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転生女子の異世界サブカル革命

地下アイドルのセンターは転生したので、みんなのために聖女します!

作者: トモエ
掲載日:2026/08/17

教会の広場には、朝から長い列ができていた。


王都から馬車で二日。普段なら近隣の住民が礼拝に訪れる程度の小さな教会に、今日は周辺の村からも大勢が集まっている。腕を吊った男、杖をついた老婆、子供を抱えた母親。治癒を必要としていない者まで赤い布や花を身につけ、列の先にいる私を見ていた。


「次の方、どうぞ」


椅子に座った少年の膝へ手を添える。転んだらしく、皮膚が大きく擦りむけていた。聖力を流すと淡い光が傷口を包み、赤く腫れていた皮膚がゆっくり元へ戻っていく。


「はい。終わり」

「もう痛くない!」

「よかった。今日はもう転ばないようにね」

「うん!」


立ち上がった少年の腕には、細い赤色のリボンが結ばれていた。

「それ、私の色?」

少年が驚いたように腕を隠した。

「お母さんに買ってもらった」

「似合ってる。ありがとう」

「レイナ様みたいだから、これがいいって言ったんだ」

「嬉しい。大事にしてね」

少年は顔を赤くして母親のところへ走っていった。


後ろに控えていた青眼の聖女セレスが帳面を見る。

「今ので四十七人目です」

「まだいける」

「昼食まであと十三人です」

「じゃあ全員やってから食べよう」

「最初からその予定です」

「さすが青色担当」

「その呼び方はやめてください」

セレスは青い瞳を細めた。


教会での正式な呼称は、青眼の聖女セレス。深い青色の髪飾りと青い瞳からその名がついている。治癒の精度が高く、教会行事の進行や記録にも強い。私が勢いで予定を詰めようとすると、だいたい彼女が止める。


少し離れた場所では、深緑の聖女フィオナが腰の曲がった老人の話を聞いていた。治癒はとっくに終わっているのに、老人が孫の話を始めてしまったらしい。フィオナは急かすこともなく、穏やかに相槌を打っている。緑色担当は今日も安定している。


そして、もう一人。

「レイナ様ぁ、お疲れではありませんか?」


甘い声とともに、白桃の聖女ココットがやってきた。淡い桃色の髪に、白と桃色を基調にした衣装。男爵家の令嬢で、大きな瞳と愛らしい顔立ちをしている。話す時に少し首を傾げ、相手を下から見上げる癖があった。桃色担当は特に男性から人気がある。


「大丈夫。ココットは?」

「私は少し休憩をいただこうかなって。さっきからずっと治癒していたのでぇ」

「無理しないでね」

「ありがとうございます。レイナ様って、本当にお優しいですね」


近くにいた若い騎士から声を掛けられると、ココットは嬉しそうにそちらへ向かった。


別に悪いことではない。ファンサの方向性なんて人それぞれだ。私は前世でもそう思っていた。


今の私は真紅の聖女レイナと呼ばれている。ただし、本人としてはこの呼び方は少し堅苦しい。「真紅の聖女様!」そう呼ばれるたびに、できれば私は言い直したかった。呼びにくいから、赤色担当レイナって呼んでね。もちろん教会の偉い人の前では言わない。なぜ私がそんな呼び方を好むのかといえば、理由は単純だった。


前世の私は地下アイドルだった。


大きな会場を満員にするような有名人ではない。都内の小さなライブハウスを回り、週末になれば地方へ遠征し、物販ではファンと一人ずつ話す。五人組の地下アイドルグループで、私はセンターをしていた。


歌った。踊った。特典会ではチェキを撮った。名前を覚えられるファンは覚えた。髪型を変えた人には気づいた。誕生日を知っていれば祝った。最前列だけでなく、後ろにいる人にも届くよう手を振った。


アイドルとは何か。それについて、私は一つだけ決めていた。応援してくれる人を幸せにする仕事だ。転生して聖女になった時も、そこはあまり変わらなかった。


聖歌奉納はライブ。巡礼は地方遠征。奉仕活動はファンサ。信徒から届く手紙はファンレター。違うのは、握手をするだけではなく怪我まで治せることと、時々魔物まで倒さなければならないことくらいだった。


治癒巡礼を終えた翌朝、私たちは近くの農村へ向かった。畑を荒らしていた小型魔獣が三頭出たという。


セレスが聖術で一頭の動きを止める。

「右から二頭です」

「見えてる!」


私は聖力を込めた杖を振り抜いた。一頭目の顎を下から打ち上げ、そのまま体をひねって二頭目の突進を避ける。


地面を蹴り、横腹へ杖を叩き込んだ。

「レイナ、後ろです」

フィオナの声がする。

「はいはい!」


三頭目を蹴り飛ばした。全部終わった頃には額から汗が流れていた。私は杖に体重を預ける。


「……二時間踊りっぱなしのライブよりきつい」

セレスが振り返った。

「ライブ?」

「昔やってた運動みたいなもの」

「あなた、時々よく分からないことを言いますね」

「気にしないで」

「気にはなります」

「私もです」

フィオナまで頷いた。

「でも説明が長いからやめとく」


その日の午後は村人と一緒に壊れた柵を直した。老人には薬草の使い方を説明し、子供たちとは井戸から水を運んだ。夕方には礼拝堂で聖歌を歌う。


人前で歌うことには慣れていた。曲も振る舞いも前世とは違う。それでも、歌っている時に客席を見る癖だけは変わらない。歌い終えると、前列にいた少女が泣いていた。


私は壇上から降りる。

「どうしたの?」

「きれいだった」

「ありがとう」

「また来る?」

「来られる時は来るよ」

「ほんと?」

「私じゃなくても、別の聖女が来ることもある。でも、教会はちゃんとここを見てるからね」


約束できないことは約束しない。でも、不安にさせる必要もない。少女は頷き、赤い小さな花を一輪くれた。人気が出ることも嬉しい。でも一番嬉しいのは、自分が来たことで誰かが笑って帰ることだった。


王都へ戻って間もなく、王家と教会が共同で行う慈善行事に参加することになった。そこで初めて、アリシア・ヴァレンティア公爵令嬢と話した。


名前は当然知っていた。第二王子フェリクス殿下の婚約者。十六歳ながら王宮の公式行事にも頻繁に出席し、王子妃教育でも極めて優秀。礼儀作法、語学、歴史、社交、どれを取っても隙がない。本人を見るまでは、かなり近寄りがたい人物を想像していた。


実際、見た目は想像通りだった。淡い金髪を美しく結い上げ、青を基調にしたドレスを着ている。姿勢は真っ直ぐで、来賓一人一人に過不足なく挨拶をしていた。


ところが仕事ぶりは、想像よりずっと地味だった。寄付された物資の数が帳簿と合わないと聞けば倉庫まで確認に行き、孤児院側の食事時間が遅れていると分かれば厨房へ連絡し、年配の司祭が階段で困っていれば別の通路を案内する。誰も見ていない仕事まで普通にしている。


行事が終わる頃、アリシア様が私のところへ来た。

「本日はありがとうございました、レイナ様」

「こちらこそ。アリシア様もずっと動いていらっしゃいましたよね」

「私は運営をお手伝いしていただけです」

「それが一番大変なんですよ」

「そうでしょうか」

「表に立つ人間は、裏で誰かが回してくれているから動けるので」


アリシア様が少し目を細めた。

「レイナ様は、そういうところまで見ていらっしゃるのですね」

「前の仕事で鍛えられました」

「以前にもお仕事を?」

「……まあ、似たようなものを」

余計なことを言った。


その後も王家と教会の行事が重なるたびに顔を合わせるようになった。話してみると、アリシア様は思っていたよりずっと柔らかい。


それと、一つ気になることがあった。ドレスは青や白。髪飾りも王家に合わせた色。なのに、使っている栞は桃色だった。ハンカチの刺繍にも小さな桃色の花。ある日は袖の裏にだけ細い桃色のリボンが縫いつけてあった。隠れ桃推しだ。もちろん口には出さなかった。


しばらくして、私はアリシア様の私室へ招かれた。慈善事業の打ち合わせを兼ねた私的なお茶会だった。そこで、専属メイドのミアと初めてまともに顔を合わせた。


「お待ちしておりました、レイナ様」

落ち着いた女性だった。


メイドとしての所作は綺麗なのに、アリシア様へ飲み物を出す時だけ妙に距離が近い。しかも、その飲み物が変だった。透明なグラスの中で桃色と白の層が分かれ、氷の中には小さな光まで入っている。


「綺麗ですね」

「本日のオリカクでございます」

「……オリカク?」


私はミアを見た。ミアもこちらを見た。一秒ほど目が合う。何も言わなかった。アリシア様だけが二人を見比べた。


「どうかなさいました?」

「いえ」

「なんでもございません」

ミアがアリシア様のグラスを置く。

「本日はお嬢様の推しカラーを中心にしておりますので」

私はまた顔を上げた。

「推しカラー?」

「はい」

「……そうなんですね」

「はい」


何だ、この人。いや、たまたまだ。そんな言葉くらい、この世界でも誰かが思いつくかもしれない。


別の日、今度は私が教会の聖女配置について説明している時だった。

「次の祝祭では私が中央に立つ予定です。今のところセンターは私なので」

ミアの手が止まった。

「センター?」

「中央です」

「……そうですよね」

「はい」


また目が合う。何も言わない。アリシア様だけが少し笑っていた。


問題が起き始めたのは、その頃だった。フェリクス殿下が、教会の活動へ以前より頻繁に顔を出すようになった。王族による教会支援自体は珍しくない。寄付を行い、慈善活動へ参加し、巡礼の安全確保に騎士を貸し出す。むしろ推奨される行為だ。


ただし、殿下が参加する活動には妙な偏りがあった。だいたいココットがいる。孤児院への慰問。地方巡礼の出発式。教会への寄付金贈呈。全てにココットがいた。ある日には、行事が終わった後も二人で中庭を歩いていた。


私はセレスと並んでその姿を見た。

「最近、多いよね」

「何がです?」

「あの二人」

「殿下は教会支援に熱心なのでしょう」

「支援ねえ」

「問題がありますか?」

「今のところは」


フェリクス殿下本人に悪気があるようには見えない。話を聞けば一貫していた。聖女の活動は民衆に必要である。王族として支援すべきである。その中でもココットは若く、活動範囲を広げようとしているので応援したい。理屈は通っている。ただ、贈り物が個人名義だった。巡礼へ同行する回数も多い。二人で話している時間も長い。そしてココットの方は、殿下への好意を隠していなかった。


「フェリクス殿下って、本当にお優しいんですぅ」

「そう」

「この前も私のために本をくださって」

「教会用?」

「私個人にです」

「そうなんだ」

「アリシア様には申し訳ないですけどぉ、殿下って私といる時の方が楽しそうなんですよね」


私はそこで、少し引っかかった。


その日の午後、アリシア様の私室へ行くと、ミアが窓際で桃色のリボンを整理していた。話題は自然とココットへ移った。


「フェリクス殿下、最近よく教会へいらしていますね」

私が言うと、アリシア様は紅茶を飲んだ。

「ええ。随分熱心に支援なさっています」

ミアが無表情で続ける。

「特定の方に」

「ミア」

「事実でございます」

アリシア様は小さく息を吐いた。

「まあ、推し活なのでしょう」

私は危うく紅茶を噴きそうになった。

「……推し活?」

「ミアから教わりました。特定の方を熱心に応援することだそうです」

「へえ」

「レイナ様も使います?」

「……たまに」


ミアが私を見る。私もミアを見る。何も言わなかった。


「アリシア様は、それでいいんですか?」

「教会を支援すること自体は良いことです」

「個人的な贈り物も?」

「そこは、少し考える必要がありますね」


声は穏やかだった。怒っているようには見えない。だからといって、何も感じていないわけでもなさそうだった。


ミアが桃色のリボンを持ったまま言った。

「それより私は別の問題があります」

「何?」

「桃色です」

「はい?」

「桃色はお嬢様の推しカラーです」

「色に専用も何もないでしょう」

「私の中ではあります」

「ミア」

「よりによって白桃の聖女とは」

「そこなの?」

思わず口を挟んだ。


ミアがこちらを見る。

「重要です」

「そうなんですね」

「重要です」

このメイドのことは多分、深掘りしてはいけない。


ココットがアリシア様へ直接近づき始めたのは、その少し後、王宮で行われた慈善晩餐会だった。人前では、ココットは完璧だった。


「アリシア様、本日もお美しいです。私のような男爵家の娘にもいつも親切にしてくださって、本当に尊敬しています」

「ありがとうございます。ココット様も本日の奉仕活動、お疲れさまでした」

周囲の貴族たちも微笑んでいる。


やがて二人は、来客の少ない小さな談話室へ移った。ミアだけがアリシア様の後ろへ控える。私は別件で通りかかり、開いた扉の向こうから会話が聞こえた。


「殿下、昨日も教会まで来てくださったんです」

「そうですか」

「本当にお優しくて。私なんかのことを、すごく気にかけてくださるんですよ」

「教会の活動に熱心でいらっしゃいますから」

「それだけでしょうかぁ」

ココットが笑った。

「先日は私の髪に似合うからって、髪飾りまで選んでくださったんです。アリシア様には、そういう贈り物をよくなさるんですか?」

「必要に応じていただくことはございます」

「必要に応じて、ですかぁ」


アリシア様は表情を変えなかった。

「やっぱり殿下って、お立場に縛られていらっしゃるんでしょうね。婚約って、ご本人同士のお気持ちだけでは決められませんもの」

「何を仰りたいのでしょう」

「いえ。ただ、アリシア様って本当に立派だなって。私だったら、好きでもない方と将来のためだけに一緒にいるなんて無理ですから」

「私と殿下の関係について、ココット様にご心配いただく必要はございません」

「ごめんなさい。怒らせてしまいました?」

「いいえ」

「でも、殿下は私と一緒にいる時、とても楽しそうなんです。それを見たら、少し申し訳なくなってしまって」

「そうですか」

「アリシア様は、お嫌ではないんですか?」

「何がでしょう」

「婚約者様が、他の女性のところへ何度もいらっしゃることが」

ココットの声は甘いままだった。


アリシア様も笑顔を崩さない。

「公的な支援である限り、私が口を挟むことではありません」

「そうですかぁ。さすがアリシア様ですね。私にはそんなに割り切れません」

ココットは満足したように立ち上がった。


「それでは失礼いたします。また殿下とご一緒する機会も多いと思いますけれど、どうかお気になさらないでくださいね」

「ごきげんよう、ココット様」


足音が遠ざかった。ミアは最後まで、完璧な専属メイドの顔で立っていた。


足音が完全に聞こえなくなった瞬間だった。

「チッ! 何やねんあの女」

「ミア」

「失礼いたしました」

「今、舌打ちまでしましたね」

「気のせいでございます」

「私にも聞こえましたけど」

思わず声を掛けると、ミアがこちらを見た。

「レイナ様、いらしたのですか」

「途中から」

「では聞かなかったことにしてくださいませ」

「何語ですか、今の」

「昔住んでいた地方の言葉です」

「へえ……」

「何か?」

「いや、なんでも」


何だろう。時々このメイドから、妙に懐かしいものを感じる。しかし、その正体を確かめるほどでもない。


それより、アリシア様だった。怒るでもなく、泣くでもない。机の上の紙に今日の日付を書き込んでいる。


「何を書いてるんです?」

「記録です」

「今の会話を?」

「ええ。必要になるかもしれませんので」

十六歳とは思えない。随分しっかりした方だ。


ココットがアリシア様に冷遇されているという噂が広がり始めたのは、それから間もなくだった。最初に聞いたのは王都の教会。次は巡礼先の宿。その次は、寄付を持ってきた商人からだった。話は少しずつ違う。


ココットが王宮への出入りを妨害されたらしい。贈り物を拒否されたらしい。衣装について嫌味を言われたらしい。身分の低い聖女が王子に近づくことを嫌がられているらしい。どれも断定ではない。そんな言葉ばかりだった。だからこそ広がった。


フェリクス殿下はココットから直接相談をうけた。アリシアがそんなことを、と驚き、彼女を慰めた。その姿まで誰かに見られた。外から見れば、婚約者に虐げられる可憐な聖女を、王子が守っているようにしか見えない。私はさすがに放っておけなくなった。


教会の小会議室へココットを呼んだ。

「少し聞きたいんだけど」

「何ですかぁ?」

「アリシア様から嫌がらせを受けてるって話」

ココットが目を伏せた。

「私は、そんなこと言ってません」

「でも、そう受け取られる話はしてる?」

「聞かれたから、感じたことを答えただけです」

「具体的に何されたの?」

「……冷たくされました」

「いつ?」

「何度も」

「何を言われた?」

「そういうのって、言葉だけじゃないじゃないですか」


私は椅子の背へ体を預けた。

「フェリクス殿下とは?」

「殿下が聖女の活動を支援してくださっているだけです」

「個人的に本をもらったって言ってたよね」

「それも支援です」

「二人で会ってるのも?」

「相談に乗っていただいているだけです」

「巡礼へ何度も来てもらってるのも?」

「殿下がお決めになったことです」

間違ったことは一つも言っていない。


ただ、全部都合の良い方向へ並べている。

「ココット。恋愛するなとは言わない」

「恋愛なんてしてません」

「じゃあ、それはそれでいい。でも聖女の活動を理由にして、自分を応援してる人たちに違う印象を持たせるのはやめた方がいい」

「違う印象?」

「アリシア様に迫害されてるみたいな話」

「私は嘘なんてついてません」

「じゃあ事実を確認するね」


ココットの顔から少しだけ笑みが消えた。私が問題にしているのは、恋愛沙汰そのものではなかった。前世でもアイドルが恋愛して炎上することはあった。それについては色々な考え方がある。


でも、ファンへ嘘をつくこと。応援してくれる人たちの気持ちを利用して、誰かを攻撃すること。それだけは嫌だった。


聖女なら、なおさらだ。私たちは信じてもらうことで仕事が成り立っている。その信用まで壊してはいけない。私はアリシア様へ事実確認をお願いした。


彼女は驚かなかった。

「いずれ必要になると思っていました」

そう言って、机の上に記録を並べた。

「ココット様が私に衣装について侮辱されたと話されたのは、先月十四日だそうですね」

「そう聞いてます」

「その日は私は王都におりません。朝から公爵領の学校視察へ出ていました」

「証明できます?」

「同行した教師が七名、護衛が十二名。宿泊記録もあります」

「強い」


次の紙が出る。

「王宮への立ち入りを私が妨害したという件ですが、そもそも聖女の入城許可に私は関与できません」

「ですよね」

「王宮管理官へ確認済みです」

「早い」

「それから、フェリクス殿下からココット様への贈答品です」

「それまで調べたんですか?」

「王家から教会への公式支援と、殿下個人からの贈答は帳簿が別ですから」


本が三冊。髪飾り。香水。巡礼先で使うという名目の外套。完全に個人向けだった。


「アリシア様、怒ってます?」

「少しは」

「ですよね」

「でも、それだけではありません」

アリシア様は帳簿を閉じた。

「私が嫉妬しているという話だけなら、時間が経てば消えるかもしれません。ですが、王子殿下が聖女への公的な支援という名目で個人的な交流を続け、それを巡って教会と王家が対立しているように見え始めています」

「そこまで広がりましたか」

「はい」

「これは放ってはおけませんね」

「ええ。止めます」

言い切った。


私は少し笑った。

「じゃあ、教会側は私がやります」

「お願いいたします」


ちょうどその頃、私たちには地方巡礼の予定が入っていた。真紅、青眼、深緑。つまり赤色担当、青色担当、緑色担当の三人で王都を離れ、五つの町と七つの村を回る。


ちなみに、桃色担当のココットは体調不良で欠席だった。


「その呼び方で紹介しないでくださいね」

馬車の中でセレスが言った。

「分かってるって」

「前回、子供たちに『青色担当です』と紹介しました」

「分かりやすいかなって」

「私は青眼の聖女です」

「青色担当セレス」

「レイナ」

フィオナが笑う。

「私はどちらでもいいですよ」

「フィオナまで甘やかさないでください」


そんなやり取りをしながら巡礼先へ着けば、そこでも既に噂は広がっていた。最初の町では、治癒を受けに来た女性から聞かれた。


「レイナ様。アリシア様って、本当にココット様をいじめているんですか?」

私は傷口を治しながら答える。

「教会で確認している限り、その事実はありません」

「でも、衣装を馬鹿にされたって」

「その日、アリシア様は王都にいなかったそうです」

「え?」

「記録も確認済みです」

「そうなんですか」


次の村では、商人に聞かれた。

「殿下がココット様に贈り物をしているのは、教会への寄付なんですよね?」

「教会への公式寄付とは別です」

「別?」

「はい。個人的な贈答品として記録されています」


余計なことは言わない。確認できた事実だけを話す。セレスは教会の記録を確認し、私の回答に間違いがないよう補強してくれた。フィオナはアリシア様を非難していた信徒たちへ穏やかに言った。


「まだ確認されていない話で誰かを責めるのはやめましょう。私たちも必要なことは調べていますから」


巡礼は二週間続いた。帰る頃には空気が変わっていた。


「アリシア様がココットを迫害しているらしい」だった話が、「どうも違うらしい」へ変わった。前世でいうなら、炎上の火元へ水をかけて回っているようなものだ。ただ、完全には消えない。


噂は事実より早い。

事実は噂ほど面白くない。


だから私は、王都へ戻った翌朝に新聞を見て固まった。一面ではない。三面。それでも見出しはかなり大きかった。


『高位貴族の婚約者を持つ青年と、人気女性聖職者の過剰な私的交流か』


個人を特定できるような名前はない。身分もぼかされている。でも、読めば分かる。高位貴族の青年が、特定の女性聖職者へ頻繁に個人的な贈答を行っている。公的支援と説明されていた面会の一部は私的なものである。女性側は青年の婚約者に冷遇されたと周囲へ話しているが、複数の日時に矛盾が存在する。贈答記録。訪問記録。巡礼同行の回数。具体的だった。具体的すぎた。私は新聞を机へ置いた。


「これ、完全に文◯砲じゃん……」

セレスが顔を上げる。

「ブン……?」

「なんでもない」

「最近、なんでもないことが多すぎませんか?」

「気のせい」


誰が資料を渡したのか。考えるまでもなかった。


その日の午後、私はアリシア様の私室にいた。アリシア様はいつも通り紅茶を飲んでいる。ミアは何も知らない顔で菓子を並べていた。


私は新聞を机に置いた。

「読みました?」

「ええ」

「すごい記事ですね」

「そうですね」

「情報源、かなり詳しい人ですよね」

「そうですね」

「……」

「……」


強い。この人、強い。


ミアが横から口を挟んだ。

「お嬢様は何もしておりませんよ」

「まだ何も聞いてません」

「そうでしたか」

「ミア」

「失礼いたしました」

アリシア様が静かにカップを置いた。

「市井へ広がった話は、市井で訂正される必要があります」

「なるほど」

「新聞社が独自に確認した結果、記事になったのでしょう」

「独自に」

「ええ」

「たまたま資料が揃ってたんですね」

「幸運でしたね」

私はそれ以上聞かなかった。


地下アイドル時代にも、こういう大人はいた。敵に回してはいけない人だ。


記事が出てからは早かった。これまで巡礼先で訂正されていた話と、新聞の記事が一致した。ココットが以前話していた内容を覚えている信徒たちが、改めて疑問を持ち始める。一番まずかったのは、記事に名前がなかったことだった。ココットが反論しようとすれば、自分から「この記事は私のことです」と認める必要がある。


それでも彼女は、周囲へアリシア様と私が自分を陥れようとしていると話した。しかし、今度は以前ほど広がらなかった。支持していた人の中からも疑問が出た。


私はすぐに各地の教会へ伝達を出した。ココット本人への侮辱は禁止。彼女の支持者を責めるのも禁止。嫌がらせも禁止。


「でもレイナ、あの人たち、あなたのことも悪く言ってますよ」

若い修道女に言われた。

「言わせとけばいい」

「腹立ちません?」

「立つよ。でも、それと攻撃していいかは別」


人気がある人間が一言言えば、大勢が動く。前世で嫌というほど見てきた。だから使い方を間違えてはいけない。


聖女にスキャンダルは御法度。でも、スキャンダルを起こした人間を集団で潰すのも違う。必要なのは、事実を出して、必要な場所で判断してもらうことだった。


教会上層部の聞き取りは数日続いた。最終的に問題とされたのは、フェリクス殿下へ好意を持ったことではない。婚約者のいる王族との私的な交流を、聖女活動への支援と混同させていたこと。アリシア様から迫害されたと受け取られる話を繰り返し、その一部に事実と矛盾する内容があったこと。その結果、信徒同士の対立まで招いたこと。


ココットは、王都を中心とした主要な聖女活動から外された。聖力を失ったわけではない。地方教会で一般の奉仕者として治癒活動を続ける道は残された。ただ、真紅、青眼、深緑と並んで祝祭の舞台へ立つことはなくなった。


処分が発表された日、私はアリシア様の私室にいた。


ミアが淡々と言った。

「これで桃色の聖女はいなくなりましたね」

「ミア」

「はい」

「そこを喜ぶのはやめなさい」

「ですが、お嬢様の推しカラーと被っておりましたので」

私はミアを見る。

「……推しカラー」

ミアも私を見る。

「何か?」

「いや」

「そうですか」


また流した。多分、一生これでいい。


ココットの件が終わった後、アリシア様はフェリクス殿下とも話をしたらしい。私はその場にはいなかったが、後でミアから聞いた。フェリクス殿下は、自分がココットを特別扱いしていたこと自体は認めた。ただし、最後まで本人の中では恋愛問題ではなく、「教会支援に熱心になりすぎた」という認識だったという。


本当に真面目だ。そして、真面目なまま馬鹿だった。


「聖女様方の活動を支援なさること自体に、私は何の異論もございません。ただ、婚約者のいる男性が一人の女性へ個人的な贈り物を重ね、頻繁に二人で会っていれば、本人にそのつもりがなくとも、周囲は別の見方をいたします」

アリシア様はそう言ったらしい。

「……その点は配慮が足りなかった」

「王族であれば、ご自身のお考えだけでなく、どう見られるかも含めて行動なさってくださいませ」

「分かった」

「それから」

「まだあるのか?」

「推し活は、ほどほどになさってくださいませ」

「オシカツ?」

「お気になさらず」

それを聞いたミアはしばらく笑っていたという。


数日後、私はまたアリシア様の私室へ呼ばれた。事件も終わり、久しぶりに完全な私的時間だった。ミアが飲み物を持ってくる。今日も桃色だった。机の上には桃色の栞。アリシア様の髪にも、細い桃色のリボンが一本だけ編み込まれている。


私はつい言った。

「本当に桃色がお好きなんですね」

「ええ」

「公の場ではあまり使われませんよね」

「場に合う色は別にありますから」

「それでも、桃色が?」

「ええ。大好きです」

迷いがなかった。


ミアが横から言う。

「お嬢様の推しカラーですので」

私はミアを見る。

ミアも私を見る。

「……」

「……」

アリシア様がカップの向こうで笑った。

「お二人、時々変ですね」

「そうですか?」

「そうでしょうか?」

「そういうところです」


私は自分の赤い袖口を見た。

「レイナ様は、やはり赤がお好きなの?」

「好きですよ」

「聖女として決められた色だから?」

「それもあるけど、自分で好きだから」


立場に合う服を着る。求められる仕事をする。責任を果たす。それと、自分の好きなものを持つことは別だ。


事件から一か月後、教会の大祝祭が開かれた。朝から王都の大聖堂前には人が集まった。赤い布。青い花。緑のリボン。それぞれ好きな聖女の色を身につけている。


私は治癒所を回り、セレスは受付と記録を整理し、フィオナは子供たちの集まる場所へ向かった。午後には奉仕活動。夕方には聖歌奉納。さらに翌日は郊外で魔物討伐。その翌日は孤児院慰問。


私は舞台裏で予定表を見て、少し遠い目をした。

「前世より忙しくない?」

セレスが衣装の袖を整えながら言う。

「また昔の話ですか」

「うん」

「比較できるほど昔のことを覚えているなら、予定表も覚えてください」

「善処します」

「しない人の言い方ですね」

フィオナは信徒から届いた手紙を束ねていた。

「レイナ、これ。赤い封蝋のもの、あなた宛てです」

「ありがとう。あとで全部読む」

「今日中に?」

「できるだけ」

セレスがこちらを見る。

「夜更かしは禁止です」

「はいはい」


外から歓声が聞こえた。そろそろ出番だった。私は幕の隙間から会場を見た。前列だけではない。ずっと後ろまで人がいる。


少し離れた貴賓席にはアリシア様とミアもいた。アリシア様のドレスは青。でも、手に持った扇には小さな桃色の飾りがついている。その隣にはフェリクス殿下もいた。今日は王家の代表として教会の司祭と話している。


私は前世で、小さなライブハウスの舞台に立っていた。今は大聖堂の舞台に立つ。やることは同じだった。待ってくれている人の前へ行く。来てくれた人を大切にする。少しでも笑って帰ってもらう。


「レイナ」

セレスが呼ぶ。

「行きますよ」

「うん」


フィオナも並んだ。三人で舞台へ出る。歓声が上がった。


私は笑って、一曲目の聖歌を歌い始めた。

同じ世界線のそれから1年後

トレカショップ店員は転生したので、異世界でも転売ヤーを許しません!

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