第5話 戦闘開始!①
俺はコンビニの自動ドアの前に立っていた。
まるで最初から配置されていたかのような姿勢で、両手はポケットの中、角度も完璧。――そして一秒も経たないうちに、ドアが誘うように開いた。
チィン♪♪♪
聞き慣れた音と同時に、外の冷気とは対照的な暖かい空気が体を包む。
少し濡れたタイルの床、均一に照らす白い照明、菓子とコーヒーの香りが混ざった店内の匂い。
すべてが、いつも通り――
……ただし、これを除けば。
「ねえ、あんた、いつまで私を無視するつもりなの!?」
声が、やけに近い。
風に乗って届くとか、そういう距離感じゃない。
「私、こんなに話しかけてるんだけど!? 普通の人間なら驚くでしょ!? 叫ぶでしょ!? ちょっとは反応しなさいよ!」
俺はそのまま飲料棚へ向かい、ミネラルウォーターを一本手に取る。
……この水、美味いんだっけ。
「ちょっとぉ! 聞こえてるでしょ絶対!」
棚をゆっくりと見渡し、今度はお茶を取ろうとして、ラベルを見比べながら少し考える。
『もし幻覚だったら、構いすぎるのは良くない。
でも幻覚じゃなかったら……なおさら返事しちゃダメだ』
「何もなかったみたいな顔しないでよ!」
「これは宇宙規模で重要な話なんだから! ちょっとは聞きなさい!」
……宇宙より、今飲みたいもののほうが重要だろ。
一本を選び、振り返った瞬間、小さな影が視界を横切った。
小さな男の子。濡れた靴と、雨水で滑りやすくなった床――
考えるより先に体が動いた。
一歩踏み出し、しゃがみ、手を伸ばす。小さな腕を空中で正確に掴み、絶妙な力加減で止める。
「なっ……見た!? 今の反応速度! 速すぎでしょ!? 人間の域超えてるんだけど!? あんた何者なのよ!」
「気をつけろよ、坊や」
俺はいつも通りの声でそう言った。
少年は目を丸くして俺を見上げ、それから勢いよく頷いて母親のもとへ走っていった。
誰も転ばず、誰も泣かず。
――はい、終了。
俺は何事もなかったかのように元の場所へ戻る。
「……説明、しないの?」
「今の、未来予知レベルだったんだけど!? どこでそんな能力仕入れたのよ!」
『床が濡れてる。子ども。滑る。
……普通に予測できるだろ』
そう心の中で答えつつ、レジへ向かい、水を一本置く。
普通の人なら、コンビニで水一本だけ買うのは少し変に見えるかもしれない。
だが俺にとって、店員に「え?」って顔をされるこの瞬間こそ、至福の時間だ。
ピッ。
レジ音が鳴り、店員が袋に入れようとするのを手で制し、スキャン済みのボトルを受け取って、綺麗にターン。
――その瞬間、誰かと目が合った。
フード付きの上着を着ていて顔はよく見えないが、栗色の髪が少しだけ覗いている。たぶん女の子だ。
割引シール付きの特大サイズのお菓子袋を顔の半分に掲げたまま、少し離れた場所で固まっている。……息、止まってないか?
「おやおや」
「その視線、どういう意味かなぁ〜」
「人間の女性、心拍数上昇中」
……なるほど。
つまり、俺のかっこよさにやられたわけだな。
俺は小さく頷き、外の雨をちらりと見てから、できるだけキメた声で言った。
「雨、強いな。気をつけて帰れよ……お嬢さん」
自動ドアの前に立つと、ゆっくりと開き、再び――
チィン。
冷たい空気と雨粒が顔に当たる。
雨はまだ止んでいない。でも俺の頭の中は、今の台詞がどれだけキマっていたか、それだけでいっぱいだった。
……そのとき。
「ねえ、結局さ、私が誰か聞かないの?」
俺は横でふわふわ飛んでいる小さな存在に視線を向ける。
RPGから飛び出してきたみたいな、喋り続けるちっちゃな女の子。
「……そのうち、な」
「そのうちって何よ!? 結局あんた、私と会話する気あるの!?」
正直に言えば、全部の始まりは――
だいたい二時間ほど前。
雨が降る前で、コンビニに来る前で、
そして俺が、うっかり“あること”を口にしてしまう前の話だ。
✩✩✩✩
二時間前――
まだ雨は降っていなかった。
空は灰色で、張りつめた布のように静止していて、屋上を抜ける風は冷たすぎず、暑すぎず、ただ「平穏だ」と言える程度の温度だった。
俺は鉄柵にもたれかかり、目的もなく下の街を見下ろしていた。
こういう静かな場所に一人でいるのも、案外悪くない。誰も話しかけてこないし、誰も期待してこないし、誰も見上げてこない。
小さく息を吐き、走り続ける車や歩く人々をぼんやりと眺める。すべてが、あまりにも普通だった。
目を閉じて、そして――癖みたいなものだ――思わず口にしてしまう。
「……嵐が来るな」
声は、風に聞かせる程度の小ささだった。
「この静けさも、そろそろ終わりか」
そう呟いた瞬間、風が逆流するように吹き込み、前髪がわずかに揺れた。
調子に乗って、さらに続ける。
「……来たか」
ただのノリで言っただけの、やたらとかっこいい台詞。
――なのに、その言葉が終わった直後、何かが変わった。
風じゃない。
空気そのものが、震えたような感覚。
「……え?」
すぐ近くで、幼い声がした。
近すぎる。距離感がおかしい。
俺は振り向かない。動かない。
前を向いたまま、無表情を貫く。
『見たら負けだ。振り向いたら、かっこよくない』
そう思ったからだ。
すると、空中に小さな光が現れた。
この世界にあってはいけないはずの存在感。
そして――小さな人影が、ふわりと浮かんでいた。
小さな羽、体格に似合わない真剣な顔つき、白に近い銀色の髪。
「ちょ、ちょっと待って!? あんた、私の存在に気づいてたの!?」
いや、見てない。
まだ一度も振り向いてないからな。
でも声は、異様なほどクリアだ。
「おかしいな……この世界の人間がマナの塊を感知できるはずないんだけど……」
『……マナ? 世界? 何言ってんだこいつ。中二病か?』
俺は肩をわずかに動かす。
外から見れば、何か深い思索に沈んでいるように見えるだろう。
だが内心は――
『なにあれ!? 未知の生命体!? 宇宙人!? いや違う!?
ていうかなんで俺が呼び出したみたいな流れになってんだ!?』
声は相変わらず、隣で止まらない。
それでも俺は、前を向いたまま、静かに佇んでいた。
――まるで、すべてを把握しているかのように。
実際は、何一つわかっていなかったが。
✩✩✩✩
――そして現在。
雨は、思った以上に激しくなっていた。
コンビニの自動ドアが背後で閉まり、
「チン」という音とともに、暖かい光が遠ざかる。
外は、灰色と冷気に染められていた。
雨粒がアスファルトを叩き、弾け、街灯の光を細長く反射させる。
俺はフードを少し引き上げ、雨を防ぐ程度に被り、そこで立ち止まる。
「はぁぁぁ……やっと出てきた! どんだけ中にいんのよ!」
またしても、耳元。
……否定できないほど、はっきり聞こえる。
俺は答えない。視線も動かさない。
返事をしたら、全部の“間”が崩れる。
雨に濡れた髪の先から、水滴が眼鏡を伝い、顎へ落ちていく。
まるで、やたらと雰囲気だけはいいオープニングシーンだ。
『それにしても……こいつ、何者なんだよ』
内心そう思いながら、
外面ではただ、少しだけ顎を上げ、灰色の空とビル群を見上げる。
「ねぇ、聞こえてるでしょ?」
「普通の人間が私の声を――」
ゆっくりと、ため息を吐く。
「……静かにしてくれ」
振り向かず、誰に向けたとも取れない声量で言ったその一言で――
声が、本当に止まった。
……沈黙。
「……え?」
いい。
間、完璧。
その瞬間、俺は感じ取った。
音でも、視線でもない。
――“気配”だ。
『向かいのビルの屋上に……何かいる』
俺は、ただ雨や街を眺めている風を装いながら、ゆっくりと視線を上げた。
そこには――影。
一つ、二つ、三つ……七……いや、八人。
全員が濃い色のマントをまとい、風に裾を揺らして立っている。
顔は見えない。だが、“視線”だけは、はっきりとわかった。
――全員、俺を見ている。
『……おお……』
恐怖でも、動揺でもなく。
脳内に浮かんだのは、あまりにも馬鹿な感想だった。
『クソかっこいいんだが!?』
高層ビルの屋上、マント翻し、無言で並ぶ謎の集団。
どう見ても――
『ボス戦の前座か、秘密組織の登場シーンだろこれ!?』
「ちょ、ちょっと……あれって……」
隣の小さい声が、明らかに震え始める。
だが俺は無視した。
ただ一歩、前へ。
水が跳ね、靴底が濡れた地面を打つ音が、やけに響く。
すると、彼らが動いた。
後退でも、突進でもない。
――全員が、同時に手を上げた。
次の瞬間、首元のネックレスが淡く光り、
その光が線となって広がり、繋がり、円を描く。
世界全体が、“覆われた”。
雨音は消えない。
だが、空気が変わった。
『……なにこれ』
心の中でそう思いながら、
目だけは、やたらと輝いていた。
『ガチの……結界じゃん!!』
本物の、ちゃんとした、正真正銘のやつだ。
隣の小さな存在は、さらにパニックになっている。
俺はポケットに手を突っ込み、
いつも頭の中で練習している角度で、体を少し傾ける。
『今度、俺もこういうネックレス買お』
顔を上げ、彼らの一人と視線を合わせ、
何でもないような口調で言った。
「……いつまで見てるつもりだ?」
雨は、まだ降り続いている。
そして――
戦いは、今にも始まろうとしていた。
今は、喋り止まらないちびキャラと、クソかっこいいマント集団が増えましたが、主人公は相変わらず全力でその声を無視しつつ、怪しい男たちには涼しい顔で対応しています。
とはいえ、この先の展開も少しずつ思いついてはいるものの、まだ最後まで綺麗に繋がりきっていない感じです。
この作品は、とにかく「主人公がかっこいい系」にしたくて、正直それは書いている自分自身の願望でもあります。
だって、理由もなく突然かっこいい台詞を言いたくなる瞬間ってありますよね。
それを想像するだけで、もうニヤけてしまいます。
というわけで、いつも読んでくれてありがとうございます。




