廃墟に集まるは敵だった。
ギリギリ、だな。
あの一瞬、俺は自身の体に能力を付与した。 一度見たことがある場所への移動だ。 つまり、テレポート能力を。
動きをいくら早くしたところで、動くのは俺だけではなく、俺が背負っているエレナも同時に移動する。 ならば、それ相応の速度で移動をすればエレナにも負担がかかるのは当然。 それに精々強化したところで、俺では恐らくあの忍者と同速で走れることはない。 想像が付かない速度を出すことはできない。
「申し訳ありません、陽夢様。 わたくしが迂闊なことをしたばかりに……」
背中からは、エレナの声がする。 相変わらずの軽さだが、その声を聞いて一安心だ。 しっかりとエレナも一緒に移動しているのが分かった。
「良いって。 無事で何より――――――――」
言って、エレナの方に顔を向けたそのときだ。 俺の視界に、映った。
おいおい、なんでお前がここに居る? エレナの魔法は逆探知が可能だとしても、俺のは魔法とは異なるものだぞ? それにこの廃墟ってのも、数十キロは離れた場所にあるはずだ。 瞬時に場所がバレることはないと思ったのに。
なのに、どうしてお前が居るんだよ……忍者!!
「エレナッ!!」
咄嗟に、俺はエレナを後ろへ投げ飛ばす。 エレナの体は成されるがままに後ろへ飛び、その前へと俺が立つ。 忍者は既に、刀を俺へと振り下ろしていた。
想像しろ……防御を! 刀をも通さぬ、硬質な肉体を……!
「くそッ!」
「陽夢様っ!?」
しかし、僅かに間に合わなかった。 刀は俺の腕を数センチ、掠める。 硬質化が始まっていたおかげでそこまで深い傷ではないが、ダメージを負ってしまった。 血が一滴、廃墟の地面へと滲んでいく。
「……分からぬ。 分からぬな、貴様のことが。 瞬間移動に、肌の硬質化か? 明らかに系統が異なる魔法を使用出来る理由が分からぬ」
忍者は刀に付いた血を振り払うように宙を斬り、その刀を背中に収める。 俺の能力がバレていないのなら、勝算はあるか……?
忍者から目を離さずに、俺はエレナのもとまで歩いて行く。 そしてその小さな手を再度握り、エレナを立たせた。 俺たちはどちらがどちらを守るのではなく、協力者だ。 お互いが居て、初めて成立する関係だ。 もう、エレナを足手まといだとは思わない。 思えない。
「大丈夫か、エレナ」
「わたくしは、勿論です。 それより、陽夢様の腕が……」
「かすり傷だよ。 さて」
どうするかね、この状況を。 対する敵は超高速の忍者だ。 初速から六百キロで動くこいつの動きは、正直予想が付かない。 だったら、予想を立てれば良い。
……こんなときに、あの異能世界の知恵が役に立つなんてな。
妄想しろ、想像しろ。 俺は未来を見ることができる。 数秒先までの未来をハッキリと、明確に見ることができる能力を持っている。
この場で数秒後、起きることは……。
「誰だ!?」
未来が、見えた。 俺と忍者が殺される未来が。 それは炎によって、呆気なく。
俺は慌てて、そいつが現れるはずの方向に顔を向ける。 すると、そこから一人の人間が現れた。
「おうおうすっげーな、どうして俺様が居るってことが分かった?」
短髪の、耳にピアスを二つ付けた男だ。 歳は俺よりも少し上か? いや、んなことよりも。
その男の隣に居る、あの靄はなんだ……? 男のすぐ横で歪んでいる空間はなんだ?
「チッ、邪魔が入ったか。 貴様、見知った顔だな」
「ハハッ! そういうお前は知らねー顔だな。 さぁて、どうするかね……」
忍者とは、あいつも敵同士ってことみたいだ。 しかし、この状況は逆に好機か? 俺だけで忍者の相手をするよりも、イレギュラー要素が入った方がやりやすくもある。 問題は、この男とその横に居る何かが、どれほどの強さかということだ。
「陽夢様、あれは妄獣です。 靄をまとい姿を暗ます、霧の騎士……Sランクの妄獣です。 そして、そこに居る男は牙竜半児。 アルダイム史上、五本指に入ると言われている天才魔法師です」
「ご紹介どーも、エレナ王女さん。 久し振り久し振り、どうやら俺様の代わりを見つけたようだな。 今は誰も寄り付かねー不幸をばら撒く王女って聞いたけど、どうやら馬鹿を一匹釣ったみたいじゃねえか? んで……お前は見ない顔だな、男」
久し振り……ということは面識があるのか。 それに、俺様の代わりってのはどういうことだ? エレナとこいつの関係は、一体。
「違いますッ!! 陽夢様は、わたくしに協力してくれるお方なのですッ!! 断じて、馬鹿などではありません!!」
が、そこまで俺が思考したところでエレナが声を張り上げる。 てか、それはどうだか。 こんなことに巻き込まれ、結局自分から首を突っ込んでいる辺り……その牙竜って奴が言うように、かなりの馬鹿だろ。 けどま、そうやって否定してくれるのは嬉しいけど。
「まぁ良い。 んで、どっちからやる? そこの忍者か、お前らか。 なんなら、二人同時でも」
牙竜は言うと、笑った。 こいつ、俺とこの忍者を同時に相手に回す気か? それはつまり、相応の実力を持っていると自負しているってことだ。 ……こりゃ、好転じゃなくて暗転だな。 それに、事態は更にややこしくもなりそうだ。
未来がまた、見えたのだ。 ここに来た奴は、俺とエレナ、忍者、牙竜とその妄獣だけではない。 更にもう一人、この場には居る。 そして、そいつこそが未来で俺と忍者を殺した奴だ。
「……ぅう」
そんな唸り声が、聞こえた。 同時に牙竜とその妄獣が居た場所が爆散する。 黒い炎が、燃やすのではなく破壊した。
「ぁぁァアアアアアアアアアアアア!!」
雄叫びにも、叫び声にも似た大声を発し、そいつは現れた。 分かりやすく例えるなら、巨大な犬。 頭が三つあり、神話で言うところのケルベロスのような犬だ。 そいつは先ほどまでは牙竜たちが居た場所を黒い炎で破壊していく。
「……そんな。 陽夢様、あの妄獣もSランクの妄獣です。 地獄の門番、ケルベロス。 ということは」
「が、ぎっぎぎぎ」
独特な鳴き声を発し、そのケルベロスは俺たちと忍者を視界に収める。 三つの頭がそれぞれ意思を持ち、別々に俺たちを捉えていた。 ここにクレアが居たら「猛獣ですね、妄獣だけに」だとか言ってそうだ。 なんて、馬鹿なことを考える余裕があるだけまだマシかね。
そして、その上に降り立つひとつの影。
「わぁ! エレナちゃん超久し振りじゃん! それに忍者ちゃんも! 他にもなんか居たけど、もしかして踏み潰しちゃった?」
エレナとそう変わらない幼さの、女だ。 金髪をツインテール風に二本に分けており、ケルベロスの上に立っている。 どうやらこいつが、ケルベロスを従えているってことか。
「あーあーあーうっぜえなおい! おいクソガキ、てんめぇ何俺様の場所とかぶってんだよコラァ!!」
直後、ケルベロスの居た空間は闇に包まれる。 そしてその闇は数倍に広がり、収束した。 異常なのは、その闇が残した結果の方だ。
――――闇に触れたありとあらゆる物が、消滅していたのだ。 空間に吸い込まれたように、消えた。 例えるならブラックホールか?
「あっぶな!? もぅ牙竜ちゃんはいっつもそうなんだから! てかさてかさ、この状況なぁに!? パーティ!?」
「……エレナ、あいつは?」
「わたくしの敵です。 あの女は、嫌いです」
……どうやら、何かワケありのご様子で。 エレナの奴、滅茶苦茶怒っているように感じるぞ。 俺の手を握るその力が少し、強まっているし。
「ルーザ。 久しいな、我が主も会いたがっていたぞ」
「えぇ!? やだなぁ、あんたの仕えてる人めっちゃ変わり者じゃん? そういうのより、あたしはぁ……」
ルーザと呼ばれた金髪の女は、ケルベロスから飛び降りる。 そして一歩一歩俺へと、近づいてきた。 動こうにも、動けない。 周囲に複数の妄獣と、その使い手だ。 下手に動けるわけがない。 なのに、その女は躊躇いなく俺との距離を詰め、やがて眼前で止まった。
「こっちの方が好みかも! ねねエレナちゃん、この子もらっていい?」
「近くに寄らないでください、下衆が。 陽夢様はわたくしの協力者です。 あなた如きに渡すつもりはありません」
いつになくトゲトゲしく、エレナは言う。 しかし、ルーザはそれに慣れているのか、ひょうひょうとこう返した。
「言うようになったわねぇ、エレナちゃん。 泣き虫エレナちゃん。 甘えん坊エレナちゃん」
「な、な、な!! 甘えん坊はルーザの方ではないですか!! わたくしは、人に甘えたことなどありません!!」
え、何言っているんだこいつ……。 既にそういう場面、何度か見た気がするが。 さすがに仲間であるエレナを擁護したいが……その発言はちょっと庇いきれないぞ。
「ま良いよぉ? エレナちゃんがいくら頑張っても、あたしが奪ってあげるから。 ほら、ヨウムって言った? 一緒に行きましょ」
ルーザは言うと、俺に手を差し出す。 俺はその手を見たあと、口を開いた。
「断る。 俺が協力するのは、エレナだけだ。 お前じゃない」
「……へぇ。 趣味悪いね?」
「俺の趣味が悪いんじゃねえよ。 お前と、エレナの趣味が悪いだけだ」
まったくな。 エレナもこいつも、どうして俺に拘るんだか。 ルーザの方はエレナに対する嫌がらせって線が大きいだろうが、エレナの方はどうしてなんだか。
「ふふふ、まそれもそれでありか。 んーじゃ」
ルーザはニコッと笑い、俺との距離を更に詰め、そして……俺の体を、抱き締めた。
「また遊ぼうね、よーむくん」
「ッ!!」
咄嗟に、俺はその体を突き放す。 油断しすぎていた。 あそこまで距離を詰められたこと自体が、間抜けすぎた。 ルーザが今の段階で俺を殺そうとしていたら、殺されていた。
心に隙がありすぎるな、俺は。
「そんな邪険にしないでよ。 あたしはただ、これを取ってあげただーけっ」
ルーザは言って、手に持っているものを見せる。 なんだあれ……? 小さな機械、か?
「忍者くんが付けたみたいだね、発信機。 さっすが、せこいせこい」
「余計なことをしてくれる。 我が主と対面する前に、死んでもらおうか」
忍者に、付けられていたのか。 恐らく、あの展望台のときか? なるほど、だから忍者はこの廃墟にテレポートした俺をすぐさま追跡できたというわけか。 それに気付けなかったのも、また間抜けだ。
「俺様のことも忘れてんじゃねーぞ、ゴミどもが。 つうか、俺様も俺様でそこのクソビッチを殺してぇなぁ」
当然の如く、牙竜は無傷だ。 あの攻撃を食らっても尚、一切のダメージを負っていない。 それどころか、服装に乱れすら一切ない。
これが……この世界の戦いか。 妄獣を使っての、争いか。
「……エレナ、どうする?」
「知りません」
……なんでこいつ、ちょっと怒っているんだよ。 状況を考えてくれよ頼むから! 強敵が二人、そして妄獣が三匹だぞ? とても無事で切り抜けられるとは思えない。
「……分かりました。 なんとかします」
エレナは考え込む俺の顔を見て、小さくため息を吐くとそう言った。 そして次は、その声を張り上げるようにし、続ける。
「聞きなさい!! この場に居る全員は、最後の一人を目指す者達です! そしてこの場に居ない者、その数は七人! 今ここでわたくしたちが潰し合うことが、得策と言えますか!?」
「おいおいエレナ王女さんよ、向い合って、口を聞いて、その次に何をするよ? 殺し合いだろ? なぁ」
エレナの言葉に真っ先に反応したのは牙竜だ。 が、対するエレナは物怖じせずに口を開く。
「あなたがそれで良いのならば、構いません。 わたくしたちは戦います。 ですが、これだけは言っておきます」
「わたくしの協力者、成瀬陽夢様はこの場に居る誰よりも、強い。 それでも戦うと言うのならば、お相手致しましょう」
エレナからはいつもの調子は消え失せていて、迷いも焦りもなく、正面を見据えて言う。
「と、わたくしの意見はこの通りです。 皆様は、どうなさいますか?」
エレナのその言葉が効いたのか、その日行われた顔合わせとも言える遭遇は、剣を交えることなく終結する。 それぞれが次に会ったときは殺し合いをするという、意思を胸に。
「エレナ、本当に王女だったんだな……」
「ええ、信じていなかったのですか?」
それから俺とエレナは家へと帰る。 今では、ワンルームのアパートであるそこへ。 思いの外、長いお出かけにはなってしまった。
「そういうわけじゃないけど……。 てか、あいつらとは顔見知りなのか? 牙竜と、ルーザだっけ」
俺が正面に座るエレナに尋ねると、エレナは眉をぴくっと反応させ、やがて口を開いた。 ちなみにだが、正面と言ってもすぐ傍だ。 めちゃくちゃ近い。
「牙竜は、この世界でも最強の魔法師なので。 王族であるわたくしとは、面識があります。 実を言いますと……わたくしが王女だったその当時、わたくしの付き人をしていたのが彼なんです。 そしてルーザは、現王女です。 わたくしが王居を追放されたあと、王女の座に付きました」
「なるほど……まぁ最強の魔法師が護衛に付くっていうのは当然っちゃ当然か」
とすると、エレナに力がそれほどなく、それを見て牙竜は愛想を尽かしたっていうことか。 そして、今こうして妄想を叶えるための戦いに参加している……と。
「けどさ、ルーザが王女? それに、エレナが追放されたって……どういうことだ?」
「……牙竜が言っていましたよね。 不幸をばら撒く王女だと。 先日お話しした、王族の暗殺事件。 その生き残りであるわたくしは、不幸をばら撒く王女だと言われ、追放されたのです」
「そんなのって」
誰からも救われることが、なかったということか? そして、王居を追放された? そんなのって、あまりにも。
「わたくしの妄想は、弱いものです。 この力は、人の役には立てません」
エレナは言うと、手で入れ物を作る。 そして目を瞑ると、そこには一枚のクッキーが現れた。 エレナの、クッキーを作り出せる力だ。
「俺は……俺は驚いたぞ。 エレナのその力が、面白いと思ったし驚かされたぞ。 それだけじゃ、駄目か?」
俺が言うと、エレナはパッと顔を上げた。 その目には涙が溜まっていて、それを必死に堪えながら、エレナは笑った。
「いいえ、充分です。 陽夢様にそう仰って頂けるだけで、わたくしは充分です」
「……そっか。 なら、良かった」
どうやら、ルーザが言っていた「泣き虫」というのも、強ち間違いではなさそうだ。 ルーザも王室生まれということは、昔からのエレナを知っているのだろう。 昔から、エレナはこんな感じだったのかな。
「……ですが、ですが陽夢様。 それとこれとは別問題です。 どうして、ルーザからの抱擁を許可したのですか?」
エレナは言うと、俺に少しだけ詰め寄る。 元より近い距離が更に詰まり、その距離はもうあってないようなものだ。
「え、エレナ? どうしたんだよ。 てか、別に俺は許可したわけじゃなくて、あいつがいきなり……」
「それでもです! 陽夢様、わたくしという者がいながら、どうしてあのような女と……」
エレナは更に詰め寄る。 最早、逃げ場はない。 俺に覆い被さる勢いで、エレナは俺に近づいている。
「わ、悪かったって! それで、どうしろって言うんだよ……」
なんで俺、浮気をした男みたいな扱いになっているんだ……? なんかおかしいよな? おかしいよね? 成り行きが全く分からないよ?
「約束したではないですか、わたくしと陽夢様は常に共にある、と。 ですのに、あの女と抱き合うなど……。 わたくしでは、駄目なのですか?」
「抱き合ってねえよ!? つうかエレナでは駄目ってなんだよ!?」
「陽夢様ッ!!」
「……は、はい」
必死で言い訳をする俺の言葉をエレナはぴしゃりと止める。 あまりの迫力に、思わず座り直してしまったではないか。
「わ……わたくしの、わたくしの体も抱き締めてください。 そっ! そうして頂ければっ! 今回の件は、わたくしも忘れますので……」
「……今?」
「今……です」
その後のことは、伏せておこう。 簡潔に言ってしまえば、逃げ場をなくした俺はエレナのその要求を飲み、エレナの体を抱き締めて、それで離れるタイミングも逃して、なんとも言えないまましばらくの間、エレナとそうしていたってことだ。
……全部言ってるじゃねえか、俺。