俺はこうして死んだ。
あの日から、早くも一週間の月日が流れた。 ゾンビの妄獣以降は新たな妄獣が現れることもなく、管理者たちが何かを仕掛けてくることもない。 平穏で、平和な日々が流れていると言っても良いくらいだ。
変化という変化もなく、俺もエレナも目立った行動はせずに敵の動きを伺うことに神経を尖らせている。 それが今できる最善の行動だと判断した。 とは言っても、何か手を打たれる前に先手を打ちたい、という思いもあるにはあるが。 その手立てがない現状、下手に動くのは禁物だ。
「陽夢様、お茶を飲みますか?」
「ん、ああ。 貰っとく」
「はい! 少々お待ちくださいね」
にっこり微笑み、嬉しそうにキッチンへと駆けて行くエレナ。 神経……尖らせているよな? 大丈夫だよな?
なんて言っても、一応エレナは結界を張っていると言っていたし、大丈夫だろう。 魔法師としてのエレナは言ってしまえば落ちこぼれではあるらしいが、それでも魔法というのはやはり偉大で、結界を張る程度のことならばエレナでも可能らしい。 まぁ、それにも結構な時間と魔力を要していたが。 俺としては、それがエレナ自身の力なのだから恥じることはないと思っている。 それぞれ、得意不得意はあって当然だ。
ただ、前回のは相手が規格外の化け物揃いだったというだけ。 これから、あんな化け物たちを相手に戦わなければいけないと考えると、ちょっと鬱になりそうだけども。
「た、大変です陽夢様ッ!!」
「……どうした?」
キッチンでお茶を淹れていると思っていたエレナは、慌てて部屋へと戻ってくる。 そして、そのままの勢いで俺の手を掴む。 正面から見えるのは左目だけで、それは涙目。 何かとすぐに泣きそうになるエレナだが、その涙が溢れたのは未だに見たことがなかったりする。 泣き虫だが、我慢強い。 俺では想像できない苦労を抱えているであろうエレナは、強い。
しかし、この慌てっぷりはもしや……。
「茶葉が、わたくしが王居から持ち込んだ茶葉が切れてしまいました!」
……そんなことだろうとは、思ったよ。
こうして俺は、エレナと共に茶葉を買いに行くという目的を果たすこととなった。 その先で、何が待ち構えているのかも知らずに。
「てかさ、ロボットで買えば良くないか?」
「そうでしょうか? こうして、実物を見て買うというのも、楽しみのひとつですよ。 それに、こうして……あ、いえ。 なんでもありません。 うふふ」
エレナは何かを言いかけ、笑って誤魔化す。 それが多少気にはなったものの、触れない方が身のためだ。 この前なんて、変な追求をした所為で膝枕をすることになったんだ。 エレナがじゃなくて、俺がな。 普通逆だろ。 俺のこっ恥ずかしい気持ちを理解してもらいたいよ、エレナには。
と、そんなことを口走ればそうなるに決まっている。 エレナは意外と意思が強く、一度決めたことはそうそう曲げないのだ。 口は災いのもと、俺がこの世界に来て身に沁みた言葉だよ。
にしても、街がどれだけ発展しても置いてあるものは案外同じなんだな。 それこそ、魔法屋なんてのもあるが……そういう特殊な店を除いたら、置いてある物も大して変わらない。 食材を扱っている店、職安、ホームセンターやショッピングモール。 デパートなんてものもちゃんとある。
「服とかなら分かるけどな……そういえば、エレナってあんまお洒落とかしないよな? ドレスはまぁ似合ってるけど、アクセサリーとかそのリボンだけだろ?」
俺が知っている某金髪女は、そういうのが大好きだからな。 女子ってのはあれが基本だと思っていたが、エレナはそれとは違うようだったので、少しばかり気になっていた。
「ええ、まぁ。 わたくしは、そういうものに疎くて。 世間知らずな部分も、多いので」
エレナは心底嬉しそうに言う。 両手でドレスの裾を握り締め、その顔は若干紅潮しているように見えた。
「なるほどね。 だから料理があんななのか……」
「うう……。 いつか、いつか絶対に美味しいと思って頂きます! わたくし、頑張りますので!」
必死に言うエレナが面白く、俺はエレナの頭を撫でながら「おう」とだけ返す。 今度、料理でも教えてやろうかな。 言っても、俺だってそこまで料理ができるわけじゃないが。 お菓子なら任せろと言えるけど。
「あーそうだ。 全部終わったらさ、俺が居た世界で一緒に服でも買いに行くか? 俺もそういうの慣れてないけど、こうしてこっちの世界を案内してもらってるお礼で」
「本当ですか!? あ、いえ……。 もしも、その機会があれば……是非」
なんだ? 妙に歯切れが悪い言い方だ。 エレナにしては、珍しい。 俺はてっきり、二つ返事で快諾するものだと思ったが……。 世界を移動するってのは、やっぱり結構難しいことか。
「楽しみにしとく。 それでお目当ての物はあったか?」
俺が言うと、エレナは「わたくしも楽しみにしております」と言い、商品棚を見始める。
「付き合わせてしまったようで、申し訳ありません。 茶葉は美味しそうなのが見つかったので大丈夫です」
「なに言ってんだ、エレナが楽しいなら俺は良いよ。 俺は幸せだ、わりとな」
その言葉には、エレナが「不幸をばら撒く王女」と言われていることに対する物言いでもあった。 エレナはそれを察したのか、俺の手を握る力を少しだけ強めて、小さく「ありがとうございます」と漏らす。
無責任な言葉なのかもしれないけれど、それが俺の本音だ。 エレナを助けたいという気持ちは、一緒に居れば居るほどに強くなっていく。 一人だけが辛く、悲しい目に遭うなんてのは不公平だ。 誰もが幸せになる権利くらい、持っている。 そして俺はその方法を知っている。 ならば、そうするしかないんだ。
「では陽夢様、どちらが良いでしょうか?」
エレナは言うと、二つの茶葉を俺に見せる。 正直どっちも同じようにしか見えない……。 ここで最善なのは、エレナが好きな方を選ぶということか。 しかし「エレナが好きな方で」と答えるのは安直すぎるし、真面目に考えていないということがバレる可能性もある。 別にそれ自体には問題ないのだが、エレナの機嫌を損ねると、後に待っているのは甘えられタイムという地獄のような時間だ。 エレナのそれは可愛くも思えるのだが、死ぬほど恥ずかしいというおまけが付いてくるから避けたい。 ならば、ここで選ぶべきは。
「左のやつかな」
「こちらですね! うふふ、わたくしもこっちが良いと思っていたんです」
そう言って、エレナは左手に持っていた茶葉を見る。 そう、これこそが俺がエレナとの買い物を重ねる内に学んだ必殺技だ。
俺から見ての左と、エレナから見ての左は異なるものだ。 そこで俺は敢えて指を使わず、目を使わずに「左のやつ」と答えることによって、実際はどっちが欲しいのかを導けるのだ。 言われたエレナは当然、自分目線からと俺目線からを考える。 そして都合の良い解釈「俺と意見が合った」という方を取る。 これこそが、間違えずに相手が望んでいる物を導き出せる最強の作戦だ。 考えついた俺を褒めたい。 今世紀最大の発見だろ、これ。
「ありがとうございます、陽夢様。 これ、買ってきますね」
「ああ、なら俺は外で待ってるよ」
俺とエレナは一旦別れ、俺は店の外へ。 既に空は暗くなっており、柱が存在せず、空中に浮かぶ魔法電灯がきらきらと道を照らしていた。 あれもまた、魔法の成せる技術ってことか。
「……あいつら、どうしてるかな」
ふと、思う。 俺が元々居た世界の、仲間たち。 西園寺さんやクレア、そして柊木のこと。 飲み物を買いに行った結果、こんな長い寄り道をすることになってしまった。 いつかは、戻らないといけない世界だ。
でも、やるべきことができてしまったんだ。 俺はエレナを助けたいし、エレナを救ってやりたい。 初めて、それができそうなんだ。 いつもは助けられ、救われることが多い俺が自分の手で助けてやれそうなんだ。 自分の手でしっかりと掴めそうなものが、見えている。
……間違っていないよな、俺は。 そうだよな?
困っている奴を見捨てられる性格で、敵にならどんな手を使ってでも勝って、最悪なことも最低なこともする俺だけど。
エレナのことだけは、見捨てられなかった。 それはきっと、エレナからの好意があったからだ。
多少は向けられたことがあるかもしれない好意だ。 エレナはそれを、いつでも全力で、全てを俺に向けてくれている。 それを知ってしまったから、俺には見捨てることができなくなってしまった。
「陽夢様? 陽夢様、大丈夫ですか?」
「ん、おお……買ってきたのか」
気付けば、エレナは目の前で俺の顔を見上げていた。 心底心配したような、そんな顔付きだった。
「ええ、この通り。 それより、何やらぼーっとしていましたが……大丈夫ですか?」
「悪い。 ちょっと考えごとしててな」
エレナは聞くと、首を傾げて口を開く。
「考えごと、ですか?」
「……元々居た世界のこと。 みんなどうしているかなって」
一瞬だけ、答えるのかを迷った。 でも、隠していても意味がない。 俺がどう思っているのかも、知って欲しくあったんだ。
「元の世界……ですか。 もうしわ……んんー!」
謝ろうとしたエレナの口を塞ぐ。 そうじゃない、俺が言いたかったのは、そういうことじゃないんだ。
「俺が決めたことで、エレナは悪くないだろ。 それにこっちの世界も、新しいことが沢山あって楽しいよ、俺は。 だから謝んな。 ただ、少しだけホームシックなのかもしれない」
「……ん、そうなのですね。 わたくしでは、それをどうにかできませんが……。 元の世界に戻すと言ったら、怒りますよね?」
心配そうな顔をして、エレナは俺の顔を覗き込む。 そして、そんなことを口走った。
「当たり前だろ。 全部終わるまで、絶対に戻すな」
「……承知致しました。 では、陽夢様……少々寄り道をしませんか? この辺りでは、夜景が綺麗に見れる場所があるのです。 気分転換も、良いかもしれません」
「夜景が? へぇ。 別に俺は良いけど、なんかデートみたいだな」
「うふふ。 そうですね」
寄り道に寄り道を重ねる異世界旅行。 果たして、その行き着く先はどこになるやら。
まったく、妄想も想像も付かないな。
「おい、エレナ」
「は、はい……」
俺とエレナはそれから、夜の公園へとやって来ていた。 エレナ曰く夜は人で賑わうと言っていたこの場所だが、何故か誰一人として居ない。
そんな異常事態に首を傾げながら公園内を散策していたところ、その原因っぽい奴を見つけた。 いいや、っぽい奴ではない。 確実に、あいつが原因だ。
「我の名は、闇騎士ペルセウス!! 我が主人を亡き者にした下賎共ッ!! 姿を現せぇえええええええええい!!」
大声で叫ぶ、黒い甲冑を身に纏った騎士だった。 絶対ヤバイだろ、いろいろと。 外見はそれはもう格好良いが、あんなところで大声を出すなんて変質者でしかないって。 関わりたくないな……。
「てかさ、思ったんだけど闇とか地獄とか騎士とか、そういうの多いな」
「ええ、妄想ですから」
納得だ。 今年一番納得できたよ、今のは。 ま、それよりも問題は目の前のあいつだ。 黒騎士ペルセウスさんだ。 あれをどうにかするか、それとも見て見ぬ振りをして帰るか。 その二択。
「……人避けの魔法が使われていますね。 しかし、あの妄獣が使ったとは思えません。 陽夢様、お気を付けください」
魔法は通常、魔法師にしか使用できない。 妄獣は魔法を使用できないのだ。 所詮妄想は妄想で、それはまた魔法とは異なるものでしかない。 故に、妄想が具現化しただけの妄獣では一切の魔法が使用できない。
この状況でのそれは、何を意味するか。
「あいつを従えている魔法師が居る……か。 それとも、別の誰かがそうしたか、だな」
恐らくは、後者だ。 あの闇騎士のセリフからして、既に魔法師は何者かに殺されている可能性が高い。 ならば人避けの魔法を使用したのは、第三者。 この場で言う第三者は……あいつの魔法師を殺した奴だ。
「ここは一旦、離れた方が良いと思います。 あの闇騎士自体、相当な妄獣です。 Sランク……いえ、下手をしたら、それ以上の妄獣かと」
「は、Sランク以上!? おいおい……上には上がってやつか? 勘弁してくれよ……」
それならとっとと離れた方が良さそうだ。 そう判断し、俺はエレナの手を引いて立ち上がる。
だが、その僅かな物音をそいつは聞き逃さなかった。 タイミングの問題か、ただの偶然か、運に見放されたか。 或いは、その全てか。
「誰だッ!! 我が主人の仇、今こそ果たすッ!! 顕現せよ我が黒剣よッ! 全てを深淵へと誘う終焉の剣よッ!! 殺戮丸ッ!!」
見られたものは仕方ない。 俺は物陰に隠れているエレナの手を引き、立ち上がらせる。
「つうか名前だっせえなおい! エレナ、逃げるぞ!!」
思わずツッコミを入れてから、俺とエレナは走り出す。 直後、背後からあり得ないほどの威圧感で背中を押された気がした。 これは、ヤバイ。 直感がそう告げていた。
「紅蓮断罪ッ!! うおおおおおおおおおおぁあああああああああああああああああ!!」
「う、おっ!」
咄嗟に、エレナの身を俺の方へと寄せて、その剣撃を避ける。 闇騎士との距離は、それこそ数十メートルは離れていた。 しかし、結果的に言えば避けたのは正解だ。
「……マジかよこれ」
闇騎士が斬り裂いたその先は、数百メートルに渡り何もかもが消し飛んでいた。 木も、地面も、宙に浮かんでいた魔法電灯すら、全てが消し飛ばされていた。
「避けたか……! しかし貴様、中々の手練れとお見受けするッ! 我の一撃を避けるなど、あり得ぬ!! それほどの力を持ちながら、何故あのような卑怯な真似をしたッ!?」
「だから違うんだって! お前の主人を殺したのは俺たちじゃねえ! 勘違いだっての!」
「罪人は皆、そう抜かす!! 笑止千万ッ!! 罪人の戯言になど興味はないッ!!」
やっべえ。 話が通用しないタイプの奴だ。 俺が嫌いなタイプナンバーワンだぞ、おい。
しかしどうしたものか。 あの馬鹿みたいな威力の攻撃をそう何度も放たれては、こちらの体力が持ちそうにない。
「陽夢様、わたくしが魔法で一度防御します。 その間に、あの騎士を倒す策を」
「駄目だ。 エレナの魔法じゃ、絶対に防げると確信が持てない。 良いか、確率が悪い方を敢えて取る必要はない。 あいつが殺しにかかってくるなら、俺たちもその覚悟を持つまでだ。 やるぞ」
さて、と。 逃げられそうになければ、やり合うしかない。
相手との距離は、数十メートル。 そしてあの騎士の剣は、馬鹿みたいな破壊力を持っている。 この距離でも、余裕で射程内だ。
次に、あの一撃を防ぐのは俺でも難しい。 その攻撃の威力が想像できない以上、俺の力では防ぎきれない可能性が高い。
勝算があるとするなら、避けること。 あの一撃を避け、距離を一気に詰める。 そうすれば勝機は存在する。 そのために、するべきことは。
「エレナ、黒騎士の注意を引くことはできるか?」
「ええ、できます。 上空数メートルに強烈な光を放つ魔法ならば、即時使えます。 その光で視界を奪うことも、この暗さでなら大丈夫でしょう」
「充分だ。 あいつの一撃を避けたら、それを使ってくれ。 その間に俺が距離を詰めて、倒す」
「分かりました。 では、ご武運を!」
エレナは言うと、横に向い走る。 俺はそれを確認してから、騎士を見つめた。
見つめて、異変に気付く。
「……待て、待てエレナ!! 戻れッ!! 早く戻れッ!!」
見当違いをしていた。 先ほどの縦への巨大な一撃、それさえ避ければ、勝ち目はあると思っていた。 しかし、それは痛すぎる誤算だ。
「え?」
エレナは、振り返る。 まずい、間に合うか? 違う。 間に合わせなければ、駄目だ。 エレナを助けるのも、約束のひとつだ。
「紅蓮断罪……」
黒騎士は、横の構えをしていたんだ。 横、つまりは薙ぎ払いの一撃。 威力は縦よりも幾分か少ないと思われる。 だが、あの場所で構えたということは俺とエレナの位置まで届くと確証があったのだ。
「エレナッ!!」
俺ならば、その攻撃に反応できる。 妄想し、その一撃を避けることが可能だ。 しかし、エレナの場合は……!
「うぉおおおおおおおおおおおおおぁぁぁあああああああああああああああッ!!」
闇騎士は叫び、剣を振る。 全てを消し去り、破壊する一撃を。
妄想しろ想像しろッ!! エレナのもとまで辿り着く脚力を……!!
「きゃっ!」
ギリギリで、エレナの体に触れることができた。 エレナの体を押し倒し、上空を剣撃が通過していく。
「あ……がはっ!」
だが、俺の背中は大きく、切り開かれた。 熱く、冷たく、焼けるような感覚と、血が失われる冷たい感覚が同時にした。
若干暗くもなった視界の中で、血がエレナの顔にぽたりと、垂れていた。
「よう、む……様?」
その場で俺は、倒れ込む。 エレナの体の上へと、覆い被さるように。 すると、すぐにそこは血で染まる。 流れ出す血は、止まる気配がない。
……駄目だ、手も足も動かない。 妄想で治そうにも、痛みで頭が働かない。 治る想像も、まったくできない。
こりゃ、駄目だ。 確実に、死んだ。 見たことのない量の血が、地面をドス黒く染め上げる。 これが全て俺の血だなんて、笑えない……な。
「――!! ――――!!」
薄っすらとぼやける視界のなか、エレナが何かを叫んでいる。
俺の耳にそれは届かなかったけれど、ぽたりぽたりと、俺の顔に何かが当たったのは分かった。
エレナは初めて、涙を零したんだ。 死に間際に泣かせるなんて、最悪だな。 まったく、最悪……だ。
そうして、俺の意識はなくなった。