彼女の眼は片方だった。
「……つまり、避けることではなく、自身の身体能力向上を妄想した……ということですか?」
「ああ、そうだ」
俺が妄想し、想像したのは身体能力の限界を超えた力だ。 動体視力、脳の処理速度、腕力、脚力、主に強化したのはその部分で、そのおかげで弾丸を見ることができ、反応することができた。 一発勝負で試したが……うまく行くものだな、意外と。
そして、エレナは俺の言葉に声を大きくし、反応する。
「やはり、わたくしの見込んだお方です! そこまでの妄想を現実としてしまうとは、恐れ入りました」
そりゃどうも。 相変わらず、褒められている気がしないけどな。 もうちょっと褒め方どうにかならないかなこれ……。
「ですが成瀬様、先ほどのはそれで正解です。 一度に作り出せる妄想はひとつまで。 それが現実とする際の、絶対条件なので」
「……ってことは、さっきのだと「弾を避ける」と「一撃で倒すほどの腕力」を妄想していたら駄目だったってことか?」
「はい、その通りです。 なので、成瀬様が身体強化を妄想したのは、正解だったんです」
……エレナさん、頼むからそういう重要なことを最初に言って欲しい。 なんとなくだけど、もしやエレナの奴ってうっかりさんだったりするのか? 今のでミスってたら、それこそ死んでたじゃねえかよ。 一度にできるのはひとつのことまで、覚えておこう。
「一応聞いとく。 俺の力やエレナの力で物を作り出して、それが現実となっている時間は?」
「そうですね……長くとも、五分ほどです」
「ひとつの妄想が現実となっているときに、新しい妄想をしたら?」
「現実となっている妄想は消え、新しい方の妄想が現実になります。 新しい方が優先、ということですね」
「その妄想をするにあたって、限度は? 何回でもできるのか?」
「いえ、魔力……成瀬様もわたくしと同様に魔力というものがありまして、それが尽きた場合は使用できません。 ですので、ご利用は計画的にということです」
俺が矢継ぎ早にした質問に、エレナは考え込むことなく答える。 人差し指を立てて、若干首を傾げて、笑顔で。 つまりは理解していたということだ。 それらを知っていたということだ。 分かっていて黙っていたということだ。 或いは、言い忘れていたか。 絶対に「言い忘れていた」だろうな、こいつの場合。
「……あのな、おい」
「な、なんでしょう? 成瀬様……?」
俺がぐいっと顔を近づけると、エレナは若干身を引きながら言う。 何故か、頬を少し赤くしながらだ。
そんなちょっとだけ赤くなっているエレナの頬をつまみ、俺は言う。
「そういう重要なことは最初に言えッ! エレナのうっかりでさっき死んでたかもしれないんだぞ!?」
「も、もうひわけありまひぇん! い、いらいのでひっはないでくらひゃい!」
若干涙目でエレナは訴える。 知るかそんなこと! というか、こいつの肌すっごいもちもちだな……なんかの饅頭みたいだ。 餅みたいだ。
「な、なるしぇしゃま……。 い、いらくはらくらったのれしゅが……くすぐっひゃいれす」
「お、おう……わり」
咄嗟にエレナの頬から手を離し、エレナはつままれていた頬を片手で抑えながら、俺から顔を逸らす。
そのとき、勢いで髪はふわりと宙を舞い、そして見えた。 エレナの隠された右目が、髪の隙間から。
「……義眼?」
「あ……。 うふふ、そうです。 気付かれましたか?」
エレナは俺の言葉にサッと右目を髪で隠し、笑って言う。 それはほんの数秒の出来事だったけれど、エレナが隠していた秘密だ。 それに気付かない振りだって出来たはずなのに、俺はまた余計なことを口走ったな……。 エレナ自身は気にしていないような口振りをするが、なんとなくそれは強がりに見えた。
「ごめん、気が利かなくて」
「良いんですよ、成瀬様。 わたくしは知っていますから、成瀬様のことは。 ずっと、お会いしたいと思っていたのですから」
「……そういうこと、あんま言うなよ? 絶対他の奴に言ったら勘違いを起こすぞ」
「勘違い……ですか? あ、いえ。 そうですね、気を付けます」
首を傾げてそう言ったあと、エレナは笑顔になって言う。 なんだかその仕草が、西園寺さんとクレアを思い出すな。 二人を足したような感じだ。
なんて、そんなことを考えている暇はない。 とにもかくにも、エレナが言うことが本当ならば、俺の力にも制限はあるということだ。 恐らく、使う妄想が大きければ大きいほど、それに使用する魔力も増えていくはず。 俺がどれだけ使えるのかは分からないが、頭に入れておくに越したことはない。
「まぁ……気を取り直して行くぞ。 もうすぐ、一階だ」
あれからは一度もテロリストとは遭遇していない。 俺が定期的に敷地内の状況を把握し、安全なルートを通っているおかげだ。 全てを倒すのではなく、頭だけを叩けば良い。 そうすればこの妄獣は消えてなくなるのだ。 道中にエレナに聞いたが、こういう武装組織にはリーダーとも呼べる部隊を統率している奴が居るとのこと。 考えてみれば当たり前の話だが、それが妄獣の場合はそれこそが本体だ……とのことだ。
「……聞かないのですか? その理由を。 成瀬様は、わたくしに興味はごさいませんか?」
少しだけ心配そうな声で、エレナは言う。 興味がないって……いやないわけはないんだけど。 こんな世界で暮らしているエレナには、興味があるけども。
「そういうわけじゃない。 だけど、他人の隠していることを詮索するつもりもない。 まぁ……時と場合によるけど」
「ならば、わたくしにはその価値がないということでしょうか……?」
上目遣いでエレナは言う。 なんだか、伝えたいことがうまく伝わってない気がしてならない。
「だから違うって。 エレナは知られたくなかったんだろ? 俺がここで聞けば、エレナは答えるだろ……素直だし。 そういうのを気にしているんだよ、俺は」
「なるほど……。 そうですか、そうでしたか! うふふ」
先ほどまでの心配そうな声はどこへ行ったのか、エレナは嬉しそうに言う。 何がそんなに嬉しかったのか、エレナのことを良く知らない今では……まだ分からない。
「なら……聞いても良いのか? それ」
「はい、もちろんです。 成瀬様の仰ることならば、このエレナ……なんにでもお答えします」
聞かれる前に、大事なことは言って欲しいけどな。 まぁ、そういうことなら聞こう。
「分かった。 なら、教えてくれ」
俺が言うと、エレナは笑顔で一度頷いた。 そして、答える。
「わたくしの右目は、妄獣によって取られてしまったのです。 もう、数年前の話にはなりますが……」
「取られた? でも、さっきは凶暴な奴は出なかったって」
「頻繁には、ですよ。 稀にそういうものが出ることはありました」
ちょっと待て……。 そうだとするなら、エレナはもしや。
「……それを一人で相手していたのか? 今回のような奴も」
俺が考えていたのは、今回よりもよほど弱い奴らを相手にしていたのか、ということだった。 が、エレナは実際こうして被害を受けている。 目を片方なくすという、大きなものを。
「もう少し、力は弱い者でしたけどね。 見てください」
エレナは言い、俺に背中を向ける。 すると、自らのドレスをまくり始めた。
……へ?
「ちょ、ちょっと待て! いきなり脱ぐなよ!?」
「べ、別に変なつもりではないです。 成瀬様には、見て頂きたいのです」
エレナはそのまま、ドレスを捲る。 すると、その背中には……無数の、傷があった。 切り傷や火傷の跡まで。 様々な傷が、エレナの背中には刻まれていたのだ。
「……酷いな」
「全身、こんな感じになっています。 幸いなことに、服を着て露出する部分は無事なのですが。 わたくしも、一応は女の子なので」
「そんなになるまで、やり合ってたのか」
勘違いだ。 エレナはこれから一人で戦おうとしていたのではない。 今までずっと、一人で戦っていたのだ。 とても武器にはなると思えない、クッキーを生み出すだけの力しか持たない、エレナが。 普通の、その部分だけを除けばなんら普通の一人の少女が。
「……それで、俺にそれを見せてどうするんだ。 俺の力で、治して欲しいのか?」
しかし、治ったとしても一時的に過ぎない。 五分経てば、また元通りだ。 そんな気休めをエレナが望んでいるわけじゃないことくらい、俺でも分かる。
「いいえ、そうではありません。 ただ、成瀬様に見て頂きたかったのです。 わたくし自身、その理由が良くは分からないのです」
言いながら、エレナは横を向く。 背中側に居る俺からは、そのエレナの横顔が目に入った。
その横顔を見て、知った。 エレナがどうして見て欲しかったのか、その理由が。
これでも少しは人の気持ちが理解できるようになったのかな、俺も。 多分そんなのは、この世界だけかもしれないけど。 所謂、妄想の俺のおかげかもしれないけど。 それでも少しくらい……気付ける俺でありたい。
「頑張ったな、エレナ」
「え?」
言い、俺は後ろからエレナの頭を撫でる。 エレナは一瞬驚いた顔をして俺の顔を見るが、すぐにそれは消え、目を瞑って気持ち良さそうにしていた。 猫みたいに、気持ちの良さそうな表情だ。
「成瀬様……わたくしは、誰かにそう言って欲しかっただけなのかもしれません。 決してそのために戦っているわけではないのに、成瀬様に素肌を晒してそう言ってもらおうと、思っていたのかも知れません。 どうしようもない馬鹿ですね、わたくしは」
「誰だってそんなものだろ。 それにエレナは馬鹿っていうよりうっかりだ」
「酷いです、成瀬様。 わたくしのどこがうっかりだと仰るのですか?」
ムッとした顔で、エレナは俺に向けて言う。 いや、だってさ。
「さっきから、下着見えてるし……」
「へ? い、いやっ!!」
ドレスをたくし上げたらどうなるか、まさかここまでのうっかりとは……。 必死に意識しないようにはしていたが、さすがにもう言うのを我慢できそうになかった。
「……も、もっと早く教えて下さい。 酷いですよ」
「悪かったよ。 それより、そろそろ行こう。 あいつらの頭を叩くぞ」
このテロリストだけで全てが終わるわけではないのだ。 妄獣はこれだけではない。 今回の以外にも妄獣は無数に存在し、そしてその妄獣を従えている人間も存在する。
それらを倒すことが目的で、俺とエレナの約束だ。 一度した約束を破るつもりも、変えるつもりもない。 もしも俺とエレナの目的で邪魔になる存在があれば、倒すだけだ。 俺はいつだって、そうやって生きてきたのだから。
「はい、行きましょう。 微力ですが、お手伝い致します」
「おう。 まぁ、そうは言っても」
言いながら、校舎の影から別館を見る。 別館の入り口には二人、その周囲をぐるぐると回っているのが五人、そしてそこから少し離れた場所で、三人が固まっている。
その三人の内、一人だ。 他の奴らとは明らかに風貌が違うリーダー格が居る。 スキンヘッドに、一人だけコートを着込んでいる男だ。 他のテロリストとは違い、素顔を出しているそいつが取り仕切っているものだと思われる。 ならば、話は早い。
「エレナ、ちょっと五秒だけ目を瞑ってもらっていいか?」
「そ、そ、それって……もしかして、き、キスですかっ!? たたっ、確かにわたくしの魔力を迅速に膨大な量を補給できますが……」
「なに言ってんだ……。 いきなりそんなことしねえよ。 それにしたことだってないし……じゃなくて。 策があるんだよ、だから頼む」
「……ええ、分かりました。 ごめんなさい、取り乱してしまい」
エレナは言うと、ちょっとだけしょんぼりとする。 雰囲気がころころと変わっていくので、見ていて飽きないな……。 クレアがそのまま素直になった感じにも思える。 クレアもこれだけ分かりやすく居てくれれば良いんだけどな。
……なんて、西園寺さんの前で言ったら「クレアちゃんは充分分かりやすいよ?」とでも言われるのだろう。 やっぱり、人の気持ちは難しい。
「では」
そして、エレナはそのまま目を瞑った。 俺はそれを見て、エレナと繋がれている手を離す。
「な、成瀬様?」
「悪い。 ここで待っててくれ」
「え、それって、どういう」
エレナの言葉を最後まで聞く前に、俺は走り出す。 無数のテロリストが居るところへ。 丁度別館の前へ辿り着いたとき、そいつらの視線は俺へと集まった。
「……」
右に二人、左に三人、前にはリーダー風の男を含めて三人だ。 後ろは空いているが、エレナが居るから引くことはできない。 しっかりと囲まれたな。
テロリストたちはやがて、銃を俺へと向ける。 いつ発射されるのか、そのタイミングを見極めようとしたときだった。
「貴様、人間か?」
スキンヘッドの男が、そう言った。 喋れるのか? この男は。
「見ての通りな。 そういうお前は?」
「俺は妄獣だ。 いや……俺たちは、だな。 聞いたことがある。 妄獣を狩っている人間が居るということを」
「エレナのことか。 残念ながら、俺はそいつじゃねえ」
「エレナ? いいや違う。 俺が言っているのは、管理者たちのことだ。 まぁ、そんな無駄話はどうでも良い」
……管理者? それに、エレナのことではない? どういうことだ?
「俺たちの邪魔をするなら、消すしかない。 貴様はどうやら、人質にもならない。 俺たちの妄想の、邪魔だ」
それを知るためには、勝つしかないな。 エレナの奴、まだ俺に言ってないことがあるのかよ……。 ほんと、うっかりさんも良いところだ。
「てめぇの妄想で人様に迷惑かけんなよ。 妄想ってのは、一人で馬鹿みたいに楽しむもんだ」
こうして、俺とテロリストは戦う。 一人の高校生と、複数のテロリスト。 そんなありきたりな妄想が、まずは現実となる。