七月五日【2】
「……どうかな?」
「おお……すごいすごい。 俺、音楽とかあまり聴かないけどさ、なんだか気持ち良く耳に入ってきたよ」
あれから俺と西園寺さんはカラオケへとやって来ていて、今は西園寺さんが一曲歌え終えたところだ。 西園寺さんの歌声は贔屓目なしで綺麗で、素直に感心してしまう。 ただ歌うのにも結構技量が必要だと聞くし……練習もしているのだろう。 西園寺さんが趣味としているヒトカラもそれの一つか。
「本当に? 良かった、緊張しちゃってうまく歌えなかったかもって思ってたんだけど。 えへへ」
「そうなんだ。 それなら普段はもっと上手いってこと?」
「うーん……ノーコメント!」
自分で言うのはきっと恥ずかしいのだろう。 西園寺さんは依然マイクを持ったまま、そう言った。 西園寺さんがこうしてマイクを持つと、どこかのアイドルというよりも……なんだろう。 大人びた感じ、というのが正しいかな。 性格のわりに、見た目的にはとても落ち着いた感じだ。 変な話になっちゃうけど、女神というのが一番しっくりくる表現である。
「はい、それじゃあ次は成瀬くんの番です。 どうぞ」
言って、西園寺さんは俺にマイクを手渡す。 いや待て、今日は聴くだけで良いんじゃなかったのか。
「……俺も歌うの?」
「うん!」
断れ……そうにはないか。 無理だなこのパターンは。 女神じゃなくて悪魔だったわ。
「あーじゃあ……どうしよ」
「わたしが決めても良いかな? 成瀬くんが歌えそうなやつ、選んであげる」
「それじゃ、それで」
俺の言葉に、西園寺さんは頷くと機械を操作し始める。 手つきを見る限り、とても慣れている感じ。 さすがはヒトカラ趣味。
というかそもそも、友達の前で歌うということより、一人でカラオケに来ることの方がよっぽど勇気が必要な行動ではないか……? 未だに良く分からない部分があるな、西園寺さんに関しては。
「はい、入れました!」
横で操作していた西園寺さんは、言いながら機械をテーブルの上へと置く。 それを見て、俺はマイクを再び手にとった。
ええっと、なになに。
「……童謡」
確かにな、確かにそれなら歌えるよ。 だってみんなが知っているほどに有名な童謡だしな。 でも待ってくれ。 俺は高校生で、西園寺さんも高校生だ。 なのにカラオケに来て歌うのが童謡って、どうなのだろうか。
しかしそんな思いは笑顔で楽しそうにしている西園寺さんを見たら言うことができずに、俺は渋々、その西園寺さんが入れた童謡を歌うのだった。
「あはは、楽しかったね」
「……そうですねー」
数時間ほどの拷問を終え、俺と西園寺さんは街中を歩く。 このまま今日は解散だと思っていた俺に、西園寺さんが「次はどうしよっか?」と地獄の提案をしてきたおかげでね。 あー、早く帰ってお茶でも飲みながらテレビでも見たいよ俺。
「あ、丁度良い時間だしさ、昼ご飯でも食べる? 西園寺さんが良いならだけど」
そして食べたら帰る。 良いな、絶対だぞ。
「おぉ、うん、そうしよっか」
手をパチパチ叩いて、隣を歩く西園寺さんは言う。 まるでこれじゃあデートなのだが、そういうのは気にしないのかな……西園寺さん。
「そういえば、駅の方に新しくパスタ屋さんができたんだよ。 一人で行くのにはちょっと入りづらい雰囲気だったから遠慮していたんだけど……そこに行きたいな、わたし」
まったく気にしている様子はないな。 俺も別に対して気にはしていないんだけど、こうもあっけらかんとされてしまうと、結構悲しいぞ。
「ああ、そういえばパスタ好きなんだっけ。 ならそこにしようか」
「うんっ」
それと、一つ言いたい。 どうしてヒトカラは平気なのに、パスタ屋は駄目なのか。 パスタ屋よりもヒトカラの方が敷居は高そうなのに。 もしかして俺の感性が間違っているのか? そうではないと願っておこう。
「成瀬くんは、好きな食べ物とかあるんですか?」
「ん、俺?」
「うん、成瀬くん」
また突然な質問だなぁ……。 俺の好きな食べ物、か。
「えーっと、基本的には好き嫌いってあまりないんだけど。 敢えて言うなら、好きな食べ物はサンドイッチとか。 パン系の食べ物は好きかな」
「おぉ……」
なぜそこで驚く。 特に驚く要素なんてなかったと思うが。 西園寺さん的には驚きポイントだったのか?
「あ。 成瀬くんって、そういうの好きそうだなーってなんとなく思ってたの。 それが当たってたから。 えへへ」
なるほどね。 けどそれって、俺がそんな雰囲気を放っているってことか? だとしたらどんな雰囲気なのか物凄く気になるぞ……。 パンが好きそうな雰囲気って、放つ方も放つ方だが、分かる方も分かる方ではないだろうか。
「まー、そうだなぁ。 基本、和食より洋食派なんだよね、俺」
「あはは。 わたしもだよ……あれ? 成瀬くん、それって」
西園寺さんは口を抑えて笑った後に、何やら俺のことを指さす。 それに釣られて俺がそこの視線を移すと、そこにあったのは。
「……うわっ! ビビった……どういう渡し方だよ」
俺の服とズボンの間。 そこにいつの間にか、あの『手紙』が差し込まれていた。 いつ入ったのかも分からない、真っ黒な『手紙』だ。 こうやっていきなり届く辺り、気味が悪くて仕方ない。
「……来たね」
「……来たな」
俺はその『手紙』を手に取り、西園寺さんと顔を見合わせ、二人して言う。 さて、次は一体どんなことが書かれているのだろうか。 そしてこの内容は、ループと関係があるのか? 第一、この問題を解いていっても脱出できるのか?
とは言っても、問題が提示されればそれを解く以外に方法はない。 もしも解かなければループ世界を脱出できないのならそうするしかないし、もしも解いたとして、それがループの脱出とはまったく関係がないことだった場合でも、俺と西園寺さんはそれについてはまったく知らないのだから。
知らないってのは、つまりそういうことだ。
このループ世界でのルールがあるとするならば、それは「問題を解くこと」だろうか? 強制的ではないルールだけど、解かなければ前に進めないルール。
「あそこのベンチに、一回座ろっか」
「うん。 そうだね」
そうして、俺と西園寺さんは丁度近くにあったベンチへと移動をし、その『手紙』を開くことにする。 そこに書かれていた内容は。
『問題その参。 真実と嘘。 正と誤。 信じることと騙すこと。 この世は嘘であふれている。 それはいつも身近にあるもの。 果たしてあなたは嘘に触れていないのでしょうか? 真実を見つけてください』
……なんだ? これが問題……なのか? 真実と嘘、正と誤、信じることと騙すこと。 ちょっと意味が分からないぞ……。 何かの物を示している、のだろうか?
「良く意味が分からないね、この問題」
西園寺さんもさすがにこの問題については思考しないのか、腕組みではなく、人差し指で頬を掻きながら言う。 確かにこの内容じゃあ、考えようとは思わないか。 俺だって一緒だしな。
「大事なのは……真実を見つけてくださいってところか? でも、一体何が真実ってことなんだろう」
そもそもの話、俺と西園寺さんがこうやって七月に閉じ込められていること自体、信じられない嘘のような話だというのに。
「この世は嘘であふれている……。 くっそ、分からないな」
「難しいね、今回の。 だからとりあえず、お昼ご飯食べようか? それで、また一緒に考えよ!」
マイペースというか、西園寺さん独特の雰囲気だな……。 そしていつの間にかそのペースに引き込まれている俺なのだが。
「そうしよっか。 それに折角の日曜日だし……この問題にはどうやら、期限とかはないみたいだし」
最悪の場合、この問題に見えない期限が設定されていることが考えられる。 だが、それが見えない以上は頭に置いておいても仕方がないことだ。 その所為で変に焦ったりしない分、気楽に挑んだ方が正解も見えてくるだろう。
「わたしね、カルボナーラが特に好きなの。 成瀬くんは?」
「……ああ、なんだと思ったらパスタの話か。 えーっと、俺は基本的にはなんでも。 ナポリタン以外なら」
「そうなんだ。 ナポリタンは嫌いなの?」
首を傾げながら、隣に座っている俺に尋ねて来る西園寺さん。 動作が一々男心をくすぐる。 だからといって俺は別に変なことはしないからな? やべえ可愛いなとか全然思わない。 マジで、全然思わない。
「あれってさ、日本独自のパスタなんだよ。 別に美味しくないとは思わないけど……他のと比べると、やっぱりなんか違うというか」
「そうなんだ!? へぇええええ……」
驚きのあまり開いた口を両手で抑えて、西園寺さんはそんな声をあげる。 そこまで驚いたリアクションを取ってくれるから、話す方の俺も楽しいんだろうな。
「やっぱり成瀬くんって物知りだよね? 良いなぁ、わたしもそうなりたいよ」
「俺からしたら、西園寺さんの方が物知りだと思うけど。 ほら、この前の花菱草のことだって」
その言葉に、西園寺さんは両手を膝の上へと移動させ、指遊びを始める。 そして恥ずかしそうにこう言った。
「それは……その。 好きな物だからだよ。 わたし、好きな物のことは色々調べたりするんだけど……そうじゃない物だと、全然なの」
「ふうん。 そういや、この前家の庭に花が植えられてるって言ってたっけ?」
そもそも、この質問自体が失敗だった。 西園寺さんと過ごした少しの間で、次に彼女がなんと言うのかは予測できたはずなのに。 馬鹿な俺はついついそう言ってしまったのだ。
「そうなの! いっぱいあるんだよ。 えへへ、今度見に来てね」
「ああ、気が向いたら」
「……」
俺のことをジッと見つめる西園寺さん。 そうだった……彼女の場合、曖昧な返事は無理なのだ。
「……分かったよ。 今度行く」
だからと言って、こんなに楽しそうといった感じの顔をされてしまっては、無碍にするのも気が引ける。 そんなこともあり、俺は嫌々渋々、そう答えるしかなかった。
「うん! それじゃあその日付を決めよう!」
「いやそこまでしっかり考えなくても……」
「日付を決めよう!」
「いやだから……」
「決めよう!」
「……あーもう分かったよ! 俺は常に予定空いてるから、西園寺さんが都合の良い日でいいよもう」
投げやり気味に言う俺と、それを聞いて嬉しそうに日付を考え始める西園寺さん。 もう、俺に対する嫌がらせを楽しんでいるんじゃないのかと疑いたくなってきたな。 まぁ西園寺さんがそんなことをするとは思えないから、違うんだろうけどさ。
「あのね、わたしの家の庭には色々なお花があるんだ。 ひまわりでしょ、コスモスでしょ、チューリップに……」
「あー! 良い良い! 今は良い! 今度行ったときの楽しみにしたいから! な!?」
「えへへ、それもそうだね。 もう少しで成瀬くんの楽しみを奪っちゃうところだった。 危ない危ない」
うんそうだね。 だから俺も必死に止めたんだよ。 嘘じゃないよ。
「うーん……それじゃあいつにしようかなぁ。 今日! ……はさすがにだめだよね?」
「今日はカラオケで疲れたから……」
俺の言葉に、西園寺さんは心底残念そうな顔をする。 表情がころころと変わり、見ている分には結構面白い。 あくまでも見ている分には、な。 殆どの場合で俺が絡まれているからわりとつらいんだ。
「あはは。 やっぱりそうだよね。 わたしも今日は、いっぱい歌って疲れちゃった。 久し振りなんだ、あんなに楽しく歌えたのは」
そのときの西園寺さんは、本当に幸せそうにしていた。 幸せそうで、楽しそうなそんな顔。
……まったく、本当に俺はどうかしている。 特に、今日は変だ。 普段なら家から一歩も出ないだろう日曜日に家から出ている時点で、それに気付くべきだったよ。
だが、そう考えれば納得が行くか? ああそうだ。 そんな今日だからこそ、俺は柄にもなく、西園寺さんに向けてそう言ってしまったのだろう。
「ならさ」
「うん?」
「……もし良かったら、また付き合うよ。 カラオケ」
西園寺さんは一瞬呆気に取られたような顔になり、そのすぐ後にはやっぱり笑って言う。
「はい、よろしくお願いします。 えへへ」
こうして、西園寺さんが趣味としているヒトカラは、滅多に行われることがなくなったのである。