いつも通りに 【4】
「真昼、一発殴ってくれ」
「兄貴マゾなの……? 帰ってくるなり妹に「殴ってくれ」って、ヤバイでしょ」
「うっせ、良いから早くしろ。 そうされないと、気が済まない」
その後、俺は家へと帰るなりすぐさま真昼にそう要求した。 嫌なことをしたとは分かっている。 最悪なことをしたってのも、分かっている。 けれど、四条を許すことは俺にはできない。 それに、四条だって俺を勘違いしたままでは駄目だ。 誤解は放置していれば、そいつの中で誤解ではなくなる。 そういう真似は、したくない。
「んじゃ、いっくよー」
「引いてたわりにはノリノリだなおま――――いってぇえええええ!!」
喋ってる途中で殴るなよ! せめて言い終わってから殴れよ! 口の中切れたらどうする気だこいつ! あと、本気で殴りすぎ! てかマジで痛い……涙出る。
「あーにきさ、またなんかしたんでしょ。 なんかある度に兄貴を殴るあたしの気持ちにもなってくれよ」
「お前の気持ちなんて知らねえよ……。 ああくそ、めっちゃいてぇ……」
まぁ、真昼のその言葉も的を射ている。 俺がこういう風に気分が悪いときは、真昼にふっ飛ばしてもらっているのだ。 そうすることで多少はマシになるし、救われた気にもなる。 全て、ただの誤魔化しでしかないけど。
「……あと数日は痛いな絶対。 あ、それとこれありがとうな」
「良いって良いって。 でも文句言いたそうに見ながらお礼言われても嬉しくないよ。 ま良いんだけどさ、それよりこんなの何に使ったの? 使い道なくない?」
真昼は俺が手渡した物を受け取ると、さぞ不思議そうな顔で言う。
「あるんだよ。 馬鹿には分からない使い道が」
「もう一回殴って良い?」
調子に乗ればすぐこれだ。 真昼が如何にどうしようもない妹だと分かってもらえただろうか。 リリアの奴、早く妹になってくれないかな。
「やめて。 要はブラフだよ、ブラフ。 それで騙した相手が居るってだけのこと」
俺は言いながら、真昼が一度は受け取ったそれ……電池が切れたボイスレコーダーを再び手に取る。 これというのも、真昼が昔「あたしの美声が録音できる」と言って買った物で、もう何年も前から電池が切れ、使っていなかった物を利用させてもらったという流れだ。
最初から、録音をする気なんてなかった。 ただの高校生の言い合いに、そこまでの物なんて必要ない。 だからこれは、言ってしまえば俺が最低で居るための道具。
少なくとも、あの喫茶店でのやり取りは西園寺さんたちには見せられないな……。 めちゃくちゃ言われそう。
「そっか。 なんかやっぱ変だよ、兄貴のやってることって」
「知ってる。 俺はいつでも間違えてんだ」
「いや、違うよ。 兄貴は正しいんだ。 正しいけど、結果が間違えているだけで……なんて言えば良いんだろ、こういうの。 最終的な着地点を、わざとズラしているって言えば良いのかな」
「……どうだか。 でもそれが一番良いだろ? 真昼」
「さーね。 あたしには言えないよ」
真昼は言うと、俺の部屋から出ていこうとする。 今回はかなり協力してもらったし、今度飯くらいでも奢ってやるか。
にしても、着地点をズラしている……か。 それは事実だし、間違っちゃいない。 でも、俺が正しいってのは間違いだ。 それだけは絶対に違う。
「兄貴がさ、本当に心の底から良いって思っていれば、良いんだと思うよ。 一番良いってのは、自分がそう思っていることだから」
廊下に出た真昼は、俺の部屋の扉を閉めながら、最後にそう言った。 それは俺が、異能の世界で学んだことだ。 どれが正しいのかは、自分自身が決めること。 他の誰にもなにが正しくてなにが間違っているかだなんて、決められやしない。
「……お前にしては、珍しく頭が良さそうなセリフだな」
「あたしはいつだって天才だっ!!」
真昼は叫び、右手を天井向けて突き上げる。 すげえ馬鹿っぽい行動と言動だな。 ひとつだけ言えるとしたら、所謂天才という人種はそんなことはしない……ああでも、俺が天才だと思っているクレアもやりそうだな。 いよいよ馬鹿と天才は紙一重という言葉に真実味が増してきた。
「だったら俺は超天才だよ」
「へへ、知ってるよ。 だからあたしは兄貴のことが大好きだ」
そんな風に言われても、照れやしないし好きになることだってない。 けれど、ほんの少しだけ、嬉しかった。
思えば思うほど、人生には難題が盛り沢山である。 うまくいかないことは山ほどあり、それを乗り越えるのは困難を極める。 ようやく乗り越えたとしても、次から次へと山は現れ立ち塞がる。 終わりなく、険しい道は死ぬまで続くのだ。
そしてその道中には、看板が立っている。 気持ち良いほどにポップな書体で「降り口はこちら」と書かれているような看板が。 楽で楽しくこの上なく幸せな下り坂。 そんな誘惑とも言える看板が、あちらこちらに立っているのだ。
下っている間は楽しく、幸せだ。 満たされた気分になるし、充実した気分にもなる。 しかし、そのゴール地点は最悪だ。 そんな下り坂を進行形で降りているのが、矢澤たち。 あいつらの毎日はさぞ充実していることだろう。 他者を貶め、楽な道を歩きながらも人の上に立つ毎日は。
だから俺は、背中を押してやることにしたんだ。 ゴールに着くまでの道のりを手伝ってやることにしたんだ。
さて、矢澤がそうだとするならば、西園寺さんの場合はどうだろうか?
彼女の場合は、降りる選択肢はないだろう。 あの人の純粋さと懸命さは、俺が一番良く知っているつもりだ。 そんな彼女が下り坂を進むことも選ぶこともないことは知っている。 西園寺さんはきっと、近くに居る人と協力をして乗り越える。 あの七月に、俺と協力して脱出したように。
それが彼女の強さで、彼女の芯なんだ。 人の気持ちに敏感で、強さも弱さも持った人間だ。 人間らしい人間で、人を思いやり、人が好きなんだ。 それが半年ほど一緒に過ごした俺が、西園寺夢花という一人の人間に対して思うこと。 俺やクレアや柊木が持ち合わせていない確実なもの。 西園寺さんが居るだけで空気が和らぐのは、最早わざわざ口に出して言うことでもない。
だから俺は、彼女に憧れる。 そうなりたいと願う。 いつか同じ視線で物を見たいと思う。 だが、これはきっと一生叶わない夢なのだ。 俺は彼女のように、なれやしない。
次に、柊木の場合はどうだろう?
柊木雀。 真面目で正しい彼女の場合は。 一年生にして、現風紀委員長だ。 学校内ではしばしば、関わらない方が無難な人として名前があがる柊木だ。 真面目すぎて、入学してすぐの朝礼で「死ね」と発言し、自宅謹慎を食らった柊木だ。 そして、地味に演技がうまいという特技を持っていたりする。 柊木鶉という架空の妹の真似がとてもうまい。 本人の前でこれを言うと、一瞬で怒るから言わないけれど。 言ったことはないから分からないけどな。 怒られそうってことだ。 しかし、その件について西園寺さんは「終わっていないと思う」と言っていたのが少々引っかかる。 ……まぁ、今は関係のないことだ。
さて本題。 そんな彼女はどうするのだろう。 恐らくは、正面から正々堂々と挑む気がする。 正攻法で、逃げも隠れもせずに戦うのだと思う。 それは勇気のいることだし、生半可な気持ちではやり遂げることはできない。 だが、それでも柊木雀はやり遂げてしまうのだ。
柊木が委員長を務めてから、様々な問題に取り組んだと聞いている。 校則の徹底、校舎周辺の清掃、行事の際に地域団体への協力、その影響は学校内だけに留まらず、高校の評価そのものを上げていると聞く。 それが柊木のやり方で、やり遂げた結果だ。 柊木が一年ほどで残した物は、とても強大で偉大なものなのだ。
だから俺は、彼女を尊敬する。 俺にはできないことをやり遂げる彼女を尊敬する。 臆すことなく、逃げることなく、責任をどこまでも持ち、任せられた仕事は真っ当する。 そんな彼女を尊敬している。
俺の場合はどうだろう。
成瀬陽夢の場合。 俺は、そうだな。 多分……その壁を乗り越えることはない。 それこそ、西園寺さんやクレア、柊木が一緒に居るときは除いて。 俺一人だけだったら、壁を乗り越えようとすること自体をまずやらない。 それに労力を割くよりも、俺は別の道を探すだろう。 超えずとも歩ける道を、超えずとも進める道を、超えずとも生きられる道を。
建設的で、現実的。 合理的で、ある意味自虐的な選択を取る。 そうすることで俺は逃げている。 乗り越えなければ見えてこないものや、未来や、きっと過去からも。 俺が逃げているのは何からだろう? 俺は一体、何を避けているのだろうか?
しかし俺は気付けない。 今までずっと逃げていた所為で、その正体がなんなのかに。 そして、それは人の気持ちというものにも繋がる。 誰がどう思い、どう動くか。
今回の件で言えば、俺はこの一日のように動いた。 部室が荒らされたことに気付き、その犯人を見つけた。
柊木がもしも渦中だったなら、あいつは教師に訴え、正当なやり方を選んだだろう。 間に教師が入り、仲裁と処罰をすることによって穏便に終わらせるはずだ。
西園寺さんなら……ああいや、分からないな。 西園寺さんがどうするかなんて、皆目見当も付きやしない。 きっと彼女は、俺の予想を上回るなにかをするのだろう。
そして。
「あーにきー、起きてるー?」
「だからノックしろって……」
「ん、ああそうだったそうだった」
言って、真昼は既に開いている扉を足で蹴り飛ばす。 やめろよ……なんで軽くローキックみたいな蹴り方なんだよ……。
「はぁ……。 そんで、なんの用だ」
「いやほら、夢花さんが来てるよって。 なーんか、ちょい慌ててる様子だったけど」
西園寺さんが? 一体なんの用だ?
「珍しいよね、こんな遅くに」
言われて時計に目をやると、時刻は二十二時。 珍しい、じゃないな。 これは珍しい事態ではなく、あり得ない事態だ。 西園寺さんがこんな時間に家を訪ねてくるなんて、絶対にあり得ない。 もしもあり得るとするならば、そんなあり得ない行動を取らなければならない理由があるからだ。
「……悪い真昼、ちょっと家空ける。 母さんにバレそうになったら、適当に誤魔化しといてくれ」
「はいはーい。 気を付けてな」
俺はそれから、忍び足で家を後にする。 玄関からこっそりと出て、外へ。 門の辺りには西園寺さんが立っており、真昼の言う通り息を切らしている様子だ。
「大丈夫か? ここだとあれだから、ちょっと歩こう」
「う……ん、わかった……」
ここで親にでも見つかれば、連れ戻される可能性が高い。 その思いから、肩で息をする西園寺さんを連れ、ひとつ目の角を曲がって振り返る。
「何があった?」
「えっと、何から話せば良いのか……あのね、クレアちゃんが、大変なの! わたしが言わなければ良かったのに……早く止めないと!」
「クレアが……? とにかく落ち着けって。 順を追って話してくれ」
そうは言ったものの、事態が急を要することくらい、すぐに理解できた。