表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/9

GATE    (境界)

 あらゆる建築はやがて遺跡になる。板切れを揺らすとギコギコと不愉快な音で来店を示した。昔は扉を名乗っていたらしいが、昨今なら鳴子と呼ぶほうがまだ通る。繊細なお坊ちゃんお嬢ちゃんは客ではない。


〝Thank you for waiting. its goods.〟(お待ち遠さま。依頼の品よ)


 客でないお嬢ちゃんとは主に踊り子だ。樽やボビンを転用した席から下卑た目が集まった。サンバイザーを上げたら声も。碧眼が珍しい地域ではよそ者の印になる。荷物を出す過程でマントの下が見えたら、柔らかに主張する山脈について、風の音に紛れた囁き声が加わった。


 彼女はレタ・オルフェト、職業は運び屋。破綻した交通網に代わり、自らの脚で荒地を越えて荷物を届ける。と、表向きには語っているが、実態はほとんど富裕層の小間使いだ。治安と衛生が破滅した今、ちょっとした買い物さえも強盗や疫病のリスクが付きまとう中で、危険の肩代わりで駄賃を得る。荒波を乗りこなくとも貧者が死ぬだけの話だ。


 酒場の店員は奥にいる。言い訳じみた小料理を置き、棚の奥からぐるりと回って、ようやくレタの前に現れた。下卑た衆の品定めの時間だが、レタの要件もあらかた済んでいる。荷物箱はカウンターに並び、あとは支払いを受けたら去るだけだ。


〝Please check.〟(確認を)


 紋章には不可視のインクで二次元コードが描かれている。ピッと鳴って読み取れたとわかれば、中央のデータベースに実績と評価が加わり、電子マネーによる報酬が届く。


〝Good job lady, a dish is?〟(お疲れさん。《《食ってく

》》か?)

〝I wish ration. Ready to hungry.〟(携帯食なら。食べたばかりだから)


 レタは裏には気づかないふりをして表だけへ答えた。店主は裏に仕込まなかったふりをしてパウチの魚サラダを置いた。運び屋ギルド向けの食事のひとつで、出資者が各地の飲食店へ提供している。不足しがちなビタミンやミネラルを添加したもの。身代わり人形を長持ちさせるなら餌で飼い慣らすのが安い。


〝Nice foods. Friend of footjob.〟(歩き仕事にはこれよね)


 ひと瞬きのうちにパウチを片付けて、背中だけで別れを告げた。外では乾いた風に乗って土埃がいくらでも打ち付けるが、しみったれた酒場と比べればはるかに心地よい。しみったれを受け入れる町を抜けたらさらに心地よくなる。


 では、どうやって出るか。番人はすぐに入れてくれたが、簡単には出してくれない。


 塀がない町は厄介だ。運び屋ギルドの紋章を左胸に掲げただけで、フリーパスでもないのにアーチをくぐらせた。得体の知れない女一人、首から上はサンバイザーと帽子で隠し、首から下はマントで隠し、見えるのはシルエットとせいぜい金髪だった。信用するはずがない。


 来るものは拒まず、去るものから見ぐるみを剥ぐ。今どき珍しくもないから入る前から備えがある。誘導も下手だった。


 先の酒場は東西に長い中央通りの東側寄りにある。レタは西から来た。早く出たいなら東へ行く。この町並みに留まりたくない心理がが強いほど近い出口を求める。腐っても旧街道がある立地だ。歩いていればやがてどこかへ着く。



 しかし地形図を見ると、東側はなだらかな下り坂になっている。前へ進みやすく、戻るには面倒な、程よい坂だ。見晴らしもいいから次はどこへ行こうかと考えが頭を埋め尽くす。背後から狙う姿には気づかない。物陰でもあるから。


 現にこの辺りでは長距離の仕事が不自然に減る。東から西への仕事はいくらでもあるが、西から東への仕事が少ない。なぜか失踪率が高いからだ。たまに割のいい仕事があり、必ずこの町を通る。


 運び屋ギルドの大抵は金に困った連中だ。レタも例外ではなかった。東西への移動の中間にあるここへ小さな荷物を置いて小金にできたらどれだけ儲かるか。怪しいと気づけるか。気づいた上で荒波を乗りこなせるか。腕の見せ所だ。


 西部劇を真似たような建築がなけなしの技術力を示している。攻略の肝も西部劇を真似たようなものでいい。すなわち、銃と女だ。


 レタ自身の女を使う手もあるが、もっといい女を見つけた。いかにも不満を蓄えた女が古びた小屋に放置されている。いかにもトロフィーワイフらしい身なりで、暮らしの痕跡を見ると生きていても特にいいことがなさそうだから、最期のプレゼントとして銃を投げ込んだ。


 銃はいくらでもある。ちょうど拾ったばかりのリボルバー銃の使い所だ。Cの字の蛇が微妙に不細工な粗悪コピー品だが他人に渡すにはちょうどいい。ハンマーとシリンダー周りの補強が投げ込む衝撃から機関部を守る。弾は三発だけ。全能感から反逆を企てるにはとても足りず、ただの自殺には多すぎる。


 蛇がトロフィーを誘惑する。二人を道連れにせよ。弾を込めて、ハンマーを下ろして、引き金を引け。ただそれだけで強い力を放てる。その価値を見聞きして知っているはずだ。さあ道連れにせよ。


 トロフィーには休みに似た時間がある。本当に自分にもできるのか。横から反撃を受けやしないか。恭順さを試す罠ではないか。投げ込んだ女は誰なのか。目が青くて髪が金だからこの町の者ではない。肩に見えた紋章に見え覚えがあるはずだ。運び屋ギルドを示す印はどんな地域でも立ち寄る機会がある。


 レタは投げキッスと共に立ち去った。このトロフィーは時限装置だ。休みに似た時間がすぎたら避雷針を買って出る。あまりに時間がかかるならリモコン式に変わるが、わかってから動きを切り替えればいい。


 時代錯誤の西部劇じみた町並みを抜ける。汚いほうの銃を携えた猿を横目に、求婚を背中で断り、西門へ向かう。トロフィーはまだ黙っている。世話の焼ける避雷針だが予想より間抜け面が多いので楽に進めた。


 彼らはレタを殺せない。この町では子供の声が聴こえなかったから。


 子孫が残らなければ滅びは時間の問題だ。いちばんの若者は酒場の店主だった。そろそろ女を見つけなければやがて店主が最後の一人になる。この場を通るのは物好きと間抜けだけで、レタは貴重な女だ。なんとしても生捕りにしたい。しかし間抜け以外を狩る技術がない。レタなら見ればわかる。


 レタの身を覆うマントには荷物を隠す役目もある。銃をどこに持っているか、左右の手で何を準備しているか、誰にも見せてやらない。顔と荷物は情報になる。疲労状況も、反撃の有無も、期待できる戦果も。生き残るには隙と優劣と価値を隠せ。さもなくば名札くらいは持っておけ。最初の一年で得た教えは魂となり百まで役に立つ。


 番人だけが人の姿をしていた。彼を越えれば残りはどうにでもなる。意味もなく出歩く者はいなかった。意味あって出歩く者とは鉢合わせない経路で歩いた。エセ西部劇の町ならば炭鉱夫か似た役目の貧民くらいは見ると思ったが、こいつらはそうじゃない。ガンマン気取りの荒くれ者だ。


〝Hi, watchman. I leave the town.〟(どうも番人さん、通っていいかしら?)


 番人は飛び上がった。計画になし、連絡手段もなし。予想外がよほど珍しいようで、生きやすい環境に甘んじていたと窺える。盗み見た腰の銃はUSP、こんな町には不釣り合いな高級品だ。偶然の拾い物をそのまま使ったらしき様子が逆に見窄らしい。


〝Work is over?〟(お仕事はおしまいで?)


 恐る恐るの様子で話を長引かせようとする。この顔色なら、考える時間を稼いでいる。足止めのつもりなら下手すぎる。右手は姿勢を支えるように椅子を掴むが、銃を取りやすい位置と丸わかりだ。


〝I WILL leave the town.〟(帰ると言ってるのだけど)


 レタは視野を広げた。焦点をどこにも合わせず、目に飛び込む光のすべてを薄ぼんやりと眺める。周辺視野のぼやけた見え方でも番人の右手は見える。人の目は動くものによく反応する。動かないものは見るまでもなくわかっているものだ。人の脳は無意識で情報を統合する。正面をずらしたら的外れの空間を見ているように見える。視界はこのように隠す。


 番人は表情豊かにピンチを伝えてくる。ミスリードを誘う演技と見るには他の技術が半端すぎる。手柄のチャンスに飢えている。隙を見せてやれば飛びつく。飛びつく瞬間が隙になる。


 3秒の沈黙は終わりの合図だ。他の相手となら友情だけを残せる。商談でも挨拶でもエンターテイメントでも、沈黙とは愚鈍さと無関心を見せる行為だ。会話とは流動だ。表情筋による会話は特に。澱みに価値はない。当然の顔で正面を通り、砂利を鳴らして背中を隠した。後ろ歩きでも同じ歩き方ができる。


 たとえば、躓いた演技でも。


 レタが顔を逸らしたら番人のチャンスだ。右肘が下がって銃を抜く。やる気がある者は大歓迎だ。番人がチャンスに飛びつけばレタのチャンスになる。マントの下では右手に合わせたホルスターと早撃ち用の拳銃がある。引き金は軽く、撫でれば弾丸を放つ。ひと瞬きよりも早い。


 狙いは正確に、番人の右腕に。拳銃弾が番人の肘を砕いた。当たってから銃声を聞き、倒れてから服に染みた液体に気づく。汗ではないし、動物の尿でもない。赤と黒がまざる液体が自らの静脈血に気づけば心拍が増えて、増えれば出血がより激しくなる。


 広がりゆく血溜まりが手当てなしには生き残れないと知らせた。循環器の破綻は全身に致命的な変化を促す。失血とは酸欠であり、低体温でもある。肺から脳へ酸素を届けてくれるはずの赤血球を失い、筋肉から全身へ体温を届けてくれるはずの液体を失う。


 銃を蹴り、首を踏みつけた。血流が止まれば脳は意識を手放す。あとは失血死か介錯が待っている。医療や福祉は豊かな地域の贅沢品だ。


 さて、銃声は町中に響いた今、トロフィーもそろそろ休みに似た時間を終える。次の銃声がまずひとつ。垣間見える人の動きが規律を失った。建物の隙間を斜めに見て細長い光を遮る影が右へ左へさまよい歩く。しばらくはトロフィーが隠れて注目を集めるので、レタは時間切れまでにとんずらするが、その前に。


 番人から遺産を相続する。精度のよい弾は数発で家を建てられる。ブラックマーケットにおいて信用は果てしない貴重品だから。順当なルートで得られるうちに物々交換で手に入れる。レタがこの町で渡したのは銃をひとつと弾を4発。町から受け取ったのは銃をひとつとその中身。銃の他は可能性ごと無視した。せいぜいポケットに入れるような物しかないから探す時間のほうが惜しい。


 今日だけで3度目の銃声が響いた。この調子ならトロフィーがまだ頑張ってくれる。お祭り騒ぎに背を向けるには覚悟が必要だ。少ない側なら地面がキスを迫り、多い側なら裏切り者になる。レタは透明になった。すべてがレタをすり抜けていく。


 町を離れてようやく晴れた空を思い出した。北アメリカ大陸の北部、旧マニトバ州。地平線まで乾いた土が続く平坦な地。見所はなく、隠れ場所もない。空と地面と自分、ただ3つがすべてだ。砂漠の一歩手前のステップ気候、わずかな低木の他は足首にも満たない草が限界の地。


 人は往々にして解放を恐れるが、レタには自分の足と羅針盤がある。イカダで海を流されるのとは違う。誰にもできないことを自分だけができれば最高の強みになる。追手は来ない。


 運び屋ギルドでさえレタは異質だった。治安がそこそこな町で家を持つ者もいるし、車中泊を主とする者もいる。過去の暮らしに縋りつく奴らだ。だから死ぬ。人の死因は主に人だ。一人で動けば自殺以外では死なない。


 唯一の友が隠れ待つ茂みに来た。草が揺れて、草に似た色の獣が顔を出した。


〝Good girl.〟(いい子ね)


 彼女はキンイロジャッカルのササキ。レタが最後に家に住んだ頃、隣に住む日本人から譲り受けた。レタが町に寄るときは離れた森林に隠し、戻れる場所を確保させている。今日のような不毛の地では周囲を掘っても食べられない。腹を減らしたササキは大喜びで缶をひとつ食べ尽くした。


 落ち着いたら迂回して東へ。来年には旧トロントに着く。ササキによるとその経路に流れ者が潜んでいる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ