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HANGMAN (的中)

 日が高いうちに。


 町をぎりぎり地平線に隠せる程度の、さほど遠くない位置に木立を見つけた。疎らだがハンモックをかけるには足りる。接近を見つける罠を置き、ここをキャンプ地とした。


 予定より早かったので作業を前倒して翌朝を楽にしておく。


〝I want fish,〟(魚がいれば楽だけど)


 水場がない地域では虫で代替する。指ほどの太さの芋虫を草むらから取り、もう少し太いものを土から掘り返す。もぞもぞと動き回る数だけ小さな穴を掘り、豪邸を与えた。


〝they are good sensor.〟(混ぜ物に敏感だから)


 虫たちに水を飲ませた。まずは手持ちの飲み水を、次に町で貰った水を。虫たちは白く柔らかな多足の身を捩る。どちらを飲ませても一定の繰り返しに見えた。


〝What the?〟(何してるんだ?)

〝Check the poison.〟(毒味)


 すなわち、町人の企てがあって毒水を渡した可能性への警戒だ。もし混ざっていればこの虫が異常を見つけてくれる。ボトルの一本をいくらか飲ませたら満足して二本目へ。すべてのボトルを確認するまで続けた。虫が満足したようなら元の場所に帰してやる。


 安全な水とわかったら折りたたみ式の洗面器に注いで使う。


 肌着の洗濯だ。粘膜との接触により老廃物と体液がつく。それらを餌にする菌が色と臭いを作り出す。定期的に洗わなければならない。怠れば直接的にも間接的にも問題を呼び寄せる。


 石鹸を削り水に溶かして泡立てた。石鹸の洗浄力は水とのバランスで引き出す。石鹸が多ければ滑るだけで、水が多ければ洗浄力を失う。その特性から洗剤よりも環境への毒性が小さい。


 洗い終えたら追加の水を注いだ。水と石鹸のバランスが崩れて洗浄力を失い、ただの濁り水になった。もう捨てても菌の餌になるだけだが、その前にもうひと働きする。


 食糧のパックを沈めた。泡が出ないように、波もなるべく立たないように。袋の綴じ目を上にして、両箸を軽く揉み、満足したら乾かして次の袋を取る。


〝Likes raccoon.〟(急にアライグマになったが)


 ブレインの疑問に答える。この作業は気泡を探している。


 食べ物が傷む原因は主に四つある。紫外線による化学反応、空気中の酸素による酸化、空気中の水による加水分解、そして混入した菌による腐敗だ。保存食はこれらのすべてを防いで作る。調理の時点で加熱による殺菌か糖度による抗菌で腐敗を防ぐ。真空にして詰めるか、そうでなくても充填する気体はただの空気に見えて窒素ガスだ。容器は金属でも厚手のフィルムでも、周囲を漂う空気を通さず、酸化も加水分解もしない。パックの中は変化しうるすべてを排斥した空間だ。


 ただし、出荷後にどうなったかは話が変わる。


 目立たない位置に小さな穴を開けて毒物を仕込める。あるいは穴を開けるだけでも、中身が勝手に吸い込んでくれる。食べ物の表面には肉眼で見えない小さな穴がいくつもあり、消臭剤と同じ仕組みで臭いの元を吸着する。塗装などの片手間にお菓子をつまんではいけない理由がこれだ。揮発したシンナーを吸着したイモを食べて病院送りになった例がある。菌が入り込んで腐敗した例も。


〝Everytime you do?〟(毎回そんなことを?)

〝Only suspected.〟(怪しい時だけ)


 レタが訝しむ様子をブレインが訝しげに眺める。塀の中では考えられない常識がまかり通っているなら、それらを受けて変な行動が意味を持つとまでは想像がつくが、これまでのレタは勝手に予想しては空振りしている。慎重も度が過ぎれば臆病者と同じだ。ともすれば自縄自縛にさえなり得る。しかし、懸念がいつか当たればすべてを失う。保険は効かない。失敗を受け入れられるのは失敗しても死なない備えがあるときだけだ。


〝HANGMAN. Any in meat.〟(予想通り。燻製肉に何か入ってる)


 水はひび割れを見つける。水圧が小さな穴から空気を押し出す。空気は人の目では見えないが、水を押し除けた様子なら見える。


 燻製肉は多量のスパイスで腐敗を防いでいる。味が濃いので食べるだけでは気づけない。空気が漏れでた位置はパックの背鰭に隠れた中央、注射器のように小さな孔だ。保存状態が悪くてもこうはならない。


 お礼として受け取った品に細工があった。レタは慣れていてもブレインは絶望的な顔をしている。


〝No fear. You did not eat.〟(食べてないんだから安心しなさい)

〝I afraid.〟(大したものだよ)


 運び屋ギルドは決して恵まれた身分ではないが、恵まれた身である点は誰もが知っている。自分の足で歩ける力があり、歩く勇気があり、時にトラブルに巻き込まれても戦える強さがあり、戦う勇気がある。交渉する知恵、道具を使う知恵、システムを使いこなす知恵。高い技能を持つ者だけが命を持っている。その意味で体力も学も経験もない底辺層は参加できるだけで生き残れない。恵まれていながらさも恵まれない面で動く。


 気に入らない奴であり、死んでも利害関係がない他所者であり、確実に物資を持っている。ひとつ得たらもうひとつ得るチャンスだ。


〝I hear safe town.〟(安全と聞いていたのは?)

〝Just safe. We can speak without smoke.〟(安全だったでしょう。銃を抜かなくても会話ができる)


 作業は終わった。眠る準備として焚き火を始めた。虫がいる生態系ではこの悪臭での忌避効果が重要になる。毒ジャーキーは燃料に使う。


 ブレインはもうお休み気分だが、レタの仕事は続く。今度は水を蒸留する。


 虫で試しても異常は見つからなかったが、簡単に信用していては命がいくつあっても足りない。毒ではないが菌がいるとか、毒ではないが体に負担がかかるとか、そんな水もあり得るからだ。


 荷物には限界がある。小型ゆえに手間がかかる。普段のように身軽な移動はできないが、元より時間がかかる作業だ。周囲を警戒できる程度に単純な動きで済ませられれば時間はどうにかなる。


 安心して飲める水は貴重品だ。貴重品は誰も譲ってくれない。自分で用意しなければならない。ただの生水なら煮沸だけでいいが、念には念を入れる。火はカロリーを使うから、食べ物を包んでいたゴミのひと欠片まで使い倒す。足りない分は周囲の植物から奪う。余った火種で蜂蜜酒を蒸留して消毒液を作っておく。


 荷物は少なく。荷物は多用途に。一見して矛盾した目的だが知恵によって同時に達成する。


 日没後ももう少しだけ作業は続いた。遠くからエンジン音が聞こえていた。幽かでも、風と混ざっても、レタなら見つける。


 眠れない夜、とは塀の内外で別の意味を持つ。塀の内側では自分の事情でなかなか寝付けないこと。塀の外側では寝たら危険を見逃してしまうこと。


 すぐ隣には風やら動物やらがうるさくて眠れなかった御坊ちゃまがいる。重要なのは音量ではない。何の音か。風はレタを殺せない。銃声はどこにでもある。恐ろしいのはまず足音だ。すぐ近くに何者かがいて、耳をすまさなければそれ以上の情報を得られない。呼吸の音も恐ろしい。呼吸器系の問題を抱えた人間とは感染症を撒き散らす爆弾と同じだ。モーテルではそれらを避けられないのでレタは野宿を好んでいる。


 野宿では唯一にして最悪に恐ろしい音がある。


 モーターの音だ。人工物でしか起こり得ない音。大型でなければ届かない音。大型モーターとは高速移動だ。徒歩の20倍、どう転んでも逃げられない。地平線から顔を出して飛び出して見つめあえばわずか3分後には情熱的な社交ダンスが始まる。逃げるにも隠れるにも間に合わない。


 劣勢に立ち向かう策はふたつある。ひとつは急にエンストを起こす幸運を願うこと。もうひとつは誰からも見つからない隠れ場所を事前に見つけておくこと。


 かつてレタが町に縋りついていたころ、レタはゴミ箱で眠っていた。生ゴミの袋はひどい悪臭だったが、羽毛布団が恋しい夜だったので、菌たちの宴会で生まれた熱と逃げない空気で暖をとっていた。その日は似た境遇の仲間がいた。彼女は「臭くなるのは嫌」と言って少し離れた場所で眠り、翌朝には少しの血痕を残して消えていた。数日後にあわよくば衣類を拾えまいかと死体を漁ると最初に現れたのが変色した彼女だった。圧迫痕の位置と白くて臭い形跡から、レタが数えなかった数日が具体的に何日なのかを数えるだけだった様子を脳が予測し再現した。


 モーターの音を聞くと思い出す。次は自分の番かもしれない。次でなくても、その次が。


 理屈の上では、この場を発見するには前情報なしでは不可能だ。焚き火の周囲は土で壁を作っている。光は漏れ出さないし、煙の処理もしてある。電波も夜は切っている。野生の猿を見つけられないのと同じく、レタは誰にも見つからない。見つからなければ死にもしない。


 では前情報があったら? 誰と誰が繋がっているかは決して見えない。直接でなくても情報屋のポケットにある小銭を誰かが羨むかもしれない。貧者に罪はなくとも、行動を見れば極悪人に等しい。


 理屈の上では、前情報さえあれば見つけられる。金を払ってでも殺したければ。


 恨みを買うような行いは避けてきたが、逆恨みなどの個人的な事情までは把握しきれない。唯一の心当たりはどこぞのテロリストが大事に抱えたガトリング砲の恨みだ。くだらない計画が半年は延期になり、次の好機を探すに追い込んだ。レタを追うどころでない忙しさはすでに落ち着いている。塀で囲まれた連中に一矢報いる日まで構成員たちの士気を繋ぐ暇つぶしを求めているはずだ。


 夜は考えが進んでよくない。月がすっかり動いていた。子供向けの間違い探しほどに。


 これ以上の夜更かしは明日に響く。モーターの音も消えた。眠ろう。眠る間に死ぬかもしれないが、寝不足で歩くよりは確率が低い。あらゆる方法で眠る勇気を出す。無神論者は昼行性の都会人だ。神頼みで夜を越す。昔の隣人によると、ヤオヨロズノカミという神なら必要になってからの祈りでも助けてくれるらしい。


 呼吸を一定に、脈拍を遅く。音と匂いと触感に集中する。すべての主体性を手放す。今は受け取り味わう時だ。目の裏で振り子が揺れる。振り子の周囲では景色が流れていく。木がざわつく音、草が焼けた匂い、背中を包むハンモック。意識的に意識を手放す。死のように優しく甘い眠りへ。


 次に目を開けたとき、よく知っている、初めての空を見た。周囲に異常はなく、太陽の位置だけが見慣れなかった。


 ブレインがすでに起きている。寝つきが遅かった分だけ長く寝ていたらしい。


〝Good morning.〟(おはようレタ)

〝Bad night.〟(しくじった)


 しくじっても日課の情報収集を始める。天気予報、付近の動向、荷物の状況。ブレインも手が空いたので見学している。

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