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第1章:武道館の夢、異世界の泥

「本当に、夢じゃないよね……?」


リーダーのりんは、事務所で震える指先を見つめた。

デビューから5年。ついに掴んだ聖地でのワンマンライブ。今夜、このステージですべてが結実するはずだった。


しかし、会場へ向かう送迎バスは、凄まじい衝撃と共に横転した。

暗転する視界の中、りんの耳にだけはっきりと響いたのは、この世のものとは思えないほど荘厳な響き――。


『世界言語、習得。聖声、習得。――認識阻害、習得。』



次に目を開けたとき、視界に入ったのは見たこともない巨大な木々が空を覆う森だった。


「……みんな、無事?」


りんはよろよろと立ち上がった。すぐそばで、ゆい、なな、みみ、るる、ののが次々と目を覚ます。だが、お互いの姿を見た瞬間、6人は時が止まったように硬直した。


「ちょ、ちょっと待って! なによこれ、ゆいの耳……!?」


ゆいが自分の顔に触れ、目を剥く。透き通るように白く、先端が鋭く尖った長い耳。エルフだ。

「嘘、私エルフになっちゃったの!? ねぇ、なな! あんたも見てよ!」


呼ばれたななは、自分の足元を見て、さらに大きく目を見開いた。

「なっ……あたしの身長が縮んでる!? 手が……腕が太くなってる! ……ドワーフ? あたし、ドワーフになってる!!」


周囲では、みみが自分の肌の色を見て「あぁぁっ、緑色!?」と絶叫し、るるは生えたばかりの獣の耳をピクピクと動かして困惑している。


そんな騒動の中、ゆいの顔の周りを、キラキラと光る小さな影が鬱陶しそうに飛び回っていた。

「……なんか、うざい」

ゆいが反射的にひらりと手を振り上げ、その影をバシッと張り倒した。


「痛っ! ひどいよ、ゆいちゃん!」


地面に着地したのは、小さな羽を生やした精霊の姿だった。


「えっ……のの?」

一同の視線が集中する。

「ののなの! ののが精霊になっちゃってるの!」


ただ一人、りんだけが自分の姿に変化がないことに戸惑っていた。

「みんな、種族が変わってるの……? 私だけ、元のままなのに……」


混乱は深まるばかりだったが、喉の奥が張り付くような渇きが、現実を突きつけた。

「……とにかく、水を……」

誰の提案か分からないまま、6人は水の音を頼りに森の奥へと進んだ。


やがて辿り着いた清流。水面に映る自分たちの姿に、改めて戦慄する。だが、それも一瞬のことだった。


「――グルルル……!」


喉を潤す間もなかった。

水辺の茂みが大きく割れ、醜悪な牙と錆びついた棍棒を手にしたゴブリンの群れが飛び出してきた。


「な、なにこれ……嘘でしょ!?」


森の清流は、瞬く間に彼女たちの血と泥で濁った。

「離して!」


りんの叫びも虚しく、6人はバラバラに引き離された。視界が暗転するほどの恐怖と屈辱の中、彼女たちが放り込まれたのは、ゴブリンの村の最深部――息が詰まるような腐敗臭と、絶望に満ちた強制労働の現場だった。



「……痛いっ……!」


重たい石塊を背負わされ、慣れない足取りで崖を登らされる。

ゆいの美しいエルフの肌は、泥と岩肌で削れ、かつての気品は見る影もない。ななは、ドワーフの怪力を見込まれ、自身の体重の何倍もある岩を運び続けさせられ、そのたびにゴブリンの鞭が背中を走る。


「動け、雌ども!」


ゴブリンの耳障りな罵声が響く。みみとるるは、空腹と疲労で膝を震わせながら、湿った洞窟の中で毒キノコの選別を強いられていた。毒に侵され、指先が紫色に変色しても、休むことは許されない。


ののは、精霊の姿のまま、高い天井の岩壁にぶら下がる発光苔を削り取る過酷な作業に従事していた。羽は折れ、力なく地面に落ちそうになるたびに、棍棒の柄で小突かれる。


そして、りんは――。

「人間は頑丈だな。奥の宝物庫へ運ぶ荷役に使え」


りんが連行された先は、かつて略奪された品々が積み上げられた、冷たく湿った石室だった。ゴブリンの長が残した「獲物」として、彼女は一日中、重い金銀財宝や兵器を運び出す作業を命じられた。


食事は、泥と混ぜられたような得体の知れない残飯だけ。

暗闇の中、誰も言葉を発せなかった。武道館のステージで光り輝くはずだった6人の爪は割れ、瞳の光は消えかけていた。


「……ねぇ、もう無理かも……」


誰かが小さく呟いた時、鞭の音が部屋を切り裂いた。

「しゃべるな! 働け!」


りんの心には、ゴブリンたちへの憎悪以上に、深い無力感が広がっていた。自分たちは、結局この世界では無力な「獲物」でしかないのか。ステージで歌うはずだった歌声は、今や泣き叫ぶための喉と化していた。


しかし、その絶望の底で、りんはふと、自分の胸に手を当てた。

心臓はまだ動いている。私たちの瞳は、まだ死んでいない。


「……負けない」


喉が渇き、体は傷だらけでも、彼女の心の中で、かつてステージで歌った一番大切な曲のフレーズが、微かに、けれど力強く鳴り響いた。


それから数日後のことだ。

いつものように重い岩を運び、絶望に目を閉じていた6人の耳に、聞き慣れない金属音が響いた。

ゴブリンたちの悲鳴と、整然とした剣戟の音。


「……冒険者?」


その日、地獄の蓋が開いた。銀の鎧を纏った人間たちが、無慈悲な力でゴブリンたちを蹂躙し、石室の扉を突き破ったのだ。

りんたちの姿を見た冒険者の男は、驚愕の声を上げた。


「なんだ……こんな場所に、人間の娘たちが捕らえられているのか!?」


――認識阻害のギフトが、彼女たちを「守るべき弱き存在」として冒険者の目に映し出していた。


「早く、ここから出るぞ! さあ、手を貸せ!」


差し出された冒険者の手。それは、地獄から天国へと続く、唯一の希望の光だった。




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