七月五日【1】
「わたしね、成瀬くんのことが好きなんだ」
「……は?」
待て待て、どうしてこうなった。 状況が飲み込めない。 俺は確か、今日は学校へ行ってそのまま真っ直ぐ家へと帰って……それで、後ろから西園寺さんが追いかけてきて。
ということは、これはまさか。
「こういうのって、やっぱり伝えたくて。 こんな状況の今だけど……だからこそ、伝えておきたかったの」
「それって……」
それって、そういう意味でなのか。 そう、聞こうとした。 だが、西園寺さんはにっこりと笑うと、そのまま続ける。
「うん、そうだよ。 成瀬くんが思っている通り。 あ、でもね。 今返事を聞くのはちょっと怖いから……この状況をちゃんと乗り越えられたら、お返事が欲しいです」
それだけ言い残し、西園寺さんは一度お辞儀をして、俺の前から小走りで去っていく。 頭には何やら、ヘアピンのような物を付けて。 勝負だからか? 勝負だからなのか!? つうか。
……マジか!? いや、落ち着け俺。 確かに西園寺さんは可愛いし、性格も悪くはない。 むしろ良い方だとも思う。 けどな、けどな俺。
このパターンで行くと、王道的なこのパターンで行くと、今俺の身に起きているこの状態は。
「……だよなぁ」
七月五日。 けたたましく鳴り響いているのは目覚まし時計。 西園寺さんが持っている如何にもな目覚まし時計ではないが、ちゃんと目覚まし機能が付けられた時計だ。 そしてそれが鳴ったということは……そして俺が今、ベッドの上で天井を見つめているということは。
「夢かよ……」
朝っぱらからなんて夢を見ているんだ俺は。 いや、朝だから夢を見ていたわけだけど……ああくそ、混乱してきた。
この前……花火大会の日。 俺と西園寺さんが『手紙』の謎を解いた日。 あれから三日しか経っていないが、それなりに西園寺さんと仲良くなった所為だろうか? よりにもよってあんな夢を見るなんて。 あろうことか、告白って俺なぁ! 何考えてんだ!
「ないないない。 ありえない。 あれを期待しているわけがない」
かぶりを振って、言い聞かせる。 そうだ、恐らく仲間意識的なものから、あんな夢を見たのだろう。 同じ境遇で、俺と西園寺さんしか知らないことを共有していて、その所為で変に意識が向いてしまったのだ。 違いない。
それにしても……やけにリアルな夢だったな。 実際あんな風なことを言われたら、マジでどうしよう。
「なーるせくーん! 来たよー!」
と、そんなことを思っているときに丁度その人物がやってくる。 今日は日曜日だというのに、朝っぱらから大声で俺のことを外から呼ぶ人物。
「……あーだるい」
別に、西園寺さんのことを疎ましく思っているわけではない。 一応、仮にも友達という関係なわけだし。 俺が感じているのはあれだ、朝特有の気だるさ。 低血圧にとって、朝は辛いのだ。
「……うぃー、今行くー」
カーテンを開け、窓を開け、玄関に立つ西園寺さんへ向けて言う。 声が届いていない可能性も考え、手を振るという分かりやすい挨拶付きで。
「うんっ! 早く早く!」
真っ白なワンピースを身に纏っている西園寺さんは、やっぱり笑顔。 家の外から俺の名前を大声で呼ぶという、家族的な意味で嫌がらせを受けたことに文句の一つでも言おうと思ったが……牙を抜かれる感じだ。
つうかな、そうは言っても約束の時間は朝十時だったはずなんすけど。 今はまだ朝八時なんすけど。 西園寺家では二時間前行動が基本なのか、そうなのか。 だったら今すぐそれは止めて欲しい。 切実な頼みな、これ。
「えへへ」
いつもの笑顔で手を振る西園寺さん。 服装も相まって、まるで天使のようだ……なんて、馬鹿なことを思う俺。
にしてもこの分だと、またも母親と二人の妹にからかわれるだろう。 マジで勘弁してくれ……。 あのなんとも言えない感じ、苦手なんだよなぁ。
そもそも、俺が日曜日に家から出るということ自体がまずレアなのだ。 休みの日は、その名目通りに限りなく休む俺にとって、折角の日曜日に外に出るという行為は愚行でしかない。 そんな思いも、ついこの前交わしたカラオケに行くという約束の所為で、見事に打ち砕かれたわけだが。
……まぁ、まぁまぁ仕方ない。 今回だけだ。 これを乗り切れば、後はもう下手なことを言わずに、西園寺さんの逆鱗に触れるようなことは言わずにしていればいい。 この前のあれは本当に口を滑らせただけだし、そんな失敗はもうしなければ良いだけだ。
よし、一日だけ頑張ろう。
そう思いながら、俺は家から出るための準備を始めるのだった。
「おはよ! 成瀬くん!」
「……はよ」
朝から元気だなぁ……。 俺は思いっきり二度寝をしたい気分なんだけど、それを言ったらさすがの西園寺さんでも怒りそうだ。 いや、怒るというよりは叱ると言った方が正しいか……? 同級生に叱られる俺か。 なんか凄く惨めじゃないか。
「今日は良い天気だね、良かった」
「あー、確かに」
太陽はギラギラと輝いてはいるものの、気温はそこまで高くなく、吹いている風は心なしか冷たくも感じる、過ごしやすい日。 七月の五日か……。
俺の記憶が正しければ、今日も真夏日のはずなのに。
そういう細かい部分には、結構変化が訪れているのだ。 そんなことは西園寺さんだって理解しているだろうし、だからこその「良かった」という言葉。 それには俺も、全面的に同意といった感じだよ。
「それより、あれから変わったことは?」
「うーん……特にない、かな?」
「そっか……」
一番最初の問題である『屋上の扉』は、解いた次の日には西園寺さんの元へ『手紙』が届いた。 そして、二番目の問題である『花菱草』も解いた次の日には『手紙』が届くのかと思っていたがそんなことはなく、未だに新しい『手紙』もなければ、大きな変化もない。
そういった事実から、期待外れという感じだ。 何か条件があるのか、それとも気まぐれで届く物なのか。
「そう悩んだら駄目だよ。 もっと、前向きで! ね、成瀬くん」
「まぁそれも大事だけどさ」
俺の言葉に、西園寺さんは空を一度見上げて返す。
「それに、もしかしたら何の意味もない手紙かもでしょ? だから、そればっかりを考えないようにしないと」
……もっとも、だな。 悪い癖だ、興味の惹かれることだとか、解けない問題を前にしたときだとか、そういう場合に俺はそればかりを考えてしまう。 西園寺さんが言いたいことは多分、そんな気に病まずに考え過ぎないようにしよう、ということだろう。
「だからカラオケ! 思いっきり楽しもうね、成瀬くん!」
「それはまた別の問題だよ」
「むう」
頬を膨らませ、如何にも不満ですって感じの顔を西園寺さんはする。 もしかして、俺を上手いこと乗せようとしていないか……? 気を付けないと、いつの間にか罠にハマっていそうで恐ろしいな。
「西園寺さんは、カラオケって結構行くの?」
そんな不満を霧散させるため、俺は言う。 ここで放置したら厄介なことになりそうだったので。 西園寺さんの性格も最近になって段々と理解出来てきたからな。 この人は基本的に、話すのが好きなのだ。 だからやっぱり、前に言っていた「ゆっくりしているのが好き」というのは建前かと思われる。 本当の理由は何か、違うもののような……。
「うん、行くよ。 月に一回は必ず」
「……それが多いのか少ないのかが、まず分からない」
でもどうだろう? 武臣が他の友達と行っている頻度を考えると……多い方なのかな。
「えへへ、多分多いと思う。 好きなんだ、カラオケ」
「そっか」
この前の一件から、花にも詳しいことが判明したし、案外多趣味だったりするのかもしれない。 なんというか、俺とは正反対って感じだ。
「実はね、一緒にカラオケ行く人が欲しかったんだよね」
「そうなのか?」
やはり、変だな。 矛盾していると言っても良い。 ここで「それならどうして友達を作らなかったのか」と聞いても良いのだが、さすがにそれはプライバシーに踏み込み過ぎてしまう気もする。 人それぞれに考えはあるだろうから、無闇に聞かない方が良さそうか。
「そう! 自分で歌っても、うまく歌えているのか分からないから。 だから人に聴いて欲しかったんだけど……友達に聴かれるのって、やっぱり恥ずかしいでしょ?」
俺は友達とカラオケに行ったことがないから詳しくは分からないが、想像する限りではそうかもしれない。 変に緊張しそうだ。
いやでも、それ以前に見過ごせない発言が一つ。
「ん? あれ……もしかして、俺って友達じゃなかったりする?」
「へ? えっと……あ! 違うの! そういう意味じゃなくて、成瀬くんってわたしが歌っているのを一回聴いているでしょ? だから、もう良いやーって思って。 えへへ」
要は吹っ切れたってことか。 確かに西園寺さんが言う通り、俺は一度聞いているな。 あのやけに耳に残る西園寺さん自作の歌。
「あーさってやつか」
「……それは言わないで」
頬を赤らめ、西園寺さんは顔を逸らす。 照れているのか怒っているのか、恐らくこの場合は前者かと思われる。
「いやでも結構良いリズムだったよ。 今でも耳に残っているし」
「ほんと!?」
うお……なんだ。 この異様な食い付き。 というかマジで顔を近づけるのをそろそろ止めて欲しい。 心臓に悪いし、何よりそのままヘッドバッドをされそうで怖いんだ。 痛いのは嫌いですよ俺。
「う、うん……まぁ」
いつも通りに俺は身を引きながら。 西園寺さんはその分だけ距離を詰めながら。 最終的にはいつも俺が壁際へと追いやられる。 というか、俺が身を引いているのを理解しているだろうに、その分距離を詰めてくるなよ!
「えへへ、やったぁ! そう言ってもらえると、歌った甲斐があったかも!」
すごい喜びっぷりだ。 素で喜んだときにバンザイをする人は初めて見たぞ。 それにぴょんぴょん跳ねているし……感情表現が豊かだなぁ。
「あ、もしかしてさ、西園寺さん。 そういうのが夢だったり?」
「分かる? 実はね、実はね成瀬くん。 わたし、音大に行こうと思ってるんだ」
「へぇええ……」
合わせたというわけではなく、自然と声が漏れていた。 感心、感嘆、感動、尊敬……違うな。 敢えて言うならば、羨望か。
「歌を作って、その歌を歌って、いろんな人に聴いてもらいたい。 歌はね、成瀬くん」
西園寺さんは笑顔で、俺に言う。 その言葉にはきっと、色々な思いが詰まっている。
「言えない気持ちだとか、伝えたい言葉だとか、表せない想いだとか、そういうのを真っ直ぐ届けられる方法なんだ。 綺麗で、素敵なものなんだよ」
「……そっか」
俺は自分で言うのもあれだが、珍しく笑って、西園寺さんの言葉に頷いた。
素直に、羨ましいと思ったのだ。 そうやって夢がしっかりとあって、手に入れたい物があって、強い想いがあることを。
それだけでもう、西園寺さんという人間は立派だ。 前を見る力がある西園寺さんだが、その視野はどうやら、俺が思っている以上に広く、大きいらしい。
俺が気付かないことに気付けるのも、無理はなかったということか。 西園寺さんには一体、世界はどのように見えているのだろう? 俺から見た複雑に入り組んだ世界とは、違ったように見えているのか? そうだとするなら、俺も一度その世界は見てみたい。
「成瀬くんには、あるの? 夢とか」
「俺か。 俺は……今のところは、特にないかな」
「……そっかぁ。 うーん、難しいね」
そう言いながら、腕組みを始める西園寺さん。 なんだ? 一体何に頭を悩ませているのだろう?
「あ! それじゃあこうしよう。 今日、成瀬くんがわたしのカラオケに付き合ってくれたお礼に、わたしは成瀬くんの夢を探すのを手伝うよ! どうかな?」
「は? 夢を探すのを手伝うって……」
考えろ考えろ。 どうしていきなりそんなことを言い始めたんだ……。 そもそも、たかがカラオケにそんな大層な対価を払われても困惑するぞ。
「どうかな!?」
グイッと顔を寄せ、ズバッと言う西園寺さん。 もう壁際だから後には引けない。 参ったな。
「わ、分かった分かった。 ならそうしてくれると助かるよ」
と、結局俺は流されるままに言ってしまう。 西園寺さんにとって、約束とはどれだけ大事なものなのかも知らずに。
「えへへ。 よーっし! なんだか今日は、気持ち良く歌えそう! 早くいこ、成瀬くん」
言い、先を歩く西園寺さん。 そんな姿に俺は苦笑いをしながら付いて行く。
「……はいはい」
こうして、俺は七月五日の午前九時頃に、西園寺さんとの約束を交わした。 西園寺さんのカラオケに付き合う代わりに、西園寺さんが俺の夢を探してくれるという約束。
でも、夢って自分で決めるものではないだろうか……。 まぁその手助けをしてくれるというのなら、別に俺も構わないっちゃ構わないが。 その方法がとても心配だ。
西園寺さんのことだから、なんだかありえない方法を使ってきそうで……もしかしてこれ、失敗したか俺。
「成瀬くんっ。 早く早く」
少し前を歩いていた西園寺さんは俺の方に振り返り、言う。
その振り返った瞬間の姿はどうしてか、いつかどこかで見たことがあるような気がした。 俺も俺で、朝の夢の一件を考えると……西園寺夢花という一人の少女に興味を抱いているのかもしれない。