昔のことを思い出した。
まずは、敵の位置の確認だ。 それから、倒し方を考える。 数は多いが、一匹一匹の移動速度はそこまでではない。 万が一遭遇しても、走って逃げられるほどだ。 その辺りはやはり、ゾンビ映画さながらだな。
「あいつらの武器は移動速度でも攻撃性でもなく、その数だ。 だから、その数を活かせないところで作戦を練る」
万が一、攻め込まれた場合でもすぐに避難できる場所。 最悪の場合は、俺が力を使ってテレポートだってできる。 当然それは緊急事態の場合で、その状況にさせないのが最善手だが。
「それで、ここですね。 うふふ、さすが陽夢様です」
……いや、さすがって言われるほどのことじゃないけどな。 それよりエレナの奴、すっかり機嫌が良くなったな。
そんなエレナに苦笑いをしつつ、俺は二階からショッピングモールの入り口を見る。 そうだ、俺とエレナが現在居るのは、ショッピングモールから入ってすぐのところ。 階段を上がり、その位置からこうして入口を監視している。
「一応はバリケード張ったけど……あの扉だけでも結構有効だな」
ゾンビは既に、何匹か入口のガラスを叩いている状態だ。 しかしゾンビ自身にあまり力はないのか、破られずにドアガラスは健在である。 万が一そのガラスを破られたとしても、バリケードがある限り容易にここまで辿り着けはしないだろう。 それなりに投げつけたりして使えそうな物も揃えたことだし、一旦は安泰といったところか。
「そうですね。 ですが、問題はやはりどうやってこの世界を終わらせるか……良い方法が浮かばないのが、厄介なところかと」
「……だなぁ。 最悪、なんか大魔法とかで全部ぶっ飛ばしてくれよ」
こう、なんか空から隕石が落ちてくる的なやつで。 それか全てが燃え上がる系のやつで。
「申し訳ありません、陽夢様。 わたくしにはそこまでの魔法は使えないのです。 もう少し力があれば使えたのですが……」
と、そんな冗談にもエレナは真顔で真面目に答える。 使えたらこいつそれをやる気だったのか……なんか怖いぞ、それ。 それにエレナが唯一使えると言っていた探索魔法ですら、あれだけの準備が必要だったんだ。 他の魔法も使えないことはないとのことだが……今日の昼間の言い方からして、多分使い物にはならないのだろう。
「いや本気にしなくて良いからな。 てか、エレナって結局魔法師? の中ではどれくらい強いんだ?」
「……それは」
エレナは俺の言葉に、少しの間沈黙する。 その沈黙が何を示しているのか、俺には良く分からなかった。 だが、次にエレナが言ったことによって、ようやくそれを理解する。
「陽夢様に見栄を張っても仕方ありませんね。 わたくし、探索魔法だけは人並みですが、それ以外ではへっぽこなんです。 唯一の取り柄である王魔術も、この通りでして」
言いながら、エレナは手を合わせて開く。 すると、そこに現れたのは一枚のクッキーだ。 妄想を実現する力、エレナが持っている最高峰の魔法であるそれは、ただのクッキーを作り出すだけの力。 だが、エレナはそれを恥じるような素振りは見せなかった。
「俺は好きだけどな、そのクッキー。 別にだからってヘコむこともないだろ」
「うふふ、ありがとうございます。 ですが、わたくしはヘコんでいるわけではないですよ。 不思議な力が使える、それだけでわたくしは充分です」
「そっか。 んじゃ、余計なお世話だったかな」
……そういう奴は、嫌いになれない。 自分の弱さを受け入れている奴を嫌いになれることなんて、きっとない。 むしろ、そういう奴は好きなくらいだ。
弱いから落ち込む。 できないから嘆く。 上を目指そうとしない。 それは、仕方のないこと。 人間なんて、結局は甘えたいだけだ。 誰かに甘えて、自分に甘えて。 そうやってうまいこと生きていく。 それが賢く、本来の生き方だ。
だけど、下に向かっていくのは駄目だ。 弱いから他人に頼りっぱなし。 できないから諦めて何もしない。 上を目指そうとせず、下を目指す。 そんな奴は、嫌いだ。
「陽夢様は、何か嫌な思い出というのはありますか?」
壁に背中を預け、エレナは床に座り込んで俺に聞く。 それに付き合うため、俺もエレナの横へ腰をかけた。
「数え切れないほどあるよ。 だけど、今の俺を作っている一番の嫌な思い出ってのは……」
俺が言いかけたところで、エレナは自らの手で俺の口を塞ぐ。 何事かと思って顔を向けると、エレナは優しそうに微笑んでいた。
「陽夢様、なんとなく分かります。 わたくしのために、思い出したくないことまで思い出す必要はありませんよ」
言いながら、エレナは俺の口を塞いでいた手を退ける。 俺はどうやら、また顔に出ていたらしい。 エレナはそれを分かって、止めようとしてくれたんだ。
その優しさは、信じて良いのかもしれない。
「……そっか。 けど、話したい。 聞いてくれるか?」
「それを断る理由も意味も、わたくしは持ち合わせておりません。 何分でも、何時間でも、耳を傾けさせて頂きます」
にっこりと笑い、エレナは言う。 この話を人にするのは、初めてだ。 西園寺さんにも、クレアにも、柊木にも。 他の誰にもしたことがない話だ。
「中学生のとき、俺は友達に殺されかけたんだ」
そんな、くだらない話をしよう。
あの日は、俺と武臣と他の奴ら、全部で五、六人は居たと思う。 あの頃はまだ、俺にも友達は複数居た。 あの頃はな。
始まりは確か、武臣が川に行こうって提案したんだっけ。 今では考えられないほどに俺は行動的だったから、それに黙って付いて行ったんだ。 俺が住んでた地元からは結構離れている山に、自転車で一時間以上かけて行ったっけ。
「そんなときもあったのですね。 陽夢様に」
「まぁな。 正直、別人だったんじゃないかって俺自身思ってるよ」
ええっと……それで、だ。 夏休みだったから、人が結構居てさ。 どうせならって上流の方まで行ったんだよ。 そりゃもうかなり上流の方に。 森の奥で、けれどすごい良い場所だったと思う。 川の水も綺麗でな。
そんな場所で日が暮れるまで、ずっと遊んでいた。 山奥で、辺りが見えなくなるまでだった。 俺たちが遊んでいた場所は登山道からも逸れているところで、人が来ることはまずなかったんだ。 それで。
それで、俺たちの前に出てきたんだ。
「……それって、もしや熊がですか?」
「お、良く分かったな。 そんなでっかい奴じゃなかったけど、俺たちのことを茂みからジッと見ていたんだ」
最初に気付いたのは、武臣だった。 あまり大きな動きを見せないように、武臣は俺たち全員にそれを知らせた。 その結果、どうなったか。
当然のように、パニックになった。 全員が逃げようとして、それに熊は反応して茂みから出てきて。 その途中に、面白いことが起きた。
「……面白いこと」
言うエレナの顔は、怪訝なものだった。 俺が言っている「面白いこと」がどんな意味なのか、大体の想像が付いたのだろう。
「ああ、面白いことだ。 誰かが、俺の足を蹴り飛ばしたんだよ。 そんで、俺はその場に転んだ。 膝の辺りを蹴られて、立ち上がれなかった」
「そんな……。 皆さん慌てられていて、その所為で……ですよね?」
エレナは悲しそうな顔をして言う。 真実はエレナも分かっているだろうに、俺に気を利かせているのだろうか。 まぁ、そうだとしても俺は言おう。 事実と、真実だけを。
「違うよ」
蹴られたってのは、そういうことだ。 間違えて当たっただとか、そういうことではない。 確実に、蹴られたんだ。
それは何のためか。 こんなの、馬鹿でもすぐに分かる。 俺は餌にされたんだ。 全員が逃げるまでの、餌に。
「でも、馬鹿が一人だけ居た。 俺以外の奴は全員走り去ったのに、転んでる俺を見て馬鹿が一人引き返してきたんだ」
武臣だった。 あいつは、震えながらも俺のもとに戻ってきたんだ。 来たって何も出来ずに喰われるだけなのに。
不思議とあのときは、恐怖は感じなかったよ。 熊はどんどん俺たちに寄ってきていたけど、俺はそれらをなんも感じなかった。 ただ、自分の馬鹿っぷりを嘆いただけだ。
「俺が人間ってのがどんな生き物か知っていれば、もっと早く手を打てた。 そればっかり考えていたっけな」
だから俺は知ろうとした。 様々なことを学ぼうとした。 もう、蹴落とされないために。 殺されないために。 殺される前に、相手を殺すために。
そう思ったんだ。 ま、さすがにもう死んだとも思ったけど。
幸いなことに、熊は俺と武臣の匂いを嗅いだあとに森の中へ引き返して行ったよ。 俺たちから美味そうな匂いがしなかったのか、腹が一杯だったのかは分からないけどな。
「わたくしは、それよりも陽夢様を蹴った人のことが許せません」
俺が話し終え、一息吐いた。 俺とエレナの間には数十秒ほどの沈黙が流れ、やがて珍しく、エレナは怒りを込めた目でそう言った。 こんな声色も、顔も、こいつは持っていたんだな。
「俺だってそうさ。 今でも犯人が分かったら、同じ目に遭わせてやりたいよ。 俺は恨み深いからな」
そいつが謝ってきても、泣いてきても、同じくらいの目に遭わせようと思っていた。 だけど、それはできなかった。
……こりゃ本当に面白いことなんだが、そのあと会ったそいつらは全員喜んでいたんだ。 無事で良かった、会えて良かった、良く生き延びられたな、なんて言って。
それを言った誰かが、俺を蹴った犯人なのに。 さぞ当たり前のように、全員は俺と武臣に話しかけてきた。 そのとき、初めて俺は知った。
「この世で一番怖いのは、人間だ」
人の気持ちは分からない。 何を言っても、どんな顔をしても、そいつが何を思っているかなんて、本人でないと分からない。
だから、俺は信じられる人間以外と付き合うのをやめた。 けれど、今でもたまに思う。
「もしも今の友達に裏切られたら、俺はどうなっちまうんだろうな」
そんなことをたまに思う。 西園寺さんやクレア、柊木にリリア。 それに、今ではエレナも。
まぁけど、そのときはそのときだ。 俺は結局、それにすら慣れてしまうのだろう。 人間ってのは存外、環境に馴染んでしまうものだ。 どれだけ劣悪な環境でも、どれだけ優良な環境でも、人間はそれに慣れてしまう。 いつだって自分の基準で、自分の落ち着く場所を見つけられる。 それが、人間だ。
「大丈夫ですよ、陽夢様。 西園寺様もクレア様も柊木様もリリア様も、陽夢様の味方ですよ。 西園寺様とクレア様に関しては、陽夢様も良くご存知かと思います」
「……そうだな」
そうだな、そうだったよ。 異能の世界で、それは良く知ったんだ。
あの二人は、俺に対して一切の負の感情を持っていなかった。 クレアについては他の奴らに対してはそういう感情を持っていたが……俺に対しては、何も思っていなかった。
普通ならば思考が不定期に読まれる俺相手に、話すらしたくないだろうに。 あいつは、自ら寄ってきて話をしてくれた。
西園寺さんはもう、別格だけどな。 あの人は誰に対しても、そんな感情を抱かない。 明確に敵と認識するまで、芳ケ崎にすらその感情を持っていなかったほどだ。
あの二人は、全てをかけても信頼できる。 そう、思う。
「陽夢様、少し宜しいですか?」
「ん?」
エレナは言うと、俺の顔を真っ直ぐ見つめる。 そして、言った。 なんとも笑えてきてしまうような言葉を。
「わ、わたくしは……陽夢様のことが、その……嫌いです!!」
「いやそう手を握られながら言われてもな……」
エレナは俺の言葉にバッと手を離すも、数秒後には再度握る。 そして、顔を少し赤らめて口を開く。
「は、はい……。 なので、言葉だけでは全てのことなど分かりません。 その方の行動と、そのときの気持ちです。 陽夢様にもそれが、少しずつ分かって来ているのではないですか?」
「俺が?」
俺が、分かってきている? 俗にいう人の気持ちってやつが。 それは……言われてみれば、そういうことも増えたかもしれない。 西園寺さんやクレア、それに柊木とリリア。 みんなの気持ちが少しずつだけど、知れるようになっているのか?
「もしかしますと、あの方のおかげとも言えるかもしれませんね。 うふふ、そう言ってしまうと、陽夢様に怒られてしまいそうですが」
「……どうだか」
番傘男のおかげ、か。 そんなこと、考えたこともなかったな。 けれど、あいつと関わってからというもの、俺の生活も過ごし方も、取り巻く環境も、少しずつ変わっていっている。
良くも悪くも……だけど。
「あいつはそんなこと考えちゃいねえよ。 あいつはただ、俺たちで遊びたいだけだ――――――――エレナッ!?」
「え? きゃ!」
いつの間に、現れた? どうして、ここに入ってこられた? まさか、もう破られたのか?
「あ、ああア、あ」
エレナのすぐ後ろに、ゾンビは居た。 俺は咄嗟にエレナの手を引き、抱き寄せる。 その動作の途中に建物の入口に目を向けたが、バリケードは未だに健在だ。
ならば、どうして?
そんな疑問も、目の前で起こった光景によって解決された。
俺たちのすぐ目の前。 そこに光が集まり、新たなゾンビが現れたのだ。