いつも通りに 【5】
考えが浅はかすぎた。 俺はやはり、自分のことしか分かっていなかった。 あらゆることで、あらゆる面で、俺は周りが全く見えていなかったんだ。
西園寺さんが今回の件をどう受け止めていたか。 クレアが今回の件をどう思っていたか。 柊木が何を考えていたか。 その全てを俺は理解していなかったんだ。
「はっ……はっ……!」
寒さは気にならない。 脇腹の痛みも気にならない。 ただただ、俺はどうしようもないほど、自分に腹が立っていたから。 俺がもう少し気持ちを正面から見つめていれば。 俺がもう少し気持ちというのを考えていれば、これは辿り着けた答えだったはずなのに。
なんでこう……うまくいかねえんだよ。 もう、仕返しなんて良い。 俺の負けで良い。 ただただ、好き放題言われて好き放題やられて、それで良い。 クレアが無事ならば、もうなんでも良い。
一月の終わり、現在の気温は三度。 しかし、そんな凍えるような寒さもどうでも良くなってしまった。 普段運動をしていれば、こういうときに役に立ったりするのかな。 もしもそうなら、今このときばかりはぐだぐだ過ごしていた自分を殴ってやりてえ気分だ。
俺は冬の街中を走りながら、そんなことを考えていた。 現在の時刻は、日付を丁度跨いだ頃だ。
「どういう、ことだ?」
「だから、わたしが話しちゃったの。 クレアちゃんに、部室が荒らされたことを……」
部室が、荒らされたことを? いや、それは分かる。 けど、どうして西園寺さんがそれを知っている? 俺は当然、心配させたくないという考えから言っていないはずだ。 そう見えるような素振りも見せないようにしたはずだ。
「雀ちゃんから、聞いたよ。 それで成瀬くんが凄い怒ってるってことも」
「俺は別に……」
……柊木か。 あいつ、西園寺さんには話したのか……部室のことを。
「わたしはね、成瀬くんに任せようって思ったの。 成瀬くんなら、良い解決をしてくれるって思って」
「違う。 違うよ……西園寺さん。 俺がやってるのは、最低のことだ」
だからいつもの笑顔を向けないで欲しかった。 西園寺さんが思っているような人間では、ないから。 俺は最低で、最悪な奴だから。
だが、西園寺さんはそれでも笑う。 笑って、いつものように言うのだ。 俺に幾度となく向けてきたその顔で。
「違わないよ。 成瀬くんは、成瀬くんだから。 もしも今成瀬くんが言ったようなことをしていても、わたしは成瀬くんを信じるよ。 本当は違っても、そう信じるよ」
「……」
真実を知っても、友達で居たいということか。 そんな俺を知っても、西園寺さんは尚……そう言うのか。
「西園寺さん、俺は」
「えへへ、駄目だよ。 成瀬くん、わたしが成瀬くんのところに来たのは、お願いがあったから」
……お願い。 西園寺さんが今日、俺の家をこんな遅くに訪ねてきた理由。 それは、さっき聞いたことだ。
そう、だな。 俺にはやるべきことがある。 それは今、どんなことより最優先されるべきだ。 矢澤や村山に仕返しするよりも前に、もっとも優先するべきことが今の俺にはある。
「そうだった。 西園寺さん、全部終わったら話がある。 柊木にも、クレアにも」
「うん、分かってる。 また部室で、お話しよう。 みんなで」
「ああ」
俺が西園寺さんから聞いた話は……クレアが、矢澤たちをぶっ飛ばしに行ったという旨だった。 言葉はもっと優しいものだったが、大筋はそうだ。
部室が荒らされたこと、そしてその黒幕に矢澤が居ること。 それを柊木から聞いた西園寺さんは、クレアについ話してしまったという。 西園寺さん的には、みんなでどうにかしようという意思があったんだろう。 しかし、クレアの短絡さはそれを凌駕していたってことだ。
証拠も、証言も、証人も、繋がりも、過程も仮定も行程も、あいつは全てすっ飛ばして殴り込みに行ったのだ。 クレアらしすぎて、最早呆れを通り越して笑えてくるほどだよ、本当に。
矢澤や村山、あいつらが溜まっているところは同学年の奴らなら知っている。 もしもクレアがそれを知らなくても、あいつは交友関係が幅広い。 ひとつひとつは薄い関係でも、それを調べることなんて、容易いだろう。 そして、それを知ったクレアはそこへ乗り込んだということだ。
ここからは数十分の、街外れにある工場跡……そこにあいつらはいる。
あいつ「ら」だ。 当然、一人で居るわけがない。 そこはあいつらのグループがよく溜まっている場所なのだ。 そこにあの馬鹿は、一人で行った。 自分が思うままに、感情の赴くままに。
どうなるかなんて、馬鹿でも分かる。 そこに一人で行くなんて、考えが足らない奴がすることだ。 クレアは馬鹿じゃない、そんなことは確実に分かっているはずだ。 ただ、その考えを吹き飛ばすほどに頭に来たんだろう。 まったく、これだから嫌だ。
……だから嫌なんだ、感情で動く馬鹿野郎は。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
それから走ること数十分、ようやくその工場跡が見えてきた。 クレアは電話にはいくらかけても出ず、結局この工場跡へ来るしかなかった。 しかし、様子がおかしい。 人だかりと、赤灯が回っている。 見ればどうやら、救急車も来ているようだ。
「あの……すいません、何かあったんですか?」
「ひ……あ、えと、なんか喧嘩があったみたいで」
集まっている人だかりの中から、適当に無関係そうな人間に俺は問う。 駅から歩いて帰宅途中の女の人だった。
てか……怯えるなよ。 確かに今の俺は息も絶え絶えで怖いかもしれないが、そうもあからさまにビビられると傷付くんだぞ。 と、そんなことを思っている場合ではない。
それに喧嘩って言ったか……? こりゃ、手遅れだったのか? そんなことは絶対考えたくないが、この状況は。
「金髪の子は居たか!? 金髪の、背が小さい奴だ」
「い、いや……私、良く見てないし。 てか、君がやったの……?」
「ちっげえよ! 俺の友達が居るかもしれねえんだ!」
失礼なことを言う奴を退かし、俺はその中へ行く。 警官が何人もおり、規制線が張られている。 思ったよりも大事だ。 だが、それで止まることはしない。 あいつを探さないと。
「すいません! 金髪の子、居ませんでしたか?」
「金髪の? ああ、確かついさっき運ばれていったよ。 結構酷い状態みたいだったが……君の知り合いか?」
その警官の中の一人に聞くと、そう返答があった。 酷い状態だった、クレアが。
「……クレア」
……くそ、くそくそくそッ!! 俺の所為だ。 俺の所為で、こうなった。 俺がもっとしっかり説明していれば、俺がクレアに説明していれば、あいつを止められたはずだ。 なのに、俺は一人で考えて一人で動いて、結局それは一人よがりにすぎなくて。
何も考えていなかったのはクレアじゃない。 俺だ。
「おい、君? 大丈夫か?」
「え、あ……と」
思考が捗らない。 なんて言われたのかが、分からない。 大丈夫か、大丈夫じゃ、ねえ。 大丈夫なわけがない。 そうだ、俺はそうだ。 クレアは?
「なぁ、クレアは? クレアは無事なのか?」
「クレア? 誰のことだ?」
ああそうか、名前を言っても分かるわけがない。 なら、言い方を変えて。
「金髪の、碧眼の奴だ。 背がちっさくて」
「碧眼かどうかは分からないが、さっきも言ったが金髪の子なら救急車で運ばれていったよ」
「あ……そう、ですか」
駄目だ。 俺、同じことを聞いたよな。 おかげで警官は不審な目で俺のことを見ている。 とにかく、ここは一旦離れないと。 関係者だと思われて捕まっても面倒だ。
だけど、もう良いか。 もう、なんだかどうでも良くなってきた。 何もかも、どうでも。
「……成瀬くんっ!」
「……西園寺さん?」
人混みの中から知った声が聞こえた。 そして西園寺さんは俺の手を掴み、その人混みの外へと引っ張っていく。 どこへ行くのか、ただ俺が若干危ないと思い、助けてくれたのか。
それから数分、西園寺さんは人混みから更に遠くへ俺を連れて走った。 西園寺さんの手はやっぱり暖かくて、それで少しは落ち着けたかもしれない。
「成瀬くん、大丈夫? クレアちゃん、居た?」
「いや、クレアは……居なかった。 聞いたら、救急車で運ばれて行ったって」
ようやく西園寺さんが足を止めたのは、数分歩いた先の公園だった。 そこで、西園寺さんは心配そうな顔付きで俺のことを見ている。
「そんな……」
西園寺さんは自身の服をギュッと掴み、顔を俯かせていた。 俺も、気分では一緒だ。 間に合わなかった、間に合えなかったんだ。 クレアを止めるチャンスはあったのに、この話は結局、最初から間違えていたのかもしれない。 俺は、自分自身がこの道を進むことを信じていなかったのかもしれない。 正しいことだと、信じきれていなかったのか。
そんなとき、ポケットから着信音が聞こえてくる。 このタイミングでかけてきそうな奴は……真昼か親か。 大方、俺が家を抜けだしたことがバレでもしたのだろう。
「……悪い、親かもしれない」
「……うん」
最悪だ。 今日は本当に、最悪の日だ。 今まで生きてきた中で、ダントツで最悪だ。 真昼が言っていたこと、柊木が言っていたこと、それを押し退けて俺はこれが正しいと思って、進んできた。 なのに、こんなことになるなんて。
「もしもし」
『やけに暗いな。 何かあったのか?』
「……柊木か? ちょっとな、いろいろあって。 ごめん」
電話の主は母親でも真昼でもなく、柊木雀だった。 柊木は珍しく、心配そうな声色で俺に言う。 それを聞き、俺は思わず謝ってしまった。
『まぁ良い。 そのいろいろは後で聞くとして、耳に入れておくべきことがある』
柊木の言葉に、俺は返事をしない。 その元気がなかったというのもあるし、今はそんなこと、こう言ってはあれだがどうでも良かった。 こいつになんて説明するか、それを考えていた。 きっと柊木は怒るだろう、俺のしたこととクレアがしたことを。 そして、そのあとに自分を責めるのだ。 俺が一人でやらなければ、柊木が西園寺さんに言わなければ、西園寺さんがクレアに伝えなければ、クレアが短絡的な行動を取らなかったら。 そんな間違えの積み重ねが、この結果だ。
……あの溜まり場には、男も居たんだ。 それで、クレアはそんなところへ夜遅くに一人で行って、それで。
「馬鹿だ、俺は」
思わず漏れたその声は、震えていた。 自分でも分かるほどにハッキリと、震えていた。
『急にどうした……。 そんなこと、私は知っているよ』
そうだろうな、お前は知っているだろうさ。 けど、言わずにはいられない。 後悔するのも、手遅れだ。 全てが手遅れなんだ、もう。
「俺はどうして、分からないんだろうな。 俺は……どうして」
『とにかく聞け。 良いか、良く聞け――――――――』
俺の言葉を遮って、柊木は口を開く。 その言葉を聞いて、俺は。
「いかねえと」
言って、立ち上がる。 時刻は、日付を跨ぐ少し前だ。 柊木の話が本当だとするならば、まだ……過ちは正せるかもしれない。