七月一日【1】
七月一日。 高校一年生の夏。 本来なら、喜ぶべき時期だ。
夏休みは目前に控えているし、海や祭りや花火大会などなど、イベントは盛り沢山。 しかし、生憎なことに俺は「またか」としか思えなかった。
あ、俺の名前は成瀬陽夢。 近くの私立に通うごくごく普通の高校生……だった。 つい、十ヶ月前までは。
十ヶ月前。 俺の身に起きたことだ。 それが今、俺がこうして「またか」と思う理由にも繋がる。 それは十ヶ月前の七月一日まで遡る。
十ヶ月前の七月……その三十一日。 既に夏休みに入ってはいたものの、夏休みと言えばやはり八月で、ひと月まるまるの休みというのは心躍るものがある。 学生ならではの特権だからな。
だけど、俺は行けなかった。 八月に入ることができなかった。 俺は今年の八月を知ることができなかったんだ。
七月三十一日の夜、俺はいつも通り布団に入って目を閉じた。 明日からは何をしようか? なんてことを考えながら。
しかし次の日、目を覚ますと日付は七月一日だったのだ。
最初はありえないほどに現実じみた夢だと思ったよ。 でも、それが二回、三回と続いて俺は理解したんだ。
終わらない七月の始まりと、始まらない八月の終わりを。 無限に続く、ループの世界を。
話はこうして、俺が十一回目の七月を迎えたところから始まる。
「おっはよー。 なんだよ成瀬っち、浮かない顔だなぁ」
義理堅く、こんな状況にも関わらず俺は学校へと通っている。 いや、確か四回目くらいの七月に学校をサボり続けるというのを試したんだったっけ? それで結果は無意味だったんだ。 だから俺はその方法は諦めた。 どうにも学校へは通わなければいけないらしい。
そして俺の状況もつゆ知らず、呑気に話しかけてくるこいつは俺の友達。 名前は野田武臣。 陽気な性格と茶色に染めている髪、それに整った顔立ちで人気は高い。 クラスのムードメーカーでもあるから、今風に言うとリア充ってやつだ。 とは言っても彼女はいないらしいけど。 それを聞いて安心感を覚える辺り、俺って結構酷い奴なのかもしれない。 とにかく、ひと言で武臣のことを表すなら……そうだな、一応は良い奴って分類にしておこう。
対する俺は、別にそんな気はさらさらないのに、なんだか近寄りがたいクール系という種別に分類されている。 静かで落ち着いていて、常に冷たい目をしていて、それに加えて顔に大きな傷があるから。 とのことらしい。 やかましいわ。
まぁこの傷というのも、額から左目の辺りを通り、頬にかけての大きな傷だ。 いつ付いたのかは分からない。 気付いたらいつの間にかできていた不思議な傷。 母親に聞いても「分からない」と言われて、俺自身もこんな大怪我を負った記憶はない。 何が言いたいかというと、この傷のせいで俺は若干避けられているという事実だ。 悲しい悲しい、事実である。 けれど、俺自身も様々な理由から一人を好んでいるので、その点で言えば強ち悲しい事実とは決め付けられないか。
「武臣か。 そりゃーあれだよ、今から後一ヶ月近くも頑張らないとって考えると鬱になるんだよ。 分かるか? 俺の気持ち」
「まぁ分からなくもないけどさ。 もっとポジティブに生きようぜー? 頑張らないと、じゃなくてさ、頑張れば! って思えば良いんだよ」
前半では疲れきったポーズで、後半ではやる気に満ちたポーズで武臣は言う。 ジェスチャー表現が好きな奴なんだ、武臣は。 でも、俺が言っている「頑張らなければ」と武臣が言っている「頑張れば」は、かなり意味が違っているんだけどな。 説明はしても無駄だから、何も俺は言わないが。
「……良いなぁ。 俺もそれだけ気楽に生きたいなぁ。 羨ましいなぁ。 はぁー」
「あ、あはは……成瀬っちのその性格をクラスの連中が知ったら、イメージがた落ち間違いなしコースだな」
良いんだよ、別に。 元よりそんなクール系だなんて望んでいないし、それにこの会話だってもう十一回目だ。 聞き飽きているとも言っていい。
俺が十ヶ月間の七月を乗り越えて学んだこと。 大体の会話の流れはほぼ変わらない。 だから次に武臣が言うことにも想像が付く。 次にこいつは「お、あれって西園寺じゃないか?」と言う。
「お、あれって西園寺じゃないか?」
ほらな。 これは決まっている流れというやつだ。 この会話に関して言えば、イレギュラーは存在しないと言っても良い。 俺が学校をサボったり、武臣を避けるようなことをすれば別だが……それはあくまでも武臣が話す対象が、俺から他の誰かに移るだけで終わってしまう。 いつだったか、武臣に気付かれないよう、隠れて尾行していた結果がそれなのだ。
そしてその予想通りの言葉とともに、俺たちの前を横切って校門をくぐって行く女子。 西園寺夢花。 茶髪、お嬢様っぽい、お淑やか、口数が少ない、模範的生徒。 そして意外にも趣味はヒトカラ。 好きな食べ物はパスタ、嫌いな食べ物は特になし。 俺や武臣に限らず、クラスの殆どと関わり合っていないぼっち。 特に男子とは話しているところを一度も見たことがないほど。
……別に興味があったわけじゃないぞ? ただ、何回も何回も同じことを繰り返していると、どうでも良い情報を集めたくなるんだよ。 現に俺は同学年の生徒の名前は全て覚えている。 それがもしかしたら、何かに繋がる鍵になるかもしれないし。
ええっと、確か西園寺さんのことを調べたのはついこの前……十回目の七月、だったっけか。 他の奴らとは違って調べても特に面白そうな情報が出てきそうになく、最後に回した結果だ。 したら一番面白い情報が出てきやがった。 ヒトカラ趣味って。 イメージとは全然違っていて驚きを禁じ得ない。
「あー、今日も例に漏れず一人なんだな。 西園寺さん」
「んん、陰口は良くないぜ成瀬っち。 そういうのは俺が見過ごさない!」
「あっそ」
「うわ、冷たい反応。 んじゃ、俺は西園寺と一緒に教室へ行くからまったねー!」
そう言い、西園寺さんの元へと駆けて行く武臣。 俺はそんな武臣の背中を見ながら思う。
……うーん、今回はどっちだろうか?
そしてそのまま校門を自分のペースで歩いてくぐる。 すると目の前には。
「成瀬っちー! 振られたぁ! 会う前に振られたぁ!」
やっぱりか。 今回もまた、このパターンってことだな。
俺が十回の七月を過ごして理解したこと。 このループ現象には、いくつかのパターンがある。
それらは俺の言動や行動で多少は変化を見せてはくれる。 例えばここで、俺がいきなり武臣のことを殴り飛ばしたとしよう。 するとどうなるか?
答えは簡単。 それで武臣とは喧嘩になり、武臣とはあまり関わり合いが起きないルートへと突入する。 名誉のために言っておくけど、俺がそれを理解した切っ掛けは、何回も繰り返されるこの現象にうんざりして、武臣に当たり散らした六回目くらいのときだったか。 断じていきなり殴ったりはしていないとだけ、言っておこう。 とまぁ、そうやって得られる数少ない情報を色々と集めて、ループについて分かったことである。 つまり、俗にいうルート分岐というものだ。 ゲームに例えると分かりやすいな。 俺はやったことがないからあれだけど。
しかし、ゲームではない。 現実だ。 それを示すように、最終的な結果はどんなことをしても変わらない。 どんなルートを辿っても、また七月は繰り返される。 一番最悪だったのは四回目で、登校拒否と引きこもりを続けていたら親に変な病院に入れられたことだ。 あのときは本当に、このままループを抜けだしたらどうしようかと思ったなぁ……。 まぁ、そんな不安もこうやって十一回目の七月を迎えていることで解消されているわけだが。
そして、それが犯罪や自殺などに走らない理由でもある。 試せることは試すべきなのだが、如何せん情報が少なすぎる。 もしも、万が一ループを抜け出せた場合……そこで俺の人生が詰んでいたのなら、なんの意味もない。
そしてこの『武臣が西園寺に会えない』ルートは一回目、二回目、三回目を除く全てのルートで共通していることでもあった。
「……つまり、またか」
「またかって酷くない!? やっぱりか、とかならまだ良いけどさぁ!」
お、これは新しい反応だ。 けれどそれだけだ。 些細な変化はあっても、結末は変わらない。 俺の言動で多少の変化はあるのだが、大筋は変わらない。 攻略難易度マックスの現実世界。
簡単に言うと、俺は時間の檻に閉じ込められてしまったのだ。
そう思い、生徒手帳を広げる。 そして思う。 例の如く「またか」と。
生徒手帳には何も入れた覚えがない。 というか、生徒手帳をしっかりと使っている奴の方が珍しいだろうし。 だが、俺の新品同様の生徒手帳には確かに紙が挟まれているのだ。 それも毎回で、これもまた……どのルートでも共通している。
その紙の内容はこう。
『課題その壱。 ループ世界を脱出しましょう。 あなたが迷い込んだのは時間の檻。 だけどあら不思議。 この檻は内側から鍵を使い開けることができます。 さぁてその鍵はどこでしょうか? その鍵を見つけることができれば時間は動き出します』
これが、諦めない理由。
誰の仕業かは分からない。 というか、こんな超常現象を引き起こす奴になんて会いたくない。 何をされるか分からないからな。
けど、明確なヒント……と言えるのか? これ。 まぁヒントにしてもヒントではないにしてもだ。 その鍵とやらを見つけ出すことができれば、俺はこの檻から出ることができるってわけだ。 それすらも嘘の場合があるが、状況が状況だけに信じるしか方法はないだろう。
「あっついな……」
そろそろ冬も恋しくなってきた今日この頃。 十一回目の七月一日を今度こそクリアしてやると思って、俺は校舎内へと入って行く。 変わらない景色、変わらない顔ぶれ、変わらないサイクル。 そしてもう一つ、変わらない想い。 八月を絶対に迎えてやるという、想いを抱えて。
「いやぁ、しっかし毎日退屈だねぇ」
昼休み、武臣は俺の席へとやってきて、俺の机に体を伏せながら言う。 この台詞ももう聞き飽きたものだ。
それにループにハマり続けている俺からしたら、これほど退屈なものはないと言うのに……呑気だなぁ。 知らないってのは本当に幸せで、馬鹿なことだよ。
あれ、そう言えば俺は記憶を維持したままループしているが、武臣やその他大勢の記憶を持っていない奴らはどういう扱いになっているのだろう? 目の前に居る武臣はまた違った武臣で、俺が経験した十回の七月で話していた武臣は、八月を迎えられているのか?
……考えるだけ無駄だなぁ。 そんなことより鍵探しだ、鍵探し。
「わり、俺ちょっと席外す。 学校探索してくるよ」
「はいはい行ってらー。 変わり者の成瀬っち」
この初日がどれほど重要なことなのか、一応は理解しているつもりだ。 初日の行動によって大筋が決まると言っても過言ではない。 なんて、偉そうに言ってもその結果は全て失敗しているわけだが。
俺が経験した大筋の流れは、三個ほどある。 まず一つ目。
至って普通に何事もなく、平和にループを迎える世界。 平和ってのもおかしな話だけど、そういうことにして話を進める。
このルートに入るのは一番楽でもある。 ただ何もせずに、流れに身を任せてぼーっと過ごしていれば勝手にこのルートとなるようだ。 最初の数回は、ほぼこれだった。
次に二つ目。
俺が変わり者として、ループを迎える世界。
これも入るのには苦労しない。 学校をほぼサボり、延々と鍵探しを続ければこれとなる。 その結果はさっきも言ったように、四回目のループ世界。
最後に三つ目。
三つ目は……もう多分、二度と俺が選ぶことはないルート。 簡単に結果だけ言えば、誰かが死ぬルートだ。
入ったのは七回目。 そして死んだのは、武臣。
その原因は俺がループのことを武臣に話したからだ。 それを話したその日の内に、武臣は死んだ。 事件でも事故でもなく、病死として。
入る条件は恐らく、俺が誰かにこのループ現象のことを話す、ということだろう。 そして、その話した相手が死亡するという、至って簡単な仕組み。
あのときは酷く動揺したんだっけか。 このままループを抜け出してしまったらどうしようと、そういう想いが強かったのを記憶している。
「あーそうだ、武臣」
「んー?」
そんな武臣は俺の机で寝るつもりなのか、薄っすらと開けた目で俺のことを見る。 授業中に散々寝ていたのに、まだ寝るつもりかよ。 つうか人の机で寝るんじゃねぇ。
「あのさ、鍵って言ったら何をイメージする?」
「鍵? うーん、鍵ねぇ……。 やっぱりあれかな、秘密を暴くみたいな感じ? ほら、事件の鍵はここにある! とか言うじゃん」
「聞いた俺が馬鹿だったよ。 またな」
分かっていたことだ。 同じ返事が返ってくるのも。 だけどいつもと違う言葉が返ってくるんじゃないかと期待して、俺はついつい毎回、聞いてしまう。
そして、その努力が実ったのか、それとも気まぐれだったのかは分からない。 武臣はいつもだったらそこで終わるはずの台詞を続けたのだ。
「あ、そう言えばさ。 鍵といえばなんだけど……この学校の屋上って鍵要らずって知ってた? 一見鍵がかかっているようにも見えるんだけど、そのドアを開ける方法があるらしいよ」
「え……?」
どうして……何でだ? 何で武臣はいつもと違う台詞を言った? いつもなら決まって「ばいばーい」と言って終わる会話のはずなのに。 いや、そんなことは今このときはどうでも良い。 武臣が新たにくれたその情報を役立てることが大切だ。
「成瀬っち? 上の空だけどだいじょーぶ? ていうか驚きすぎっ。 ははは」
「あ、ああ悪い悪い。 それで、その開ける方法ってのは?」
「あはは、それが分からないんだよ。 だから俺も参っちゃっててさぁ。 屋上で昼飯とか憧れなんだけどねぇ」
……役に立たない武臣だなぁ。 この十一回目の世界での武臣はこれでもかと言うほど使えない可能性が浮上してきたぞ。 新しい情報をくれたとしても、それが使えなければ意味がないじゃないか。
「ってわけで、成瀬っちの回りに回る頭の良さでズバッと開けてきちゃってよ。 簡単でしょ?」
「簡単なわけないって。 俺はピッキングなんてことはしたことないし、そんな犯罪まがいのこともしたくない」
万が一、その悪さをした状態でループを抜け出してしまったら……。 それを考えれば考えるほど、行動が制限される。 思い切った行動は取れないし、後戻りができなくなる行動は絶対に駄目だ。 武臣が今話してくれた屋上のドアの件についてはそこまで大きなことにはならないとは思うが……。 常に最悪のパターンを考えて行動すべき。 それが俺の座右の銘である。
「いやぁ、悪知恵の働く成瀬っちなら大丈夫だって。 屋上に繋がるドアの鍵、もしも開いたら教えてくれよ」
「……もしも開いたらな。 でもそれってさ、開ける方法があるって噂自体どこから来たんだよ? 初耳なんだけど」
俺の言葉に、武臣は机から起き上がって頭の後ろに両手を回し、答える。 その顔を見て、この会話は初めてするものだったが、武臣がなんと言うのか分かってしまった。 長い付き合いになるとこういうことが多々あるんだよな。
「さー? 俺も気付いたら耳に入ってた情報だからなぁ。 学校の七不思議みたいな感じじゃない?」
まった適当だなぁおい。 そもそも武臣が言うことのほとんどが適当なことだけどさ。
「そっか……。 ま、一応見るだけ見てくるよ。 一緒に来るか?」
「いや、遠慮しておく。 共犯にはなりたくないし」
「あのさ、その台詞俺以外には言わないほうが良いからな」
やはり、お前は俺が知っている武臣じゃない! 俺が知っている武臣はもっと気遣いとか、優しさってのがあってだな……。 ああいや、少し盛った。 少しじゃなくて大分盛った。 そう考えるといつも通りの武臣だ。 良かった良かった。
「はいはい。 じゃ、ばいばーい」
と、最後にはお決まりの台詞を言って会話を締めくくる武臣なのであった。
こうして迎えた十一回目の七月一日。 いつものサイクルとは少しだけズレた七月一日。 果たして俺は、このループを抜け出すことはできるのだろうか?
それとも抜け出せず、一生迎えることができない冬に恋焦がれるのだろうか?
今はまだ、それすらも分からない。
この時俺は、何も知らなかった。 この超常現象に巻き込まれているのが俺だけではないということも。
このループ世界のルールすら、知らなかったのだ。