俺と少女と魔法師は敵のアジトに踏み入った。
「陽夢様、本当に大丈夫ですか?」
あれから、作戦決行の夜までの間は自由行動となり、俺とエレナは牙竜と別れ、一旦自宅へと引き返していた。
その道中でエレナに牙竜から聞いた件について尋ねようとも思ったが、作戦前に気が散るようなことは、口に出せなかった。
「ああ、エレナのおかげだ。 ありがとな」
「いいえ。 陽夢様が居なくなってしまうことほど、わたくしに怖いものはありません。 ですので、どうか無理だけはしないでください」
……こいつ、めちゃくちゃ泣いてたもんな。 まだ知り合って一週間程度なのに、そこまでの奴なのかな、俺って。 エレナは俺のことを見ていたと言っていたけど、ただそうしているだけでそこまでの感情が湧くものなのだろうか?
なんて思うも、エレナを悲しませてしまったのは事実だ。 それはもう変えられない。 だから、俺は言う。
「そうだ。 今日の夜が無事に終わったら、なんでも頼みをひとつ聞こう。 助けてくれたお礼で」
「本当ですか!? うふふ、では、それまでに考えておきます。 ときに陽夢様、そのお願いなのですが……こんなのもありなのかというのをひとつ、思い浮かべました。 聞いてもよろしいでしょうか?」
「お、良いじゃん良いじゃん。 なんだ?」
その内容に少し興味があり俺が尋ね返すと、エレナは手遊びをしながら俺を上目遣いで見る。 それを数秒続けたあとに、モゴモゴと何かを言い始めた。
「その……け、けっこ……」
「けっこ?」
「い、いえ!! な、なんでもありません!! お茶を淹れてきますね!!」
途中まで言いかけた何かを誤魔化し、エレナはそそくさとキッチンへ小走りで駆けて行く。 そんなに慌てると転ぶぞ、と言おうとしたそのとき、盛大な音が聞こえてきた。
……今のは、俺が妄想した所為ではないと思う。
「来たな。 んじゃあ、まずは戦力の確認だ」
それから数時間後、俺とエレナは再度、牙竜の家を訪れた。 いくつもの家を所有しているという牙竜の拠点のひとつに。 さすがに有名な魔法師ともなると、その財産も半端ないのかな。 かなりのでかさの一軒家、とてもじゃないが一人で住むには大きすぎる家だ。 住宅街とは離れた位置にあり、言わば屋敷とも表現できるそこが、牙竜の拠点の内のひとつだと言うのだから驚きである。
「まーぶっちゃけ俺様一人でも余裕だ。 お前らは言わば、おまけっつうわけだ」
「何を言いますか。 あなたの力と能力より、陽夢様の方がお強いです」
俺とエレナを見てそう言った牙竜に対し、エレナはすぐさま返す。 良いから早く行こうと提案したい気分だ、俺としては。
「んだとこのガキ。 誰に物言ってんだ」
「あなたにです。 陽夢様にかかれば、指一本で余裕ですので」
「……ほおお。 言ってくれるじゃねーか。 あん?」
……なんでいきなり喧嘩を始めているんだ。 というか、仮にも牙竜は一度俺を助けてくれたのだから、少しはエレナに遠慮して欲しい場面だ。 昔の知り合いということで、エレナはどんどん食いかかるし……喧嘩するほど仲が良いというあれかな。
にしても、この言い合いは牙竜に分があるだろう。 俺から見ても、牙竜の力はかなりのものだ。 他の魔法師はろくに見たことがないが、空間自体を消滅させた牙竜の魔法はとてつもないものに感じた。 威力は絶大で、詠唱もなし。 最強の魔法師たる魔法だと言える。
「問う。 成瀬陽夢、貴様の力はどれほどか?」
そんなことを思いながら言い合いをする二人を見ていたところ、真横からいきなり声がかかった。 牙竜のものでも、エレナのものでもない声だ。
「うお……居たのかお前。 てか、喋れるのかよ……」
声の方に目を向けると、そこには靄が広がっている。 ここまで近い距離で、ようやくかろうじでその姿が見れる騎士……霧の騎士だ。 この前はひと言も喋っていなかったから、てっきり喋れないのかと思ったよ。
「再度問う。 貴様の力は、如何なる物か」
「俺か? 俺のは「妄想を実現させる力」だよ。 つっても、五分だけだけどな」
一瞬、言おうか言わないかは悩んだ。 が、隠していてもいずれバレてしまうことだ。 それに、牙竜と戦う上でそんな小さなことをしたって勝ち目が増えるわけでもない。 そんな小細工で勝てる相手でも、ない。
「……妄想を? おいおい王女さん、てめぇ、そんな隠し球を持っていたのか。 おもしれえ」
「だから、わたくしは言いました。 あなたよりも陽夢様はお強いと」
「はっ! まー良い。 敵は強い方がおもしれぇって相場は決まってるからな。 んじゃー、早速俺様の考えた至高の作戦内容を話すぜ」
いつまでも続くかと思えた言い合いを断ち切り、牙竜は言うと簡素な部屋の中央に地図を広げる。 その地図というのも、魔法が使用された地図だ。 地図の上を点が蠢いている。 リアルタイムで、動く地図というわけか。
「まず、イマージンサーカスの奴らが拠点としてんのは、ここだ」
言いながら、牙竜は一点を指さした。 郊外の森の中、その不自然に少しだけ開けている場所だ。
「今は使われていない、サーカス団のテントですね」
牙竜の言葉に反応したのは、エレナ。 どうやら、エレナにはそこに何があるのかが分かっているようだ。 そして今現在、そこに何が居るのかも。
「さすがは王女さん。 で、だ。 ここに入るための入り口はひとつ。 人通りはまったくねーから、外からぶっ壊しても構わねえんだが……」
「それは駄目です。 あまり大きな騒ぎとなると、一般の方たちに影響がでる可能性もあります。 イレギュラーな出来事は、妄獣の発生を加速させるので。 世界のバランスが傾いてしまいます」
「だそうだ。 っつうわけで、取れる作戦はひとつ」
牙竜はニタリと笑うと、その作戦を口にした。
「正面突破。 全員ぶち殺す」
「とても作戦とは言えねえな……」
「わたくしも同意です。 しかし、それを成せる強さが、あの男にはあります。 ……あ、勿論陽夢様の方がお強いですよ?」
それはもう分かったよ。 どうせ否定しても、エレナはその意見を曲げないだろうし、俺はもう何も言わない。 それにそう言われるのは、ちょっとだけ嬉しかったりもするから。 他人から褒められるのは慣れていないんだ。
そんな俺たちが今居るのは、サーカス団のテントの正面。 ここがあの日、牙竜が知らされたイマージンサーカスのアジトだ。 しかしテントとは言ってもかなりの大きさで、野球場一個分以上はありそうなほどの巨大さがある。
「地図で見るとそうでもなかったけど、実際に見るとでかいな」
「ええ、昔はこの辺りも賑わっていたのですが、今ではもう。 良くも悪くも、魔法は世界に多大な影響を与えるので」
「ま、利便性は俺が居た世界よりもよっぽどあるけどな。 さて」
牙竜の作戦は、その名の通りの正面突破である。 そして中に入り次第、目に付いた奴から戦闘をするとのこと。 成功すれば、一気に七人もの魔法師と妄獣を蹴散らすことができ、妄想を実現させるために、大きな一歩だ。
俺としては、一刻も早くエレナの体を元に戻してやりたい。 だから、この作戦には乗るしかない。
……ないのだが。
「かっはっはっは!! こんばんはぁ! 起きてますかぁ!?」
牙竜の奴が、いきなり真正面から魔法をぶち込みやがった。 隠れる気も何も皆無な、とびっきり強大な魔法を。
初めて遭遇したときと同じ、黒い玉の魔法だ。 その玉に触れた空間や物は、綺麗に消えていく。 やがて、その玉自身は縮小し、消滅した。 残されたのは、丸く大きな空間のみ。
「おら行くぞ。 入り口入りやすくしてやったからよ」
「……はいよ」
後ろに居た俺とエレナに向けて言うと、牙竜は歩き始める。 そのすぐあとを俺とエレナは付いて行き、そのサーカス団のテントへと足を踏み入れた。
そのとき、俺は目を覚ました瞬間から初めてエレナの手を握ったことを思い出した。 というのも、エレナの手は俺が一度殺されたあの瞬間よりも、確実に冷たく、弱っているような、そんな気がしたから。
『よーこそお客様方ッ!! 僕らイマージンサーカスにようこそッ!!』
入るとすぐに、そんな声がマイク越しに聞こえてきた。 やはり、俺たちが来たということはバレている。 というか分かっていたってところだろうな。 その上で出迎えているのだ。 相手の準備は万全と見るのが当然で、するべきこと。
「……分かれ道か」
「どうやら、どちらかを選べということみたいですね」
俺の呟きにエレナは反応し、そして更にエレナの声に反応したのか、再び声が響き渡る。
『イーエスッ!! さぁてさぁて、お客様方。 選べる道は二つ。 天国への道と、地獄への道。 左が天国で、右が地獄。 ご自由に! お好きな方を! どーぞお選びくださいませッ!!』
「天国と地獄ねぇ……それじゃあ成瀬、こっからは別行動だ。 俺様は地獄へ行くから、お前は天国の方へ行け。 良いだろ?」
「別行動か? 一緒に行動をした方が、得策だとは思うぞ」
「取り逃がさねえようにすんだよ。 んで、それに失敗して死ぬようならそこまでだ。 どの道そんなんじゃ、俺様には勝てねぇ。 分かるか?」
……なんだか、基本的に馬鹿にされている感が拭えないな。 けどまぁ、俺も負けず嫌いだ。 そうまでして喧嘩を売られたら、買うしかあるまい。
「だったら、どっちが先に倒すか勝負だ。 俺とお前で」
「あ? ……お前が、俺に、勝負? かははっ! おもしれぇおもしれぇ、良いぜやってやる。 なら今からスタートだ。 この先がどうなってるかは分からねえが、より先に攻略した方が勝ちってことで良いよな?」
攻略、という言い方か。 こいつ、この状況を楽しんでいるのだろう。 或いはゲームのように感じているのかもしれない。 まぁ、それは。 それは俺もたまに感じるそれだ。
「おう、勿論」
俺が牙竜に言うと、牙竜はニタリと笑う。 そして別れの挨拶もないまま、俺は左の『天国への道』へと。 牙竜は右の『地獄への道』へと、それぞれが歩いて行く。
『およよ! その選択は予想外っですよぉ!? ヒヒヒヒヒ! 僕も早く準備しないとねッ!』
最後にそんなアナウンスが聞こえ、ぶつりとの機械音が響く。 それを聞き、俺はエレナの手を再度握った。
「……陽夢様、格好よかったです」
「いや……良くねえよ。 俺はいつだって、最低で最悪だ」
この世界で、それが格好良く見えるだけの話だ。 元の世界に戻れば、俺はいつも通りの成瀬陽夢に過ぎない。 最低で最悪の人間でしかない、俺に。
こんなにも俺に向いている世界があるのなら、ここで一生を過ごしたい気分だ。 だけど、それはできない。 俺が飲み物を買ってくるのを待っている奴らが居るからな。 まったく、あんな約束を受けるんじゃなかったよ。
「誰から見ても、最悪だよ。 俺はエレナが思っているような奴じゃないし、エレナが見てきた俺が全てじゃないだろ」
「いいえ、違いますよ。 確かに四六時中、毎日というわけではありません。 ですが陽夢様のことを見ておりました」
「だからその見ていたっていうのが全部じゃないって話だよ。 エレナが見ていないところで、俺は最悪のことをしている」
数え切れないほど、沢山のことをだ。 もう、忘れてしまったことさえあるかもしれない。 だって俺は、最低で最悪なのだから。
「うふふ。 そうした上で、言っているのです。 陽夢様はお優しく、素敵なお方だと。 それにですね、わたくしは陽夢様を見る前から、陽夢様がお優しいと知っておりましたよ」
「……エレナだけだな、そう言ってくれるのは」
心の底から、俺の行動を見た上でそう言ってくれるのは、きっとエレナだけだ。
俺がエレナから顔を逸らしてそう言うも、エレナは少々駆け足で俺の前へと回り込み、俺の顔を正面から見つめ、続ける。
「それでは、駄目でしょうか?」
「……ん?」
その言葉は、俺がずっと言って欲しかった言葉だったのかもしれない。
誰かから、言って欲しかった言葉だったのかもしれない。
俺が、ずっとずっと待っていた言葉だったのかもしれない。
「わたくしだけでは、駄目でしょうか? 陽夢様、わたくしは誰がなんと言おうと、陽夢様のことはヒーローだと思っております。 世界中、全ての人がそれを否定したとしても……陽夢様ご自身がそれを否定したとしても」
銀髪の少女は言う。 俺に向け、成瀬陽夢に向けて言う。
「わたくしだけは、陽夢様の味方です。 陽夢様は、わたくしのヒーローなんですよ」
エレナは笑ってそう言った。 俺の手を握り、少しだけ悪くなってしまっている顔色でも、懸命に笑顔を作って。 そんな馬鹿みたいに臭いセリフを格好良く、エレナは言った。
「……エレナ、エレナは一体、何者だ? 俺の何を知っている?」
「うふふ。 わたくしはわたくしです。 陽夢様がお優しいということは、良く知っております」
エレナは言い、首元にあるリボンを撫でて、頭を下げる。 はぐらかされたような気もしたし、その言葉こそが真だとも思えた。
「行きましょう、陽夢様。 わたくしも、全力でサポート致します。 足を引っ張るようでしたら、隠れております。 陽夢様が無事で、笑ってくれることこそが、わたくしの幸せです」
「俺もまったく一緒だな、それは。 ってわけで、お互い無傷で勝つぞ」
俺は言い、エレナと繋がれている手とは反対方向の手で拳を作り、エレナへと向ける。 それをすぐに汲みとって、エレナはその拳に、自身の拳を打って合わせた。
「勿論です。 陽夢様、わたくし……陽夢様のことが」
そこまで言って、エレナは慌てて自身の口を押さえた。 なんだ……?
「い、いえ! なんでもないです。 ……油断しておりました」
「油断? 一体、何を油断?」
「き、気になさらずにっ! 本当に、何でもありません!」
さっきまでニコニコとしていたと思ったら、今はひどく慌てた様子だ。 やっぱり、猫みたいな奴だな……エレナは。
ま、とにもかくにも。
今するべきことと、守るべきもの。 そして、最終的な目的を見据えて。
俺とエレナは薄暗いテントの中、カーテンで仕切られた一つの大部屋へと辿り着いた。 先にあるは、本当に天国なのかね。