待つ。 すぐ後ろには、退屈そうに座り込む先ほどの男だ。 俺たちの会話にまるで興味がないように、欠伸なんかをしてやがる。
「あたしたちが手を組む理由というのは、分かってくれた? そのエレナちゃんを確保するために手を組んだということは」
「ああ、この状況から、それくらいならな」
俺が答えると、ルーザは頷いて続ける。
「あたしは、あの忍者を従えてる魔法師に会いに行ったの、そこに居る彼ね。 まー寒い寒いとこだけど、大体こっから八百キロは離れている場所よ」
「……それがどうした?」
「街はほぼ壊滅。 そこら中に死体の山。 その原因が、何か分かる? それを起こしていたのが何か分かる?」
ここから八百キロも離れた街で、そんなことが? だが、それとこれの何がどう関係している?
「妄獣か」
問いに答えたのは、牙竜。 そしてその言葉にルーザは再度頷いた。
「そ。 妄獣よ。 でもね、その妄獣はあたしが知っている奴だった。 どうしてそれが生まれたのか、どうして街が壊滅したのか、すぐに理解したわ」
「ルーザが知っている奴だった……? それって」
誰だと俺が言う前に、ルーザは続ける。 それこそが、エレナに原因があるという理由を。 そしてそれは、この世界を壊しかねないという結果を。
「そこに居たのはあなたよ。 よーむくん」