わだいがない 15
蒼井君の場合
「女の敵は女だ!オレじゃねぇ!」
俺は叫ぶ。
「わかった、わかったからな?落ち着け?酒の勢いに任せて叫ぶなよ。」
「だって、断られるんだぜ?理由もよくわかんないし。友達が反対してるってなんだよ。友達にオレのなにがわかるんだー。」
「叫ぶなってば。近所迷惑だろ。」
「女の敵は男じゃない。女の敵は、女だーーー。」
友人は俺を説得するのを完全にあきらめて、ただため息をついた。
「女の味方も敵もすべて女性」という言葉がおそらくほぼ正解なのだということは、ずいぶんまえから知っていることだ。姉がいるのだから。
ああ今日も彼女に会えた。会えるだけで朝から幸せだなぁ。そう思っていた三日前が懐かしい。のんびりそんなことを考える。
「会社、やめてー。」
土曜の昼間に起きて、それでも昨日の愚痴が収まらないのか、家で叫ぶと姉のチョップが飛んできた。力加減など一切ない。当然痛い。
「いてぇ!なにすんだよ!」
「ふざけんな!このご時世に、正社員で採用されて、女に振られた位で辞めるとか言うな!女は転がってるけど、会社は転がってないんだからね!」
「自分が、仕事が決まらねぇからって……。」
「なに!?」
「なんでもありませんー。」
女と口喧嘩をしても損をするのは男だ。それは、当たり前のこと。子供のころから姉がいて、母親がいれば当然のことと、わかることではなかろうか。そりゃ、手を出せば当然勝つが、そういう問題ではないのだ。
「いてぇ。はぁーーーーー。」
俺はソファにうつぶせに倒れこんだ。
深いため息をついた。当然、振られることも考えてはいた。しかし、その可能性は低いだろうと勝手に思い込んでいた。
毎日の通勤でも一緒になり、昼も食堂で同席。何度か、会社とは関係なく映画や食事に出かけた。正式にお付き合いをしようと思うまでになっていた。だがそれだけでは、失礼だろうと告白をきちんとした方がいいだろうと、そう考えていたのに。
「ごめんなさい。明日の夕食は一緒に行けません。」
「あ、じゃあ、明後日でも。」
「……あの、申し訳ないのですが、もう誘わないでもらってもいいですか?」
「え?」
「友達が、蒼井さんは遊んでそうって言ってました。私はそういう方は嫌いです。」
「は?」
そういうと、彼女はさっさと去って行った。しかし、それだけで納得できる男などいない。まず、友人が誰なのか、どうしてそんな話になったのかを聞こうとしたが、彼女は一切聞く耳を持たずに、オレをシャットアウトした。そこまでなら、オレだっておそらく嫌われたに違いない、酒でも飲んで静かに忘れようと考えただろう。
しかし、事態はそこで終わらなかった。俺の同期の友人から酒を飲もうと誘いがあったのだ。
「いいよ?久しぶりに、なんだよ?」
俺は軽く返事をした。すると、彼からとんでもない話が聞かされたのだ。
「お前、彼女に振られたんだって?いや!噂だし。本当かどうかはわからんから、俺はお前から直接話を聞きたい。同期の仲間として!」
「……なんで知ってるんだ?」
「ホントか、本当にお前ストーカーしてるのか?」
「はぁ?!なんの話だ?」
「いや……これは噂だからな。ホント、ただの噂だからな。」
俺は姉がいるせいか、知っている。この噂だから、という日本語はどれだけ便利かという事を。つまり定かではないが、誰かが言っている。しかし、誰が言っているのかは言いたくない、というところだろうか。そして正確性には責任を持たない、ということも含まれる。たまに、噂を流している本人が言うこともある。
「わかった。噂な。で?」
「お前が、彼女に振られたと。で、その腹いせに彼女につきまとっていると。」
「……。」
俺が黙り込むと、俺が怒ったのかと思った友人が続けて言う。
「いや、本当かどうかは、ね?知らないけど。わかんないしさ。」
俺はそのセリフを聞いて、思い当たった。俺には姉がいるせいか、わかる。つまりは本当のところを本人に一応、参考までに聞いてみたいという好奇心だけで、本気で心配をしていることは、ほとんどない。
俺は、ため息をつきつつ、今回のことを話した。どうせ言っても、言わなくてもなにも変わらないのだから。
ソファーでぐでぐでしながら、ぼんやり彼女の友人を思い浮かべた。彼女を中心に彼女の前にはよく喋る女がいて、彼女とよく話している。俺の話しかけるチャンスが減った記憶はあるが、彼女に俺のことを悪く言われる覚えはない。
彼女の右は、彼氏がいるのに他に二股をかけているなど女の子に嫌われるタイプの子が彼女とよく話している。俺にも声をかけてくるせいか、彼女と話せない。候補は、この子だろうか。
彼女の左には空気の読めない女が座っている。彼女に話しかけようものなら、話に割って入ってくる。
この席を決定している上司に苦言の一つでも申し立てたくなるほど、会社内でも彼女との会話には苦戦していた。彼女と話がしたいだけだが、それだけのことでこんなに大変だとは思いもしなかった。
いまではその上司にすっかり感謝している。彼女と話さなくていいからだ。話そうにもなにも話すことなどない。話題も気力も用もない。
「俺より友達を信用するのかよっ。信じらんねぇ。学生じゃあるまいし。」
「そうね。あたしは、あんたの好きになった女は信用できないわ。」
「へ?」
頭だけ振り返ると姉がまだそこにいた。
「まだいたのかよ。」
「いたら、悪いの?あたしの家でもあるのよ?」
「……悪くないです。」
「あんたの女の見る目がないのよ。昔っからそう!」
「はぁ?」
「中学の時の彼女だって、ダサい趣味してさ。高校の時の子なんか、ヤンキーだし。大学の子なんか……。」
女たるもの、昔のことはよく覚えている。絶対に忘れたりしないものだ。そして、なにかあるたびに昔の話を持ち出してくる。その話と今の話が一体なんの関係があるのかと思うのだが、関係などあってもなくても話すものだ。
俺が聞いていないのがわかったのか、姉は攻撃に出た。俺の上に座ったのだ。軽く短い間だが、衝撃はある。油断しているから余計にだ。
「うぇ!」
「聞きなさいよ、人の話を。」
「吐く!はーーーくーーー。背中に乗るなよ、死ぬかと思ったじゃん。」
「ふん。いつまでもグチグチ言うんじゃないわよ。うっとぉしい。前を向きなさいよ。前を!会社に誰かほかに可愛い子はいないの?」
「……いない。」
「じゃ、合コン行くとか、誰かに紹介してもらいなさいよ。男友達につてはないのか。」
「えー。昔ならまだしも、もうねぇよ。」
「あら、じゃ、これなんかいいんじゃない?結婚式の招待状。この子、大学のときの友達じゃない?」
母親が話に入ってくる。招待状が俺に渡るのは最後だ。姉がさっさと受け取って開ける。
「おい。俺に来たもんだろ。」
「なに?もう一度、背中に座ってほしい?」
「……なんでもありません。」
姉が俺の抗議などにはいっさい耳を傾けないことを俺はわかっている。母親と二人で覗き込んで、あれこれいう。
「大学ってことは、友達もあんたと同じ年よね?式で同じ年くらいのいい子を見つけてくれば?二次会でもいいし。」
「相手とはどこで知り合ったのかしら?結婚って早いわよね?」
「子供でもいるのかしら?」
答えのない会話が続く。俺はため息をついた。
「さっきから、うっとしいわね。あんた、まさかそんな態度で彼女に接してるんじゃないでしょうね?」
母親が顔をしかめる。
「なにが?」
「振られたからってあからさまに、お前には興味ねぇしって態度をされてもねぇ。」
「いや、振られたら、そうなるだろ、当然。」
「勝手に惚れといて、断ったらそっけないって、失礼よ。」
「はぁ?」
「すぐにほかの女の子と会社で仲良くするのもやめなさいよね。みっともない。」
「してないし。」
「あーそういう奴っているわよねぇ。」
「ねー。」
この会話を聞きながら、いつも思う。女はわからない。姉だろが母親だろうが、関係なく、女はわからない。そして、彼女のこともやっぱり理解できない。
だが、わかっていることもある。本気で仕事を辞める気もないし、彼女のことはまだ好きでもあきらめるしかない。彼女は俺よりも友達をとったのだ。
酒の席で同期に愚痴ったが、愚痴を言ったからと言って、状況がよくなることはありえないし、また噂レベルでなにか言われるだけだ。
「ほかにいい子がいるって。」
「いてっ!」
姉が背中を叩いた。一応、慰めてくれているようだ。
「そうだなぁ。」
俺はとりあえず、ソファから起き上がった。