七月七日【1】
朝、いつものように目が覚める。 カレンダーを見て、デジタル時計を見て、日付を確認。
そういえば、こうやって起きてからすぐに日付を確認するのも久し振りのことだ。 七月をループし始めてからは、そういう日付とかに対する概念も殆どなくなっていたから。
三十一回起きて、三十二回目ではまた振り出しへと戻る。 そういう認識でそういう習慣になっていた。 そして、そんなことを十回も繰り返し、十一回目の今、俺はここに居る。 このまま一生ここから抜け出せないんじゃないかとも思ったが、十一回目にしてそれが変わったんだ。
……西園寺夢花という、俺と同じく七月に閉じ込められた同級生に出会うことによって。
あまり頼りになるとはいえない友達だけど、一緒に居てつまらないということはない。 むしろ、結構面白いかもしれない。 西園寺さんの発言やら、その表情だとかは、良くも悪くもわりと癒されるのだ。 こんな状況だからこそ、彼女の存在というのは案外大きいのかもな。 そしてそんな出会いによって、今までなんら変わってこなかった日常は大きく変わっていったんだ。
「今日はさすがに来てないか」
窓の外を確認し、西園寺さんが居ないことを認識する。 学校がある日は毎日やってくる西園寺さんだが、今日は生憎、創立記念日なので休み。 ループをしている俺にとっては毎月行われている創立記念日だけども。
しっかしなんだろう……。 こうやって、久し振りに西園寺さんがやってこない朝ってのは……なんというか。
「……平和だなぁ」
めちゃくちゃ平和だ。 というかこの安心感はなんだ。 すっげえ幸せ。 人間目覚まし時計がこないとこんなにも平穏無事な朝を迎えられるのか……! 俺、泣きそうである。 平和な一日というのは、こんな日のことを言うんだろう。
と、結構失礼なことを考えているときに部屋の扉が叩かれる。 誰だ俺の平穏な一日を邪魔する奴は。
「陽夢ー? 起きてるー?」
声からして、母親か。 悪乗りすると非常に面倒な母親だが、普段は意外にも真面目である。 その悪乗りした場合ってのが、マジでどうしようもないけどな。
「はいはーい。 なに?」
平和な朝に感謝しつつ、俺は上機嫌で扉越しの母親に要件を尋ねる。 うーむ……やっぱり休みの朝ってのは、こうじゃなきゃな。
「なんか気持ち悪いくらい機嫌良さそうね、あんた」
「……気のせい気のせい。 それで、なんか用事?」
扉を開けるとすぐにそんなことを言う母親を誤魔化して、俺はその内容を聞く。 平日以外は滅多に俺のことを呼ぶことがない母親だが……今日がもしかして休みというのを忘れているのか? かわいそうに、まだあまり歳は行っていないのにボケが始まっているとは。
「うん。 あんたに電話よ。 えーっと……あの子、いつも家の前まで来てる子」
ああ、なんてことだ。 最悪だ。 母親がまだボケていなかったのは喜ばしいことだが……。 折角、平和な朝だと思ったのに一気に地獄の朝になってしまった。 まさか家を訪ねずに、文明の利器を利用してくるとは……恐ろしい女だ。
「……西園寺さんか」
「そうそう、その子。 良い子よねぇ……お母さん褒められちゃった。 いつも成瀬くんがご飯美味しいって言ってますよって。 成瀬くんのお母さんはお料理が上手いんですねって」
体をよじらせながら、さぞ嬉しそうに言う母親。 うざいなおい。
てか、あいつは一体どんな話を俺の親としているんだよ。 そもそもご飯が美味しいって言ったのも数えるほどしか言ってないと思うんだけど。 あーでも、俺と西園寺さんが会った回数ってのも今思えば数えるほどか? つか、それよりいつの間にか人の母親と仲良くするのは止めてくれ。 なんか恥ずかしいんだ、そういうのは。
「分かったから早く受話器渡してくれよ。 電話、繋がってるんだろ?」
「あ、そうだったわね。 うふふ」
気持ちの悪い笑い方をする母親から受話器を受け取り、俺は部屋の扉を閉める。 どうせなら西園寺さんみたいに綺麗に笑って欲しいものだ。 母親がそうだったとしても結局俺が思うことに変化はないと思うけれども。
「……もしもし」
言いながら、俺はベッドの上へと座り込む。 すると、すぐに元気の良い声が聞こえてくる。 今日も元気いっぱい西園寺さん。
『おはよう成瀬くん! えへへ、しっかり起きてたんだね』
「ああ、まーね。 そりゃもう平和で幸せで最高の朝だったよ、ついさっきまで」
『そうなんだ。 良いなぁ、わたしって結構慌てちゃうから、いっつも朝はドタバタしてるんだよ。 だから羨ましいかも』
そうかいそうかい。 俺もそうだよ、平日の朝なんて特にね。 誰かのおかげで。
「はは、それで今日は?」
『あ、そうだった。 成瀬くん、しっかり覚えてるかなって思って。 覚えてるよね?』
「……分かってるって。 だから休みの日なのに起きてるんだよ」
忘れるわけがないだろう!! だって昨日の朝、会ったときにまず「明日、約束だからね」と言ってきて、その日の別れ際にも「明日、楽しみにしてるからー!」といって別れて、昨日の夜にも家に電話が来て「明日、よろしくね」と言われたのだから、忘れるわけがないだろう!!
『良かったぁ……。 実はわたし、今日の朝思い出して慌てて電話しちゃったんだ』
おい、マジかよ。 なんで俺が覚えていて西園寺さんが忘れているんだよ……。 ひどいなこの人。
「とりあえずは今から準備して行くよ。 えーっと、待ち合わせは学校で良かったんだっけ?」
『うん。 わたしも今から準備して行くね。 それじゃあまた後で』
「ああ、また後で」
通話終了。 短い会話だったが、西園寺さんの様子が見て取れるような気分だったな……。 きっと慌てたんだろうなぁ、朝。
俺はそんなことを思いながら、受話器をベッドの上に起き、立ち上がる。 すぐ目の前にあるのはカレンダー。
「……いつになったら、めくれるんだかな」
もう一年近くも、カレンダーはめくっていない。 七月から動かない以上、それをする必要がなかったから。
そろそろ七という数字も見飽きてきたことだし、いい加減八という数字を拝みたいものだが……どうなることやら。
少なくともあの日、俺が西園寺さんのカラオケに付き合った日に届いた『手紙』に書いてあった問題は、未だにまったく手付かずだ。 一応は毎日考えてはいるのだが、問題としての答えは全然思い当たらない。
ヒントと呼べるものすらなく、途方に暮れている状態と言って良いだろう。
……と、昔の俺なら諦めていたかもな。 けど今の俺なら、多少は周りを見ることを覚えた俺なら。
実を言うと、もしかしてと思うことはあるのだ。 だが、そのもしかしてに繋がるものが少なすぎる。 小さいことはいくつかあるのだが……どうにも、そのもしかしてに繋がる大きな証拠がない。
それを見つけることが、この課題を解く鍵にもなるかもしれない。 だけど、俺が考えている一つの解答が事実だったとしたら。
「まさしく最悪の場合って感じだな」
だからこそ、それを踏まえて行動せねば。
俺はその日の朝、そんなことを思いながら家を出て行った。
「よ」
「遅いよー。 約束の時間は十一時だったよね? 成瀬くん」
校門の前に立つ西園寺さんに片手をあげて挨拶したところ、そんな言葉が返ってきた。 仕方ないだろ、年頃の男子は身支度に時間がかかるんだよ。
「そうだったっけ? 俺が聞いた時間って十一時半だったと思うんだけど」
「……あれ? そうだっけ? それじゃあ、わたしが間違えてたのかも。 えへへ」
どれだけ純真なのだろうか。 この先が本当に心配になってくる純真さだな。 俺みたいな汚い奴にならないよう頑張って欲しいものだ。
「あーいや嘘。 悪いな騙して」
「……もう、成瀬くんって結構いじわるだよね」
「そりゃ気のせいだ。 それより行こうよ、西園寺さんの家」
そう。 俺が今日、西園寺さんと約束していたというのは、西園寺さんの家を訪ねるというイベントである。 実に嫌なイベントだ。 ていうか、西園寺さんと出会ってから平和な休日を送れていない。
まぁそうなったのも、この前西園寺さんの家にある花を「今度見に来てね」との言葉で約束していたからで。 そして、西園寺さんがその今度という日を今日に決めていたからである。 殆ど無理矢理だけどな。
「うん、そうだね。 今日はお母さんもいるから、成瀬くんを紹介しようと思ってたんだ」
「……マジかよ」
いや、一応言っておくが、年頃の男女が一つ屋根の下で過ごすというのは大問題だし、それが正しき形ではあるのだろうが……マジかよ。 ちょっと期待していたのに。
じゃない、そうじゃなかった。 何考えているんだ俺。 そうじゃなくて、西園寺さんの母親は、娘が何やら良く分からない男を連れてきたらどう思うのだろうか、という心配だ。 うん、そういうことにしておこう。
「お母さんね、成瀬くんと会ってみたいっていっつも言っているんだよ」
「へぇ……って、俺の話をしているのか、家で」
「うん毎日!」
してるのかよ。 それも毎日かよ。 なんか段々行きたくなくなってきた……。 西園寺さんのことだから、隅から隅まで全て話していそうだしな。 俺が西園寺さんにした酷いことを言われていたら困るぞ? 例えば……昨日宇宙人に会ったという嘘だったり、通学中にいきなり頭を叩いてみたり、西園寺さんの弁当を奪ってみたり。
……酷い奴だと思っただろ? 残念ながら嘘だ。 本当にしたことと言えば、一番最初の宇宙人のくだりくらいである。 まぁ、そんなどうでも良い話は置いといて。
もしも西園寺さんが全て話していたとして。 全て、全て……? いやちょっと待てよ、まさかとは思うが。
「一応聞くけど、このループのこととかは話していないよな?」
「……うん、勿論それは内緒だよ。 お母さんを心配させちゃうし、それに」
そう続けようとしたところで、俺は口を挟む。 何故だか、西園寺さんにその言葉は言わせたくなかった。
「知った人が、死ぬから」
「……知ってるんだね、成瀬くんも」
も、ということは西園寺さんもだろう。 恐らく、何回目のループのときなのかは分からないが、西園寺さんも俺と同じように他の人に話したってことか。 そしてその結果を知って、それをずっと避けていた。
俺なんて、たかが十一回目。 それに比べて、西園寺さんは三十八回目。 一体、それはどれだけ西園寺さんを悩ませ、負担になったのかは知らない。 けど、それが辛かったってことくらいは分かる。
俺だって、こんな平気そうな態度で平気そうな顔をしているが、内心はいつだって怯えているんだから。 ただただ、それを押し殺しているだけで。
「まぁね。 それよりもさ、俺と西園寺さんってループの回数が違うよな?」
聞いて答えが得られるかは分からないが、一応は聞いてみよう。 少なくとも俺よりも広い視野を持っている彼女にしか分からないことだって、きっとある。
「うん、わたしが三十八回目で、成瀬くんが十一回目……だったよね?」
「ああ、そう。 でもさ、そうだとしたら……変じゃないか? 俺と西園寺さんが同時にループに入ったんじゃないとしたら、俺が入っていないときにループしていた西園寺さんが居る世界……なんか言葉にすると難しいから、俺が居ないループ世界、で良いか」
そう言い、俺は続ける。 こんなことで頭を悩ませても、それは無駄かもしれないが。
「その俺が居ないループ世界に居た俺は、どういう扱いなんだ? 普通に八月を迎えられている……つまり、今ここに居る俺とは別の人間ってことか?」
「あー、なるほど。 そういうことかぁ……うーん」
西園寺さんはそれを聞くと、すぐに腕組みを始めた。 思考開始の合図でもある。 そして今日に限っては、案外それは早くに終わったようで。
「……分からないや。 えへへ」
「だよなぁ」
ま、それが出さなければいけない答えではないし、あまり深く考えすぎるのも良くはないだろう。
「あ、でもね。 年はとらないみたいだよ? 正確に言うと、成長はしないってことかな?」
「……そうかもとは思ったけど、なんかやけに確信を得ている感じだな、西園寺さん。 何か理由でもあるのか?」
ここで、なんとなくだとかはさすがに言わないだろう。 言わないよな? 言わないでくださいお願いします。
そんな思いがどうやら届いたようで、西園寺さんは口を開く。
「実はね、七月の三十一日にちょっと怪我をしちゃったことがあったんだ。 でも、朝起きたらそれが治ってたの。 だから、体は七月一日の状態まで巻き戻っているんだなーって」
「おお……なるほど……。 あれ、西園寺さんが今日はなんか、違って見える」
「……失礼だなぁ」
頬を膨らませ、文句を言う西園寺さん。 その仕草は子供っぽくもあるが、同時に西園寺さんの性格を表しているようにも見える。 子供のように純粋で、純真な西園寺さんを。
「ごめんごめん、でもそっか……そういうことなら、もしかしたら他の人たちもそうなのかな」
「だめ。 成瀬くん、今のは駄目だよ」
「へ? 何が?」
突然にそんなことを言われ、理解ができずに尋ね返す。 駄目って……何がだ?
「謝るの。 わたしに禁止したんだから、成瀬くんもやめよ?」
「……あー、そういえばそうだったっけ。 分かった」
律儀だなぁ。 と、それを約束させた俺が言うのもあれだけど。 それでもしっかりと約束を守っている辺り、俺も見習わなければならないか。 俺って約束破るのに躊躇いないからなぁ。
「それじゃあ、約束! 指切り!」
こうして、何故か俺は西園寺さんと指切りをすることになった。 会ってからぐだぐだと校門の前で話している俺たちだが……もしかして西園寺さんは、今日は家で遊ぶという予定を忘れているのではないだろうか。
にこにこと嬉しそうに指切りをする西園寺さんを見て、俺はそんな風に思った。