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第5話 雨の日の段ボール箱に傘を置くこと

「いやあ、なるほど、面白い。共産主義におけるマルクスやレーニンの思想と、毛沢東の思想と、その違いを考察するとこんなにも興味深い真実が見えてくるわけか。この世界の高等教育は水準が高いようだ。可能なら私も参加したいね。図書室にも入ってみたいなぁ」


 いやいや、グリーン。この世界史の授業はちょっとおかしいから。高校1年だろ? これ明らかに教師の趣味入ってるよ。教室全体ぽかーんだもん。我らが長谷川蘇芳は鬼のような形相で板書を書き写しているが……内心では「わかんない! 全然わかんないよ!?」と悲鳴を上げてるし。


 周囲を見てみる。


 あー……正田摩子は涙目だな。偏差値的な衝撃を受けているのか、左手からの殺気に当てられたのか、青ざめてプルプルしている。小型犬みたいなところがあるな。角隈正彦は平然と教科書をまとめてやがる。何こいつ頭いいんですけど。涼しい顔して教師ガン無視なんですけど。不破亮子は……この人何しに学校来てるんだろうねぇ……突っ伏して熟睡だよ。ウトウトとかいうレベルじゃない。


 教室全体に目を向ければ、どんな状況でもそれなりに対応し、流していく雰囲気が醸造されつつあるようだ。この1週間という時間は、曲がりなりにも日常の秩序といったものを育んだわけだ。


 そして長谷川蘇芳は孤立している。


 見事にボッチだ。彼の熱心で間抜けなコミュニケーションはその全てが空振りに終わり、それにも関わらず俺たちモノリスの介入禁止期間は続いている。レッドによる応用介入の影響だ。やってしまったことを非難してもはじまらないし、誰もが初めてだったのだから加減がわからなかったのも仕方ないんだが……やりすぎたんだ。


 彼の言動を変化させるだけならよかったんだ。介入禁止期間も短くて済んだだろう。ところが実際は、言動どころか全てに介入していた。あの時あの教室にいたのは、長谷川蘇芳の皮を被った拳王レッドだったんだよ……なんだってー……なんて。ははは。


「うーむ……早くも煮詰まってきたでありますなぁ」


 ボールがその場で自転しつつぼやいた。多芸にもなるよなぁ……こうも先行きの見えない状況で、ひたすらに傍観者してるっつーのは心を蝕む。


「思うに、彼は趣味が乏しいのでは? 地球の日本で東京という好条件にありながら、それを活かしていないように思うのであります。アニメも見ないし……ビルドでファイティングしてるのに」

「貧弱だ。おおよそを見きったがこやつの覇気はまやかしに過ぎん。介入し、己の肉体を己の意のままに操れるよう鍛錬することが必要であろう」

「折角、こんなに恵まれた学習施設にいるんだ。多くを学び、興味をもって研究していくことが望ましいと思うなぁ。解答を用意された暗記だけでは彼もつまらないだろうからね」


 色々な案は出るんだが、どれも俺には的外れに思える。間違っちゃいない。むしろ正しいだろう。だけどソレじゃないとしか言えない。確かに、幸せを感じる主体であるところの彼自身のパーソナリティに介入し、それを成長させていくことは有意義ではあるだろう。実際、幸せになるのかもしれない。


 けどなぁ……ソレじゃ彼が寂し過ぎやしないか?


 世の中の大体のことは理不尽だ。自分の思うようになることなんて殆どない。その中で折り合いをつけ、自分を上手に保って生きていくこと……それが大人になることなんだろう。自分に合った世界を生きていくんじゃなく、世界に合わせて自分を変えていくってことだ。正しい生き方だ。本当にそう思う。


 だからコレは、俺の我儘なんだろう。


 俺は長谷川蘇芳に正しく生きてほしくないんだ。


 コイツは心が幼い。お花畑じみてる。金髪巻き毛の天使の外見であったなら、その方が内面に相応しいに違いない。高校生にもなってその段階なんだ、心が。だから間違っていていいんじゃないか? 間違ったままであっても誰かに受け止めてもらえる……そんな経験をしてほしいよ。


「……ブラックが辛そうだね。世界だけでなく世代や環境も近いのかもしれない」

「同情、か……」

「我輩には辛さがいまいちわからないのでありますが……ブラック殿、高速振動しておりますし」


 この1週間、コイツを観察していてつくづく感じたことがある。家族を含めて誰1人コイツを受け入れている人間がいない。コイツがどんなにか行儀良く、誰の迷惑にもならないよう気をつけて過ごしていても、周りは勝手に脅威に感じて拒絶を示す。それでもコイツはめげないで……まぁ、鈍いってのもあるんだけど……真面目に頑張っている。世をひねずに、真っ直ぐに生きている。


「近過ぎるのかもしれんな」

「……なるほど、過ぎたるはなお及ばざるがごとし、だね。それはあるかもしれない。何事も適切な距離というものがある。そうだな……私やレッドは遠過ぎるかな?」

「ブラック殿は近過ぎる……となると、おお、吾輩でありますか!?」


 そんなコイツを、俺は、好きになっちまった。変な意味じゃない。ミッションとか関係なく、コイツが幸せになることを望んじまったんだ。威圧感? 殺気? そんなもん気のせいなんだよ、本当は。どうせ委縮するんなら、コイツの無垢な心にこそ委縮すべきだ。己は正しく汚れているってさ。


「む? 介入できるようになったのではないか?」

「本当だ。何となくわかるものなんだね」

「では! モノリス会議の過半数以上の同意と信頼を寄せられた吾輩が! この戦況を打破すべく!」


 辛い。マジ辛い。いっそのこと俺が生身で話しかけたいくらいだ。そりゃあ、何も知らなきゃ俺もビビるのかもしれないが……知ってしまったなら堪らない。こーゆー綺麗な奴は胸に来る。


「何をするんだい?」

「ゲーコゲコゲコ! 技術付与でありますよ! やはり強力な一撃こそが戦場を好転させるのであります!」

「掃除か模型制作……だったか?」

「模型制作を! 1体の機動兵器模型を仕上げるために要する技術は高度かつ広範なものであります……繊細な指先、鋭利な集中力、不動の根気……そして何よりも浪漫! 量産されたパーツを使いつつも唯一無二の1体として仕上げていくという、創意工夫だけでは説明できない情熱……浪漫であります! これこそがハセガワスオウにハッピーライフを約束するに違いないであります! 吾輩のこの球体表面が真っ赤に燃えるであります! 今! 切り札たる介入を……「やめええええぇえええぇえぇぇい!!!」……ゲコッ!?」


 阻止した! 今回は阻止したぞ!!


「人が物思いに耽ってる隙に何やらかそうとしてんだ、ボケボオル! グリーンも、レッドも、何で止めないんです!? 技術付与は非常時のために温存するって話だったじゃないですか!」


 球はビックリしたのか、球体なのにコケるという謎の現象を発生させている。それは、ええと、どういう状態なんだ? コケてるのは分かるんだが。


「いやぁ、この1週間を見た限り、平和な世界じゃないか。早々、命の危機があるとは思えないんだよね。いざとなれば先だってのようにレッドが強く介入すれば済みそうだし……毎日を充実させるという意味では、ボールの模型制作やブラックの絵画は有効だと思うよ?」

「それは……」


 さらりと言うグリーンに反論しようとして……それができないことに気付いた。確かに、前回のレッドのアレを用いれば、大概の危険は回避できるかもしれない。交通事故でも刑事事件でも……拳だけで覇王の在り様を見せるレッドにしてみれば児戯も児戯だろう。そしてグリーンは……下手したらレッドよりも修羅場を越えているのかもしれない。不思議な迫力がある。


 つまるところ……俺以外の3人は、男として隅に置けない人物なんだ。最初の紹介は間違っていなかった。生き方に力強さがあるんだ。球については若干の疑問符がつくが、それにしたって揺るぎない人生観があるように思える。自分の世界があるってやつだ。


 流石だな。


 考えてみれば当たり前だ。弱さを受け止めてほしいだの、自分に自信がないだの、そんなこと言ってて軍人が務まるわけないもんな。多くの人間に信奉されるのには理由があるってことだ。


「……そうかもしれません。彼が楽しく充実した毎日を過ごすって意味では、確かに、趣味の充実も効果的かもしれません」


 それでも、俺は反対なんだ。


「けど、その前提条件は彼が退屈しているってことでしょう? 暇を持て余していたり、空虚な気持ちになっていたり……刺激や躍動を求めているのなら、絵画でも模型でも何でもいいとは思うんですが」


 そう、長谷川蘇芳は決して鬱屈としているわけじゃないんだ。どうやら絵本作家を志しているらしく、暇さえあれば絵を描いたり物語を考えたりしている。彼のぼっち暦は並みじゃない。独り遊びは日常だし、たかが1週間やそこらで友達作りを諦めてもいない。


 今も窓際の自分の席から空を見上げて、雲の形に想像を膨らませている。やれパンに見えるだの、やれおにぎりに見えるだのと……傍から見れば「いかんな……風がざわめいている」的な佇まいに見えるというのに、実にあどけないものだ。


(お腹、減ったなー)


 心の声と同時に、彼の腹の虫が鳴った。現在は昼休み中である。


 財布も弁当も忘れ、頼る友達もいないで空を見るイケメンが独り。


 こいつに必要なのは戦闘能力でも趣味でも何でもなく、友達。友達こそが必要。友達が作れるような趣味を技術付与してやれたらいいんだよ。なのに……絵画、作文、模型作製って……どれも独り遊びだと思うんだよね! 他に何かないか聞いたら、グリーンは「骨董の磨き方なら知っているよ」とか訳わかんないこと言うしさ!?


(お腹へりへるへらへら……へへへ、面白いかも)


 うわああああ!! 誰かコイツに、餌やってくれえええええ!!!




「ほら、コレやるよ」




 え?


 ちょ……ええ??


 何か長谷川蘇芳の机に焼きそばパン置かれたんですけど。置いたのって例のヤンキー女、不破亮子ってヤツ。え、何で? 余り物? 自分は食べ終わってるのか椅子に座って週刊誌読み始めたけど。いや、でも、それにしたって……どうしてパンくれたんだ?? 何が起こったんだ?? 


 茫然としているのは俺だけでなく長谷川蘇芳も同じだ。パンと不破亮子とを交互に見やって、言葉もなく口をパクパクさせている。そしてパンを見るたびに涎が溜まっていくね……本当にコイツは残念なイケメンだよな……ああ、漏れる垂れる。


「あ、あぃが……ちょ……」


 言えてない。驚きと涎と緊張と涎のせいで言えてない。それでも不破亮子はチラリと振り返って「あー」と気のない返事をしてみせた。それが合図となったものか、凄い勢いで焼きそばパンに食らいつく長谷川蘇芳。彼は気付いていないが、その最中にもう一度だけ不破亮子は振り返った。柔らかい表情をしていたように思う。


 長谷川蘇芳にとって、高校に入ってから初となる「会話」だった。

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