表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/9

A WORLD  (異郷)

 朝日で目を覚ます。レタは普段通りに。隣の男は寝付くまで四苦八苦するとわかっていたので、日陰が長く残る位置にしておいた。スマホを出し、眠る間の報せに目を通したら、いよいよ至福のひとときを始める。


 世界最高の漫画を、見開きページひとつ分だけ。時間を細切れにして動きやすく、長持ちさせて次巻まで退屈しない。昨日のページを開き、左へスワイプしたら、まず目に焼き付ける。スマホは画面が動かず通信もせずにいれば電力をさほど使わない。見たものを思い出せるくらいになればいよいよ吹き出しの中身を読む。


 ディストピアを舞台にした群像劇で、中央体制派とレジスタンスの衝突が続く中、参戦した第二体制派の謀略も加わる。大規模ゆえに先が読めない展開と豊富な外伝作が人気を博している。


 昨日のページでは推しキャラのデルタが敵組織に囲まれていた。今日のページは包囲網を突破するためあえて姿を晒す。情報を見せては隠し、奪っては横流しして、戦局を意のままに操る、デルタはいぶし銀の女だ。出番も口数も少ないが貴重な出番では印象深い活躍をする。彼女は前話から再登場して、一時的に主人公と共闘している。


 名脇役のデルタは金次第でどこにでも着く流れ者だ。上流層に生まれて、最下層へ転落し、知識と技術で人脈を作り、成果に物を言わせて中層までのし上がった。黒ずくめのコートにはさまざまな道具を隠し持ち、僅かに見える肌と手袋と紙巻きタバコだけが白く目立つ。意図的に目立たせて、隠し事なんか何もないような素振りで、密かに手を動かしている。使えるすべてを餌に視線さえ誘導して事を為すのはカッコいい。レタが推す理由はこれだ。


 彼我の位置関係を見て〝Celestial.〟(潮時だ)と呟き、ショットガンを鳴らした。見せていたので装弾数を知っている。聞かせていたので残弾数を知っている。見せていたので再装填をしてないと知っている。弾切れだ。


 散弾は数人への軽傷と全体への警鐘になった。算段通りに包囲網が縮む過程には歪みを横から叩く者がいる。デルタは自らを囮として主人公を逃がし、誘導した攻撃には防戦一方で、ついに喉元への刃が飛び込み一貫の終わり、と誰もが思う中で口元の自信を見せる。よく見れば大コマの背景でまだ何かが煌めいている。太陽とは別の方角だ。きっと次のページで大逆転が待っている。


 今日のお楽しみはここまでだ。左へスワイプしたい手を抑えて画面を暗転させる。自分だけが知る口元が映る。明日も見るために立ち上がる。敷いていた毛布はヒッチハイクお断りだ。最大の荷物だけを残していつでも歩ける。


 ときどき、足を止めそうになっていた。稼ぎに目的がある頃にそんな時間はなかった。今は画面上の数字が増えるばかりだ。装備の質はすでに満足しているし、大金をはたいて求めるものもない。正確には、欲しいものの前では大金でさえ端金になる。


 生きるために必要なもの。俗に衣食住と言われている。いつしか銃で住を代替するようになった。もうひとつ必要なものがある。目的だ。


 人は目的なしでは生きられない。レタは日々の仕事を減らし、安全第一の暮らしで少しずつ漫画を読む。のどかな狩猟生活。一見すると矛盾しているが、レタの暮らしを表すには適切だった。


 束の間とはいえ目的を得た。久しぶりに気持ちよく生きられる。


 彼の瞼に朝日が届く時間だ。味わい終えた頃に男の声が聞こえた。


〝Good morning. Gargle with your urine.〟(うがいは自分の尿を使いなさい)


 都市の常識とはかけ離れているが、旅路では荷物を減らしたいし、無駄遣いを避けたいと理解している。水場は遠い。最低限のサバイバル知識はブレインにもある。排泄物を押し流す液体を再利用して口の菌も押し流す。


 水筒を持っていたのでタンクから水を分けた。二人で使うなら二日が関の山だ。近くの町までぎりぎりで、道中は拾える経路から選ぶ。


 燻る火種はササキに背負わせた。残りをマントの裏に隠す。設営は三分以内に、撤収は四十秒以内に。レタの信条だ。動くべき瞬間に動けなければ荷物と命を失う。あらゆる手順を最小限に切り詰めている。


 同じ時間でブレインは朝の身だしなみ程度なら整えた。初めてにしてはよくやったほうだが、手加減なしの自然の掟と照らし合わせれば遅すぎる。ほとんどの日は何事もなく生き残れるが、稀に間に合わない日には安らかな二度寝が始まる。命日に必要なのはただ一度の祈りだが、いつ祈ると命日になるかがわからないので、祈りの時間を最小限にする。


 今日は1日でひと月分を祈ったが、幸運にもまだ命日ではなかった。


 旧街道へ合流した。まずブレインの痕跡を探す。もし足跡があれば、しかも都会風の靴底なら、やがてハゲタカが現れる。世間知らずのお坊ちゃんとは、木の棒や石ころを布や革と交換した上で食糧も手に入るボーナスステージだ。


 ブレインは補習授業のように落ちぶれた顔をするが、〝Regret in cemetery.〟(黙ってやらないなら永遠に黙ることになる)と呟いたらおとなしく手伝い始めた。補習授業を兼ねると余計に時間がかかる。


 日課は他にもある。バックパックの携帯食を、夜ごとに一日分ずつ腰のポーチに移す。歩みを止めずに食べられる。今日は二人で食べるので半日分になるが、元より足手纏いが増えた身だ。休憩まで半日も持たない。アレルギーを確認し、前日までの食事状況を確認し、食べるべき栄養素を割り出す。


 飽食の時代なら忘れても構わないが、人は食糧なしでは生きられない。炭水化物は即効性のエネルギーになる。これが欠けたら歩けない。脂質は遅効性のエネルギーになる。これが欠けたら食事による隙が増える。蛋白質は筋肉になる。これが欠けたら歩くほど体が弱る。ブレインは断食する羽目になっていたと聞いたら、半日分だった食糧がせいぜい三分の一日分になった。


 魚の缶詰と爪楊枝を与えた。脂質とたんぱく質が豊富でミネラルも添加されている。大急ぎで食べようとするので注意した。ひと滴もこぼしてはいけない。指や服や頬につけてもいけない。最大限を体内に収めよ。そのための爪楊枝だ。スプーンやフォークよりも表面積が小さい。


〝Likes gluttony one.〟(意地汚くないか)

〝Become clean corpse.〟(お上品に死んでも構わないけど)


 文化は生きた残滓から生まれる。優雅であるほど生きやすいならば優雅な文化が生まれ、豪胆であるほど生きやすいならば豪胆な文化が生まれる。かつて国境が隔てていたものを今は塀が隔てている。


 旧街道を逸れて道なき道を東へ進む。


 正面からの日光をレタはバイザーで防ぐ。ブレインはサングラスで。運動と日照が熱になる。なるだけレタの真後ろへ。そうすれば靴まわりくらいは赤外線から守れる。まだ正午にも遠いうちにブレインは絶え絶えに弱音を吐いた。気遣いの言葉をレタへ向けたように装い自分へ向けて。


 別にレタの体が強いのではない。ブレインは体外の弱さを体で補っている。装備は強くするべきだ。強くできなかったものはすべて死んだ。死人は透明になる。かつてそこにいた事実さえ誰も知らず、最期の手向けにネズミやハエの餌場となる。祈りも葬送歌もない。塀の外では、誰にも。


 装備を調達できる街があれば出資者による手厚いサポートのおかげで楽をできるが、幸か不幸か目的地のほうが近い。


〝will rest.〟(休憩しましょうか)


 ちょうどいい日陰を見つけた所で率先した。回復が追いつかなければ命がいくつあっても足りない。熱に関しては収支だけなので単純だ。太陽と筋肉と肝臓が熱を生み、皮膚から熱を逃がす。体温と気温の差でも効率が変わる。


 カビと腐敗が薫る廃墟の、かろうじて日光を防げる程度の壁を見て、ブレインは躊躇しながらも寄りかかった。医療従事者にあるまじき衛生観念から身の負担が見て取れる。


〝Dear ticks, food now.〟(ダニに注意)


 レタが呟いたら飛び上がって前に出た。


〝Don't be ridiclous〟(脅かさないでくれ)


 レタは地図と天気図を見る。風向きは後ろからがいい。ましな経路を選ぶ。


〝We live near open town. I staied last year, there is not dengerous. I will use two traps and one bullet.〟(近くに塀がない町がある。立ち寄ったことがあるし、治安は悪くない。罠ふたつと弾丸ひとつがあれば朝日を拝める)


 治安が悪くないのか、罠と弾丸が必要なのか。ブレインは項垂れてため息をついた。


〝It just another world.〟(今までの常識が覆っていくよ)

〝My past too. Welcome to a world.〟(奇遇ね。地獄へようこそ)


 休憩を終えて歩き出す。しばらくは向かい風が吹くが、やがて追い風になる。レタの顔はバイザーが守るが、ブレインはサングラスの上下から砂埃が襲う。足を止めた。目に飛び込んだ異物を指でこすってはいけない。涙で押し流すまで待る。医者なので言うまでもなく理解している。


〝Im OK. Its nice wind.〟(平気だ。気持ちいい風だよ。)


 ブレインが笑って見せた。その口を塞いだ。砂が飛び込めば吐き出すには唾液もついていく。水の無駄遣いは避けたい。最初から口を閉じていれば砂は飛び込まない。ごく単純だが、砂がなく水が豊富な都会にはない習慣だ。


 贔屓目にもブレインの体力は難を隠せないが、元より足手纏いを連れ歩く仕事だ。休憩に合わせてニュースを読み、遠回りを厭わず安全な道を選ぶ。その面では予想よりましなペースで進んでいる。この調子で進めればいいが、ゴールにできる街との位置関係を加味すると、決して楽観できない。


 選ばなければならない。波乱か、長旅か。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ