いつも通りに 【6】
「クレアッ!!」
「……成瀬? 驚きました、どうしてここが」
クレアは、無事だった。 柊木はそれを伝えに、俺に電話をしたんだ。 どうやって調べたのかは定かではないが、現場から一人逃げたのを見たとの目撃情報があって、そいつもまた、金色の髪だったということだ。
救急車で運ばれて行ったというのは、恐らく矢澤のことだろう。 あの警官、誤解を招くような言い方をしやがって……。 けど、それで勘違いをしたのは俺か。
「お前……ほんと、何してるんだよ。 あんな馬鹿なことをして」
「馬鹿とは失礼ですね。 私はただ、実力で訴えたまでです。 それより、どうして私がここに居るって分かったんです?」
クレアは風に流される髪を押さえて、言う。 クレアが居たのはビルの屋上だ。 いつだったか、クレアと二人で話したときに話題になったビル。 星が綺麗に見える場所だと、一番好きな場所だと、クレアが教えてくれたんだ。 この辺りでは頭ひとつ抜けた高さのビルで、空に近いここは確かに星が綺麗に見えた。 今日は雲が広がっている所為で、まばらにしか見えないけれど。
言っていた通りの光景が広がっている。 クレアが一番好きな場所と言っていたのも、今ならなんとなく分かる。
「さぁな。 猫が空を飛んでいるのが見えたんだよ。 だから来た」
「……覚えていたんですね」
ふと、クレアが笑った。 それと同時に、雲で隠されていた月が現れる。 そのおかげで、いや……その所為で、見えた。
「お前、顔……傷だらけじゃねえかよ」
痣にもなっていて、服も少し乱れていて、血も少し、付いていた。 そんな顔で、クレアは笑っていた。
「そりゃ、喧嘩しましたし。 あいつら酷いんですよ、顔を思いっきり殴るんですから。 男のくせに……こんな可愛い子を殴るなんて正気じゃないですよね?」
「……」
どうして平気そうな顔をして、こいつは言えるんだ。 まるでなんともないように言えるんだ。 普通だったら、怖いじゃねえかよそんなの。 俺だって、そんな状態じゃ怖くて仕方ないってのに。
どれだけ強いんだ、お前は。
「隣、良いか」
「はい」
俺はそのまま、クレアの隣へと歩いて行く。 そして横を見ると、転落防止の柵に手を置き、クレアは街を眺めていた。 その横顔は、痛々しいほどに痣や切り傷がある。 俺は一瞬それに触れようと手を動かして、降ろした。 俺がそれに触れたところで、何も変わらないと思ってしまったから。
「……馬鹿が」
「それは……まぁ、私も分かっていますよ。 短絡的な行動だったとも、思いますです。 けど、さっきも言いましたけど……頭に血が行っちゃって仕方なかったんです。 成瀬がしようとしていたことを崩してしまったのは、申し訳ないですけど」
そうじゃない。 違うだろ、俺が言っているのは、そんなことじゃない。 今はもう、どうでも良い。 ただひとつ……クレアのことを除いたら、全てがどうでも良いんだ。
「違う……ちげえよ! そうじゃねえだろ!? 一人で行ったことに対して言ってんだ!! お前に何かあったら、俺はどうすれば良いんだよ!? 西園寺さんも柊木もどうすれば良いんだよ!?」
「ちょ、そんな怒鳴らないでくださいよ……。 私が負けるわけないじゃないですか」
「んなこと分かってる! 分からねえけど分かってる! だけどさ、だけど……もしも最悪なことが起きたら、俺はお前になんて謝れば良いのか、分からないんだって……! お前の身に何かあったらって思ったら、良く分からないけど苦しいんだよ! お前なら分かるだろ!?」
「……それは」
自分でも、何が言いたいのか分からない。 これはきっと、相手がクレアだから抱く感情で、抱く想いなのかもしれない。 いつだって自分が傷付いて、いつだって周りのことしか考えないこいつが相手だから、俺は言っているのかもしれない。 優しすぎるクレアが唯一優しくしない相手、それが――――――――自分自身だ。
「お前が傷付くのが、見たくないんだよ……」
「優しいですね、成瀬は」
そんなことは、ない。 俺が優しいんだったとしたら、お前はなんなんだよ。 俺よりも周りが見れていて、俺よりも優しいお前はなんなんだ。 少なくとも今は、クレアの傷付いた横顔ですらまともに見ることができない俺は。
「泣かないでください。 私も、反省していますから」
「別に泣いてはねえって……あれ」
言われて、自分の顔に手を当てる。 すると、その頬は濡れていた。 雨も降っていないのに、濡れていたんだ。 どうして泣いているのか、分からなかった。 なんで俺がこんなに苦しいのか、分からなかった。 俺は、こいつを。 クレア・ローランドという一人の少女を。
「問題は解決しましたよ。 もう何もしないって、あいつらは言っていました。 もしかしたら、私はちょっとヤバイかもしれないですけど」
「そんなこと、絶対させない」
「……ふふ、そうですか」
何があっても、これ以上はクレアに傷付いて欲しくない。 俺が全ての罪を被っても良い。 そのためになら、なんだってする。 俺はこいつを……守ってやりたいんだ。 多分。
それが今回、分かったこと。 これだけは絶対に言えることだ。 俺はクレアを守りたい。 それだけは、分かった。
「絶対にお前は守るから。 俺が、必ず守る」
「だから……そういうのあまり、言わない方が良いですって」
視界の隅で、クレアが俺から顔を逸らすのが見えた。 きっと、照れているのかもしれない。 そんな些細なことにも、今なら気付ける。
「ですけど! それと同じ気持ちなのが私ですよ。 分かりますよね?」
「……ああ、分かるよ。 それがお前だ」
「なら良いです。 成瀬にしては上出来です」
「うっせ、ばーか」
クレアは満足したように笑った。 クレアのことは相変わらず正面から見れていないけど、それでも分かった。 クレアの気持ちが、分かった。 そんなクレアに対して、俺は結局素っ気なく返すことしかできない。
「馬鹿と言った方が馬鹿ですよ。 格言です」
口の減らない奴だ。 そんな冗談を言うクレアが面白くて、俺は背中を向けて小さく笑う。 クレアに見られないように。
もしも俺が、西園寺さんのように人の気持ちに気付くことに長けていたら……どうなっていたんだろう。 もっと違うやり方で、誰もが傷付かない方法も取れていたんじゃないだろうか。
クレアがこうして傷付くこともなく、西園寺さんが傷付くこともなく、柊木が傷付くこともない、最善の方法が。
……そっか。 そうだ。 一人が傷付けば、周りが傷付く。 俺だけがそれを背負えば良いと思っていたけれど、そんなことは不可能なんだ。 俺が傷付くことによって、みんなは傷付くんだ。 そんな簡単なことに、今更気付いたよ。
俺がしていたのは、西園寺さんやクレア、そして柊木を裏切る行為だったんだ。 俺の友達は、俺が傷付いて見て見ぬ振りをするような奴でも、どうでも良いと思うような奴でも、ない。 俺が同じことを思うように、またみんなも同じことを思っている。 そんな大事なことに今更気付けた。
「……ごめんなさい」
「え?」
クレアは小さく、何かを言った。 それが気になり、俺は思わず振り向く。 そして。
月明かりで照らし出された俺の影に、クレアの小さな影が――――――重なった。
「……クレア?」
「あの、ちょっと本音を漏らします。 良いですか」
「……おう」
クレアは俺の背中に両腕を回し、服を掴む。 その手は小さくて、クレアは俺の胸に顔を埋めて、呟く。
「ちょっと、怖かったです。 男の人も居て、怖かったです。 今になって、自分がどれだけ馬鹿なことをしたのか分かりました。 それで今、体が震えちゃって」
言葉通りだった。 クレアの体は小さく、震えている。 ここまでくっつけば、誰にでも分かることだ。 そしてその感情を俺に伝える声も震えている。 そうさせてしまったのは、俺の責任なんだ。 だからクレアの体を振り払う真似なんてできない。 俺の責任ではなかったとしても、ここで振り払うことなんてできやしない。
「なので、少しこのままで居させてください」
「ああ、分かった」
ここが寒い所為なのか、それとも真冬の所為なのか、クレアが工場跡で大立ち回りをした所為なのか。 それとも……。
「……あったかいな」
「何か、言いました?」
「いや、なんでもね」
気付けたことと、気付けなかったこと。 それらはきっと、いつどんなときでも存在する。 例外なく、どの場面でも。 俺が置かれているこの状況でも、それは存在する。
俺は今回のことを通じて、多くのことを学んだ。 人の気持ちの多くを、学んだ。 そして、それらを経て分かったことがある。 俺の中にある真実がひとつだけ、見えてきたような気がした。
けれど、今はそれに気付かない振りをしておこう。 少なくとも、俺がはっきりさせられるそのときまで。 だから今は、これで良いんだ。
「もう、大丈夫です。 ありがとうございます」
言いながら、クレアは俺から離れる。 人一人分ほどの距離を置き、クレアは自身の両手を後ろへ回し、笑顔で。
「俺は何もしてねえって。 それとクレア、ありがとな。 謝ってもお前は聞かないだろうから、お礼言っとく」
「ふふ、良く分かってるじゃないですか。 というわけで」
月明かりの所為か、クレアの姿は幻想的に見えた。 それを見ていたらまるで吸い込まれてしまいそうだったので、俺はクレアから目を逸らす。 その一瞬の隙を作ってしまった。
気付いたときには、クレアは俺との距離を詰めていた。 そして、クレアは俺の顔に自身の顔を近づけていて。
「……え、うわっ! お前なにしてんだよ!?」
頬に、柔らかい感触があった。 思わず俺は身を引いて、そんな俺を見てクレアはまた、笑う。
「だから、お礼です。 私の国では挨拶代わりのようなものです!」
「だからって……! ああもう良い、なんでもねえよ!」
「そ、そうですか。 なら、別に私もなんでもないです」
顔を赤くして言われても、説得力がなさすぎる。 俺は一体、どういう反応をすれば良いんだよ……。 ああ、なんだか非常に気まずい。
「……帰るか」
「え、ええ。 そろそろお腹も減ったので!」
馬鹿だ、本当に……馬鹿だ。 クレアの出身は、一応形式上ではアメリカだ。 けど、普通の暮らしをしたのはこの日本での方が確実に長いだろ? で、もしもアメリカの生活に慣れているんだとしても、だ。
……そういう挨拶代わりのキスがあるのは、フランスだ。
それから。
それから俺は、家へと帰る。 その日は真昼の協力もあり、どうやら母親にはバレていない様子だった。 帰ったらすぐに風呂に入り、そのまま部屋へ入るとベッドの上へと体を投げ飛ばす。
いろいろなことが、ありすぎた。 少し、今日は疲れたな。 明日は……また、部室にでも集まるか。 今回のこと、みんなには謝らないといけねえし。 一から説明もしないと駄目だろう。
そして、次の日。
部室へと全員が集まってすぐ、俺は今回のことの経緯を話した。 俺がやったことを全て、みんなに。 それを西園寺さんも柊木もクレアも黙って聞いてくれて、驚いたことに三人は俺に対して怒ることがなかったんだ。
クレアの場合は、まぁ……あいつもいろいろとやってしまったから言えなかったってのもあるかもしれない。 けど、柊木や西園寺さんの場合は別だ。 二人は俺に何か言っても良いのに、何も言わない。 ただ黙って、最後に「そうだったんだね」と西園寺さんが言うと、柊木はすぐさま話題を変えたのだ。
「言いたいことは言い終わったか? なら、次の話だが」
「ちょ、ちょっとストップです! 私も、結構やっちゃいましたし……その、すいませんでした」
どうやらそれは、クレアも感じたことらしく、話題を変える柊木に頭を下げてそう言う。 しかしそれを聞いた柊木は小さくため息を吐き、こう返した。
「空気を読め。 もう良いと雰囲気で分からないのか。 お前ら、自分たちで十分反省しているんだろう? なら、もう良いだろ」
「えへへ、そうだよ。 クレアちゃんも成瀬くんも無事ならそれで良いの。 ね?」
「ですけど……」
「納得できないなら、今日の帰りにでもジュースを奢れ。 それで今回の話は終わりだ」
まったく、どうやらこれでは歴学部で一番弱いのは俺とクレアってことになってしまいそうだ。 この二人には、敵わないな。
「それよりも今はやるべきことがあるだろう? なぁ、夢花」
「うん、そうだね。 クレアちゃん、お誕生日おめでとう」
ああ、そうだった。 すっかりと失念していたよ。 今日の日付は、二月の一日。 クレアの誕生日だ。
「へ、あ……いや! そんなことはどうでもよくてですね!」
「えへへ、ちょっといろいろあって、ちゃんと準備できていないんだけど……これ、わたしたちから」
西園寺さんは言うと、鞄からマフラーを取り出す。 クレアの趣味に合うような、白い生地にウサギのぬいぐるみがくっついている少し子供っぽいマフラー。 結局、俺たち三人で金を出して買った物だ。 つうか、案外高いんだな……マフラーって。
「……あっと……ありがと、です。 えと、みんなで、ですか?」
「うん。 わたしと、雀ちゃんと、成瀬くんから。 みんなで決めて、みんなで買ったの。 新年祭とかで、あまり話す時間はなかったから……こんな物だけど」
「……ふふ。 いえ、すごく嬉しいですよ」
さて。
どうやら、するべきことは終わったらしい。 ここに居て、クレアから何か言われるのは少しばかり避けたいものだ。 昨日のこともあってか、若干気まずいしな。
そう思い、俺は部室の扉を開く。
「……おい成瀬、まさか帰るつもりじゃないだろうな」
「うお……っと、いや、んなわけないだろ? ちょっと、下に飲み物を買ってこようかなって」
思いっきり帰るつもりだったが、どうやら柊木の前では帰ることすら難しいらしい。 というか睨むなよ、怖いんだって。
「そうか、なら私はレモンティーで」
「あ! 私はココアが良いです。 温かいやつで!」
「それなら、わたしは紅茶かな。 わたしも、温かいの」
「……容赦ないな、お前ら」
まぁ、今日くらいは良いか。 飲み物を奢るのもやぶさかではない気分だ。 少し外の空気でも吸って、それから飲み物を買って部室へ戻ろう。 ええっと、柊木がレモンティーでクレアがココアで、西園寺さんが紅茶だっけか。
持てるのか……なんて思いつつ、俺は廊下へ出る。 ここから一番近い自販機は、一階まで降りて、更にその突き当りだ。 時間にして約五分である。 大した道のりでもなければ、長い道のりでもない。
そんなことを思いながら、自分に言い聞かせながら、俺は階段を降りて行く。 既に放課後で、辺りに人気はあまりない。
程なくして一階へ付き、廊下を歩く。 ゆっくりと、静かだなと思いながら。
……いや待て。 なんか、おかしくないか? いくら放課後の校舎だからと言って、ここまで静かなものか? 一階へ辿り着くまで、人影すら見ないというのは妙じゃないか?
俺はそこで、足を止めた。 いや、強制的に止まらされた。 目の前に、人が現れたのだ。
その現れたというのも、横にある教室から出てきたとか、曲がり角から出てきたとか、そういうものではない。 廊下の上、天井辺りから降ってきたのだ。
「は……?」
目の前に、少女。 銀髪で、ドレスを身につけた少女だ。 一体……どこから?
思い、俺はその少女が現れた天井に視線を向ける。 すると、その空間にぽっかり穴が開いたように黒く歪んでいる。 天井ではない、こいつは……この空間から出てきた?
何も知らない俺だったなら、こんな感じで理解する前にパニックになっていただろう。 だが、残念ながらこういうあり得ない現象には心当たりがありまくる。 さて、どうする。 この状況は。
「やっと、やっと見つけました! 成瀬様、成瀬陽夢様ですね! 単刀直入に言います、わたくしの世界を助けて下さい!!」
その少女は言い、顔をあげる。 肩よりも少しだけ長い銀髪で、その右目は髪で覆われている。 首には何やら安っぽそうなリボン。 そして身長はクレアと同じくらいで、見える左目はクレアの碧眼とは違い、眼の色は銀色だ。 そしてその表に出している左目だけで俺の顔をしっかりと見て、俺の体を掴み、少女は確かにそう言ったのだ。
「は……えっと……助け、る?」
「そうです、成瀬様ならわたくしの世界を救えます! ようやく、ようやく会えました……。 さ、行きましょう。 成瀬様」
「へ? あ、おい! ちょっと待てって!!」
俺の言葉はどうやら、耳に入っていない。 その銀髪の少女は天井へ向けて手をかざす。 すると、先ほどと同じように空間には穴が開いて。 それから。
それから、俺と少女はその穴に吸い込まれていった。 そしてその次に目を開けると、まったく知らない世界が広がっていて。
銀髪の少女は、俺にこう言った。
「ようこそ、妄想の世界へ」
……どうやら、これは長い旅路になりそうである。
以上で短編集、終わりとなります。
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次回は少しファンタジー要素が入ったお話となります。 既に書き終わってはいますので、明日から投稿致します。