彼女の家はアパートだった。
「……ここ?」
「ええ、ここです」
エレナはにっこり笑みを浮かべ答える。 目の前にある、この世界では場違いな建物を手のひらで指しながら。 俺はそんなエレナを見て、次に再度その建物を見る。 ううむ……なんというか、コメントに困るな。
「……マジで?」
「はい。 正真正銘、わたくしの家ですよ」
状況を整理しよう。 このエレナという銀髪の少女は、この世界の支配者であると同時に、王女でもあるという。 つまりは、この国どころかこの世界のトップとも言える存在だ。 当然、それなりの権力とそれなりの立場とそれなりの財産だってあるはず。 エレナの格好だって、そりゃあもうお金持ちのお嬢様って感じだ。 ドレスだしな、青色の。
よし、いきなりだが話をここで一旦変える。 ごく一般人が想像する「王女」とは一体どんなものだろう。 お金持ち、偉そう、高嶺の花、憧れ、美人。 パッと出てくるワードはこの辺りだ。 最初のひとつはともかくとして、後者は違う場合もあるか。 だが、最初のひとつ「お金持ち」というのは殆どがそうだろう。 俺は今まで、貧乏な王女というのは見たことがない。 ま、王女自身をこの目で見たのも、今回が初めてではあるが……イメージで言えばその通りだと俺は思う。
エレナは王女である。 俺が先ほど挙げたワードの内「偉そう」と「憧れ」は当てはまりそうにないエレナだが、他のワードは当てはまると思っていた。
そうだ。 思っていただ。 過去形だ。 つまり今は思っていない。 思えない。 こんな、貧乏学生が暮らしていそうなボロアパートを見せられた今では。
「王女、だよな?」
「……成瀬様。 わたくし自身、少々お恥ずかしい気持ちはあるのです。 なので、あまり何度も聞き返されては困ってしまいます。 先程も申し上げた通り……元、王女ですので」
言葉通り、エレナは恥ずかしそうに手遊びをしていた。 いやいや……そうは言っても、いくら「元」だからと言って、仮にも王女だった奴の家がボロアパートってどういうことだよ……。
「と、とにかく上がってください。 そろそろ、お夕飯の準備もありますのでっ! わたくし、成瀬様のために腕を振るいますので!」
「お、おう……分かった」
エレナに急かされ、俺はアパートへと近づいていく。 いやぁ、近づけば近づくほどに良いアパートっぷりだ。 ザ・アパートって感じだ。 しかも木造。 昭和かここは。
そんなアパートの端、階段ですとアピールしている階段へと俺たちは向かう。 エレナの部屋はどうやら二階にあるようで、先を歩くエレナの後ろに続いて俺は階段を登り始めているのだが……この階段、いつ崩れ落ちてもおかしくないほどにボロボロだ。
慣れた様子で上がるエレナとは正反対に、びくびくしながらに俺は付いていく。 その階段を登り終え、次に廊下を歩き、ようやく二〇二と書かれた扉の前でエレナは立ち止まった。 そして、何故かエレナは何もない宙に手をかざす。
「……なにしてるんだ?」
「あ、うふふ。 成瀬様は、そういえば初めてでしたね。 この世界では、空間保管技術というものがあるんですよ」
「空間保管技術?」
聞くところに寄れば、どうやらそれは今日俺が戦った妄獣、学校のテロリストが使ってきた『エレクトナ』にも施されていた魔法と関係があるらしい。
人類は物を保管する場所として、空間という場所を選んだのだ。 宙に溢れかえる空間を。 それら空間を切り開き、そこに物を保管することができるという最新の技術。 その空間保管庫は作り出した本人のみがアクセスすることができ、ありとあらゆる場所に作成することができるという。
「殆どの方は、こうして家の前に鍵を保管しております。 とは言いましても、最近では電子式の指紋網膜声帯認証ロックの方が当たり前ですが……」
だろうな。 ここに来る途中でも、家に付いている鍵は何やら見たこともない機械が付いていたし。 あれが恐らく、エレナが言った電子ロックというやつだろう。
というか、家の外観から街の景観、ほぼ全てが近未来だ……。 定期的に女性形のロボットが設置されているし、いきなり目の前に電子ウィンドウが現れたかと思えば、なんかの広告だったりするし。 挙句の果てには何か事件が起きたのか、空飛ぶ警察車両的なものまで行き交っている。 この技術の内、どれかひとつでも学んで帰れば一気に大金持ちになれそうだ。 とは言っても、一応廃墟だとか雑居ビルみたいなのはこの世界でも存在はしている。 むしろ、俺が居た世界よりも多いくらいに。 恐らくは魔法という技術が発展して、寂れていったのだろう。
「さ、成瀬様。 お入りくださ……」
エレナは玄関扉を手動で開け、その部屋の中を俺に見せる。 まず目に入ってきたのは、ボロアパートらしい畳の部屋だ。 そこに行くまでの廊下にキッチンがあり、どうやら大きさ的にはワンルーム。 そして、その畳の上には即席麺の残骸が。
「成瀬様。 わたくし、すっかり失念しておりました。 しょ、少々お待ちください」
それから俺は外で待たされること三十分。 自身がうっかりだということをまずは理解してもらいたい俺である。 というか、普段から絶対料理してないよな……。 大丈夫か、エレナさん。
「申し訳ありません。 お待たせいたしました。 さ、上がってください」
「別に良いって。 お邪魔します」
こうして俺は、その空間へと足を踏み入れる。 王女と言う割には、酷く質素な暮らしをしているような感じだ。 豪華な飾りなんて当然なく、エレナの綺麗なドレスが場違いなほど。 まぁ、エレナの服に関しては基本的に場違いではあるか。 そのドレスがとても良く似合っているから気にはならないけれど。
「一人暮らしなんだな」
俺は部屋の片隅に腰掛け、エレナに向けて言う。 てか、俺は隅っこに座ったのにどうしてこいつは真正面、それもすぐ近くに座るんだ……。
「ええ、そうです。 少し、昔話でもしましょうか」
エレナは言うと、座ったまま体を動かし、俺のすぐ隣に座る。 そして俺の右手をこつんと、手の甲で優しく叩く。
「ああ、分かった」
俺がエレナの差し出してきた左手を握ると、エレナは安心したように微笑み、口を開いた。 それが、エレナが一人暮らしをしている理由にも、一人で戦っていることにも繋がっていく。
「わたくしの家系は、先祖代々妄獣を見ることができる眼を持っていました。 王族には先に申し上げた「ひとつの妄想を実現する力」と、この妄獣を見ることができる眼があるのです」
「その綺麗な銀色の眼でってことか?」
「は、はい。 そうです」
俺が言うと、エレナはサッと右目を隠した。 何か、嫌がられることでも言ったか? 今。 だったら謝った方が良いかなと思うものの、エレナはそのまま話を続けた。
「……わたくしたちの一族は、父と母。 そして父方の兄の家系。 その二つが、大きな力を持っていたのです」
「大きな力って言っても、エレナのそれは……正直、あれじゃないか? 気分悪くしたらごめんな」
エレナが言う戦いには、絶対に不向きな力だ。 エレナの家族がどうなのかは分からないが、少なくともエレナ自身の力は役に立たない。
「ええ、そうです。 ですから、父と母……という言い方をしたのです。 わたくしは、落ちこぼれですので。 付き人であった方にも、愛想を尽かされてしまったようです」
付き人……。 それが付いている時点で、本当に王女だったんだなって感心してしまう。 しかし、愛想を尽かされたっていうのはどういうことだろうか。
「正直な話、わたくしたちと叔父様たちの関係は……良好とは言えなかったと思います。 言い合いになることも、王宮では良くあることだったのです」
聞く前にエレナが言った所為で、俺の思考もそちらへと移った。 そして、その移った思考へ意識を向ける。
「その言い合いというのも、結構な大事になることもあったので……幼かった頃の記憶ですが、わたくしも良く覚えております」
そんなにか。 エレナとしては、良い思い出じゃないだろうに。 そんなことまで俺に話すってことは、それが何かに繋がるからか? ってか、それよりもエレナはしっかりと王宮に住んでいたのか。 それが今ここにこうして暮らしているということは。
……良い想像はできないな、ちょっと。
「妄獣を狩るか、妄獣を従えるか。 わたくしたちは正しき道に戻すため、狩ることを。 叔父様たちは利用するために従えることを。 それぞれ、主張しておりました」
「それで揉めたってことか。 そいつらと意見が合わなくて、エレナたちは追い出されたってことか?」
「いいえ、違います」
エレナは言うと、俺の手を握る力を少しだけ強めた。 それはやはり、弱々しい。 俺が少し手を動かせば振り解けてしまうほどに。
「いくら意見が合わなかったと言えど、そこまで険悪な関係にはなっていませんでした。 追い出そうとも、していませんでした。 全てがおかしくなったのは、あの日からです」
「あの日?」
「ええ、わたくし以外の全ての人間が、殺されました。 それが、つい先月のことです」
「……先月? 待てよ、エレナ。 それじゃあ、エレナは」
俺が言うと、エレナは首を傾げる。 言えなかった、俺はその言葉の続きを。
こいつは、一体どれだけ我慢を重ねている? 普通なら、家族がそんな目に遭っていたらこうも笑っていられないだろ。 なのに、エレナは俺に笑顔を向けることができている。 それは、果たしてエレナがおかしいからなのか。
……違うな。 エレナには、使命がある。 それを遂げるためにも立ち止まることができないのだ。 自分のことを後回しにして、自分の気持ちすら後回しにして、エレナは世界を救おうとしている。
「成瀬様、管理者というのを覚えていますか?」
あのテロリストが言っていた奴だ。 管理者は妄獣を従え、操る。 あいつはどうやらそれ狙いで俺が来たものだと思っていたようだが……。
「ああ、覚えている。 妄獣を従えているって奴らだろ? そのやり方自体は、エレナの叔父と似ていると思うけど」
似ている、という表現を敢えて使った。 同じだとは、言えなかった。 エレナの言っていることを繋ぎ合わせると、その管理者というのが王族を軒並み殺害した犯人だと思ったからだ。 その犯人とエレナの叔父を一緒にしたくなかった。
「似ているようで、違います。 わたくしの叔父は、意見こそ異なるものの、その結果は同じだったのです。 世界をより良くしようと、そう思って居たのです。 ですが、管理者たちは違います。 彼らは妄獣を使い、世界を混乱へ導こうとしているのです。 自分たちが思うままに、妄想を実現させようとしているのです」
「ん……エレナ、ちょっと待て。 その妄想を実現させるためってのは、どういうことだ?」
尋ねると、エレナは思い出したのか、開けた口を自らの手で塞ぐ。 ハッとなったと表すのが良いか。 というか、こいつな。
「管理者同士で、生き残りを賭けて戦うのです。 最後に残った一人の妄想が実現すると、言われています」
「おいおい……話が随分大きくなったな。 ってことはなんだ。 その管理者を倒すことも、目的のひとつってことか」
「いいえ、その管理者を倒すことこそが目的です。 妄獣のことは、あくまでも世界を保つためなのです。 ……申し訳ありません。 成瀬様を騙すような真似をしてしまい」
「エレナにはそのつもりはなかったんだろ。 それに、別に騙したわけでもないだろ。 俺の目的は、世界を救うことと……それと、エレナを助けることだから。 それが変わらない限り、俺は別に良いよ」
「はい……!」
エレナは言うと、俺に抱き着く。 ほんのりとした甘い香りと、女子特有の柔らかい体の感触を感じた。 それがすぐに女子特有だと分かる辺り、俺は案外ろくでもない生き方をしているのか……。 当然俺は恥ずかしくなり、だが嬉しそうに笑顔を浮かべているエレナを突き放すこともできず、なされるがまま。
「成瀬様は、本当にお優しい方です。 見ず知らずのわたくしの願いを聞いてくれたことも、そう仰ってくれることも……」
「俺はずるいだけだって。 それで、その管理者ってのはどのくらい居るんだ?」
エレナは俺の言葉を聞くと、密着させていた体を離す。 そして、両手を広げ、指を折りながら数え始めた。
「十人ですね。 全員が、それなりの妄獣を従えているはずです」
「十人か……俺で勝てるくらいなら、良いけど」
しかし、エレナは首を傾げて俺の言葉を否定する。
「何を仰いますか。 成瀬様のお力があれば、負けることなんて絶対にありません。 本当です」
「俺を買ってくれるのは別に良いんだけどな……。 その管理者ってのは、実際強いのか? エレナから見て」
「……あれ。 申し訳ありません、成瀬様。 わたくし、管理者たちが魔法士ということはお伝えしておりましたか? それも、中にこの世界でもっとも強い力を持つ魔法士が居るということを」
「ああ、安心しろ。 めっちゃ初耳だよ。 てか、要するに一番強い奴も混じってるってことか……? どうすんだよ、それ……」
まただ。 エレナの奴、確実に重要なことを俺に話し忘れているだろ……。 この世界での難点は、協力者がとてつもなくうっかり屋だということか……。
それから俺は、エレナに一から問い質す。 すると、こんな話が聞けた。
妄獣は、放置していればどんどんと成長を重ねて行き、それはやがて世界を塗り替えるほどのものになること。
それは俺の「妄想を現実にする力」よりも強力なものだ。 塗り替えられた世界は、元に戻ることがない。 つまり、俺のような五分で元に戻る力ではなく、永遠にその妄想を現実に変えてしまうということ。
通常なら、妄獣はそこまで成長することはあり得ない。 強くなりすぎた妄獣は、他の誰かが作り出した妄獣によって駆逐されるからである。
そこでひとつの例外だ。 要するに、管理者の存在。 妄獣を従える彼らは、エレナのようにある程度の妄想なら現実へと変えてしまう。 それらを使い、妄獣を従え、自身たちの願望、妄想を実現させようとしている。
結論を出そう。 つまりこの世界、生き残れるのは俺を含めた十一人の内、ただ一人だけだ。
「成瀬様、このエレナ……最後の最後まで、成瀬様と共にあります。 この命、この体、成瀬様にお預け致します」
いいや、違うか。 生き残るのは一人ではない。
「おう。 俺たちの妄想、叶えよう」
俺と、エレナ。 二人だ。 妄想の世界で、想像の世界で、俺が目指すものは決まった。 銀髪の少女と共に、世界を救うなんていう大逸れたことを目指して。