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NEGATE  (否認)

 花壇では花が、建物では看板が、背中では巻き髪が、どれも鮮やかに主張している。長いボディチェックを通る甲斐があった。


 塀の外では今のために摘み取られる明日がここでは待っていてくれる。人々は楽観的な装いで目的もなく歩いている。レタを見ても、目を一瞬だけ上下したら、もう横顔を見せて別の遠くを眺めている。5秒後の命を疑いもしない。外では決して見ない態度だ。


 平和の一因は空の目にある。外部からの来訪者を上空のドローンが見つめている。都市に有害な兆候を見せれば監視員が現れ、その追跡を振り切れば応援が集まってくる。誰へも危害を加えさせない。生産力の低下を維持で補う。


 少ないが、外と同じもの。運び屋ギルドの看板を掲げた飲食店でエンブレムを読みとらせた。荷物の箱を渡し、もうひとつがこの男だと言ってブレインを示した。タブレット端末をぱたぱたと叩いたら仕事完了のスコアになる。以後のブレインは自力で帰りの足を呼ぶ。移動を遊び時間にできる者なら金だけで手配できる。


 レタの仕事は終わり、席で食事を待った。ギルドの助成のおかげで、何を選ぶ知識もない連中がいくらでも在籍する集団向けに、必須の栄養をこうして補充させる。労働力という名の身代わり人形を長持ちさせる投資だ。小銭で安全を買える。


 朝と昼に挟まれ静かな時間帯だ。ウェイターが手ぶらで声をかけてきた。


〝Scion of Toronto.〟(トロントの末裔)


 生きていてよかった、お怪我はありませんか、いつもご苦労様です。レタを二つ名で呼んだら消しゴムに彫ったような言葉ばかりが続く。いつもの手合いだ。どこぞのニュース記事に書いてあったらしく、ここ半年ほどはいくらでも耳にした。第二のベイルート事件からの流入分が離職し尽くして、最後がいつ離職するかと注目されてから早一年、レタは元気に仕事を続けている。最近は賭けの対象にさえなっている。


〝Thank you for support.〟(応援ありがとう)


 自分なら簡単なものを難しく感じる者へ、誰もが学校で見覚えある声色で。嫌味で明るく答えた。庇護下にいる幸運だけを飼料にした二本足の家畜へ、思考を持たない手足となり人類の発展に寄与した功績を讃えて。


 店員は苦労話を始めた。祖母がトロントに住んでいて、ぎりぎりで生き残れて、その頃の大学の破壊やら失業やらでどん底になったが日雇いで苦労しながらも友を頼り必死にやりくりして食糧を買って生き残れたと語る。彼の思い出に略奪者は現れなかった。寒さに震える夜も、くずかごで舐めたケチャップも。レタは笑顔であしらった。


〝May we have lunch?〟(まだかしら?)


 空腹を訴えて話を終えた。塀の中では空腹の価値が高く、店員は大慌てで厨房を急かしに行った。


 出てきたものはステーキ肉と少しの野菜類、近年では最上級の大当たりだ。目の前ではブレインが生前の牛への思いを馳せる。お坊ちゃんの目には粗野すぎるようだが、使い捨てのよそ者に振る舞うには豪華すぎる。


 胸に紙ナプキンを、右手にナイフを、左手にフォークを。ナイフは筋に対して直角に当てる。この方向を歯で砕くのは厄介だがナイフでなら容易、とは外面で、本当はナイフを前後するたびに返ってくる感触で選んでいる。理屈は後、感覚が先だ。世の中のほとんどと同じく。レタはこう見えて手際よく、紙ナプキンは長らく白さを維持していた。


〝I look you are high society〟(ひょっとして君は上流生まれじゃないか。)


 ブレインは手つきを見ていた。力を入れる場所が正しければ指で軽く押すだけで切れる。ソースが滴るのは主に口の周囲にぶつかったときだ。それらが無いのは食べ慣れている証で、食べ慣れるには一朝一夕では足りない。この時勢にそんな余裕があるのはどんな育ちをしてきたか。少なくとも、塀の外で見てきたような暮らしではないはずだ。


〝I am the floater.〟(さあ? 私は流れ者)

〝Do not play innocent. I can help you.〟(とぼけないでくれ。足掛かりが必要なら僕が。住み場所だって、手に入れられる)


 彼の言う通り、これはまたとない申し出だ。社会的信用がある人物との接点を作る機会など滅多にない。ましてや行動を見せる機会も、気に入られる機会も。柔らかなベッドと温かな食事があって、衛生的な服があって、安心して眠れる暮らしを知っている。夜は眠くなるまで漫画を読めるし、朝は起きたくなるまで微睡んでいられる。本棚には漫画コレクションを並べられるし、噂に聞くアニメ版やゲーム版もじっくり楽しめる。


 とはいえ。


〝I have another appointment. Thank you.〟(ありがたいけど、先約がある。返事をするまで他は考えない)


 長い放浪生活はレタを変えるに充分だった。優しく柔らかに死を待つ暮らしを知り、荒野を歩いて生を感じる日々を知った。別に、今さら戻れないとは思わないし、籠絡する罠とも思わないが、手放しにいい話でもない。レタでなければ飛びつくかもしれないが、幸か不幸かレタだった。学校よりも荒野で受け入れられた。荒野を見て異世界に思うのが学校では多数派だったが、レタは学校にいる頃から周囲を整った荒野に感じていた。


〝Boars can not fellow with pigs.〟(野獣と家畜は馴染めない)


 周囲の様子を見ても。ある男は丸腰で、丸まった腰で、目の前の皿が世界のすべてかのようにかぶりついている。ある女たちは丸腰で、両手と上半身を友人に預けてじゃれあっている。


 同じことをレタはとてもできない。世界のごく一部をすべてだと思った瞬間に後頭部への一撃が肯定してくれる。預けた身は売り捌くまで返してくれない。パラノイアと言われればそうかもしれないが、人は警戒過剰では死なないが、警戒不足では死ぬ。


〝Sheriffs are their farmer.〟(餌になる日まで飼育員が守ってくれるけど)

〝I think you are afraid to live safety city.〟(恐れているんじゃないか。安全な街に住むことを。)


 ブレインは指摘するが、やはりレタには御免だ。


〝Safety is negating every danger.〟(安全とは危険を廃すること)


 そのために森林深くをキャンプ地としたり、同じ場所を二度は使わないようにしている。人間が近づけば必ず特徴的な音で教えてくれる。旅路には安全確保がつきものだ。


〝Danger is just me.〟(危険とは、私)


 レタはいつでも銃を抜ける。物理的にも、心理的にも。銃のひとつは番人に預けたが、隠し持った銃はまだある。見た目ではそうとわからないものも。家畜は抜かれた牙の跡地を平和主義と称した義歯で飾っている。対するレタは本物を。


〝Everyone will negate me.〟(誰もが私を廃する)


 諦めだと思ってもいい。空想は始まれば止められない。現実が止まらないのと同じく。レタは現実を生きる。現実でしか生きられない。だから誰にも、レタへの空想を始めさせない。


 ブレインも諦めた。レタを靡かせる言葉などあるはずがなかった。レタの牙城を崩すまでは可能性があっても、先約を覆すのとは両立できない。諦めたように見えて考えているのかもしれないが、結論までの時間はステーキでは短すぎる。


 口周りを拭いたらお別れだ。


 レタは席を立つ。店員に挨拶をして、出入り口のベルを鳴らしたベルはもう一度だけ鳴った。


〝Rest is enough?〟(休みさえしないつもりか)


 日はまだ高い。すぐに出発しても別の町へ着くには十分な時間がある。一人なら。


〝Extra work?〟(追加のご用事でも?)


 ブレインは静かに首を振り、見送らせてほしいとだけ答えた。レタは背中で答えた。この場所でこの相手なら、建物の陰に隠れるまで、レタは確かな足取りで進んだ。元より小ぶりな背中がさらに小さくなる。


 番人は簡単に入れてくれなかったが、すぐに出してくれる。


(了)

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