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GEIST    (亡霊)

 東西南北のすべてが海から遠い。雨雲は遥か遠くでに痩せ衰え、乾いた土と短い草ばかりが支配する。レタが使った林は、かつて高等教育を覚えきれなかった御曹司が緑化計画と称して植えた木が奇跡的に生き残った残骸だ。いつ腐り落ちるとも知れない木を避けてわずかな候補だけを選ぶ。


 付近の動向は同業者の口から予測する。より正確には、死人の口から。運び屋ギルドの謹製アプリに情報を書くだけで得られる小銭に目が眩んだ言葉だから、生きていたら気前のいい流言だが、死はいつでも現実だ。怠け者が集まる位置と策士気取りが避ける位置の印を見て、まともに機能する自治区の半端な情報と合わせて、通り道を選ぶ。


 今日はやけに死者が伸びた範囲から、どこぞのテロリストが暴れていると予想した。通したい主張もなく、ただ今日の食糧を道連れを求める連中だ。知識を持ち、技能に恵まれ、人望も篤く、居場所だけを失った者たち。破壊活動は必ず有能さと共にある。狙いがある。よく辿ると、男と黒人が生きてコメントを書き、死んだのは白人の女ばかりだ。やけに範囲が広く、やけに死者の密度が薄い。それでいて、他の情報源では何事もなかったように報せている。


 すなわち、死んでいるのは運び屋ギルドに偏っている。広範囲に散って誰かを探しているような。誰を探しているのか。レタには強い心当たりがある。金髪の白人で20歳ほどの女が、連絡手段を破壊し計画を失敗させた上に、高額なガトリング砲を破壊した。この女がいなければ塀のある街がひとつ陥落していたはずだ。それを足がかりに他の街も。たった一人の女がすべてを台無しにした。名はレタ・オルフェトという。


 そして荷物、これが厄介だ。行く道を決めたら手近な仕事で銭を稼ぐ。地域集中型の活動をしない流れ者は往々にして長距離の仕事を選ぶ。片や件数に対し報酬が安い、片や距離が遠すぎて土地鑑が効かない。棲み分けが自然と成り立つ。


 今日は見える仕事が不自然に増えた。ご丁寧にも騒ぎがあった地域を避けて、宛先の幅が広い。請けてほしい事情が丸見えだ。目立つクラスBは大きさと報酬のバランスがよく、可能ならこれだけ選び続けるのが最も儲かる。


〝You know the mean?〟(この意味がわかる?)


 ブレインは情けなくも黙っていた。


〝I am not ostrich.〟(舐められたものね)


 レタは親切な説明を聞かせた。仕事が同時多発的に増えるのは珍しくもないが、山積みになるはずがない。方角のレパートリーで誤魔化すには偏りが少なすぎる。作為ある荷物だ。呼びたいか、もしくは、呼んでも警戒する者を探している。死と仕事で囲う作戦だ。


 レタは同業者との鉢合わせを避けてきた。虫がついてきて巻き添えになるのは御免だ。結果を見れば同業者たちもレタを避けていた。夜を過ごす場所も、歩くペースも、経路の選び方も、真似るには身に余った。暑い時期に暑い地域を選び、寒い時期に寒い地域を選ぶ。同業者の少なさにより報酬の割がよくなるからだ。同業者の少なさにより地域の虎同士に睨み合いをさせていたからだ。


 同心円を頼りに縮尺を調整する。今日の範囲から三日後の範囲まで見渡す。いつも通りの晴れ。風向きと強さを見た。予習を限界まで詰めた。実技の時間だ。一日分の水や食糧を用意した。ササキに餌も与えた。いつでも出発できる。では、どこへ出発するか。


 ブレインは困り顔で答えを待つ。レタは操舵手として答えた。最も安全な手だと前置きをして。


〝Go for the throat.〟(連中に飛び込む)


 ひと泡を噴かせに行く。


 話の流れに真っ向から逆らった答えにはブレインも穏やかな仮面を脱ぎ捨てた。死者が多い話は? テロリストの規模は? 罠らしき荷物の話は? 勝ち目は? すべての疑問にレタは色とりどりの言い回しで「恐れるな」と答えた。


 当然ながら、テロリストがいるなら人数は二〇を上回る。真正面からぶつかれば確実に死体が二つ増えておしまいだ。西部劇の時代ならいざ知らず、銃の性能も、探知機の性能も、鎧の性能も、遥かに技術が進んでいる。ボディアーマーが致命傷を防ぐし、救命技術も高まっている。一方的な狙撃を成り立たせる高精度の銃も理論上は存在するし、場合によってはドローンも飛んでくる。何よりレタはならず者やテロリストからの逆恨みがある。狙う価値がある。


〝When you know?〟(最初から決めてたのか?)

〝Before meet you.〟(門番を撃った時点で)

〝Why did you not consent me?〟(なぜ教えてくれなかった)

〝You must calm.〟(余計な心配をしたら目先の失敗が増える)

〝Where is another root?〟(経路を改める機会は?)

〝Only the way.〟(一度も)


 周囲にいた動物たちが静まり返った。見慣れない哺乳類の言い争いがどう転ぶとも知れない。求愛も狩猟も一時中断だ。巨大な哺乳類が暴れでもしたら小さな虫の力ではとても押し返せない。幸運だけを頼る。


 ブレインは憤慨した。命知らずもいいところだ。なにより腹立たしいのは、レタに任せた旅路の手前、どんな道でも着いていくしかない。危険へ飛び込むと言われるのは、危険へ飛び込めと言われたのと同じだ。


〝Why did you take it?〟(全てわかった上でこの仕事を?)

〝How did you stay alive?〟(一人で生き残る自信が?)


 しかしブレインの限界はここだ。結局のところ、一人ではどうにもならない状況まで追い込まれていた。生きていただけでも幸運で、偶然にも通りかかったレタを頼れたのも幸運だ。奇跡的な幸運をすでに二度も得ている。サンクコスト効果を知っているから今ここでレタと仲違いをするのは簡単だ。その後の歩き方が何もわからない点を無視すれば。


 乾いた風が鳴る。レタも状況はブレインと同じだ。気づいているのはレタだけだが、情報によると危険な地域の逆側には経験によると危険な地域だ。番人とトロフィーとチャンスを失い終わった連中がやぶれかぶれで道連れにしようと考えているに違いない。事実に調べる価値はない。大変すぎて調べる手間そのものがリスクになるからだ。人は喪失を意欲に変える。奪われた嘆きを癒すには奪うしかない。


 前門のテロリスト、後門の逆恨み団。逃げ道はない。突破するしかない。


〝No bet, No live.〟(確実に負けるよりましだから)


 ブレインは肩を落として尽力の意思を伝えた。荒野でブレインは弱い。どんな結果になるとも知れずに振り回されるだけだ。ならば、ましな振り回し方をしてくれそうな者に付き従う。弱者に許された唯一の選択だ。レタなら生き残らせてくれる。少なくともそのチャンスがある。


 言い争いは終わった。動物たちが理解したとき、再び求愛と狩猟が始まった。


 現在とは過去の答え合わせだ。現在なんかをいくら見ても何ひとつわかるはずがない。解くべき問題が通り過ぎているからだ。次の未来を見る。五分後に、あるいは二日後に、誰がどこにいて何をしているか。今は見えない地平線の先が一時間後には後ろにある。慣れれば見えるようになる。


 決めた道順で出発した。誰の興味も集めない不人気な場所こそが最善の場所になる。だからレタは今のような暑い時期に南部を歩き、寒い時期に北部を歩いている。


 人は居心地がいい場所に集まる。口先では効率とか合理性とかを語っても結局は居心地で選ぶ。素直な者ほど皆と一緒に動く。子供のサッカーがただボールに群がるための走りに終始するように。自分だけが間違えたのではない、自分が最弱でさえなければいい。いくつもの言い訳を並べてひとつの答えに群がる。


 人が集まる場所にも集まる。魚が集まる場所に釣り人が集まるように。群がる魚に個性はない。偶然にも弱いものが食卓への片道切符を得る。弱い瞬間が1秒だけでもあればいい。1秒が1年を壊す。


 合成の誤謬だ。1人だけが安全を求めれば生き残れるが、何人もが安全を求めればまとめて死ぬ。


 安全や危険は相対的だ。しかも目まぐるしく入れ替わる。今日の安全が明日には危険かもしれないし、明日も同じかもしれない。ひとつの結論に飛びついたらそれ自体が間違いだ。状況を知り、自分を知り、何度でも選び続ける。


 負担に耐えられない者だらけだが、レタなら耐えられる。数字に出た成果もある。三年後離職率が100.00%から99.99%になった。おかげで自信過剰な命知らずが二人目になれると思い込んで参入してきた。二人目になれなかった者は可能と知っているだけで手順を知らない。船の写真に乗って航海に出るようなものだ。ビート板にもならないのに。


 とはいえ、船の写真なのか船なのかを見ただけでは判断できない。すべては自分で決める道だ。大義もカリスマもない。誰も助けてくれない。気にも留めない。失敗したら蛆虫や菌だけが餌場や産卵場として使い、用が済んだら永久に去る。知識と観察と取捨選択だけを頼りに一人で生きる。自分は本物だと証明する。そんな状況をプレッシャーにも感じず、むしろ気楽に取り組める。変わり者のレタだから死んで当たり前の環境を生きている。


 近くに誰がいるかを知っている。どの仕事が増えるか減るかの動向を見たら、同業者の数と居場所と行き先がわかる。今はレタ以外に二人。片方は車を持っていて、おそらくは東側へ向かう。東行きの大荷物が三つも出ているあたり、分断するつもりで、厄介払いをしたがっている。もう片方は足が遅くて体力もいまいちな、おそらく小柄で黒人の女だ。荷物の取り方と避け方からそんな特徴が出ている。黒人差別が未だに残る地域は少ないがゆえに先鋭化している。おかげで行き先の予想ができる。


 さて、ひと泡吹かせるのはいいが、どうやって? ブレインの真っ当な疑問への答えを見せた。レタは3丁の銃を持っている。右の腰には早撃ち用の銃とホルスターが、左肩には廃材で組み立てた多銃身銃が、腰の後ろには正規品の拳銃が。

〝Bullets are?〟(弾は?)

〝Five.〟(五発)

〝each?〟(五発ずつか?)

〝total.〟(合計で)


 すなわち、最大で5人まで。散発的に現れるような流れものならともかく、組織に対抗するには、ましてや飛び込むとなれば、雀の涙にもならない。相手が5人より多いと分かっているから使うものは他にある。


〝Do you know Beirut?〟(ベイルートを知ってる?)

〝There exploded.〟(爆発した港だ)

〝Encore there.〟(再現する)


 ベイルート港爆発事故、2020年に起こった大爆発だ。違法な貨物船から没収した硝酸アンモニウムの近くで行われた溶接作業員が地図に残る仕事をした。


 それと同等の事故が5年前にもあった。およそ400年越しにまるっきり同じ方法で。当時の政治家や施工会社は歴史から学ぶのを怠ったとして世論の批難が殺到し、第二のベイルートと呼ばれるようになった。


 レタがこの仕事をしている理由だ。旧トロント水域のどこかにかつてレタの家だった残骸が沈んでいる。レタが通うはずだった学校も、お気に入りのMANGA店も、気さくな隣人も、どこかの彼方へ消え去った。食糧や資材を失い、人々は明日にも困り、モラルハザードはすぐに銃弾の嵐になった。嵐が過ぎたら災禍が残る。


 持ち出せたものは三つだけだ。レタ自身の命、ササキ、そして漫画を一冊半。


〝Encore is what?〟(再現とは?)

〝Burn their food. Xe into panic. Xe betray to live ximself.〟(食糧の切れ目が縁の切れ目)


 この荒野で町でもない組織を繋ぐには食糧しかない。経路と分配でごろつきを繋ぎ止めているにすぎない。自制できるのは中心にいる人が関の山だ。備蓄を後ろ盾に次の掠奪を計画している。その食糧の一部を燃やす。


 全部ではいけない。規模を知り、全員で分けあえば三日くらいは間に合う程度に残す。全部を奪い尽くしたら諦めて飢えを暴力性に変換するだけだ。甘い誘惑を囁かせる。人数が半分になれば1人あたりの食糧が2倍になる。誰かがその事実に辿り着けば2人目3人目と増えていく。


〝You are villainess.〟(極悪人め)

〝You may call it.〟(どうとでも言って)

〝Are you Geist of Toronto?〟(トロントの亡霊、君がそれか?)

〝Never.〟(まさか)


 レタは区別していなかったが有力なテロリストの黒幕はトロントの亡霊を名乗っている。硝酸アンモニウムに賞賛を奪われた知識人と乳離れもしない仔犬どもの一団だ。彼らへ飛び込み、食糧を破壊する。そのためには近づく必要があるが、レタの特徴は知られている。


 レタは荷物からボウルと化粧品を出した。オリーブオイルはわかる。瓶にそう書いてあるから。もうひとつの、黒い固形物がブレインには分からなかった。羊羹に似た直方体にナイフで縞模様を描き、削って粉末にして、ボウルに入れたオリーブオイルと混ぜる。透明だった液体が黒く染まっていく。


〝Blackwash.〟(黒人になる)


 人は属性の大枠を見て、徐々に小さな属性へと掘り下げていく。レタの情報といえば、白人、金髪、碧眼、女だ。第一印象を黒人にしてしまえば以降の確認はなくなり、どうでもいい一人になる。


 理屈はブレインにもわかる。職業柄、人種差別との付き合いが多い。歴史の教科書ほどの苛烈さが鳴りを潜めたのは白人が表出を少なくとも表向きには禁じて、差別を知らずに育った世代がますます知らない世代を育ててと繰り返した結果だ。教育のおかげで行動の意味を知っている。学生寮で毎週末に騒ぐ悪ガキが茶化していた。数日後に耳栓を捨てた。


 ブレインは苦い顔で黙っている。何かを言いかけて、しかし表すには言葉が足りない様子が見てとれた。


〝Life Is never only Beautiful.〟(潔癖では生きられない)


 褒められたくて生きてるんじゃない。生きるために生きてる。嘘でも誤魔化しでもする。道化にも憎まれ役にもなる。生きるために。納得してもいいし、しなくてもいい。だが何を考えても、変装せずに突破するのは至難だ。敵は心情を慮ってくれない。心情を慮ってくれないから敵なのだ。レタの味方はレタとササキだけだ。レタは最善を尽くす。


〝Xe want survive.〟(連中も生きるためにやってる)

〝You mean?〟(すなわち?)

〝Educate. Ignore or ignoble.〟(教えてやる。手を出せば血も出る、と)


 敵にも生きてもらわねばならない。レタに関わるのはやめておけ。短い一言を誰かが持ち帰る。歴史には証人が必要だ。多いほどいい。誰もがわかる変化の中心で、象徴的な逸話と共に立つ。ロリータ服の単眼サイボーグが歩行者を自称して自動車用の制限速度を無視して走ったとか、精液を絞り月経を止めて得た3ヶ月でギャング団を束ねたとか、時短のために自分の指を切り落として拘束を逃れたとか。


〝You going to get the panzer.〟(道を切り開く、か)


 手も髪も顔も、耳の中まで黒人らしくなったレタを見て。


〝I will read your story. Everyone will excited.〟(いつか伝記を書いてくれよ、未来の英雄さん)

〝After day of shower, If sick and tired.〟(気が向いたらね)

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