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FACE    (対面)

 ひび割れた旧街道の先で地平線から飛び出した人工の突起物。かつて大都市になると期待された町だ。


 近づくごとに双眼鏡で様子を見た。建物にちらほらと見えるのは非自然的な損壊だ。惨状の可能性はあるが、過ぎ去っていれば脅威ではない。


 踏み込んで最初に見た町人は女らしき亡骸だった。植え込みにもたれて、服の背中には見事な穴と液だれ模様がある。断定には早いが事態を探る助けにはなる。


〝Good news. They have ideology.〟(いい知らせ。思想がある)


 この間抜けな女をあえて殺す理由がない。持ち出せば多少の金か憂さ晴らしになる。それを置いていくのだから、金より思想で動く者の襲撃だ。


〝Nice imagination. Honer her too.〟(その豊かな想像力を、少しは被害者にも向けないかね)

〝I am living. Xe is never living.〟(私は生きてる。死人は何もできない)


 生きていない者のために生きている者ができるのは同行か記憶のみ。信仰や自己満足は明日を左右する贅沢だ。ブレインはこれ以上の反論を抑えた。同行する気がないのはいいことだ。死んだらもう何もできない。


〝I interest that you using xe.〟(わかったよ。ただ興味深いね。ジェンダーニュートラルには興味があるんだ)

〝Menace is same between he and she.〟(数だけでいい)


〝Search the living.〟(敵がいる)

〝Sure, but difficult.〟(生存者がいるといいが)

〝Discover or die.〟(見落とせば死ぬ)


 レタは時間を惜しんで短い言葉を使う。ブレインのような平和な暮らしを忘れてしまった。レタは窓や物陰を検めて、ブレインは倒れた人を探して。結果的に見る場所が近い。幸か不幸か何事もなく、すれ違いに気づかずに足を進めた。


 町ではまず耳を使う。どこかで動く音があれば、襲撃者の残党狩りか、生存者が一矢報いるつもりで襲ってくる。物陰をひとつずつ、誰もいないと確認してから前へ出る。路地も窓も街路樹もすべて。視界は一方的にはならない。自分が見える範囲だけが相手からも見える。一方的に気づかれることは決してない。


 というのはレタだけならの話だ。とある迂闊に前へ出た男が囁いた。曖昧な言葉でもレタの顔を青くするには十分な結果を示した。


〝Idiot. They will riot. Be escape to be scape.〟(間抜け、見つかってる。すぐ逃げるよ)


 シャツの首元を引っ掴み走った。次に景色が変わるのは町の外だから、最短かつ確認済みの逆戻りを選ぶ。普段なら改めて確認するが、ただ走っていい理由がひとつだけある。止まれば死ぬ時。


 足手纏いがいなければ見つかりもしなかったが、嘆いて生きられるほど甘くもない。誰が何をしようと、自分でまともに逃げられた者だけが生き残る。荷物が膝にのしかかる。生きていれば一瞬の負担だが、逃げ損ねれば一生の負担になる。


 正面で木の裏から一人、腰が曲がった老人が現れた。彼はこちらを見て手を持ち上げた。持ち物が見える前に視線を断つ。想定はいつも最悪に。


〝Wait, Reta!〟(レタ、待って)

〝Go or die.〟(待たない。死ぬよ)

〝He is kranke!〟(あれは傷病人だ!)


 ブレインは老人へ向かった。短い二人旅だった。見捨てて逃げるつもりだったが、レタが進む方向にさらに人影を察知した。今度は若者と子供だ。若者は両手のひらを顔の横で見せて、子供は手招きをする。


 とうとうレタも足を止める気になった。左右は壁、障害物はせいぜいごみ箱程度、こんな地形なら誘い込むより襲いかかるほうが早い。いかにレタでも多勢に無勢だから。でありながらレタが生きているのは彼らに殺す気がないからだ。


〝Retreat to our shelter. Here is dengerous.〟(一緒にシェルターに来て。ここより安全だから)

〝Why call me?〟(なぜ私を?)

〝You are Storkers' Nest.〟(そのエンブレムを見たら信用するって)


 こちらにブレインも合流した。土産話に、老人からの案内と、銃を持った男たちの情報を携えて。四人でそそくさと入った建物は、一見するとただの荒れた個人商店だが、奥の床を開けて地下への階段を出した。


 引き返すには最後のチャンスだが、増えた情報と合わせれば少しは信用できる。少なくともボディアーマーつきの小銃を相手にするよりはましな生存率をしている。


 床を閉じ、少し奥へ呼びかけると、壁に見えた扉が中から開いた。明かりは薄暗いが電気式、壁は鋼鉄。技術としては大都市にも匹敵する。調度品の椅子やテーブルは見窄らしいが、アリの巣のように奥へ繋がるようなので、まだ評価には早い。


〝We may sound.〟(防音は安心していい)


 聞くと町の建物にはすべてシェルターがあり、まず逃げ込む一次シェルターと、逃げ込んだ後で他と繋がる二次シェルターに分かれている。隠し扉を開けると子供たちが日常のように賑やかに、パンとソーセージを食べていた。


 技術だけは聞いたことがある。扉をはじめあちこちにあるひび割れ状の隙間は、音の反響を研究して一方通行を実現した技術だ。中からの音は外へ出られず、外からの音は中に通る。内部にいながら外の様子を探るにはうってつけだ。


 ブレインは寝かされた男を見た。ふくらはぎでは包帯の赤いシミが「ここを見ろ」と主張している。銃創への応急処置を済ませたか、他の理由での傷か。顔色の落ち着きぶりから痛みは弱そうだ。


 ブレインはしゃがんで様子を見た。包帯に書き込まれた日時は二時間前、適した処置の甲斐あり回復まで見込める。


 ブレインは包帯の上下を押した。くるぶしの周囲に、続いて膝まわりに。不随意の動きがあるので神経は生きている。話と合わせて痩せ我慢をしがちな性格と見た。この場でレントゲンは撮れないが、骨とは別の硬いものを感じる。悪い結果が頭に浮かんだ。銃創にしては小さく、破片ならこの程度だ。包帯の裏側は白い。貫通していないなら、傷口の奥はどうなっているか。答えはすぐに導き出た。


〝Operetion to remove.〟(摘出しよう)


 ブレインは説明を尽くした。麻酔がないので痛みは堪えてもらうしかない。狭い範囲なので耐えられると思っている。短時間なら放置しても大丈夫だが、破片の材質次第ではやがて毒になるかもしれない。そうでなくても立つたびに痛みが繰り返す。


 レタは離れて見守るに徹していたが、話がまとまりかけた所でいよいよ口を挟んだ。


〝Wait.〟(待って)


 薄暗い地下でもサンバイザーで顔を覆い、患者の正面から軸をずらして、感染症のリスクを少しでも避けている。シェルターとしては広い空間でも安心するには狭すぎる。指を動かしてブレインを呼びつけた。流れが覆るのはレタにも不都合なので患者には聞かせない。


〝Do you harvest their money?〟(毟り取るつもり?)


 優位を利用した善意の押し売りを咎めた。道徳ではなく利害の観点で。恨み言をつけられずに金を得る手段がある中で余計な怨恨を買うのは御免だ。そういう輩は損得勘定ができないので落とし所をつけられず、どちらかが死ぬまでの争いをふっかけてくる。言い換えるなら、貴重な弾薬を無駄遣いする羽目になる。使った分が返ってくるような相手でもなし、余計な恨みは避けたほうがよい。


 ブレインは首を振り、信念らしく語った。


〝Rescue is not for money. Money is for rescue.〟(金が欲しくて医者をやるんじゃない、医者をやっていくために金をもらう)


 いかにも温室育ちらしい発想だ。この程度に慣れていないから惨状に見えたのだろうが、塀の外でこれは恵まれた側だ。シェルターの存在を抜きにしても死なないような傷しかつけられず、傷病人を抱えて逃げられる程度の意思しかない。地上にいる武装集団が何者かは知らないが、せいぜい武器を持っただけの一般人だ。薬か食糧でも略奪して柔らかなベッドで眠ったら満足する程度の。


 一般人と殺人者の違いは、機会の有無だけだ。決して特別な存在ではない。欲求があれば誰もが候補生だ。叶える力があれば晴れて仲間入りだ。


〝I can face catastrophe.〟(医者はひどい状況を見た上で立ち向かえるから医者なんだ)


 必要な言葉は尽くした。ブレインは改めて患者の側を向く。レタは肩を掴んで止めた。


〝That economical.〟(安い男ね)


 背負っていた荷物をまさぐる。大小さまざまな道具が詰まっていて、必要なものはすぐに出せる。


〝I am.for trade. So...〟(私は趣味じゃないから。タダ働きなんかしない。つまり――)


 防護に使えるものを並べた。この場で顔が通る相手、町長や類似の者へ言葉を投げかけた。


〝May I have take water or foods?〟(水か食糧を貰えるなら)


 町人は少しの相談をして、結果を親指で伝えた。見たら動く。まずは食品用のラップ、ポリ塩化ビニリデン。空気や水の遮断性が高く、元は軍の弾薬を湿気から守っていた。手近な棒で伸ばしてブレインの顔を覆って飛沫を防ぎ、口まわりを布で覆えば呼気による曇りや結露もない。


〝Guard spray.〟(使うといい)


 レタはバイザー越しに巻いた。こちらは防護よりも洗浄の手間を惜しむ役目が大きい。ナイフの消毒にはガスライターを、手には使い捨ての手袋を。


 小さな手術は手際よく進んだ。ブレインが作業を進めるごとに必要なものをレタが手早く用意する。有り合わせの道具ではあるが、使い道が広い道具を組み合わせて繕うのはレタの日常だ。数ある突破すべき課題のバリエーションがひとつ増えただけだ。技術をブレインが持つおかげで。


 ナイフで傷の周りを切開する。皮膚の流れに沿えば切りやすく治りやすい。その上で最小限に済ませる。レタが押さえて、奥に見えた破片を引きずりだす。


 生理食塩水もこの場で用意した。蒸留水と塩、濃度は0.9%だ。大抵の菌を流水で物理的に押し流す。最低限の時間を求めるには流体力学が必要だが、結果を得るだけなら潤沢に使えばこと足りる。


 仕上げに傷口を戻し、外からはただの切り傷に見えるよう整えた。粘着包帯でもあれば早かったが、そんな便利なものも縫えるものもなく、滅菌ガーゼもない。苦肉の策でポリ塩化ビニリデンを巻いた。傷口に触れるのは内側になっていた部分なので理論上は汚染が届かない。ただ巻くだけではすぐに皮膚からの水で結露するので、傷周りには粉末唐辛子を当てがった。殺菌消毒になる中でも、塩より刺激が少なく、砂糖より溶けにくい。


〝Complete.〟(これでよし)


 ブレインの宣言を最後に緊張が解けた。手袋やラップを外し、道具を改めて洗浄する。


 取り出した破片は金属製らしき薄い板で、ひしゃげた様子からおそらくパイプか何かが破裂したものに見えた。そういう道具は主に銅か真鍮で、今後の経過はブレインから患者へ説明している。


 振り返れば技術以外のほとんどをレタが用意していた。衛生的な水も、調味料も、刃物も、火も。レタの旅路で細々と使い続けてきた。やがて必要な日が来ると知っていたから少しずつ集めていた。飲食店の備え付けから少しずつ。大袋でのまとめ買いは長期的には安く済むが、小袋にもならないほどのごく少量なら無料で得られる。ただし時間がかかる。今日だけで半年分ほど。


 ブレイン抜きでは同じ結果を得られなかった。医術とはどこにでもある道具をどう使うべきかの熟達にある。外科手術は石器時代にさえあった。使い方を知らなければ道具は価値を失い、使い方を知っていれば石ころさえ価値を持つ。パソコンが万能計算機にもツイッター読み込み機にもなるように。


 これは使える。非常時の保険になる。


 住民から水と食糧を受け取った。町長は寝床の提供を申し出たが、レタは警戒した。恩返しはない。眠る間に荷物を奪えればさらに得くらいに考えているに違いない。危険ではとても眠れない。


 影は長い。もう長いとも言えるが、レタはまだ消えていないことを重視した。


 急ぎの荷物があるから。尤もらしく理由をつけて出発を主張した。外の音が聞こえるおかげで何度でも突破してきた状況とわかった。ブレインを引っ張り地上へ。


 そそくさと町を出て、旧街道から外れて道なき道を進んだ。特に探したのは車の轍と人の足跡だ。これらは危険を示している。周囲には何もない。


 ブレインは不満顔だが、いい話の裏は夜明けにわかる。


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