第六話 新鋭機——零戦と一式艦偵——
「これが噂の零戦か」
「正確には、零戦三二型ですが」
南雲の言葉に海軍航空技術廠廠長の和田操少将が答える。零式艦上戦闘機——日本が誇る傑作機にもイオー・ジマがもたらした技術が影響していた。
イオー・ジマに搭載されていた各種艦載機の解析の結果、日本の航空技術は1年ほど進んだ。発動機の開発状況を見ると、1940年(昭和15年)には栄二〇型が、翌年には金星五〇型が制式化され、誉の試作機が完成している。
また、ブローニング12.7ミリ機銃をもとに九八式13ミリ機銃が制式化された。これは、当時陸海軍で使用されていた九三式13ミリ機銃の弾薬を流用するためでもあった。結果として、20ミリ機銃には威力は及ばないものの優良な弾道特性を持つ機銃が誕生し、海軍のみならず陸軍でも航空機の武装として幅広く使用されることになる。
零戦に話を戻すが、1940年に制式化された零戦一一型は武装が13ミリ機銃4挺であること以外は、史実の零戦とほとんど変わらなかった。つまり、卓越した空戦能力と長大な航続距離を代償に防弾性が一切備わっていないのである。当時ならこれでも構わなかったかもしれない。しかし、未来の戦闘機を知った海軍上層部は零戦の改良を急がせた。
1941年(昭和16年)には、零戦二二型が誕生した。発動機に制式化されたばかりの栄二一型を採用、操縦席に防弾版と防弾ガラスを配置し、機体強度も翼面荷重136キロまで強化され降下制限速度は時速720キロまで引き上げられた。しかし、重量は3,200キロまで増加し最高速度は時速520キロに減少した。
そこで、推力式単排気管を使用するなど速力上昇を図った型が設計された。それこそが零戦三二型である。三二型では最高速度は時速540キロまで増加したほか、翼内燃料タンクに自動消火装置が装備され無線機は新型の零式空1号に換装された。反面、航続距離は(増槽込みで)2,000キロまで下がったが運用上は特に問題はないとされた。
その後、零戦は金星五二型と自動防漏タンクを装備した四三型、最終形態である五四型まで改良が重ねられていく。一方、次期新型艦戦の開発も進められ、1943年に艦上戦闘機「烈風」の試作機が完成する。
続いて、神鳳に1機の艦上機が着艦してくる。九九艦爆よりスマートな見た目をしたこの機を前に和田は説明を始めた。
「こちらは我が空技廠で開発された新鋭艦上爆撃機、その偵察型です」
十三試艦上爆撃機、のちの彗星は1940年に試作機が完成したばかりの性と生産性を考慮しこちらが採用された。しかし、空冷発動機の採用による空気抵抗の増加と防弾装備の最新鋭機である。当初は水冷発動機であるアツタを使用していたが、金星五〇型が制式化されると整備充実による重量増加の結果最高速度は時速546キロから500キロに低下した。発動機の改良がなされる中、先んじて偵察機型が制式化された。
それがこの一式艦上偵察機である。本機は、一航艦に12機が配備されることになる。なお、本来の艦爆型も1942年には制式化された。
一方、艦上攻撃機は開発が難航したものの、1942年に新鋭艦攻天山が制式化される。さらに、艦爆と艦攻両方の性質を併せ持つ新型艦攻の開発も進められた。